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☆Maisha ya Raha☆コミュのカテンベのサポート、これからについて

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皆さん、こんにちは。
私は明日ケニアに帰るところです。さっき東京に戻ってきました。

手術後のカテンベ君のサポートについて、皆さんと意見交換ができればと思ってこのトピックをあげさせてもらいます。

みんなから応援してもらって手術を受けることができ、新しい命をもらったカテンベだから、これからの彼のサポートの方法について、みんなで考えていきたいなと願っています。
どうか忌憚ないご意見を書き込んでいってください。

まずはこれまでのことと、現状をお知らせしますね。

2006年10月26日に腎臓移植手術を受けてから、カテンベは順調に回復を続けてきました。2007年2月からはセントクリストファー小学校の5年生に編入して、念願だった復学を果たすことができました。
いまカテンベは、まだまだハンディはあるものの、楽しく学校で勉強に励んでいます。

カテンベの手術費用を集めるための母体だった「カテンベ救済基金」は、手術成功という目的を果たしたときにいったん区切りをつけて報告をするべきだと思いました。
そして、それからあとは、緊急救済という形ではなく、カテンベが自立するまでの継続的なサポートが必要ですから、そのための体制を新しく立ち上げるべく、救済基金から移行させて継続支援するための母体(マイシャ)を立ち上げて、その方法を模索してきました。

手術後のカテンベは、一生、免疫抑制剤という高価な薬を飲み続けなければなりません。
この薬代と医療費は、月額で約9万円かかります。

さらに、復学するにあたってカテンベは、ケニアの一般の子どもたちが通う公立小学校に入ることができませんでした。
それには、たくさんの理由があります。
体力的な問題、身体的なハンディ、学力のハンディ、長年生死をさまよって厳しい闘病生活をしてきたことによる精神面での影響、実家がマラリア危険地のモンバサ近郊の貧しい村であること、そして、免疫抑制剤を服用していることで感染にかかりやすく、下痢や風邪でも命取りになるという状況によるものです。
カテンベの村の公立小学校は、衛生状態が悪く、1クラスに100人前後の子どもたちが押し込まれているほど状態も悪く、さらに、田舎道を徒歩で通学することはカテンベの体力では不可能でした。
そこで、寄宿舎つきの学校を考えましたが、いくつかの学校を見学しにいき、相談をしたところ、このような状態の子どもは受け入れることができないと断られました。

最終的に、受け入れをしてもらうことができたのは、セントクリストファー学校という私立学校でした。
ここでは、小学生でも寮を利用することができ、寮には看護師さんが常駐していて、難しい薬の管理もしてもらえます。
また、クラスは20人前後の少人数制で、衛生条件も良いのでカテンベにも問題ありません。
さらに、経営者が腎臓病をわずらってきた方で、腎臓病の子どもに対しての理解と知識が豊富でした。

そこで、この学校に編入させていただくことにして、清潔な寮で生活し、少しづつ学業に復帰しながらカテンベの体力が回復してくるのをゆっくりと待つことができる状況を作ることができました。
少人数制なので、勉強のほうの指導もゆったりと行き届いた指導をしてくれることができ、学力の遅れているカテンベも特別に指導をしてもらえるようになりました。

ところが、このように条件のよい学校は、学費も高く、学費と寮費をあわせて月額約11万円ほどかかります。

これをあわせて、月額約20万円が、現在カテンベに必要な費用です。

この学校については、とても悩みました。
しかし、もっと安い私立学校では受け入れを断られ、そもそも、カテンベの体力や状態ではいろいろな意味で無理でした。
私たちは、まずはカテンベが、手術後の新しい人生を、希望をもって一歩一歩歩むことができ、学校に戻ることができ、将来は良い仕事について薬代を自分で稼ぐことができるようになるのがベストだと思いました。
それを可能にするための第一歩として、2月にセントクリストファー学校に編入したのでした。

今、それから約1年がたちました。

この1年のあいだ、カテンベに必要な費用(年間にして約240万円)を、なんとかして作っていこうとさまざまな方法を模索してトライしてきました。

まずは、カテンベ救済基金のときと同じような、気持が響いてくださった方々への募金の呼びかけです。
しかしこれは予想以上に難しかったです。
いま目の前で死にかけている子どものための手術費用を助けてほしいという呼びかけは、わかりやすいです。
ですが、その手術後の、継続的な支援ということは、正直、わかりにくいことのようでした。
ぽつぽつと入ってくる募金はあるものの、ほとんど、静かになってしまいました。
これを知っていただくための方法として、私はいくつかの新聞や雑誌に記事を書きました。
ですが、手術代の呼びかけのときのような反応は得られませんでした。

