ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

三文物書へな書庫をコミュの声

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

固く閉ざした扉の向こうを荒々しい靴音が蹂躙する。それが遠ざかり、静寂に包まれてからやっと、僕は顔を上げた。
大丈夫だ、と自分に言い聞かせ、深呼吸をして鼓動を鎮める。

隣に蹲る彼女は額を膝に押し当てたまま、僅かに震えていた。耳を塞ぐその手に重ねた僕の体温は彼女に奪われ、柔らかな肌に僕は欲情した。

だいじょうぶよ

震える唇だけで伝えられた言葉。青ざめた顔で無理矢理に微笑む彼女を押し倒すことはできなかった。その代わりに手を引かれていった先で誘われた。
僕に断る理由はなく、また断るつもりもなかった。一切を脱ぎ捨てた彼女は首に手を回し、縋りつくようにして泣いた。見て見ぬ振りをして撫でた長い黒髪は白いシーツに疎らに落ち、背中を支える手に存在を訴える骨は終わりが近いことを報せていた。

互いが限界を迎えるまで情を交わし合い精を放ち、最後に彼女が意識を手放した後、僕は服を着込んで外に出た。
陽は高く、往来を行く人々に比べフードをすっぽりと被った僕の格好は浮いている。僕も本来ならば彼らと同じような服装だっただろう。

独特の気だるさが体に残っていて足が重い。ゆっくりと歩き、町の外れにある黒塗りの家の扉を叩く。開いてるよ、とぶっきらぼうな声。僕は遠慮がちに扉を開けた。
世界から隔絶されたかのような家に所狭しと置かれている、得体の知れない物たちを避けて奥へと進む。外観も、中身も、そして住人もどこか狂っている。本来ならば近付くことすらないだろう、町の人々は誰も彼もがこの家とその住人を疎ましく感じている。

「あぁ、そろそろだと思っていたよ」

最奥の部屋の扉を開けると、住人は椅子に腰掛けたままこちらを向いていた。天井から幾つも吊るされた、奇妙な羽の生えた魚の干物を押し退け、住人の前に立つ。

「いつもの薬を」

一刻も早く立ち去りたい。ここは空気が濁っていて、得体の知れない物が放つ奇妙な臭いに侵されている。
胸元から銀貨五枚が入った袋を取り出して住人に放り投げた。手渡すなど冗談ではない。万が一にも触れたなら、何が起こるかわからない。

「あぁ、できてるさ。そこの箱の上の瓶を持っていきな」

だがこの住人の作る薬なしでは彼女は生きられない。
顎で示したそこを見ると、小さな瓶の中に小指の先ほどの大きさの白い錠剤が詰め込まれていた。

「二時間置きに一粒。忘れるでないよ」

布でくるんで胸元にしまいながら頷く。
この薬と僕の精が彼女の命をかろうじて繋ぎ止めている。どちらか一つでも断たれれたなら、彼女は――

「しかし、よく金が準備できるね。おかげでこっちは贅沢三昧だがね」

銀貨三枚もあれば、一般の生活には困らない。僕は稼ぎのほとんどをこの薬のために充てていた。
惰性で国に使える職に就いたが、そうでなければ僕はとうに彼女を喪っていただろう。思えば、国に感謝したのはこの薬を買った時が初めてだった。

「そんなに大事かい、あの女」

下卑た笑いを浮かべているのだろう、見なくてもわかる。
背を向けたまま僕は再度、悪趣味な魚のカーテンを押し退けて扉に手をかけた。

憤りに背を押され、足早に家に帰ると、彼女は壁にもたれていた。扉を開ける音に気付いてこちらを見た彼女に微笑み、薬の入った瓶を手渡す。
彼女は瓶を包み込むようにして持ち、ありがとう、と口を動かす。声にはならないが、僕には充分すぎるほどに伝わっていた。

翌日、食事の準備をしていると聞きなれない音が届いた。
人間よりも遥かに速く地を駆ける蹄が乾いた音を立てて家の前で止まる。荒々しく扉を叩かれて僕らは身を竦めた。

「開けたまえ!」

居留守を使ってしまおうと決め、怯える彼女を抱きしめて一刻も早く立ち去ることだけを願った。
安い扉が悲鳴を上げ、彼女はただ僕にしがみつく。

諦めてくれ、お願いだ
僕らの幸せを壊さないでくれ
立ち去ってくれ、早く、早く、早く

扉を叩く音が消え、僕は安堵した。腕の中の彼女がそろそろと顔を上げる。
大丈夫だ、もう大丈夫。きっと今頃はどこか別の家に向かっているはずだ。

安心させようと微笑みかけた時、扉が突き破られた。
外の光が射し込み、金属の擦れる音を立てて屈強な男たちが乗り込んでくる。一際目立つ、立派な階級章を付けた見覚えのある男が指示を出し、部下が彼女の腕を掴んだ。

「やめろ!」

掴み掛かった僕を殴り飛ばし、部下は彼女を引き摺り男の前に差し出す。
男は彼女の顎を掴み上向けて「間違いないな」一言呟くと、暴れる彼女を容易く拘束した。

「彼女を離せ!」

立ち上がろうとしたが足に力が入らず、崩れるように床に膝をつけた。
それを見た男は彼女を後手に拘束したまま僕の目の前に立ち、

「無駄なことは止せ」

同情と哀れみの混じる低い声音で諦めろ、と告げた。
彼女の細く、白い足が爪先立ちになっているのが目に入る。

「美しいままで留めようというのだ、この女とて本望だろう。
 何より国王の勅命だ。覆すことは不可能、わかっているだろう」

わかっている、そんなことは。
だからといって、彼女を失うことは耐えられない。剥製になんてさせやしない。

睨み上げた先の男の表情はなかった。
身動きの取れない彼女は泣いている。
溢れる涙は床に落ち、古い木の色を少しだけ濃くした。

不意に彼女は微笑む。涙の滲む瞳に浮かぶ決意の色にまさか、と思った僕が叫ぶ前に、彼女は口を開く。

「愛しているわ」

花開く微笑。懐かしい彼女の声。
彼女がまだ海で暮らしていた頃に聞いた、あの声。

その声は部屋の静寂に吸い込まれ、彼女は微笑みを残したまま泡へと姿を変えていく。
必死に伸ばした僕の手がたった一つだけ受け止めたそれは、僅かに揺れるとはじけて消えた。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

三文物書へな書庫を 更新情報

三文物書へな書庫をのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング