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イタリア世界遺産(JITRA)コミュのローマの歴史地区 No.3

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Galleria Borgeseボルゲーゼ美術館は、枢機卿シピオーネが、1608年から1617年にかけて建築家のフランミニオ・ポンツィオの設計に基づいてボルゲーゼが造営した広大なヴィッラ(約1万平方キロ)の敷地内に、建てさせ、それが美術館になっている。以前は古代ローマの作品部門も膨大な作品があったが、ナポレオンがローマに侵攻後、カミッロ・ボルゲーゼからフランスに寄贈?略奪?された。そして現在これらのコレクションはルーブルの古代ギリシャ、ローマ部門の重要な展示物になっていて、その中には有名なミロのヴィーナスもある。ボルゲーゼ美術館は名画の宝庫でボッティチェリの「聖母子」、ラファエッロ「十字架降下」、カラヴァッジョの「パラフレニエーリの聖母」「ダヴィテ」「バッカス」「果物籠を持つ少年」などの傑作がある。この美術館は何度行っても新しい発見があるが、特にジャン・ロレンツォ・ベルニーニの彫刻「アポロンとダフネ」が素晴らしい。恋をする矢の影響で激しい恋心を秘めるアポロン、恋を嫌う矢を撃たれ、アポロンから逃げるダフネ、そしてアポロンは、どこまでもダフネを追いかけるが、最後にダフネを妻にする事を諦め、ダフネに自分の木になって欲しいと願い、ダフネが月桂樹になって行く様子が、劇的に表現されている。アポロンとダフネのしなやかで優美な肢体、本当にこれが人間の創作したものかと疑う程完璧で、ベルニーニによってバロック芸術は完成したと思った。

国立美術館 Galleria Nazionale は、バルベリーニ宮殿にあり、この建物は1625年カルロ・マデルノによって建設が開始された。その後ジャン・ロレンツォ・ベッリーニは、柱廊の上にあるガラス張りの開廊と館内に設けられている国立美術館に上がる階段、フランチェスコ・ボッロミーニは、ファサード右側の螺旋階段を設計した。この宮殿は17世紀盛期バロックを代表する3人の建築家によって建設された記念碑的建築で、設けられている国立美術館には、フィリッポ・リッピの「受胎告知」ラフェエッロが自分の恋人を描いた「ラ・フォルナリーナ」、マッティア・プレーティ「ラザロの復活」などの名画があるが、やはり一番心に残ったのはカラヴァッジオの「ホロフェルネスの首を斬るユーディット」だった。エルサレム郊外のべトリアに住む美しい寡婦ユーディットは、唯一の神を敬虔に信仰していたので、周囲の人々から尊敬されていた。アッシリアの王ネブカドネザルは自分に協力しなかった民族の討伐のために司令官ホロフェルネスを派遣し、彼はべトリアの町を包囲し、水源を断った。べトリアの指導者オジアは、降伏を決意するが、ユーディットは、人々を励まし、一計を案ずる。神に祈り、寝返ったふりをしてホロフェルネスの陣地に入って行ったユーディットは、エルサレム進軍の道案内を申し出た。ホロフェルネスはユーディトの美貌に惹かれ彼女は酒宴に呼び出された。ホロフェルネスは、ご機嫌になり、泥酔し寝込んでしまった。2人だけになったユーディットは、ホロフェルネスの短剣を取り、首を切り落とした。その後ユーディットの英雄行為に触発されたユダヤ人は反撃に転じアッシリア軍を敗走させた。カラヴァッジオの描いたのはまさにユーディットの剣がホロフェルネスの首を切り落とす劇的な瞬間を描いている。2006年夏初めてこの絵を見た時、首から勢いよく流れ出す鮮血、ホロフェルネスの苦悶の表情などを見て愕然とした。これ程強烈な印象を受けた絵画はかってなかった。カラヴァッジオの絵はローマやマルタ島のバレッタで見た「キリストの斬首」なども凄い迫力だったが、この絵はそれをはるかに凌駕していると思った。全体のまとまり、色彩の美しさは「キリストの斬首」の方が優れているが、強烈さ、リアルさにおいてはこの絵の方が凄い。この主題は神への信仰の重要性を説いた旧約聖書ユーディト記の一説だが、ボッティチェッリ、カラヴァッジオと同時代の女流画家アルテミジア・ジェンティレスキ、ルーカス・クラナッハ、クリムト、音楽ではモーツァルト、ヴィヴァルディが、このテーマで作品を書いている。又この絵が飾られている大広間の天井画も素晴らしかった。3匹の蜂をあしらったバルベリーニ家の紋章が、徳の女神によって天国に誘導される絵は「神の摂理の勝利」といわれ、バロック時代の豪華絢爛たる絵画に仕上がっていた。これは、画家、建築家でもあったピエトロ・ダ・コルトーナによって、1633年から1639年にかけて描かれた。



