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雑草ポエムコミュの雑草ポエム書籍化 第26章 【忍ぶ 不忍(しのばす) 無縁坂】

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 無縁坂(むえんざか)

 1975年、さだまさしさんが『グレープ』時代、その最後にリリースした名曲として知られており、東京都台東区池之端一丁目から文京区湯島四丁目へ登る、現在も実在する目立たない坂道でございます。

 この歌が誕生した当時、まだ十二歳の幼き私には、この歌の真の意味など知る由もございませんでしたが、TVドラマの主題歌となっておりましたので、物悲しそうな歌として長く記憶に残っておりました。

 私は最近、とある理由からこの歌の奥深さを知るに至りまして、昨日、ふらっと『無縁坂』へ足を運んで参りました。

 無縁坂とは、『無縁仏』をイメージさせるものでありまして、事実、坂の上には行き倒れの無名の死者を葬る『無縁寺(現・講安寺)』があったことが、この呼び名の由来であると知りました。

 また、現在でも坂の左側の司法研修所(旧・岩崎弥太郎邸)は高い木々に覆われており、日中でも薄暗く、カラスの鳴き声も聞こえたりして、いかにも『無縁坂』という気配が漂っているような気もいたします。

 無縁坂の坂道とは… 、その坂道が、人生のたとえになっております。

 後ろを見る、というのは、過去を振り返る、という事でございます故、後ろを振り向くなという(主人公の)『母』の言葉は、過去を振り返っても仕方ない…と、我が子に言い聞かせているところでございます。

 無縁坂のこの歌詞は、さだまさしさんが幼い頃に書いた小説の冒頭を歌にされたものだそうで、その小説では『坂の上に父親の家があった』という続きがあったそうでございます。

 坂道を…、小さな子供の手を引いて…、ため息をつきながら子供の父親の家に向かう女性。

 どうも普通の夫婦ではないようでございます。

 私は無性に知りたくなった…
『忍ぶ 不忍(しのばず) 無縁坂』という本当の意味を。



 主人公の言う『僕の母』とは、独り淋しく死んでいった、無名の行き倒れの女性の一人に数えられていたようで…(憶測です)。

 坂の下には不忍の池があり、その名はもう耐えられそうにない身投げの名所のような霧を放っているのは何故でございましょうか。

 耐えられるか,いやもう耐えられそうにないか…という、二つに引き裂かれながら、危うく存続している母の人生。

 『忍ぶ 不忍(しのばず) 無縁坂』 そういう危ういところで保たれた『かみしめるような ささやかな僕の母の人生』を感じ取り、少年の心で綴った詩であると私は思いました。

 『母はすべてを 暦にきざんで 流してきたんだろう 悲しさや苦しさは きっとあったはずなのに』

 悲しさや苦しさは明白にありましたが、それを不平不満のじゃじゃ漏れにせず、母は『ため息』の中に昇華し続けたのでございます。

 『運がいいとか 悪いとか 人はときどき 口にするけど めぐる暦は 季節の中で ただよいながら 過ぎてゆく』

 この少年の母は、不運だったにちがいない…ですが、それも一局の人生であり、月日はいつでも淡々と流れ、辛さ、淋しさは、時として乱暴に肌を刺したりいたしますが、それでも生き続ける…、生き続けなければならないと思うのが、その当時の母親でございました。

 自分の愛する者(我が子)への、優しさだけを生きる価値として…

 『うっせーよ、このガキ!』と子供を怒鳴り、容赦なくひっぱたくヤンママとは対極の、これは一時代前にはどこにもいた、何より子供にだけ優しさと正しさを注いでくれる『忍ぶ不忍無縁坂』型の母親でございます。

 ふっ…と、そういう母親の姿を『かみしめ』たくなる『ささやかな 僕の母の人生』というものが、あの一時代前には沢山あったはずなのに…。

 夫(つまり子供の父親)への不平不満をぶちぶちと子供に言い、自らの生活を省みることもなく、人生観を模索することもなく、大切な我が子を自らの不平不満の捌け口にしようとする、そんな昨今の母親(もどき)には…見習ってもらいたいことも多々ございます。

 この無縁坂を歩きながら、我が母の我慢に我慢を重ねた『ささやかな人生』を思い、この歌と重ね合わせますれば…

 晩秋の空は高く、心の色は青かった。

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