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ふくたん日記集コミュの【教育】ヤク中で死んだ歌手の話

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■ 原典 ■ (※ マイミクさん以外はアクセスできません)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=414210304&owner_id=1065767


■ 以下 2007年04月25日11:26 作成の日記本文を転載 ■


尾崎豊が亡くなって25日で15年。若い世代の反抗と苦悩を描き、
いかに生きるべきかを探し続けた歌は、いまや教科書にも登場する。
「若者たちの教祖」「10代の代弁者」といった従来のイメージ
から変化が見られる一方、肝心の若者たちの心にその歌は届いて
いるのだろうか。彼の歌がわたしたちの胸を打つのは、彼が自分に
ついて問い続けたからだろう。教育出版発行の高校の倫理教科書に、
「僕が僕であるために」「永遠の胸」などの歌詞の一節とともに、
尾崎はそう紹介されている。

〈盗んだバイクで走り出す〉(「15の夜」)、
〈夜の校舎 窓ガラス壊してまわった〉(「卒業」)。

社会へのいらだちを過激につづった歌詞は教育現場にそぐわない
ように見えるが、意外にも「現場の教師から、自己の生き方を
模索する代表例と勧められた」と教育出版の担当者は言う。
教科書の監修に携わった大阪の府立高校教諭、堀一人さん(53)は
「反抗の歌と思われるがテーマはむしろ他者との関係の中での
アイデンティティーの問題だ」と話す。

〈人は誰も縛られたかよわき小羊ならば
先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか〉。

窓ガラスを壊す一節が注目されがちな「卒業」だが、学校や教師
との単純な対立軸に回収しきれない戸惑いこそがこの曲の魅力を
作り出している。

尾崎の歌が、いくつかの倫理の教科書に登場したのは03年。
堀さんはその少し前から、積極的に尾崎の考え方を授業で
採り上げてきたが、最近は減らしている。
「彼の歌に生徒たちが実感を持てなくなってきた」のが理由だ。

「学生の反応は年を追うごとに悪くなっている」と精神科医の
香山リカさん(46)も言う。00年ごろから大学の授業で「卒業」
などを聴かせている。最近は否定的な感想が目立つ。
「周りに迷惑をかけるのは間違い」
「大人だって子供のことを思っているのに反発するのはおかしい」。
体制や大人に反抗するのはいかがなものかという声だ。
香山さんは「成長プロセスにおける仮想敵だったはずの親や先生の
善意を屈託なく信じている」と首をかしげる。どんな価値観の変化が
あるのか。香山さんは「反発したり、知りすぎたりすると損をする。
損得勘定が判断の基準になっている」と分析する。他者や社会との
関係で揺れ、傷つく姿を歌ってきた尾崎の歌とは対照的な考え方。
彼の実人生に対しては、こんな感想さえあった。「容姿にも才能
にも恵まれているのに変に反抗して、早く死んだのはバカだ」
学校や親への反抗、自分という存在についての不安。
尾崎が歌ってきたのは、若者にとって普遍と思われるテーマ
だったはずなのに、嫌悪にも似た反感が生じている。

尾崎の生涯を描いた著書がある作家吉岡忍さん(58)は
「彼の歌は、内面に深く食い込んできて、いまの若い人にとって
触ってほしくないところに及ぶ。現状に適応してトラブルなく
日々を過ごすことに価値を置くと、そこに気づきたくないのだろう」
と語る。

身近な人間関係に敏感過ぎるほど敏感といわれる現在の若者達にとって
〈友達にさえ強がって見せた 時には誰かを傷つけても〉(「卒業」)
と歌う尾崎は余りにも重すぎるのだろうか。

それでも、その影響は消えたわけではない。
96年発売のベスト盤は約170万枚売り、いまなお年10万枚程度
売れ続けている。ミスチルらが参加したトリビュート盤(04年)
の影響もあってか、10代のファンも増えてはいるという。

いま尾崎を聴くことの意味は何だろう。
吉岡さんは「メッセージをそのまま受け入れる必要はない」と言う。
そのうえで、何げない日常の、ある情景を鮮やかに切り取り、
世の中を違った風に見せた彼の「手法」を高く評価する。
「漠然と状況に流され、追従するのでなく、自分とその周りの
社会や世界を見るために、彼の手法の大切さは感じてもらいたい」




