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神戸ルミナリエを考える会コミュのルミナリエ。あるべき姿は?

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既存トピックが「ルミナリエで良かった事・悪かった事」の二択でしかなかったので、
ある意味もう少し発言の自由性を持ったトピックを…と、トピ立てさせて頂きました。
お許しください。

2008年、今回も「あたかも震災の鎮魂行事である」かのように
ルミナリエが無情にも強行開催されてしまいましたね。
市民感情・被災者感情を無視して…

しかし一方、不景気の煽りで開催史上最悪の収支だったようです。
また、来場者数も着実に減っているようです。が…
組織委員会のウェブサイトでは、またもや「存続が危ないので、もっと寄付を!」
などと呼びかけているようです。

私は、ルミナリエに「震災犠牲者の鎮魂」と、心にもない大義名分をこじつけなければ、
普通に「綺麗なイルミネーション」として、神戸観光風物詩のコンテンツの一つとして、
開催されることに何ら反対ではありません。

憂うべきは、犠牲者への尊い鎮魂の念を客寄せに利用し、本質を知らない善良な市民に
「震災のことを風化させないためにも、ルミナリエを存続させて欲しい」
などという誤った認識を植えつけられていってることだと思います。

ルミナリエなんか続かなくても、年に1回“1.17”を迎えれば、
神戸市民は否が応でも震災のことをちゃんと思い出します。
忘れることなど、あるはずがありません。
今年も“1.17”追悼行事に参加し、その思いは益々強まりました。

皆さんのご意見は、その辺は如何でしょうか。

ルミナリエが誰からも受け入れられるイベントに近づくためには、
先ずは「震災犠牲者への鎮魂」といううわべだけの大義名分を捨て、
一部の被災者感情を逆撫ですることをやめること。
この変革抜きには、絶対にあり得ないと思うのです。。。もうやだ〜(悲しい顔)

コメント(7)

今年もルミナリエが始まりましたね。

毎年欠かさず行き、その度に泣いてしまいます。

私もルミナリエの意味を考えるのですが、震災被災者の鎮魂であり続けて欲しいと思っています。

阪神圏の被災者、各地の関係者の方々にはルミナリエが無くとも震災の記憶は脳裏に焼き付いて離れない事は本当にその通りだと思います。

しかし、ルミナリエの始まりが被災者の鎮魂や被災地への復興の願いであった事は、知らない方もたくさんいらして、毎年の様にルミナリエの始まりの経緯をお話する事があります。

本当に難しいというか、様々な見方や立場があるのでしょうし、大義名分だけかと呆れる事もありますよね。。。

私個人としては、震災は子供の頃に初めて感じた絶望でした。

そんな中で見た95年のルミナリエ。いつまでも続けて欲しいと思っています。

点灯の時の人のあまり居なかった15年前と随分色々変化はあるにせよ、私にとってルミナリエは冬の大切な節目です。

1月17日は震災を深く考え、哀悼を捧げる日。
ルミナリエの点灯を見る日は、その後の神戸の復興や被災者や家族の歩みを振り返る日。
同じなのかも。。。でも私にとってはどちらもとても大切な日です。

長文失礼いたしました。


> ミオさん
コメントありがとうございました。

確かに第一回は感動ものでしたね。
全てが真っ暗だった1995年、年の最後に神戸の街を明るく照らしてくれて、
私もその灯りに感動し、心から励まされました。

「第二回をやる」と聞いたときに「え?」って思って、
それ以降は回を追うごとに疑念が強まりました。


このトピの親記事を書いてからかなりの月日が経って、今年も
更なる自問自答や、周囲の神戸市民との意見交換を重ねました。

そんなことを、せっかくコメント頂いたのを機に、追記的にコメントさせて頂きます。



激甚災害等で「犠牲者への鎮魂」とされる日が年に二回も存在するのは、
恥ずかしいことに阪神・淡路大震災だけです。

終戦も、原爆も、日航機の墜落事故も、福知山線の脱線事故も、同時多発テロも、
とにかく「その日」が犠牲者への追悼の日です。

それが「当たり前」であり、それ以外の関係ない日に鎮魂・追悼行事を行うことには、
やはり強い違和感を覚えるのです。

現に今年、遠方の若い友人に「震災って、12月に起こったと思ってた」と訊かれ、
ショックを受けました。
こういった「誤った認識」がいたずらに広まることを、大変危惧しています。



「始まりは、震災犠牲者への鎮魂だった」

もう、これだけで充分ではないでしょうか。
これに留めたメッセージを、組織委員会のホームページでも広報すれば良いと思うのです。

「震災を風化させないために、ルミナリエを続けなければいけない。」
「だから、募金してください。」という現状は、何か本末転倒だと思うのです。

毎年のように資金難で開催が危ぶまれている現実がある限り、
綺麗ごとでは済まされない側面を併せ持つことになってしまうと思うのです。



現在の趣旨でのルミナリエを支持する皆さんに問いたいです。

・鎮魂のイベントにイタリアのデザイナーに多額のギャラを支払うことは必要ですか?
・わざわざイタリアで製作したものを、毎年莫大な費用をかけて輸送する必要はありますか?
・鎮魂のイベントに露店を出すテキ屋は必要ですか?(1.17にはそんな不謹慎な輩は居ません)
・期間中に万引きが多発し、トイレが激しく汚される大丸の現状はご存知ですか?
・この不景気でも協賛金を強要されて悲鳴をあげている企業が多いことはご存知ですか?
・私のような反対派市民の血税も、巨額が投入されていることはご存知ですか?