古代ローマの遺跡
Colosseoコロッセオは、紀元72年頃ヴェスパシアヌス帝が建設を始め、80年にティート帝が完成を祝った闘技場で、主に剣闘や野獣の戦いなどの見世物、サーカスが行われた。外周は527m、長さ188m、幅156mある楕円形で、高さは48.5m、約5万人の観客の収容が出来たという。ローマ時代戦争に勝った皇帝が凱旋式を行った場所である。この円形闘技場は、イタリアで一番大きい古代ローマ時代の遺跡で、私も2004年9月に初めて中に入って見た時ゲーテが感じた様にその大きさに驚いた。
Foro Romanoフォロ・ロマーノは紀元前7世紀末には共和制ローマの商業、司法、宗教、政治の中心で公共の建物が立ち並ぶ場所であった。カエサルとアウグストゥスの下で、整備され、古代後期まで町の中心としての機能を果たしていた。その後地震、蛮族の侵入などにより、破壊され、中世初期には、フォロ内部の石などは建築資材として運び去られた。又一部は家畜用の牧草地になっていたが、19世紀初頭発掘が行われ、古代都市が姿を現した。私はここを何度も訪れ、特に2004年の秋にはセプティミウス・セウェルス帝の凱旋門、アントニヌス・ファウスティーナの神殿、フォロ広場など詳細に見て回った。カエサルの神殿はカエサルが火葬された場所にオクタビアヌスが建設し、紀元前29年この神殿を奉納した。私は一番よくこの遺跡全体を見渡せる場所を見つけた。それはヴィットリアーノにあるカフェで、アラコエリ教会脇の右側の階段を昇って行く。高い広いテラスがあり、そこからトロヤヌス帝のマーケット、フォロ・ロマーノ、コロッセオなどの古代ローマの遺跡が一望に見渡せる素晴らしい場所である。
フォーリ・インペリアーリFori Imperialiは、諸皇帝の広場を意味する場所でヴィッリアーノからコロッセオ間に通る道フォーリ・インペリアーリ通りの右側にあり、最初にフォロ(広場)の建設を始めたのはカエサルで、その後アウグストゥスなど歴代の皇帝が引き継いで、それぞれ名前のついたフォロを建設した。フォロ・ディ・トライアーノにはトロヤヌス帝の市場があり、設計したのは、ダマスコのアポロドロス、アーケードを開いた半円形の建物が残されており、最盛期には150以上の店が出展し賑わっていた。ここも何度も訪れたが、とても保存のよい遺跡だと思った。
このフォロには他にフォロ・ディ・アウグスト、フォロ・ディ・ミネルヴァなどがあり、トラヤヌス帝記念円柱が一際高く聳えている。これは、西暦101年から103年にかけてトロヤヌス帝のダキア戦の勝利を祝して建てられ、高さは約40mある。

カラカラ浴場 Terme di Caracallaは、西暦217年頃カラカラ帝によって完成したローマのテルメの中では最も豪華で大きい。全体の大きさは、333m x 328m、浴場全体だけでも220m x114mある。左右に運動場があり、中央に3種類の温度差の違う温泉があった。温泉としては6世紀まで使用されていた。その後ここでローマ時代の彫像が多数発見された。現在カラカラでは夏に仮設の舞台が造られ、オペラの上演が行われている。2006年の8月私は初めてカラカラで上演されるオペラを見に行った。古代の遺跡である大きな石と石の間に舞台が造られ、古代の遺跡を上手に取り込んだ舞台造りのうまさに感動した。

パンテオンPantheon は、現存する完全な形で残っている唯一のローマ時代の建物で、前27年マルコ・ヴィスパニオ・アグリッパが建設し、118年から125年にハドリアヌス帝により改築された。教皇ボニファキウス4世(在位608〜615)は、この建物をサンタ・マリア・アド・マルティレスという名前の教会に造りかえた。建物の前面にはプロナオスがあり、コリント式の1本の石柱16本が三角形のぺディメントを支えている。レンガ造りのロトンダ(円堂)は、高さが43.3mあり、高さと同じ直径のクーポラで覆われている。床の大部分は建てられた当時のまま残っている。現在はイタリア王室の墓所になっていて、イタリア王国初代国王ヴィットリオ・エマヌエル2世の墓、国王ウンベルト1世、マルゲリータ王妃の墓などがある。他にラファエッロが、自分自身の墓のためにロレンツェットに委託した「石の聖母」がある。私は2度訪れたが、内部の空間はとても調和が取れていてここにいるだけでローマの喧騒を忘れ、荘厳で清冽な気分になった。

コンスタンティヌスの凱旋門 Arco di Costantinoは、コンスタンティヌス帝が、マクセンティウスを西暦312年破った事を記念して315年頃建設された。3つのアーチと美しい形が目立つが、装飾のモニュメントは過去の作品から持ってきて使った。コロッセオの近くにあるので、何度か見たことがある。