それと同時進行でやっていたのは、グッズの販売、CDの売上からの寄付、トーク&ライブのイベントをしてその収益を寄付することです。

これは、9月から11月上旬の約70日間で私たちが行った日本ツアーで、すべてを合計すると65万円になりました。

しかし、どうも追い付きません。
カテンベが必要としているのは、月額20万円。
だけど、2か月半の日本ツアーで得られたのは65万円。
さらに、これは、キベラスラムの子どもたちのお話を聞いて心を動かされてくださった方々の募金も入っています。

私は、今年の日本ツアーをやってみて、この、カテンベのことと、キベラの子どもたちのことを同時に語ることの難しさを痛感しました。

そもそも私は、なぜ10年前に日本でのトーク&ライブのツアーをはじめたかというと、お金集めのためではなく、大切なことを伝え続けてみんなでつながりあって、そしてみんなでより良い生き方、平和な地球を作っていきましょうというのが最大の想いでした。
キベラスラムのマゴソスクールは、そもそもが、日本からの寄付をもとにして成り立っている活動ではなく、スラムの仲間たちが工夫しあって力を合わせあって、なにもないところから作りだしていこうとして喜びをもって行ってきている活動です。
だから、日本のみなさんとのかかわりの中でも、そうやって気持ちを寄せ合うことで、無から有が生まれてきて、スラムの仲間たちと一緒になって作り上げていっているものでした。

そこに、カテンベのことが発生してきて、私たちもカテンベからたくさんの大切なことを学び、新しいつながりをいただきました。

カテンベのことを大事にしていきたい、そしてほかの子どもたちももっともっと幸せになれるように、そして私たち自身も・・・ という気持ちで、マイシャ・ヤ・ラハ基金が立ち上がりました。
ところが、かたやマゴソスクールの子どもたちは、1人10円で1食食べられるという状況、そしてその一方で、カテンベは1ヶ月に20万円が必要。という、あまりの状況の違いがあります。

もちろん、以前からの話をずっと追って知っていってくださっている方々には、その2つの異なる世界をひとつの輪の中でとらえて考えていくことができると思うのです。
ですが、新しく出会う人々や、さまざまなきっかけから私たちのイベントに来てくださる方々にとって、この二極が混乱を引き起こすことが多々あるということを感じてきました。

本当に伝えあっていきたい大切なことの真髄が、その中心軸がその混乱によってぶれてきてしまうあやうさも感じました。

だいぶ悩みましたが、私は、このカテンベの支援と、キベラスラムの子どもたちとのかかわりを、完全にわけた形で、すっきりとさせないといけないと思うようになりました。

マイシャにかかわってくれているみんなは、カテンベにしあわせになってもらいたい、それと同時に、キベラの子どもたちにもなにか応援していきたい、という願いをもってくれています。
その気持ちを生かすためにも、カテンベのことは独立させて、カテンベ支援のみでできるだけわかりやすく伝えられるようにすることが大事だと思いました。

マイシャでは、キベラスラムの子どもたちへの支援を、2008年1月から、マゴソスクールに先生の雇用(1名、月給1万円)と、給食の支援(月額1万円)、合計月額2万円の支援を行うことに決めました。
これは、多くの子どもたちを応援することになります。
これは、ゆっくりとしたペースで、少しづつ落ち着いて進めていければと思っていて、その第一歩としての挑戦です。

きっと、これによって、通りすがりに心を動かされてグッズを買ってくれた人々や、小銭を握りしめて走ってきてくれた小学生など、多くの大切な気持ちをいかしていくことができると思います。

さて、それでカテンベについてなのですが、
カテンベに必要な、月額20万円をどうするのか。。。というのが、ものすごく悩んだところです。
やはり、わずかな時間の接点で瞬間的に出会えて心を通わすことができた人々の気持ちを大切にしていきたい、だけど、そのわずかな時間ではカテンベ問題の複雑さを伝えきって真の理解をしてもらうことが難しいです。