こういった理不尽な現状が全て「震災犠牲者への鎮魂のためだから、仕方ない」
と片付けられることには、やっぱりどうしても賛成できないのです。



震災関連行事にしておけば「募金を集め易い」「税金を補助金として投入し易い」
もしもこれが組織委員会を筆頭とする「一部の利害関係者」の腹のうちだとすると、
6000を超える尊い御霊は、天国で悲しんでいないか。

少なくとも、賛否両論あるこの行事が「単なる光のイベント」として独り立ちして、
より一層「1.17」が年に一回の神聖な日となることの方が、
天国ですっきり受け入れて頂けると、私は思います。

すぐにでもルミナリエが単なる光のイベントとして自立し、
「実は、初回は震災犠牲者への鎮魂で開催されたんですよ」
という付加情報が背後に眠っていれば、もうそれで充分だと思うのです。
 この度はトピ立てと「問題提起」をしていただきありがとうございます。

 僕はいつも広島や長崎を見ていて
 「エラいなぁ目
 と感じるコトがあります。

 実際はそうではないかも知れません。
 実情も知りませんし思いが至りません。
 ただ「カタチ」として60年以上、というのは・・・。


 仰っておられるコトはホント、まさにその通りですね。
 「世間」は今後どういうジャッジをするんでしょう?
>ミオさん

 僕もチョイと京都なんぞで飲んでると、観光に来られた他地域の方に震災の話を訊かれるコトがよくあります。

 ミオさんくらい若い方が「語り続ける」コトってやはり大事やと思います。

 ちょっと書き込みを拝見して嬉しくなりました指でOK
 
自ら立てた「あるべき姿は?」というトピですので、私なりの「あるべき姿」を考えてみました。
基本的には、2 の書き込みで挙げた問題点に対する改善案です。

・鎮魂のイベントにイタリアのデザイナーに多額のギャラを支払うことは必要ですか?
・わざわざイタリアで製作したものを、毎年莫大な費用をかけて輸送する必要はありますか?

→ イタリアのデザイナーである必要はないと思う。
 国内(兵庫県内)のデザイナーに、チャリティーでのデザインを委託する、若しくは
 一度だけデザインさせたものを、毎年使いまわす。
 これで、製作に関連する経費は軽減できると思います。


・鎮魂のイベントに露店を出すテキ屋は必要ですか?(1.17にはそんな不謹慎な輩は居ません)

→ 鎮魂のイベントでなくなれば、テキ屋さんは出てきても当然です。


・期間中に万引きが多発し、トイレが激しく汚される大丸の現状はご存知ですか?

→ 東遊園地に仮設トイレを設置し、「事前に大丸で用を足しておこう」という人を減らす。
 大丸の入り口には「ルミナリエ来場者用トイレは、東遊園地にあります」といった貼紙を掲示する。


・この不景気でも協賛金を強要されて悲鳴をあげている企業が多いことはご存知ですか?
・私のような反対派市民の血税も、巨額が投入されていることはご存知ですか?

→ 開催費の大半を占めているのは、過剰とも言える警備費。
 基本的に過剰警備(明石の歩道橋事故を境に、明らかに過剰になりました)を削減し、
 人出の量に応じて警備員の数をきめ細かく調整する。
 特に平日20時以降の余剰警備員を削減する。
 (平日20時頃以降は、警備員の半数以上は「ボーッと立ってるだけ」)
 また、より少人数で動かせる可動柵を導入検討する。


…こんなところでしょうか。。。
失礼致します。

前々回にたまたまルミナリエを観覧してみて、上記のような疑問を感じました。そのため、あるべき姿を検討・提言することで、ルミナリエが当初の価値を持つ催し物になればと願っております。

実際に前回までに提言はされておられますでしょうか。もしまだであれば、皆さんとご一緒に提言できればと思っております。

さて、あるべき姿としては、

「震災犠牲者への鎮魂を来場者・関係者全員が願うようになる取組み」

に尽きると思います。

いかに善良な気持ちでボランティアが募金を呼びかけても、募金を呼びかけられること自体が、鎮魂を願う気持ちを減らします。非常に多くの警備員がいることも同様です。

来場者が綺麗な光景に目を奪われた後ではどうしても携帯やカメラで写真や動画を撮りたくなるのは仕方がないことですが、それを警備員が注意するというのは不適切です。

写真等を撮ることよりも鎮魂を願いたくなる仕組み、仕掛けをいかにして作るか。この1点が実現できれば、地元住民も参加・協力したくなる取組みになると思います。

各論につきましては、やの〜さんの施策案に賛成です。

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