ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

形式意味論コミュのはじめまして

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
エリックさんの紹介で入ってみました!大阪大学の山本大地といいます.形式は正直全然わからないけど,広い意味で意味論は興味大です.エリックさんのいうように現象が面白いんですよね.
日本語についてちょっと面白いと思っている現象は接頭辞「真-」です.
「真夏」とはいうけど,「真春」とはいわない,「真っ赤」とはいうけど「真っ紫」とはいわない.
エリックさんの専門とはちょっと違いますか??

コメント(31)

まあ。わからん。専門とちょっと違うしw

こうかな?これは言える:

真冬
真夏
真赤
真きき(黄色)
真っ青
真っ黒
真っ白

これは言えない:

真春
真秋
真緑
真紫
真灰色
。。。(色省略)

色を見ると原色みたいなものだ。言えないのはまぜ色だ。またある意味冬と夏は原季節で春と秋は「まぜ季節」みたいなもの(天気でいえば)。いわゆる極端な存在をもったものに「真」をつけれるやろうか?

プロトタイプに繋がるところもあるかと思います。

ちなみ「真鯛」もあるよね。

昔の日本語では「真」はもっといろんなものにつけられたのやろうか。
お、いいねぇ。おもろいトピックだね。
しかも「まぜ季節」「原季節」ってうまいこと言ってる。エリックの例はまさにプロトタイプの例だね。ほかには「真新しい」とか形容詞にもつくね。(真新品とはいわないけど。)昔は「真悲しい」とかあったようだよ。

広辞苑によると、「真」というのは、それそのものであること、真実であること、を表し、形容詞や体言にかかるそうな。接頭辞じゃないとすれば、「真に受ける」とかあるし。あとは、「真正直」とかいえるよね。「真面目」はどうなのかな。

てことは、プロトタイプ=真実 ってかんじ?
なるほどプロトタイプ!つまりカテゴリの典型てことかな.確かに真秋,真紫とかがいえないのは秋とか紫がそれ自体まぜもんで(まぜ季節!笑)プロトタイプ的なものじゃないからと言えそう.じゃあ真ん中が言えて真外がいえないとかはどうなんだろ?完全なる外なら外のプロトタイプだけど...んー

「真新しい」,名詞だけだと思ってたら形容詞にもつくんや.でも「真古い」は言わないなあ.

「本」かぁ,真心と本心はどう違うんだろう??そなへんに「本-」と「真-」の違いが見えてきて特徴づけできそう.真鯛と本マグロ...
はじめまして。こんにちは。おもしろいので、ぼくも参加させてください。
のりさんの言うように、「真」の例はたしかにプロトタイトプ・マーカーとして「無理矢理」まとめられそうですが、ではどこが「無理矢理」かという点についてぼくがすこし思ったことを書かせてください。

「真」のあとにくる名詞のあらわすカテゴリーの成員の帰属度を、あるスケールや基準によって評価できる場合、もっとも帰属性の高いもの(=プロトタイプ)が真むにゃむにゃと呼ばれるものとします。そうすると、純度の高いものを真水、一番暑い時期を真夏、位置的に精度の高いものを真横・真北、同類の中で標準的なものをマアジと言い、いっぽうで真泥水とか真春とか言いにくいのも説明できそうです。
では、真顔はどうでしょうか。まじめな顔(表情)が顔のプロトタイプである理由はなんでしょうか。顔の典型例と聞かれて、みなさんはすぐ答えられますか。

というのもぼくは、真人間や真顔の「真」には、プロトタイプマーカーというよりは「まじめな」という、語彙的意味のほう(「真に受ける」の「真」と同等の意味)を強く感じてしまうのです。
とももさん(まぎらわしい名前で、あとからでてきてすみません)が、「本」について「偽」との対立概念ではと言っているように、一部の真や本の接辞の用法はプロトタイプマーカーという形式化に抵抗する語彙的意味をもつように感じられるのですが、どんなもんでしょうか。
うーん難しくなってきた...これ以上行くと論文レベルになりそうだ(すでになってる?笑)
感想.一番今の主要な理論で使いやすいのはのりさんのいうようなプロトタイプ的な考え方だけど,いろいろ考えてみるとのりさんやとももさんのいうように中心点みたいなものを設定したくなってきて,この中心点を典型と同一視できるのかというとこが争点な気がする(もちろん典型は中心にちかいのだけれど).「真新しい」と「*真古い」なんかもそうで,なんでクローズエンドのほうがいいのか,というと,やっぱりエンドポイントというか,究極的に行くつくところみたいなもんがほしくなる.だから理論的に中心点のようなものを別個に設定する可能性を見いだせる分析対象かなと思いました(実際そういう理論は存在するのだけれど).もちろんそれ以前にともさんの言うような語彙的意味を残しているものもあると思うし,それはそれで考えるべきかなと思います.

「ど-」・・どあほう,ドスケベ,ド畜生...こういう例はすぐ思い浮かぶ笑.

エリック<しょっぱなから形式と関係ない話題で盛り上がってしまって申し訳ない,ちょっと「らしい」「みたいな」と絡むかなという期待で出したんだけど...
<のりさん
なるほど。ただ、ぼくの言いたかったことをもうちょっと補足させてもらうと、たとえば、フランス語でも同様に、付加形容詞 vrai はそういうスキーマを当てはめて考えられるとして(ex. un vrai Picasso 本物のピカソの絵)、いっぼうで属詞 attribut 位置にくる vrai はどう扱うのでしょうか。histoire vrai (実話)みたいな場合です。これも、プロトタイプ効果で説明できるのでしょうか。うまくいえないですが、属詞位置の vrai と付加形容詞 adjectif epithete では抽象度に違いがあるように思います。日本語の「真」の場合は、そういう区別がないように思うので(このへん自信ない)、どうなのかなあと思ったわけです。なんかすごい勘違いしてるんやろうか、おれ。
もちろん、プロトタイプを使った説明は、ほかの接頭辞「本」「ど」にも敷衍できそうで、魅力的ではあると思います。
>のりさん
失礼しました!
(例) un vrai Picasso / indef. art. real Picasso
histoire vraie / story true
(用語)attribut = attributive
adjectif epithete = epithetical adjective
こんな感じでしょうか。
>さて、日本語の「真」にはそのような区別がない、というか、そういう意味の拡がりかたをしていなくて、それは、ほかに「実」とかがあるからだと思います。

そうですね。ぼくも書き込んだあとで気づきました。
(実家とか実刑とか)
ぼくのはやとちりでした。
面白いですね。。。

やっぱりこのコミュ作って良かったw

ちょっと形式的な話しを出しますが「古い」がオープンで、「新しい」はクローズという概念は面白いな。最近ちょっと形容詞にはまっているけどその事に気付かなかった。結局こうですよね?両方が時間(ポイント風に考えて)とisomorphicなスケール。「新しい」は>で、「古い」は<(ようするに時間経っていくとだんだん新しく無くなって古くなる)。で、「新」の方は、エンドポイントがあるわけですね?のりさんが言ったように。

そして「真」のつくやつはエンドポイントがないとだめ。

いいですね。

この話しマジでまとめて論文にしようか?

またひとつ。「っぽい」はどうですか?こんな感じの形容詞についた場合、スケールのどこにいるかをぼけさすような働きをする(今の説明で行けば)。全体的にいえば集合に入っているか入っていないか微妙にするもの。たとえ正確にいえば「赤」じゃなくても「赤っぽい」だったりするし。最近オレがやっている「みたい」などにちかいけど。
「ま」から始まることばって多くないので、辞書で一通り見てみました。
形容詞につく例は、ぼくがざっと見た限りでは「真新しい」以外ありませんでした。あと真四角や真ん丸はあるのに、真三角がないのはなんでや、とおもったのですが、三角は四角や丸と比べると日常的に目にする機会が少ないので語彙として登録されてないのかな。あっ、真ん丸い、も形容詞の例の一つですね。
>図形については形容詞化、つまり段階化できるかどうかがポイントではないでしょうか