そこで私たちが話し合って踏み切った方法は、私と匡哉のこれまでをよく知ってくださっている身近な人々、カテンベのことも詳しくしって理解してくださっている方々に、ひとりひとり、じかに話して相談をしていくことでした。

私が今回12月に日本にきたのも、それを大きな目的のひとつとしてのことです。

仙台、東京、浜松、関西とまわり、ひとりひとりに会って、時間をかけてじっくりとお話をさせてもらいました。
その結果、14名が、月額5千円、そして1名の方が月額1万円で、そしてさらに1名の方が、毎月そのときにできる金額ということで、カテンベを継続的に支えてくれることになりました。
この16名の中に、私と匡哉も入りました。そしてマイシャのきこたん、すぅさん、やっちゃんも入りました。
郵便局のゆうちょ銀行の口座に、自動送金という形で、毎月27日に決まった金額が自動的に振り込まれるという形をとりました。

これが月額9万円ほどです。

これでなんとか、薬代と医療費は継続的な確保ができることになりました。
しかし、このうちの数名は、高齢者や、年金生活者で、もちろんだれもが明日はどうなっているかわからないというのは同じことではあるけれども、今後の生活の不安もかかえていらっしゃる方々です。
カテンベが自立できるまでの年月を、およそ13年間(大学を卒業するまでの年月)と考えたときに、その長い期間をずっとやれるかどうかというのはわからないけれども、それでも今、なんとかやってみましょうと賛同してくださった方々です。

さて、ここまでやっときました。
さてこの次のステップをいかにするべきか。
皆さん相談に乗ってください。
意見を聞かせてください。

とりあえず薬代と医療費は確保できたけれども、それでは学費はどうするか?
私は最悪は、学校はあきらめてでも薬代だけは何としてでも、と思っています。
だけれでも、それだとカテンベは、将来自立して仕事につくことは難しいです。

現在、カテンベ救済基金の残金から移行させたお金と、その後に集まってきた支援金で、とりあえずこれからの半年は、カテンベの学校代も出すことができます。
しかし、それからあとのことを、どうしていくかをいま、考えていかねばなりません。

私と匡哉は、これからまたケニアに帰ります。
(私が12月18日、匡哉が19日です。)
私はケニアに帰ったら、カテンベ自身と、カテンベの家族ともこのことについて話し合おうと思っています。
カテンベと、カテンベの両親には、最悪、学校の費用はあと半年分だけしか提供できず、そのあとは薬代だけの支援になってしまうかもしれないということを今のうちに話をして、そして、覚悟もしてもらおうと思っています。
ですが、できる限り、カテンベが学校を続けていくことができる方法を、両親やカテンベ自身とも話し合って考えていき、みなさんとも相談しあって作戦を練っていきたいと思います。

各自がそれぞれ考えてくれて独自の動きが出てくることも大歓迎です。
(たとえば、横浜ハランベでは、ずっと独自にイベントをやって、収益を何度も募金し続けてくれています。それとか、栃木県のもにょんごろ村では、カテンベのかいた絵を通貨にして、1枚100円を募金してくださっています。)

カテンベの両親たちは、正直、田舎の貧しい村の人々であり、高額医療費や学校問題などになると、本当にお手上げなかんじで、アイディアすら出てくることが難しくもあるのですが、それでも、必死で、考えています。
そしていつも私が村に行った時には、みんなでああでもないこうでもないと、話し合い、知恵をしぼりあい、できることはなんでもやろうとしています。

どうか皆さん、忌憚ないご意見を!ばしばしとよろしくお願いします。

これは確かに、難しい問題ではあるけれども、でも、楽しんでやれることを楽しみながら、明るく笑顔で前向きに!という基本はいちばん大切にしていきたいことです。

カテンベのことが大好きだから、そしてカテンベの勇気に希望をもらったから、カテンベががんばっている姿に元気をもらっているから、
だからカテンベに精一杯、最大限に命を生かして、生きてほしい。
私は、あの手術前後のカテンベとのかかわりと、みなさんとのつながりで、すごい、奇跡っていうか、光っていうか、そんな素晴らしい光に触れさせていただきました。
これは私はどんなことがあっても、一生忘れません。
これからの人生の基本になっていく、とても大切な体験を、たくさんの方々と共有させてもらったと実感しています。

これまでのすべてに、本当に心から感謝しています。
ほんとにほんとにありがとう。
そしてこれからも、一緒にわかちあっていければと思います。どうかよろしくお願いします。

