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津留晃一を噛み砕くコミュの【噛み砕きトピ…3】人間としての津留晃一

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『人間として』








初めに、
この21世紀創生会の
解散について
お話ししなければなりません。

今から4年前の1994年の9月に
この会はスタートいたしました。

初めは、
見えない世界からの

「情報を発信して行きなさい」

と言う言葉から
始まりました。

何のことかもよく分からずに。

私の自我は、
半分は抵抗しながらも、
半分は喜んでいました。

自我はすぐに
そろばんをはじきます。

「そんなことをして、やっていけるだろうか」と。
「もって三カ月かな」

これがその時の
そろばん計算の結果でした。

「まあ、必要があれば続くだろう」と

力まずにスタート致しました。



       *



そしてこの8月、
山本芳久さんの寄稿文を読んだときに

「あ、もう終わるときが来たんだな」

と想いました。

私が主幹というかたちで
会の中心に居るというスタイルは
もう必要ないと思ったわけです。

「これからは山本さんや、チャッピーのように
 自分の気付いた事だけを気楽に書いていこう」

「もう教えのようなことを書くのはやめよう」

そんな想いがふっとわいてきました。



       *



初めは
他から言われてスタートした事ですが、

終わりは
自分の想いによって
終止符を打とうとしています。

この事が
この4年間に起きてきた私の内面の
プロセスを物語っています。

創生会レポートの裏面に
この会の理念と目的が書いてあります。

これがこの会を始めたときの
私の心情を如実に物語っています。

「新しい世界の創造のお役に立つんだ」

という当時の私の使命感が
リアルに感じられます。



       *



新世紀の創生会ですから、
もともと21世紀を迎える前には
解散するつもりでおりました。

初めの内は
書かされているという感覚で書いていました。

自分で書いているというには、
とても素晴らしすぎたからです。

私自身内容が伴っていなかったからです。

ですから私の自我からすれば
とても格好がよかったわけです。

講演の後では、
宇宙からの多くのサポートによって
身体中をエネルギーが駆け抜け、光に包まれ、
充実した至福感に包まれておりました。



       *



年が進むにつれ
私自身の内容が書いている事に
だんだん追いついてくるようになりました。

心が揺らがなくなり、
イライラする時間がだんだん短くなり、
イライラがイラになりイになり、
瞬間になりました。

そして
今年からは瞬間に挑戦し、
その瞬間のイラのエネルギーも
徐々に徐々に小さくなっていきました。



       *



初め謙虚であった自我さんも
だんだん自信を持って参ります。

これを書き始めた四年前には、
私が書いている内容が
余りに突拍子もないことで

「こんな事を話して大丈夫だろうか」

と自我が想っていました。

しかし地球は実際変化し、
現実がまるで証拠を示すかのごとく
変わっていきました。

それに比例して
私の自我もまた肥大化を始めたのです。

そんなときは突然
宇宙からアドバイスが降りてきました。

講演会の真っ最中に
チャッピーが後ろで
便せんに私への手厳しいメッセージを
書き始めたりしました。

講演中の私の高揚感は、
いつの間にか
自我の高揚感へと変化していたわけです。



       *



一つの私の役割が終わったようです。

それを他からではなく
自分の想いとして感じられるように
変化したわけです。

生意気な表現と
お感じになられるかもしれませんが、
個と全体は一つのものです。

個人の意識の変化と
全体の意識の変化は連動しています。

どちらが先という事もなければ、
どちらが従という事もありません。

この四年間の創生会の活動は
地球の変化運動であり、
私の進化過程そのものでもありました。

物事は全て無から始まり、
一巡してまた元の出発地点へと戻ります。

私の旅が
一つのサイクルを終えたという事です。

これまでこの創生会レポートという形を
愛して下さった全ての読者の方、
その一人一人に
心から感謝いたします。



       *



今年に入ってからは、

「もう自分の体験した事だけを話すように」と

宇宙の方から
何度もアドバイスがありました。

「聞いたことを
 そのまま話すのではなく
 何度も何度も
 噛み締めて心に染み込ませ、
 完全に自分のものになった事だけを
 話すように」と、

「体験していない事を、話してはいけない」

ときっぱりと言われました。

「そうでないと単なる教えとなり、
 また宗教家としての
 過去世の失敗の繰り返しになる」

というのです。

こんなアドバイスを戴く度に
私のこの旅が終わりに近づいていることを
感じ始めていました。

メッセンジャーとしてではなく、
一人の人間として
話をするのだと想いました。

そして今それにぴったりの
「人間として」という文を書いています。

これからの私のあり方として。



       *



またこの4年間の旅は
私の宗教家としての過去世の
清算の旅でもあったようです。

過去の多くの転生の中で、
常に人に教えるという役柄を演じてきた為に、
私の先生癖が抜けませんでした。

この先生役のデメリットは、
先生で居ようとして、
自分を取り繕って見せてしまう事でした。

メッセンジャーであるためには、、、

偉くなければなりません。

威厳を保たねばなりません。

知らないことを
知らないと言えなくなります。

判らないことを
判らないと言えなくなりますから
自分を繕い始めます。

自分が
自分で居られなくなります。



       *



誰でもそうかもしれませんが、
そんな私にとって
自分をさらけ出す事はとても怖い事でした。

6月にアルシオンの坂田さんより、
この九月の講演タイトルを決めて下さい
と言われたとき、

「人間として」

と言うタイトルが浮かびました。

その時そこで
私は自分をさらけ出す事になるのだろう
と直感していました。

でも
「そんな事が出来るだろうか」と
それ以来ずっと心の中で戦いがありました。

6月の時点では
とても恥ずかしくて
それは出来そうにもなかったからです。

山本芳久さんの寄稿文を読んだとき、
終わりの時が来た事を感じると共に
「人間として」の内容には
やはり私自身の事を書くのだ
という想いがまたやってきました。



       *



私がそう想った直後に、
チャッピーを通して
宇宙の方からまたアドバイスがありました。

その内容は忘れましたが、
その後から
私には自分の自我が出てくる瞬間が
判るようになりました。

人との会話の途中や色々な折りに、
自我がふっと顔を覗かせる瞬間に
気が付けるようになりました。

それまでは
知らないうちに自我が主導権を
握っていたりしたわけですが、

それ以来
