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イタリア世界遺産(JITRA)コミュのローマの歴史地区 No.2

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世界遺産に登録されているローマの記念物を紹介しよう。
Pizza del Campidoglioカンピドーリオ広場は共和政時代の7つの丘の一つで、二つの丘からなり、ユノー、ユピテルの神殿が聳えていた。この広場でミケランジェロが設計したものは、奥のセナトリオ館、現在はローマの市庁舎で、左はヌォーヴォ館、右はコンセルヴァトーリオ館で、現在カピトリーノ博物館になっている。広場には1981年まで古代ローマ時代の唯一の現存する騎馬像「マルクス・アウレリス帝の騎馬像があった。現在はコピーが広場の中央に立っている。中世の時代にローマ時代の記念物などは殆ど破壊されたが、この像だけは破壊されなかった。というのは、この像は最近までコンスタンティヌス1世の像だと思われていたからで、彼はいうまでもなくキリスト教を国教化した人だったからだ。西斜面の丘に大きな階段があり、この階段もミケランジェロの設計で、ジャコモ・ダ・ポルタが変更を加えたものである。階段を昇って行くと最上階に2つの彫刻がある。これはコンスタンティヌス帝と息子コンスタンティヌス2世の彫像で、夕日を浴びた時、彫像、階段の織り成す景色は限りなく美しかった。また左にはアラコエリ教会がある。

カピトリーノ博物館Musei Capitolini は、コンセルヴァトーリオ博物館、ブラッチョ・ヌォーヴォ博物館、新博物館、カピトリーノ絵画館等5つを総称してカピトリーノ博物館という。彫刻部門は、前5世紀から18世紀頃までの作品があり、その中には、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの「ウルヴァヌス8世」など素晴らしい作品が多い。しかし私の一番興味を惹いたのは、ローマを建国した2人の兄弟を育てた雌狼の像で「雌狼の間」に展示されていた。作品は「カピトリーノの雌狼」と呼ばれ、紀元前5世紀初めに制作されたブロンズの像で、狼の乳を飲んでいる双子の赤子は15世紀にポライオーロが付け加えた。この像がローマのシンボルになって普及して行ったので、眺めていると一際感慨深かった。絵画部門もドッソ・ドッシ、ルーベンス、ヴァン・ダイク、ティッツィアーノ、ティントレット、グイド・レーニ、ヴェラスケスなど美術史を飾る巨匠の作品が多いが、私の一番惹かれたのはグエルチーノの「埋葬され天に昇る聖ペトロニラ」で、聖女の屍が墓穴からあけられ、彼女は復活して天国で、若者キリストに迎えられるところを描いた絵で、2人の男が聖女を引き出すシーンはリアルに描かれ、キリストがマリアを迎えるシーンは敬虔な雰囲気が漲っている。青い色が効果的に使われ、全体的に清澄さを感ずる絵になっている。ゲーテが絶賛したこの絵を見られた事は、私にとって最高の幸せだった。他にこの美術館には、カラヴァッジオの描いた「女占い師」「洗礼者聖ヨハネ」の2枚の絵があり、この2作品とも若者の姿を生き生き描いた傑作だと思った。

ポポロ広場 Piazza delPopolo は、19世紀初頭ジュゼッペ・ヴェラルディが行った都市開発の際に整えられた。広場中央にはフラミニオ・オベリスク「紀元前1200頃造られた」があり、ここからローマの3本の主要道路バブイーノ通り、コルソ通り、リペッタ通りの出発点になっていて、シクトゥス5世の命で建てられた。入り口はポポロ門で、この門は1000年以上ローマの入り口の役目をしており、北方から来る旅行者は、必ずこの門からローマに入る事になっていた。外側のファサードは、1561年から1562年にナンニ・ディバッチョ・ビジオによって建てられ内側のファサードはジャン・ロレンツォ・ベルニーニが1655年に建設した。モーツァルトもゲーテもローマを訪れた時は、ここからローマへ入っている。私も2003年彼らに倣ってポポロ門を通過し、すぐ左にあるサンタ・マリア・デル・ポポロ教会を訪れた。11世紀から12世紀民衆の寄付によって出来た教会で、イタリアの語のポポロは民衆を意味し、それ故この名前が付けられた。内部にあるキージ礼拝堂はラファエッロが設計した。又カラヴァッジオの2枚の絵「聖パウロの回心」「聖ぺテロの磔刑」がある。前者は、キリスト教徒を迫害していたサウロ「後のぺテロ」が、ダマスカスで、突然イエスの声を聞いて、回心したという劇的な場面を描いている。天からの突然の声と共に強い光が、ペテロを射し、驚いて彼が落馬した瞬間が描かれ、画面の中央にある馬を大きく描く事によって凄まじいドラマティックな作品になっていて胸を打つ。後者は、十字架に架けられたペテロの十字架を3人の男が、立てようと必死になっている場面、ペテロは苦しげな顔をして、彼方のイエスに哀れみを乞うている場面で、十字架を逆さに押し立てようとする構図が劇的な印象を与え、素晴らしかった。

ナヴォナ広場Piazza Novonaの名前は「古代ローマ時代の競技会Agnese in Agone」に由来している。17世紀から19世紀にかけてここは貴族や聖職者達のエベント会場で、広場中央にジャン・ロレンツォ・ベルニーニが1651年に製作した大河の泉がある。円錐形の水盤の岩礁の上に水を飲む馬とライオンが配置され、ドミティアヌス帝のオベリスクを支えている。行くといつも勢いよく水が噴出し、また4大大河、ナイル川、ラプラタ川、ドナウ川、ガンジス川を表現している寓意の像は、まさしくバロック的で、迫力を持って迫ってくる。その前にあるサンタニューゼ・アゴスティーノ教会は、ベルニーニと同時代に活躍したフランチェスコ・ボロミーニが建てた事を考慮すると、4大大河の泉はベルニーニのボロミーニに対するライバル心、強い気概の様なものを感ずる力強い作品だといつも思う。広場の南にあるモーロの泉もベルニーニが設計した。


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