このようなことを決めたのが、こうやって動きながらでしたので、マイシャのホームページで内容を更新していくことにはまだ追いついていません。
ちょっとタイムラグがあり申し訳ないけれども、マイシャのホームページのほうもこれをもとにして記載内容を変更して更新していきたいと思っています。

基本線を作っていきたいので、どんどん意見や想いを書き込みしていってください、よろしくお願いします。

早川千晶

コメント(16)

カナブンです。

私は、イベントで話は聞いたことがあったものの金銭面のことなど、
今、千晶さんの文を読んで私の中では消化し切れてない感じがします。
そこで、カテンベ君のことがもっと知りたい、私の中で消化し切れていないものを少しずつ消化していけたらと思いました。

私はマイシャのような活動に関わってみようと思ったのが初めてなのでまだどうしたらよいかわからないというのが本音なので、なにかイベントなどを手伝うということからだと動きやすいなぁと感じています。まだ、私はどなたともお会いしたことないと思うので、知り合いから作っていけたら・・・(優柔不断でわがままいってるみたいですみませんわーい(嬉しい顔)
私は大分県に住んでいるのですが、福岡とかならイベントに出かけたりするので福岡のイベントなどだったらお手伝いできるかなと思っています。
みなさま、はじめまして。自己紹介していませんが、千晶の学生時代からの友人のChifumiです。

千晶がウトウトし始めましたので、私がわかる範囲で書き込みさせていただきますね。

チャンドラさんのおっしゃるように、日々やそれに近い間隔で様子がわかるようなものは、より身近に感じて考えてもらうのにはとても重要なことだと私も思います。

ところが残念なことに、ケニアのネット事情というのは、日本にいる私たちからは考えられないような状態なのだそうです。
WEBの接続に要する時間も、このmixiひとつとっても何十分もかかるそうで、千晶がカチッとやってから、お湯をわかしてお茶を淹れてゆっくり飲んで…ようやくつながるのだそうです。

停電も頻繁に起こるし、電線も盗まれます。
せっかく仕事が一段落して、落ち着いてPCに向かえる時間ができても、こういったアクシデントで成すすべなく時間が過ぎることもあります。

千晶自身は、何回かPCを買い替えてグレードアップしていますが、PCが良くなってもケニアの事情がまだまだついてきていないのです。

なかなか歯がゆいのですが、どうか、お察しくださいね。

千晶とちらっと話しましたが、カテンベも学校でPCをさわり始めたそうなので、何年かしたら、カテンベ自身が日記(月記かもしれませんが…)を書けるようになるかもしれません。
その日が来るのを、私も首を長くして待っていますかたつむり
どーもモンギと申します。

私はケニアで早川さんと出会い、実際にカテンベにも会わせていただくこともできたし、
モンバサ近くの実家にも行かせていただきました。それにお見舞いも行くことができました。本当に幸運なことだと思います。

なので、カテンベの術後や将来に関しても、非常に身近に感じています。


現在の医金銭的に厳しい状況も把握できました。
しかし、大抵の方々は、おそらく親近感を持って、カテンベのことを考えることは現時点では困難でしょう。
疑問点も多く抱くことと思います。

それにはやはり、情報を流すことは必須だと感じます。
ただ、やはりケニアのPC環境は劣悪で、写真一枚アップするのにも
かなり時間がかかったりしてしまいます。
ですから動画のアップは難しいですね。
けど、早川さんや匡哉さんが帰国なさった際に、撮り貯めたものをアップすることは可能だと思います。
それによりカテンベの様子ばかりか、ケニアの状況を写真よりももっと色濃く発信でき、日本にいながらにして多くを感じ取れるのではないかと思います。


加えてチャンドラさんがおっしゃるように、イベントなどでグッツ販売をさらに促進することも効果的だと思います。


地道に活動されてきた早川さんの強みは、なんと言っても多くの人とのつながり、絆です。
基金としての明確な方向性や軸を打ち出し、寄付金がどのように使われているのかなど、なかなか形にするのは難しいですが、伝えていく必要性はあると思います。
また一律で5000円などとは言わず、本当にハランベー精神で1000円でもいくらでもいいので、みんなが関わりやすくすることは大切だと思いますし、それにより早川さんに同調してくれる方々の裾野は広がるはずです。学生にもやさしいです☆


