国立美術館 Galleria Nazionale は、バルベリーニ宮殿にあり、この建物は1625年カルロ・マデルノによって建設が開始された。その後ジャン・ロレンツォ・ベッリーニは、柱廊の上にあるガラス張りの開廊と館内に設けられている国立美術館に上がる階段、フランチェスコ・ボッロミーニは、ファサード右側の螺旋階段を設計した。この宮殿は17世紀盛期バロックを代表する3人の建築家によって建設された記念碑的建築で、設けられている国立美術館には、フィリッポ・リッピの「受胎告知」ラフェエッロが自分の恋人を描いた「ラ・フォルナリーナ」、マッティア・プレーティ「ラザロの復活」などの名画があるが、やはり一番心に残ったのはカラヴァッジオの「ホロフェルネスの首を斬るユーディット」だった。エルサレム郊外のべトリアに住む美しい寡婦ユーディットは、唯一の神を敬虔に信仰していたので、周囲の人々から尊敬されていた。アッシリアの王ネブカドネザルは自分に協力しなかった民族の討伐のために司令官ホロフェルネスを派遣し、彼はべトリアの町を包囲し、水源を断った。べトリアの指導者オジアは、降伏を決意するが、ユーディットは、人々を励まし、一計を案ずる。神に祈り、寝返ったふりをしてホロフェルネスの陣地に入って行ったユーディットは、エルサレム進軍の道案内を申し出た。ホロフェルネスはユーディトの美貌に惹かれ彼女は酒宴に呼び出された。ホロフェルネスは、ご機嫌になり、泥酔し寝込んでしまった。2人だけになったユーディットは、ホロフェルネスの短剣を取り、首を切り落とした。その後ユーディットの英雄行為に触発されたユダヤ人は反撃に転じアッシリア軍を敗走させた。カラヴァッジオの描いたのはまさにユーディットの剣がホロフェルネスの首を切り落とす劇的な瞬間を描いている。2006年夏初めてこの絵を見た時、首から勢いよく流れ出す鮮血、ホロフェルネスの苦悶の表情などを見て愕然とした。これ程強烈な印象を受けた絵画はかってなかった。カラヴァッジオの絵はローマやマルタ島のバレッタで見た「キリストの斬首」なども凄い迫力だったが、この絵はそれをはるかに凌駕していると思った。全体のまとまり、色彩の美しさは「キリストの斬首」の方が優れているが、強烈さ、リアルさにおいてはこの絵の方が凄い。この主題は神への信仰の重要性を説いた旧約聖書ユーディト記の一説だが、ボッティチェッリ、カラヴァッジオと同時代の女流画家アルテミジア・ジェンティレスキ、ルーカス・クラナッハ、クリムト、音楽ではモーツァルト、ヴィヴァルディが、このテーマで作品を書いている。又この絵が飾られている大広間の天井画も素晴らしかった。3匹の蜂をあしらったバルベリーニ家の紋章が、徳の女神によって天国に誘導される絵は「神の摂理の勝利」といわれ、バロック時代の豪華絢爛たる絵画に仕上がっていた。これは、画家、建築家でもあったピエトロ・ダ・コルトーナによって、1633年から1639年にかけて描かれた。
カラカラ浴場 Terme di Caracallaは、西暦217年頃カラカラ帝によって完成したローマのテルメの中では最も豪華で大きい。全体の大きさは、333m x 328m、浴場全体だけでも220m x114mある。左右に運動場があり、中央に3種類の温度差の違う温泉があった。温泉としては6世紀まで使用されていた。その後ここでローマ時代の彫像が多数発見された。現在カラカラでは夏に仮設の舞台が造られ、オペラの上演が行われている。2006年の8月私は初めてカラカラで上演されるオペラを見に行った。古代の遺跡である大きな石と石の間に舞台が造られ、古代の遺跡を上手に取り込んだ舞台造りのうまさに感動した。
コンスタンティヌスの凱旋門 Arco di Costantinoは、コンスタンティヌス帝が、マクセンティウスを西暦312年破った事を記念して315年頃建設された。3つのアーチと美しい形が目立つが、装飾のモニュメントは過去の作品から持ってきて使った。コロッセオの近くにあるので、何度か見たことがある。