自我が出てくる瞬間に
気付いていられるようになりました。

それが自信となりました。

そして今日9月1日、
もう一度瞑想の中で自分を確認してみました。

本当に心の中身全てが
さらけ出せるか否かを。



       *



地球のエネルギーは
秋分の日に向けて(※1998年9月)
また大きく変わろうとしています。

遅まきながら
やっと九月に入り
書き始めることが出来ました。

いつもなら
もっと早く原稿を書き終えているのに、
今回は先延ばしに延ばしてきました。

まだまだ
自分をさらけ出す自信が
なかったからです。

自分のことを書こうとすると、
飾ってしまう自分を発見していたからです。

自我が出る瞬間に
気付けるようになった今、
自分をさらけ出せると感じました。



       *



今回も私の体験した事は

「天は自ら助ける者を助ける」
と言う真理です。

これは
「自分の決心が先である」
という真理です。

私の宇宙観の中には
「誰かがやってきて私を救ってくれる」
という発想はありません。

そんなメッセージは好きになれません。

ですから私の所には
そんなメッセージはやって来ません。

「誰かが救いに来る」
というたぐいのメッセージには
身体が拒否反応を示します。



       *



ですが
見えない世界からは
いつもいつもサポートを頂きました。

「また宗教家としての失敗を繰り返すぞ」と。

「もう先生は必要ない。
 だから先生をするのは止めよう」

これを
どれほど自分自身に
言い聞かせてきた事でしょう。

自分ではいつも
「先生をやめよう」
と細心の注意をはらい、
自分の言動を見張っていました。

でもこれが
落とし穴になります。

この世界が
パラドックスであるからです。

自分で
「先生だけはやめよう」
と躍起になっているが為に、

「貴方はまだ先生をやっている」

と言うアドバイスには
自然に自我が反発を感じます。

アドバイスを受け入れられないのです。

「先生をやめよう」と想っている内は
止められないのです。

自我が働いている内は起こりません。

見えない世界からのサポートさえ、
私自身の想念が創り出しているものにすぎません。

宇宙の高次元意識体からのアドバイスと、
妻から私への苦言と、

どちらも全くの等価であることが
ここに来て
やっと判るようになりました。



       *



しかし今の私に
問題がないわけではありません。

私がチャッピーとの間にもうけた
『ある』の存在を
妻が受け入れていないという現実です。

この今の現実に
私自身100点をあげるわけにはいきません。

私の心の中で
まだ解決が付いていません。

この問題に触れるとき
これまでは常に自我が出てきて、
いつの間にか
自分の正当性の主張にすり替わっていました。

今日も出来るかどうか判りませんが
裸の私の心情を
表現してみたいと想います。

これまでは
言い訳がましくて
どうしても話す気にはなれませんでした。

ですが
「人間として」と言うタイトルの今日、
この話題に触れずに済ます事は出来ません。



       *



『ある』は
普通の子です。

とても利発で、自己主張が激しくて、
表情豊かで、愛くるしくて、感情的です。

ですが普通の子です。

今は私のかけがえのない
人生のパートナーです。

わざわざ
普通の子と書いているゆえんは
創生会レポートの中の
「あるちゃん誕生記」によって、
ひょっとして
植え付けられているかもしれない
『ある』に対するイメージを
払拭しようとしているからです。