やはり地道に基金として確立していくことで、カテンベが自立した後も、キベラの子供たちに役立てることができるだろうし、多くの子供たちの可能性を伸ばすことに貢献できるのではないでしょうか??
だからこそ、早川さんをはじめとして、このコミュニティーからどんどん自分の友人たちにも声をかけていきましょう!!
一人ひとりが主体的に動くことで、いずれ大きな波となることと思います。
その波が、ケニアに届くように♪♪


来春からは仙台でがんばります◎
”毎月そのときにできる金額”でカテンベ支援に参加してるのは私です。わがままを言ってすみませんあせあせ。でも、快く承諾していただけましたよーわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

今月はボーナスも入ったし、クリスマスの頃に少し多目に送りますねーハート達(複数ハート)

私は、早川さんの事は近所の世話焼きおばさん位に思ってるので、余り深い考えは無いのですが、早川さんが元気だと私も嬉しいです。

カテンベ君も、どんどん大きくなって、生意気になって、自分で飛び出せていける様になると良いですね。もう少ししたら”さん”付けで呼んだほうがいいのかなー。

可能な方はクリスマスに早川さんと、カテンベ君にもサプライズを届て下さいねるんるんるんるん揺れるハート
やっと、千晶さん達の苦労が、メールを読んで、かなり理解出来ました。
私は、詳しくは分かりませんが、ただ、パソコンが時間かかるなら、手紙の中に、データを保存したファイル(SDカードなど)を、東京の事務所に送って、そのデータを送ればいいんではないでしょうか?
皆さんが言う様に、地道に情報発信していくのが、結局、いいのではないかと思いました。
パソコンが、難しいようなら、画像担当、文章担当を別にすればいいではありませんか?そうする事によって、画像が間に合わなくても、日報があれば、状況はわかると思います。
せっかく、いいメンバーが、ケニアにいるのですから、出来ないことはないと私は、思いました。

皆さん、こんにちは。これから荷物をつめなきゃー、と、あたふたしている早川です。
(本日出発。)
書き込みしてくれてうれしいです。どんどん遠慮なく、思いついたこと、まとまっていなくても書き込みしてください。よろしくです。

カテンベ近況や現地の状況、できるだけリアルに情報お届けしていくこと、がんばりますね。マサヤもいるので、それぞれ発信していけるようにがんばります。

それと、ケニアにカテンベやまごその子どもたちに会いに来てくれているスタディツアーの皆さんも、どんどん、こういう場で、自分の見てきたことや感じたことなどUPしていってくれるとうれしいです!

カテンベは、寮にはいっているので、最近はなかなか簡単に会えないのですが
(ちょくちょく寮や学校に訪ねていっているのですが、本来なら他の寮のこどもさんたちの親ごさんたちはそんなにしょっちゅう訪ねたりしないので、カテンベもちょっと気にしはじめたりしたことを感じて、少し訪問をひかえているような面もあります)
学校がお休みのときにはこの前のお休みからは村にも帰省できるようになってきました。(衛生状態にじゅうじゅう注意しながらの帰省ですが)

いまはカテンベはとにかく、この生活になれることと、学業に復帰して学力をおいつかせること、日々健康に注意して生きていくことなど、がんばっています。
カテンベ自身からも、みなさんとコミュニケーションをとっていくことができるように、もうちょっとしたらできるようになっていくだろうと思います。

では、また報告していきますね 
とりあえず今からあわてて荷物のパッキングをやります(笑)

さらなる書き込みお待ちしています。みんなの声を聞けると、すごく励まされます。ありがとう!

もうひとつ書き込みします。
ちょっと思いついたのですが、
カテンベに会いに来てくれた人々(主にスタディツアーのメンバーたちなど)、が、カテンベに会ったときのことなど、レポートをのせるコーナーを、マイシャのホームページ内に作ったらどうかな?とか、そんなふうに思いました。

私とマサヤからの現地報告も、できるだけたくさん送っていきたいですが、それと同時に、実際来た人々からの声や、写真や、そんなのもどんどん見れるようにしていくと、来たことない人たちにとってももっと身近になっていくのでは?と思いました。

どうでしょうか?
ぜひ皆さん送ってください。ホームページ管理人のすぅさんあてでいいでしょうか? すぅさん、どう?