という記事が朝日新聞の論説に載った。
まぁ、馬鹿馬鹿しい限りであるが、朝日が思う「尾崎世代」とは、
きっと私たち30代後半付近なのだから、言っておこうと思う。

当時、リアルに尾崎を聞いていたという人間は、少なくとも私の
周囲には少なかった。まぁ、当たり前である。私の通う学校は、
札幌南高校である。お金持ちのご子息・ご令嬢が中心で、成績優秀。
「世の中への不満?何それ?」という学校で、当時はバブルが
膨らみ始めており、経済的にも豊かなものであった。
制服着用の義務が無かったために、女子生徒の一部は高級な服に
身をまとい、女子大生ブームで言われた「ワンレン・ボディコン」
の姿をした女子高生が校内を闊歩するのだ。運動靴だけど(爆笑)

「若者たちの教祖」「10代の代弁者」と朝日は言うが、本当か?
当時の音楽シーンを考えてみると、氷室と布袋という二人の天才が、
一つのバンドに存在するという幸せな時代であり、ロックから
ポップに転じても、商業主義に陥る前の小室が居て、だいたい、
世の中を下から見上げて文句を言おうなんて風潮じゃなかっただろ。

それから数年経過して、自分をグルと呼ばせる本当の「教祖」が
サリンをばら撒いたりしていたが、尾崎が若者の教祖とは笑わせる。

「彼の歌に実感を持てなくなってきた」と教師は言うが、そもそも、
倫理の教師の言うことなんて、受験にも関係ないし、初めから
聞いちゃいないってことを自覚したほうが良い。みーんな寝てるか、
ケータイいじってるか、内職で英語か数学の勉強をしておるのだよ。
そしてそんな難しいことを考えたくも無い多くのバカは、大人に
反抗することよりも、晩飯のオカズや、セックスのことを考え、
ヤニ切れたぁ辛いわぁーー とイライラしているんだよ。

そんなバカでさえも「自分一人の問題である喫煙や飲酒や、
自分と相手の問題であるセックスには、大人と同等の自由が
欲しいけど、バイクを盗んだり、窓を割る奴はキチガイだよね」
ってことを理解しているんだわな。かなりマトモじゃん。

精神科医が言うには「成長プロセスにおける仮想敵だったはずの
親や先生の善意を屈託なく信じている」とそうだが、ガキの人権を
拡大解釈しちゃって、親や先生が必要以上に子どもに迎合したから
もう子どもにとって親も先生も「敵」ではなくて、都合の良い存在に
成り下がってしまったのだよ。しかしながら社会というものは、
「敵」を仮想してでも、それに対する対立感情によって結束する
ということが集団としての力を作るので、子どもたちが結果的に
生み出したのが「いじめ」なんじゃないのかね?

教師でも、近所のオヤジでも、恐ろしい先輩でも、オバケでも、
とにかく何であっても、戦う敵が存在していて、それに立ち向かう
という姿勢、そのために協力する必要性が、今の子どもには無い。

なので、簡単に倒せそうな「弱者」を「敵」に見立てて、つぶす。

言わば、この時代を表す代弁者はブルーハーツになっていたのかも
しれないね。
「弱いものたちが、夕暮れ、さらに弱いものを叩く」


「容姿にも才能にも恵まれているのに変に反抗して、早く死んだ
のはバカだ」と、前途有望な医学部の学生が言うのは当然だろ。
尾崎が歌ってきたのは、若者にとって普遍と思われるテーマ
なんかではなく、ただの個人的な考えに過ぎない可能性もあり、
それについて一部の人間が熱狂的に支持しただけのことであり…

それを学生紛争の残党たちが、自分の心にくすぶっている、
今の若者が蜂起しないことへの苛立ちを表現するのに利用している
ようにしか、この記事は解釈できないように思うけど。

そして朝日がこうして引用するほど… さらに尾崎は嫌悪される。
朝日の道具にされちゃー いくらなんでもかわいそうだな。

だから、元々の本物の尾崎ファンが居るのなら、こういう論説には
強く抗議しても良いだろう。ただ、朝日は、本物の尾崎ファンには
抗議をする気力も何も無いことを承知の上で、こんな論説を世に
送り出したとも思えるけどね。

また、その手に乗らないくらい、読者は賢く、ブンヤが幼稚になった。
だから朝日の言うことなんて、もう放置でいいんじゃない?
って風潮も最近生れてきてないか?
これもある意味、これが社会の成熟なのかもしれんわな。


少なくとも、自分にとっては・・・

カラオケで尾崎のアイラブユーを歌って、目の前のおねぇちゃんが、
パンツを濡らせば、それで良い。その程度の存在でしかない。
そんなもんだろ、歌なんて。

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