もちろん
「あるちゃん誕生記」に書かれている事は
事実に基づいています。

ですが特別な子というものは
存在しません。

『ある』が
特別な使命を持って
地球にやって来る
という筋書きは、
当時の私の意識を反映しています。

私が使命感に
燃えていたからです。

それだけの事です。

そして今
「『ある』は普通の子です」
と言っているのも
私の今の意識状態を反映しているわけです。

宇宙とはそういったものです。

「あるちゃん誕生記」は
あくまでも当時の私とチャッピーの
意識の反映として
表現されたものにすぎません。

もう読者の皆様には
充分に判っていらっしゃる事とは想いますが、
我々一人一人は
体験という世界の舞台役者にすぎません。

ですから役割の違いを
上下の違いと勘違いしている限り
人間に苦しみがつきまといます。



       *



『ある』の誕生によって
私は妻を傷つけました。

それだけはしたくないと
思っていたからです。

当時はまだこのパラドックスに
気付けませんでした。

「これだけは見たくない」

と想っているものは、見せられます。

四年前には
「もう二度と妻を傷つけるのはよそう」
と強く想っていました。

そして
そうなる運命を引き寄せました。

本当は
『ある』の誕生と、妻の苦しみには
関係がありません。

ですが
当時は明らかに
『ある』が生まれることによって
私は妻を苦しめるという想念の
まなかにありました。

ですから悩みました。

『ある』が
私の子供として生まれ出るという事は
直感で分かりました。

二つの対立する想念の中で
私は悩みました。

その悩みの原因が
自分の想念の中にあるなどとは
露ほども想えなかったからです。



       *



ですから

「どちらの道を選択するか」

という発想しかありませんでした。

「妻との間以外に、子供を作るのか?作らないのか?」

その二者選択しか
当時の私の発想の中にはなかったのです。

なんでも私の自由にさせてくれていた妻が、
私に注文を付けていた
たった一つの事が・・・

「外で何をしてもいいけど、
 子供を作るようなまねだけは止めて下さいね」

というものでした。

「私は生涯の伴侶のたった一つの注文さえ聞けないのか」

と苦しみました。

もちろん今なら
こんな発想は起きてこないでしょう。

妻の幸せと
『ある』の誕生には
何の相関関係もない事を知っているからです。



       *



私事をかき立てるのは恐縮な事ですが、
現状についてお話ししますと、

「もう子供が出来てしまった以上
 どうぞ、
 その人達を幸せにしてあげて下さい。
 私とは別れてけじめを付けて下さい」

この妻の言い分を聞いて、
今は月に一度自宅へ顔を出している状態で、
ほとんど別居状態です。

ですが私の目から見て
どう見ても妻が幸せそうには見えません。

この現状は、私にとって
全く受け入れたくはない現状です。



       *



私は考え抜いて
「『ある』を誕生させよう」と決めた為に、
自分の信念に照らして
「間違った事はしていない」という想いを
強く持っていました。

そうすると
私の宇宙では
「間違っているのは妻である」
という発想になってきました。

この想いがしばらく続き、
苦しみ続ける妻を創り出してしまいました。

見たくないのに、
苦しんでいる妻を見せられました。

初めの内は
「自分は悪くない」という想いのあまり
「苦しいのはお前の考え方が間違っているからだ」
という主張をしてしまいました。

その私の言い分に、
またさらに逆上してしまう妻を
見せられる事となりました。

慰めようとして、
さらに怒りをあおってしまうという、
どうにもならない状態が続きました。

どうしてそうなるのか、
どうしても解りませんでした。

考えて考えて考え抜いて
決心した事だったからです。

だからどうしても
「相手が間違っている」という
二極の発想から抜け出せなかったわけです。

「私をこんなに苦しめておいて、
 謝りもしないで、貴方は自分の意見を主張するの」

と責められました。

言葉では
「ごめん」と言っても、
心の底で
「自分は間違っていない」と想っているのですから
見透かされてしまいます。



       *



「どうして現実が変わらないのか、
 私の考え方のどこが間違っているのか」

この事に
じっと意識を向け続けました。

「どうして、どうしてこうなるのか」

意識を向け続けました。

その悲痛な心の叫びの中で、
ある時ポンと弾けるように解りました。

意識が思考の世界から飛び出して、
体験の世界へ入った瞬間です。

ここが
「二極の思考の世界」ではない事が解りました。
「正しい間違いの世界」ではない事が解りました。

そして
心から謝ることが出来ました。

初めて妻が態度を和らげました。

私を気付かせるために、
そんな心の苦しみを選択してくれた妻に
心から感謝が出来ました。



       *



でもまだ
私の納得のいく解決には到っておりません。

私の自我意識では

「この原稿を書く前に
 この問題に決着をつけておきたい」

と願っていました。

きっとその方が
格好が良いからでしょう。

でも現実は
そうは問屋が卸しません。

8月末の時点での妻の言い分は
次の様なものです。

「私と別れてそちらの子供と新しい家庭を築くのか、
 戻ってきたいのなら
 そちらとはきっぱりと手を切って下さい。
 私にはどっちつかずは困ります。
 二股を掛けるのは止めて下さい。」