アウレリアヌスの城壁 Mura Aurelianeは、アウレリアヌス帝が、蛮族の侵入を防ぐために西暦271年から275年にかけて建設された。建設当初は、高さ6〜8m,全長18.84km。14の門、383の見張り塔は、100フィート毎に建てられた。以前から建っていた建物もとり込まれ、何度も修復補強が繰り返された。1527年のローマ椋奪の後は特に念入りに強化された。私はアッピア街道に近いセヴァンスティアーノ門の近くに広がる城壁を見た事がある。Fontana di Treviトレヴィの泉 ローマは噴水が多いが、最も有名な噴水がトレヴィの泉で1762年に二コロ・サルヴィの設計で造られた。三叉路の所に開けてあるので、Trivio[三叉路]で、トレヴィと呼ばれる。 建物に取り付けられる形で造られた噴水は、中央にピエトロ・ブラッチの制作した美しい彫刻、海馬の引く戦車に乗った大洋の神オケアノスの像があり、臨場感に溢れ、いかにもバロックの傑作という風情があり、ローマ最大の名所になっている。私は何度もここを訪れているが、何度見ても再びローマに戻って来たという心が躍動する気分になる。そしていつも縦で撮影するか、横で撮影するか、全体を撮影するか、近距離で撮影するか悩む。この噴水の雰囲気をうまく撮影するのは意外に難しい。
Fontana di Treviトレヴィの泉 ローマは噴水が多いが、最も有名な噴水がトレヴィの泉で1762年に二コロ・サルヴィの設計で造られた。三叉路の所に開けてあるので、Trivio[三叉路]で、トレヴィと呼ばれる。 建物に取り付けられる形で造られた噴水は、中央にピエトロ・ブラッチの制作した美しい彫刻、海馬の引く戦車に乗った大洋の神オケアノスの像があり、臨場感に溢れ、いかにもバロックの傑作という風情があり、ローマ最大の名所になっている。私は何度もここを訪れているが、何度見ても再びローマに戻って来たという心が躍動する気分になる。そしていつも縦で撮影するか、横で撮影するか、全体を撮影するか、近距離で撮影するか悩む。この噴水の雰囲気をうまく撮影するのは意外に難しい。
Piazza di Spagnaスペイン広場は、ローマで最も人気のスポットでこの階段は正式にはトリニタ・ディ・モンテ階段といわれている。それはこの階段の上にある16世紀に建てられたトリニタ・ディ・モンテ教会に由来している。どうしてスペイン階段と呼ばれているのかというと近くにスペイン大使館があったから。この階段は1723年から1726年にかけてフランチェスコ・ディ・サンティスの設計で造られた。オードリー・ヘップバーン主演の映画「ローマの休日」ではアン王女がジェラートをなめながら階段を下りて来る。下には、ピエトロ・ベルニーニとジャン・ロレンツォ・ベルニーニが教皇ウルヴァヌス8世の為に1629年に制作したバルカッチャの泉がある。この泉も斬新な印象的な彫刻でバルベリーニ家の象徴である太陽と蜂が見られる。
Basilica Sant’Andrea della Valleサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会は、17世紀初頭の建築で、ファサードはライナルディとフォンタナの作、クーポラはサン・ピエトロにつぐ第2の高さを誇る。ジョヴァン二・ランフランコが描いた「楽園の栄光」は傑作。天井に描かれたドメ二キ―ノの「聖アンデレの物語」などのフレスコ画が美しい。またピウス3世とピオ2世の墓がある。プッチーニのローマを舞台としたオペラ「トスカ」の第一幕の舞台となった場所であり、私は何度かここを訪れている。 Palazzo Farneseファルネーゼ宮殿を私は何度も訪れたが、現在フランス大使館なので、内部には入れなかった。前に2つの泉のある美しい建物で、16世紀にアントニオ・ダ・サンガッロの設計で枢機卿アルフレッド・ファルネーゼ(後の法王パウルス3世)の為に建設された。1546年にサンガッロが死去した後はミケランジェロが引き継ぎ巨大なコーニス、建物の側面、中庭の上階などを制作した。2階にはアン二バーレ・カラッチとアゴスティーノ・カラッチらがマニエリムスの様式で描Castello S.Angeloサンタンジェロ城は、西暦123年頃ローマの皇帝ハドリアヌス帝が自身と後継者の廟として建設した。その後ルネッサンス時代に改築され、要塞として使われていた。「聖天使城」という名前は、590年にローマにペストが流行し、教皇グレゴリウス1世が、行列を組んで通りかかったところ廟の頂上で天使がペストの終焉を告げ、剣を鞘に収めるのを目撃したという伝承から来ている。ここにはサンタンジェロ国立博物館がある。私は何度かここを訪れ、晴れた日は屋上からサン・ピエトロ寺院の美しい外観が見えた。真っ直ぐな道がサン・ピエトロ広場まで通りその延長線上にサン・ピエトロ寺院があるが、その姿はいつ見ても最高に美しいと思った。