今までカテンベに会ってくれた日本人は、そうだなー だいたい100人くらいはいるんじゃないかな? いまのところ。
たびたびすみません。
それともうひとつ報告は、ルワンダに帰ったクレアちゃんですが、来年1月から、夜間の学校に復学できることになったとルワンダから連絡がありました!
虐殺孤児の支援をしている団体から、とりあえずのサポートは受けられているみたいです。
クレアちゃんについては、詳しくは、カテンベ救済のよびかけのブログの過去レポートをさかのぼってみてみてください。
 http://keepmusic.exblog.jp/
にゅんっ、職場からです。
っつーか、ほとんどつなぎっぱなしで放置してるのですがあせあせ
しかし、こんなことができるのも日本だからなんですよね。
根本的な通信事情がしっかりとしてるし、停電はほぼないし。。
日本の常識や自分の基準で考えてしまうとかなり違うことが
多々あります。
ゆっくり最善策を模索していきたいですね。
みなさま、これからもいろんな案をここに書いてください。

カテンベとマゴソの支援に関してですが、
現在システム変更のミーティングを重ねている最中です。
決まり次第HPもリニューアル予定です。
ちなみに、限定サポーターによる1口¥5000だけではなく
¥1000以上からのハランベコースも予定しています。
決まったら、ご報告します。

カテンベ&ケニアレポコーナー、作りまーすわーい(嬉しい顔)
原稿は私に送ってください。
アドレスをここに書くのははばかられるので
原稿を書いたらMIXIメールで「できたー」とお知らせください。
折り返しメールアドレスを送ります。
gmailを使用する予定なので、写真も添付可能です。

お正月はHPのリニューアルに追われそうです。
しかし、経費節減のためホームページビルダーで
せこせこ作ってます。素人作りだからかっこよくもなければ
粗だらけですがご了承ください。
あと、現在の所マイシャ運営経費はすべて
日本もケニアもスタッフの自腹でやっております。
マイシャが安定したら、経費をどうするか?を
考える予定です。

カテンベが近況報告できるようになったらすごいなぁ。
超楽しみです。
でもって、クレアちゃん復学ばんざーい!!!
看護婦さんへの道、がんばれ〜。
こんばんは。
10月に永松真紀さんのツアーに参加したものです。
ツアーを含めケニアには約1ヶ月間いました。そのなかで「私は一体この国にどうやって手を差し伸べればいいんだろう・・」と考えさせられる場面が何度かありました。
 
でも、千晶さんやさんのよ匡哉さんのように声を上げて活動をしている方々の姿をみて 私ができるところからすればいいんだ、と思うことができました。

マゴソの子供たちのCDを購入しました。
ツアーの中で聞かせてくれた歌声にはもちろん感動したのですが
、デッキから聞こえてくる歌声にもまた明るく大きなパワーを感じ『この子供たちが平和に過ごせますように』と願わずにはいられませんでした。

普段は聞く音楽も全く私とは違う夫も、珍しくフレーズを口ずさんでいました。
現在はインターネット上での販売のみのようですが、もっと、多くの人に彼らの歌声が届き、もっと知ってもらえたらいいなと思います。

千晶さん今頃飛行機の中でしょうか どうかお気をつけてください。

皆さん。朗報です。
実は、カテンベ君の事を少しでも知ってほしくて、ある記者(10月講演会の事を記事にしてくれる人)に相談したんです。
そしたら、返事が返って来て、千晶さんの記事が連載されている間、救済を訴える広告を書いてくれる事になりました。
しかも!!嬉しい事に、その記者さんから、毎月一回、一年間、アフリカのエッセイを掲載してもいいと言ってくれました。
皆さん。協力してくれませんか?
この記事は、地方紙になるので、宮崎でしかみれませんが、ジッとしていられなくて、実行してしまいました。

>ゆかちゃん

Asante!!
マイシャで出来ることは何でも協力します。
できれば、記事にマイシャのアドレスを載せてください。
年末年始の間に、HPをリニューアルして新しい寄付の方法なども
UPします。
できれば、その記事を送ってもらえればHPで紹介させていただきます。
すうさん。
カテンベ君の原稿を、新聞社とマイシャに送って、カテンベ君のメッセージを、ホームページに載せてほしいと思っていましたし、カテンベ君だけのメッセージだけではなくて、読んだ方々からも、カテンベ君にメッセージを届けられたらいいと思っていました。
地道な事ですが、私は、この作業が、とっても大切と思っているので、頑張っています。

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