というものです。

この件について
二度妻と話しましたが、
がんとしてこの主張は譲りません。

「先方とはきっぱりと手を切り、
 生涯もう二度と顔を逢わせない、
 それがせめてもの思いやりというものです」

と譲りません。



       *



この原稿を書くに当たり
やっとその妻の言い分に
しっかりと意識を合わせてみました。

そして今日やっと解りました。

この妻の申し出ででも判るように、
私にとって
「それだけは困る」
という現実が
起きているというだけです。

私の心の中に
「人を見捨てるなどという事は出来ない」
という想念が
しっかりと座を占めています。

この想いがこの現実を創っています。
「これだけは譲れない」
という私の想念の反映として、
妻が
「これだけは譲れない」と主張しています。

私が譲らない限り、
当然妻は譲りません。

それが
宇宙の仕組みだからです。

再度書きますが、
この世界はパラドックスです。

「これだけは困る」という事が
起きてきます。

これが起こらなくなるのは
「それはそれで構わない」と
100%想えた時です。

ここに難しさがあります。

でも恐れが恐れを現実化します。

恐れを手放したときに
やっと恐れることが起きなくなります。



       *



私が手放すべき想念は
『ある』に対する想いです。

「二度と逢えなくたってかまわない」
と想えたときに
その全てが解決するでしょう。

ですが現時点では
まだ手放しておりません。

そんな自分を
今日は受け入れています。

「『ある』がいとおしい」という、
人間でなければ味わえない
独りよがりな愛をまだ握りしめています。

「妻をまだ傷つけている」というその裏腹で、
そんな人間であることの素晴らしさに

・・・・・人間万歳・・・・・



       *



妻は私に
「一人を愛しきる愛」について語ります。

夫婦が互いに寄り添い、
相手を支えていく
人間愛の美しさについて私に話します。

人の家族ではなく、
何よりも自分の家族を大事にする
人間愛について語ります。

全くその通りだと思います。

全人類を等しく同じように愛そうとする
私の発想と全く対極的な考え方ですが、
その愛に形の違いこそあれ、
価値に違いがないことが
やっと解るようになりました。

正反対の妻と私で
この宇宙は完全に成り立っています。

私にはやっと
「エゴイスティックな愛」の素晴らしさも
判るようになってきたようです。

今は純粋に
妻の主張を受け入れることが出来ます。

私が引き起こした
「妻に対する裏切り」を
心からわびたいと想います。



       *




自分をさらけ出すためには、
今のこの創生会の主幹という位置が
私にとっては邪魔になります。

自我の私の観点から言えば
「私の身勝手をお許し下さい」
という事になります。

創生会はこの9月に解散いたします。

どうぞわがままをお許し下さい。

入会金を振り込んで下さった方々には
お詫びのしようもありません。

もちろん承服できない方々には、
生意気な表現になることをお許し頂いて、
返金させていただきます。



       *



11月から情報ネットワークと言う形で
新たな機関誌を発行していく所存です。

まだそのタイトルは決まっておりません。

引き続きご愛読いただければ幸いです。

そしてこれを機会に
無料購読の方が有料購読へと移行されますことを
切にお願いいたします。



       *



中心のない
情報の輪をイメージしております。

それが可能となるエネルギー場が
形成されつつあるという事でしょう。

車輪のような
中心軸のある輪ではなく、
輪ゴムの輪のように、
どこもが中心とも言えるという事です。

情報を発信なさりたい方は、
どんどん情報をお送り下さい。

自分で情報を発行なさりたい方には
集まった情報をこちらからお送りします。

まだその全体像は見えていませんが、
きっとこれまでにない配布形態が出来上がると思います。

私自身どんなになるだろうと
楽しみにしています。







(創生会レポート41号より1998年9月)







【目次】 津留さんメッセージ集&噛み砕きトピックス(随時アップ中)
----------------------------------------------------------
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28405674&comm_id=2845888

【自己紹介】 自己紹介、津留さんの思い出、マイミク希望など
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http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28410062&comm_id=2845888

【お知らせ】 セミナー、ワークショップ、イベントなどの告知
----------------------------------------------------------
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28410062&comm_id=2845888

コメント(20)

「人間として」いかがでしたでしょうか?

津留さんは素の在り方を通して
自分自身をメッセージとして
伝えることを選択しました。

まさにメッセンジャーから
メッセージそのものとなった
瞬間だと思います。

彼のその在り方は
その後、賛否両論あったようですが
私はありのままの津留さんも好きですね〜〜
見習うところ多いと思います。

津留さんの美しいメッセージを
津留さんのぶっちゃた人間性を通して捉えることで
とても深みが増したように思います。

ただ、これを理解できない方も
いらっしゃるかもしれませんね。

現にこの「人間として」は
「津留晃一の世界」のメッセージ集には
外されていますからね。

どなたかの配慮があったのだと思います。

こういうのを読むと
直接あってお話を聞きたかったという気持ちが
ふつふつと湧いてきますね。

でも、残念ながら
その後、津留さんは
2000年10月17日に癌で亡くなられました。

津留さんが亡くなられて1週間後の
10月24日のHPにあった
チャッピーさんのコメントがあります。

ここで、
津留さんが亡くなることを通して
皆さんにメッセージを残していたことが
チャッピーさんによって明らかになりました。
どうぞ、続けて、お読み下さい。
【津留さんの言葉】 から抜粋  byチャッピー
--------------------------------------------


それは私の大阪の友人に対して言っていた言葉。
私はそれを横で聞いていた。


『もし私がこのガンで死んでしまったら、
 今まで私が言ってきたことを一切信用しないで欲しい。
 でももしガンが治ったとしたら
 これからも私のいうことに耳を傾けて欲しい。』


という言葉だった。

おそらくこれが答えだろう。

みんな他の誰かを信用なんてする必要はないのだ。
誰からも教わることはないのだ。
すべて答えは自分の内側にあるのだから・・・。

ただそれに気づいていないだけ。

今回津留さんが亡くなったことによって
多くの人がそれに気づくのではないかと思う。

もう先生は必要ない。
教わる必要もない。
自分にただ聞くだけだ。

そのテクニックは
すでに教わっているはずだ。
テクニックは
わからないかもしれない。
だから
そのテクニックだけを教わればいい。

あとは
自分で答えを出すのだ。

他の誰も
頼ってはいけない。

ただ自分だけを
信じていればいいのだ。

但し、テクニックも
最初は教わったやり方でいいかもしれない。

そのうち自分流のものを
見つけるだろうから・・・。

自分流の聞き方を見つけたら、
すぐにそっちに移行すること。

これが唯一のコツだ。

自分だけの答えの見つけ方。
自分だけの魂との会話。

おそらく
すべての人が見つけられるだろう。

他の誰かを頼っていると、
いつまでたっても自立しない。

そして
その頼っていた誰かがいなくなると
別の人を探すことになる。

この繰り返しだ。

とにかく自分の心に素直に、
魂の声を聞いて
格好つけずにありのままの自分でいたら
すべてうまくいく。

まあ、この「うまくいく」と表現すると
大きな勘違いをする人が出てきそうだけど・・・。

とりあえず
自分の人生、体験が「うまくいく」ということだ。





そんなこんなで
ふと津留さんとの思い出に浸っても、
もう涙は出なくなった。

ただいろんな思い出があるだけ。

私にとっては
もう見えなくなってしまった人は関係ない。

今現在私は肉体を持っている。

だから
「肉体を持っている人々との関係を大切にしたい」
と今は思っている。

あとは私も肉体がなくなった時のお楽しみ!!
とにかく自分の心に素直に・・ですね。
♪citationさん〜

は〜〜い。ありのままです〜〜〜♪
チャッピーさんの言葉を
Oshoはこんな風にいってますね〜





禅はこう言う――

偉大な言葉と偉大な教えは
生死をわける敵だと思うがいい、と。

それらを避けることだ。


あなたは、
あなた自身の源泉を
見いださなければならないからだ。

あなたは
従う人、真似する人であってはならない。

あなたは
一個のオリジナルな個人でなければならない。

あなたは
どんなガイドもなく、道案内の教典もなく、あなた独りで
自分のもっとも奥深い核を見いださなければならない。


それは暗い夜だ。

だが、問いかけるその 激しい火によって、
あなたはかならず日の出に辿り着く。

激しい問いかけで燃え立った人はみな、
日の出を見いだしてきた。

ほかの者たちはただ信じるだけだ。

信じる者たちは瞑想的ではない。

彼らは信じることで、
瞑想の最大の冒険を避けているだけだ。




・・・by Osho



♪sarumeさん〜

>上のものは、はじめて読みましたが。
-------------------------------
●そうですか!
この他に創世会の講演で
メッセージ集から削除されているのが