アウレリアヌスの城壁 Mura Aurelianeは、アウレリアヌス帝が、蛮族の侵入を防ぐために西暦271年から275年にかけて建設された。建設当初は、高さ6〜8m,全長18.84km。14の門、383の見張り塔は、100フィート毎に建てられた。以前から建っていた建物もとり込まれ、何度も修復補強が繰り返された。1527年のローマ椋奪の後は特に念入りに強化された。私はアッピア街道に近いセヴァンスティアーノ門の近くに広がる城壁を見た事がある。Fontana di Treviトレヴィの泉
ローマは噴水が多いが、最も有名な噴水がトレヴィの泉で1762年に二コロ・サルヴィの設計で造られた。三叉路の所に開けてあるので、Trivio[三叉路]で、トレヴィと呼ばれる。
建物に取り付けられる形で造られた噴水は、中央にピエトロ・ブラッチの制作した美しい彫刻、海馬の引く戦車に乗った大洋の神オケアノスの像があり、臨場感に溢れ、いかにもバロックの傑作という風情があり、ローマ最大の名所になっている。私は何度もここを訪れているが、何度見ても再びローマに戻って来たという心が躍動する気分になる。そしていつも縦で撮影するか、横で撮影するか、全体を撮影するか、近距離で撮影するか悩む。この噴水の雰囲気をうまく撮影するのは意外に難しい。

Fontana di Treviトレヴィの泉
ローマは噴水が多いが、最も有名な噴水がトレヴィの泉で1762年に二コロ・サルヴィの設計で造られた。三叉路の所に開けてあるので、Trivio[三叉路]で、トレヴィと呼ばれる。
建物に取り付けられる形で造られた噴水は、中央にピエトロ・ブラッチの制作した美しい彫刻、海馬の引く戦車に乗った大洋の神オケアノスの像があり、臨場感に溢れ、いかにもバロックの傑作という風情があり、ローマ最大の名所になっている。私は何度もここを訪れているが、何度見ても再びローマに戻って来たという心が躍動する気分になる。そしていつも縦で撮影するか、横で撮影するか、全体を撮影するか、近距離で撮影するか悩む。この噴水の雰囲気をうまく撮影するのは意外に難しい。

Piazza di Spagnaスペイン広場は、ローマで最も人気のスポットでこの階段は正式にはトリニタ・ディ・モンテ階段といわれている。それはこの階段の上にある16世紀に建てられたトリニタ・ディ・モンテ教会に由来している。どうしてスペイン階段と呼ばれているのかというと近くにスペイン大使館があったから。この階段は1723年から1726年にかけてフランチェスコ・ディ・サンティスの設計で造られた。オードリー・ヘップバーン主演の映画「ローマの休日」ではアン王女がジェラートをなめながら階段を下りて来る。下には、ピエトロ・ベルニーニとジャン・ロレンツォ・ベルニーニが教皇ウルヴァヌス8世の為に1629年に制作したバルカッチャの泉がある。この泉も斬新な印象的な彫刻でバルベリーニ家の象徴である太陽と蜂が見られる。

Basilica Sant’Andrea della Valleサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会は、17世紀初頭の建築で、ファサードはライナルディとフォンタナの作、クーポラはサン・ピエトロにつぐ第2の高さを誇る。ジョヴァン二・ランフランコが描いた「楽園の栄光」は傑作。天井に描かれたドメ二キ―ノの「聖アンデレの物語」などのフレスコ画が美しい。またピウス3世とピオ2世の墓がある。プッチーニのローマを舞台としたオペラ「トスカ」の第一幕の舞台となった場所であり、私は何度かここを訪れている。
Palazzo Farneseファルネーゼ宮殿を私は何度も訪れたが、現在フランス大使館なので、内部には入れなかった。前に2つの泉のある美しい建物で、16世紀にアントニオ・ダ・サンガッロの設計で枢機卿アルフレッド・ファルネーゼ(後の法王パウルス3世)の為に建設された。1546年にサンガッロが死去した後はミケランジェロが引き継ぎ巨大なコーニス、建物の側面、中庭の上階などを制作した。2階にはアン二バーレ・カラッチとアゴスティーノ・カラッチらがマニエリムスの様式で描Castello S.Angeloサンタンジェロ城は、西暦123年頃ローマの皇帝ハドリアヌス帝が自身と後継者の廟として建設した。その後ルネッサンス時代に改築され、要塞として使われていた。「聖天使城」という名前は、590年にローマにペストが流行し、教皇グレゴリウス1世が、行列を組んで通りかかったところ廟の頂上で天使がペストの終焉を告げ、剣を鞘に収めるのを目撃したという伝承から来ている。ここにはサンタンジェロ国立博物館がある。私は何度かここを訪れ、晴れた日は屋上からサン・ピエトロ寺院の美しい外観が見えた。真っ直ぐな道がサン・ピエトロ広場まで通りその延長線上にサン・ピエトロ寺院があるが、その姿はいつ見ても最高に美しいと思った。



又1984年に世界文化遺産に登録された世界最小の独立国ヴァティカン市国には、カトリックの総本山サン・ピエトロ大聖堂、サン・パウロ・フォリー・レ・ム―ラ聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ教会、サン・ジョヴァン二・イン・ラテラ―ノ教会などがある。

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