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イタリア世界遺産(JITRA)コミュのカステル・デル・モンテ

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ハート達(複数ハート)カステル・デル・モンテハート達(複数ハート)
プーリア州バーリ県のアンドリアAndriaに位置するカステル・デル・モンテCastel Del Monteは、登録基準(?)(?)(?)などで、1996年世界文化遺産に登録された。

魚ウマアンドリアの街を出て、波打つレ・ムルジェ高原を丘へ丘へと進んでイ行くと、視界が開け、オリーブの林、牧草地、葡萄畑などのパノラマが広がり、彼方には人口約9万人のアンドリアの町が見える。この緑豊かな標高540mの大地にぽつんと白いカステル・デル・モンテ城が立っている。この城は、8角形の形をして、8つの塔があり、8角形の中庭を持っている。この8という数字は、風位と宇宙的均衡を表し、イスラム世界においては、天国を寓意する数字だと言われている。この城が何のために出来たのか、どういう目的で使用されたのか、わかっていない謎の建物なのである。ただ、構造上敵の襲撃や攻撃に対して、不向きな建物である事が判明しているので、恐らく城を建築した人が、鷹狩をする時の休息所として建てたのではといわれている。

妻と私は2003年9月2日ボローニャからインターシティで、バルレッタへ来ていた。そして4ツ星のホテルArtuに泊まり翌日バルレッタから15k位の場所にあるカステル・デル・モンテへ行こうとしていた。9月3日朝10時にタクシーが来た。そしてカステル・デル・モンテへ、街を出るとオリーブの畑が多い。そして30分も走ると森の上に白い8角形のカステル・デル・モンテが見えてきた。到着すると大きな駐車場があり、これ以上は近くまで行けないので、待っているバスに乗るように促された。大きなバスに乗り換えるとバスは、松の林の坂道をゆっくり走り5分位で着いた。
青空の中にぽっかり浮かんでいる白亜の城はたとえようもない美しさだった。城の内部は2階になっていて、1階は博物館、中世の食卓、生活などを解説したパネルなどがあり、その他に王冠、陶器、鎧などが展示されていた。城の内部の装飾などを見るとこの城がイスラムの文化の影響を受けた内装である事がわかる。
この城を建てたのは、ホーエンシュタウフェン家のフェデーリコ2世で、彼は、父ハインリッヒ6世からドイツ王位を、又母コンスタンツァ・ダルヴィッラからシチリア王位を継ぎ、1194年に誕生した。フェデーリコ2世は1220年神聖ローマ帝国皇帝になり、1229年十字軍の遠征を指揮し、イスラムとの和解を成立させ、無血でエルサレムを奪還し、戴冠した唯一の王だった。ダンテは彼を「世界の驚異」とその優れた人格を称えている。このフェデーリコ2世は、アラビア語、ギリシャ語など複数の言語を話し、南イタリアには、彼が築城、改装などをした城が200以上もあるといわれ、後世に多大な影響を与えた。フェデーリコ2世については、その偉大さが色々伝わっているが、自然科学、文化など多方面の才能に恵まれたルネッサンス的万能の天才で、ドイツの哲学者ニーチェは彼をレオナルド・ダ・ヴィンチに喩えたと言う。彼の人生は、200年後に開花するルネッサンス的精神そのものとさえ言えるものだった。
フェデーリコ2世の死後この城は、牢獄として使われ、最初の囚人は1266年フェデーリコ2世の2人の孫だったらしい。カステル・デル・モンテは17世紀に大理石や内部の絵画、調度品などが
盗まれ、国有化され保存の修復工事が行われたのは、1876年以降の事だった。

衝撃お願い衝撃
えんぴつここに行った経験のある方どうかお書き込み下さい。えんぴつ

コメント(2)

3年ほど前に行きました。
レンタカーだったのですが、オリーブの中を緩やかに道を上って行くと突如として
浮き上がってくる城。とてもキレイでした。

中は不思議な形で、私も中庭から天に向けて写真を撮りました。
8角形に切り取られた空を取りました。


ハート達(複数ハート)グリフィン様ハート達(複数ハート)

コメント有り難うございます。本当に何でこんな所に美しい城を建てたと思いました。狩猟館としては、あまり居心地はよさそうでなかったです。

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