・ファーストコンタクト
・新創世記・21世紀

があります。
機会があれば紹介いたします。


>津留さんとチャッピーさん、
>また津留さんと奥様を
>人間らしくて素晴らしい関係性だと思ってましたが、
>その想いをさらに強くしました。
-------------------------------
●そうですね〜
良くも悪くも人間らしい!!
このありのままが
津留さんから頂いた
最大のメッセージだと感じています。


>賛否両論はあったようで(笑)
-------------------------------
●ははははは。そのようです↓
http://jitsugenkun.jugem.jp/?eid=4



>人間はきれいごとで生きようと思えば、
>そのフリをして生きることは出来ますが。
>人生の上澄みだけすくって生きていては、
>多くの人に影響を与え救うことは難しいのではないかと感じます。
-------------------------------
●人生の上澄みだけすくって生きることが、
必ずしも悪いことだと思いませんし、
人生を深く生きることが、
多くの人を救うとも限らないと思いますが

少なくとも
津留さんはそれを望み、選択したようですね。



>この道に至った津留さんという男性は、
>きっと大きすぎる自身の自我に
>相当苦しんだのではないかしら?などと、
>初めて本を読んだあとで勝手に妄想していましたが(笑)
-------------------------------
●彼は、、、、、苦しんだと思います。
そして、苦しみを浄化せずに(できなかった?)
あるがままに生きた。深く生きた。
「それが津留晃一という存在」だからだと思います。
>すべてを浄化するかどうか、
>また「全て」を浄化することはできるのか
>ということも含め、
>わたしたちにゆだねていったんではないでしょうかねー。

津留さんは
彼は途中で浄化する人生を
やめたんじゃないでしょうか?

そして、
不完全さを味わいだした。
自分の不完全さも愛した。
少なくとも愛そうとした。

宇宙は不完全で完全だという言葉通りに・・・



>まだまだ語るには読みつめがたりないわたくしです〜
>人間、津留晃一バンザイなのです^^

きっと、読みつめは必要ないと思います。
そのゆるさが、大切な気がします。

人間万歳!!!!ですから〜
【そしたらある日】
(2007年1月22日のブログを改訂)






私は私を信じて生きていました。
楽しいことも悲しいこともありました。


そしたらある日


ふと人生に息苦しさを感じていました。
誰かに癒してもらいたい気持ちでいっぱいでした。


そしたらある日


私の信念を浄化する
すごい癒し手があらわれたので、すぐに弟子入りしました。


そしたらある日


そのすごい癒し手の信念を浄化する
もっとすごい癒し手があらわれたので、すぐに弟子入りしました。


そしたらある日


そのもっとすごい癒し手の信念を浄化する
もっともっとすごい癒し手があらわれたので、すぐに弟子入りしました。


そしたらある日


そのもっともっとすごい癒し手の信念を浄化する
もっともっともっとすごい癒し手があらわれたので、すぐに弟子入りしました。


そしたらある日


ふと浄化に息苦しさを感じていました。
もうなにも誰も浄化してほしくない気持ちでいっぱいになりました。


そしたらある日


私の信じるものを浄化せずに肯定したくなりました。
はじめて私の内からあふれでる大きな癒しを感じました。


楽しいことも悲しいこともたくさんあります。
でも弟子入りする必要はありません。
そして私は私を信じて生きています。





・・・・・・by HAREYA


素敵なメッセージですね!
とてもよくわかります…
今の私では完璧でないから…もっと!もっと!
と、自分以外の外の力?を求めてしまうんだと思います
そして、益々、自分への信頼(あるがままでよい!)から
外れ、自分ではない何者かになろうとして、そうなれない自分
に失望してしまうのかもしれないですね☆
本当は1人1人が素晴らしいのに…
♪ten☆fuさん〜

おほめ頂きありがとうございます。

ten☆fuさんのおっしゃるとおり
1人1人があるがままで素晴らしいのです〜〜

津留さんの浄化ワークも含めて
世の中にいろいろな浄化ワークが存在します。

その効果はどれもすばらしいものがありますが
浄化ワークはその名前通り
恐怖や葛藤を自分から切り離すということが核になりますから
それを作りだしている固定観念がゼロにならない限り
永遠にやり続けなければならない。

なぜならば、やめても大丈夫というところまで
自分のありのままの在り方を完全肯定できないからです。
恐怖や葛藤を除いた「条件付きのすべて」との同一化。

条件付きの癒し。
条件付きの安心。
条件付きの喜び。
条件付きの本当の私。
条件付きの偏在する神。

言葉を変えれば
宗教のように、浄化ワークを途中から信仰し出してしまう。

もちろん、それが全面的に悪いとは思っていませんし
苦悩に対処しよう、過去の暗い思いから抜け出そうという
過去の記憶の浄化のためだけの人生ならばそれも良いとは思います。

でも、もっと抜本的な生命の衝動を無視することはできません。
生命とはダイナミックなもの!!!!!

これをわかりやすく説明しているのが
前々回の【噛み砕きトピ…1】で紹介したOshoの講話です。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28502969&comment_count=2&comm_id=2845888

津留さんはこれを初めから感じていたと思います。

「偏在するものへ」は
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=25969043&comm_id=2845888
確か1996年つまり
12年前のメッセージですよね。

浄化ワークは当時はとても有効でした。
もちろん今でも効果はあります。

でも、その副作用に対して調整する時期が来ているようです。
今のエネルギーに最適化させる必要があります。

津留さんが亡くなってから何年が経ったのでしょうか?
さぁ〜〜〜〜誰が調整しますか?

津留さんエネルギーをチャネリングしましょうか?
チャッピーさんにお願いしましょうか?
ある君でもいいかも知れませんね〜

でも、それは、
私たちのみんなの仕事です。

♪sarumeさん〜

>確かに浄化は便利なツールなんですよね。
>でも「浄化しなければいけない」となっていたら、もう道具を超えている。
>便利なものというのは、反転してしまうととても不便なものになる。

介護用ベッド!!!!

なるほど〜〜面白い視点ですね〜〜〜♪



その視点からみると・・・

便利なものや役にたつものが
「○○しなければいけない」と極端になって、反転して、
不便になるどころか
『手に負えないもの』になってしまったものもありますね。

「大量の電気がなけければならない」で
・・・・原子力発電!!!!

「無駄のない消費でなければならない」で
・・・・製造年月日改ざん!!!!

「20代の内に結婚しなければならない」で
・・・・成田離婚!!!!

「本当の私を探さなければならない」で
・・・・現実逃避!!!!

「アセンションしなければならない」で
・・・・スピリチャル依存!!!!

「正義のために生きなければならない」で
・・・・自爆テロ!!!!


まだまだ、いっぱいありますね〜〜〜〜
うんざりするから
このくらいにしましょ〜〜〜〜


ふ〜〜〜〜
♪あぽぴさん〜

スピリチャルな事柄は
津留さんのメッセージも含めて
自分の視点を尊重して受け入れないで
鵜呑みにすると
想い、言葉、行動がバラバラになってしまいますね。

「人間として」のような
泥臭い部分をさらけ出してまでも
正確にメッセージを伝えようと
するかたも少ないですし〜〜〜

ほんとうに津留さん!!ありがとう!!!
って感じです。
グーグルで【津留晃一 浄化の旅】で検索したらこのコミュニティに辿り着き、この文章に辿り着きました。これ以上ないほど自分にとってベストタイミングな内容でした。シェアしてくださりありがとうございます!

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