これも、プロトタイプ理論(=カテゴリーの成員の序列づけ)につながる話とみていいのかな。
でも、そうすると、「真」はもっと形容詞についていいはずなのに、そうではない。その理由の一つが、「エンドポイント」が設定できるか否かということですか。
このへんを整理して考えると、「真」の機能がもっとよくわかる気がしてきました。なんとなく。
あと、色関連だと、真っ黒い、真っ白いはどうですか。
ぼくの感覚だとぎりぎりOKなんですが。
真三角に関して.多分日常的に触れる機会が少ないってのありそうですね.真四角や真ん丸は日常に事例がたくさんあるから模範的なもの(テレビ・テーブル・箱…,ボール,)があるけど,三角はそういった模範がイマイチ思い浮かばない.でも語彙として登録されていないというよりははっきり理想形が頭の中に作れているかどうかという気がしてしまう.
>図形については形容詞化、つまり段階化できるかどうかがポイントではないでしょうか
僕にとっては四角や丸も程度をつけるのは難しいのですが.フランス語では無理っていうのを論文でみたことあります.
「めっちゃ四角」「めっちゃ丸」,微妙じゃありません?「めっちゃ清潔」「めっちゃ不潔」はいけるけど.
形容詞ではないけれど,クローズエンドかどうかと言うことに関して言えば,「真近」「*真遠」もその一つですね.
っぽいは,僕にはどっちもいけます.でもどっちかと言えば,「やくざっぽい刑事」みたいな例をすぐ思い浮かぶけど.「微妙にする」っての,かなりありそう.ぼかし表現で「ごめん今日無理っぽい」っていう若者ことばもあるし.
>あと、色関連だと、真っ黒い、真っ白いはどうですか

連体修飾にするといいけど,述定の形にするとだめな気がします.「真っ黒いネクタイ」,「このネクタイは真っ黒い」.これはなぜでしょう??ぼくだけでしょうか.
>だいちさん
「まぢか」は、ぼくも最初同じことを考えたんだけど、辞書みたら「間近」となってました。他の辞書はどうでしょうか。

>のりさん
>ぼくは「日常的にふれる機会」のような論拠は、できれば最後のサポート的なものとして、なるべく言語学的なふるまいのなかでとらえたい。
これは、ぼくもそう思うし、賛成です。逆に、プロトタイプ理論のかかえる問題もそこにあるのではないか、と思っています。「真顔」の話にもどれば、のりさんの「感情のバイアスをうけていない中立な顔」が顔のプロトタイプという説明は、そうかもしれないと思うけど、たしかめようがない。下手をするとその説明に納得するかどうか、という話になってしまいませんか。

ふたつの「新しい/古い」の話はおもしろそうだね。
また、あとで寄らせてもらいます。
本来まるい(と思ってた)ものが、四角だったときに、
「なんやこのプリン、めっちゃ四角いやんけ。こんなもん、くえるか。プリンはまるいもんときまっとるやろが。つくりなおして、もってこんかい!」とかいう人、いませんかね。
間近
たしかにそうでした...代わりに「真っ先」,「*まっ後」が思いつきました.ところでのりさんに一つだけ聞かせてください.
僕は四角は極限があるかどうかという以前に程度そのものがないと思うのですが,四角に程度があると考える根拠はなんでしょう?
>のりさん
プロトタイプ理論については、また別の機会にということで、了解しました。
一方、「四角い」と「丸い」ついてですが、丸いはオープンで、四角はそうではないというのが、ぼくにはよくわかりませんでした。たとえば、
>「完全な四角じゃないけど、かなり四角い」形というのはあんまりよくわからない。
の部分。例を変えてみますが、「A さんの顔って、めっちゃ四角くない?」「めっちゃ四角い!」これも、27番に書いてある理由で、四角がオープンという根拠にはならないということでしょうか。
初めまして
今更ここを読んでる人は居ないですかね?
私が最近ものすごく気になっていることがあるのですが、
「真逆」と言う言葉です。
この「真逆」と言う言葉の使い方、数十年前まではなかったような気がしているんです。
「正反対」と言う言い方だったのかな?
反対と言う言葉には反対側等の言葉の使い方もあり、
例えば地図を広げて中心点から上の方を北側、下の方を南側と呼び、
北に対して東南でも反対側になるけど、北に対しての逆は南のみであって、
つまり何が言いたいかと言うと、「真逆」じゃない逆はないから
いちいち「逆」に「真」をつける必要が無いのではないかと言う事なんですが、
どなたかご意見を頂けないでしょうか?

ログインすると、残り12件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

形式意味論 更新情報

形式意味論のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング