ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

池田晶子の哲学エツセイを継ぐコミュの夏目漱石クラッシックシリーズ

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
夏目漱石(そうせき)著『道楽と職業』
 本名:夏目 金之助
1876年―1916年(享年40歳)


唯(ただ)今は牧君の満州問題─満州のの過去と未来というような問題に就(つ)いて、大変条理(じょうり)の明かな、そうして秩序(ちつじょ)のよい演説がありました。

そこで牧君の披露(ひろう)に依(よ)ると、其(そ)のあとへ出る私は一段と面白い話をするというようになって居るが、なかなか牧君のように旨(うま)く出来ませぬ。
殊(こと)に秩序が無からうと思う。

唯今本社の人が明日の新聞に出すんだから、講演(こうえん)の梗概(こうがい)を二十行ばかりにつづめて書けという注文でしたが、それは書けないと言って断(ことわ)った位(くらい)です。

それじゃア饒舌(しゃべ)らないかというと、現に斯(こ)うやって饒舌りつつある。饒舌る事はあるのですが、秩序とか何とか云う事が、ハッキリ句切(くぎ)りが附(つ)いて頭に畳(たた)み込んでありませぬから、或いは前後したり、混雑したり、いろいろお聴(き)きにくい所があるだろうと思います。殊(こと)にあなた方の頭も大分労(つか)れておいででしょうから、先ず成るべく短く申そうかと思う。

 私の申すそは少しもむづかしいことではありません。満州とか安南とかいふ対外問題とは違って極(きわ)めてやさしい「道楽と職業」といふ至極(しごく)簡単なみだしです。内容も従(したが)って簡単なものであります。まあそれを一寸僅(ちょっとわず)かばかり御話をしやうと思ふ。

元来こんな所へ来て講演をしやうなどとは全く思ひもよらぬことでありましたが、「是非出て来い」という斯(こ)ういふ訳で、それでは何か問題を考えなければならぬから其(その)問題を考へなければならぬから其問題を考へる時間を与えて呉(く)れと言ひましたら、社の方では宜(よろ)しいと云って相応(そうおう)の日子(にっし)を与(あた)えて呉れました。

ですから考へて来ないといふことも言へず、出て来ないといふことも無論(むろん)言へず、それでとうとう此所(ここ)へ現はれる事になりました。
けれども明石(あかし)という所は、海水浴をやる土地とは知って居(い)ましたが、演説をやる所とは、昨夜到着するまでも知りませんでした。どうしてああいう所で講演会を開く積(つ)もりか、一寸(ちょっと)その意を得るに苦しんだ位(くらい)であります。ところが来て見ると非常に大きな建物があって、彼処(あそこ)で講演をやるのだと人から教えられて始めて尤(もっとも)だと思いました。成程(なるほど)あれ程(ほど)の建物を造(つく)ればその中で講演をする人を何処(どこ)からか呼ばなければ所謂(いわゆる)宝の持腐(もちぐされ)になるばかりでありましょう。したがって西日がカンカン照って暑くはあるが、折角(せっかく)の建物に対しても、あなた方は来て見る必要があり、また我々は講演をする義務があるとでも言おうか、まアあるものとしてこの壇上(だんじょう)に立った訳である。
 そこで「道楽と職業」という題。道楽と云いますと、悪い意味に取るとお酒を飲んだり、または何か花柳(かりゅう)社会へ入ったりする、俗(ぞく)に道楽息子と云いますね、ああいう息子のする仕業(しわざ)、それを形容(けいよう)して道楽という。けれども私のここで云う道楽は、そんな狭(せまい)意味で使うのではない、もう少し広く応用の利(き)く道楽である。善(よ)い意味、善い意味の道楽という字が使えるか使えないか、それは知りませぬが、だんだん話して行く中(うち)に分るだろうと思う。もし使えなかったら悪い意味にすればそれでよいのであります。道楽と職業、一方に道楽という字を置いて、一方に職業という字を置いたのは、ちょうど東と西というようなもので、南北あるいは水火、つまり道楽と職業が相闘(たたかう)ところを話そうと、こういう訳である。すなわち道楽と職業というものは、どういうように関係して、どういうように食い違っているかということをまず話して――もっともその道楽も職業も、すでに御承知のあなた方にそういう事を言う必要もなし、私も強(し)いてやりたくはないが、しかし前(ぜん)申したような訳でわざわざ出て来たものだから、そこはあなた方にすでに御分(おわかり)になっている程度以上に、一歩でももう少し明かに分らせることが、私の力でできればそれで私の役目は済(す)んだものと内々たかを括(くく)っているのであります。
 夫(それ)で我々は一口によく職業と云いますが、私此(こ)の間も人に話したのですが、日本に今職業が何種類あって、それが昔に比べてどの位いの数に殖(ふ)えて居(い)るかということを知って居る人は、恐(おそ)らくらく無いだろうと思う。現今の世の中では職業の数は煩雑(はんざつ)になって居る。私は曾(かつ)て大学に職業学という講座を設けてはどうかということを考えた事がある。建議(けんぎ)しやしませぬが、唯(ただ)考えたことがあるのです。何故(なぜ)だというと、多くの学生が大学を出る。最高等の教育の府を出る。もちろん天下の秀才が出るものと仮定しまして、そうしてその秀才が出てから何をしているかというと、何か糊口(ここう)の口がないか何か生活の手蔓(てづる)はないかと朝から晩迄(まで)捜(さが)して歩いて居る。天下の秀才を何かないか何かないかと血眼(ちまなこ)にさせて遊ばせておくのは不経済の話で、一日遊ばせておけば一日の損(そん)である。二日遊ばせておけば二日の損である。ことに昨今のように米価の高い時はなおさらの損である。一日も早く職業を与えれば、父兄も安心するし当人も安心する。国家社会もそれだけ利益を受ける。それで四方八方良いことだらけになるのであるけれども、その秀才が夢中に奔走(ほんそう)して、汗をダラダラ垂(た)らしながら捜しているにもかかわらず、いわゆる職業というものがあまり無いようです。あまりどころかなかなか無い。今言う通り天下に職業の種類が何百種何千種あるか分らないくらい分布配列されているにかかわらず、どこへでも融通(ゆうずう)が
利(き)くべきはずの秀才が懸命に駆(か)け廻っているにもかかわらず、自分の生命を託(たく)すべき職業がなかなか無い。三箇月も四箇月も遊んでいる人があるのでこれは気の毒だと思うと、豈計(あにはか)らんやすでに一年も二年もボンヤリして下宿に入ってなすこともなく暮しているものがある。現に私の知っている者のうちで、一年以上も下宿に立て籠(こも)って、いまだに下宿料を一文も払わないで茫然(ぼうぜん)としている男がある。もっとも下宿の方でも信用しているから貸しておくし、当人もどうかなるだろうと思って安心はしているらしいが国家の経済からいうとずいぶん馬鹿気た話であります。私も多少知っている間柄(あいだがら)だから気の毒に思って、職業は無いか職業は無いかぐらい人に尋ねて見るが、どこにもそう云う口が転がっていないので残念ながらまだそのままになっています。

けれども今言う通り職業の種類が何百通りもあるのだから、理窟(りくつ)から云えばどこかへぶつかってしかるべきはずだと思うのです。ちょうど嫁を貰うようなもので自分の嫁はどこかにあるにきまってるし、また向うでも捜しているのは明らかな話しだが、つい旨(うま)く行かないといつまでも結婚が後(お)れてしまう。

それと同じでいくら秀才でも職業にぶつからなければしようがないのでしょう。だから大学に職業学という講座があって、職業は学理的にどういうように発展するものである。またどういう時世にはどんな職業が自然の進化の原則として出て来るものである。

と一々明細に説明してやって、例えば東京市の地図が牛込区とか小石川区とか何区とかハッキリ分ってるように、職業の分化発展の意味も区域も盛衰(せいすい)も一目の下に暸然会得(りょうぜんえとく)できるような仕かけにして、そうして自分の好きな所へ飛び込ましたらまことに便利じゃないかと思う。

まあこれは空想です。実際やって見ないから分らぬが、恐らくできますまい。できたらよかろうと思うだけです。非常に経済なことにはなるでしょう。
 

こんな考を起すほどに私は今の日本に職業が非常にたくさんあるし、またその職業が混乱錯雑(こんらんさくざつ)しているように思うのです。現にこの間も往来(おうらい)を通ったら妙な商売がありました。

それは家とか土蔵(どぞう)とかを引きずって行くという商売なんだから私は驚いたのであります。この公会堂をこのまま他の場所へ持って行くという商売です。

いくら東京に市区改正が激しく行われたって、そう毎年建てたばかりの家の位置を動かさなければならぬというように変化していやアしない。現に私の家などは建った時から今日まで市区改正に掛らずにいる。

ほよど辺鄙(へんぴ)な所にあるのだからでしょう。けれどもたとい繁華(はんか)な所にいたって、そう始終(しじゅう)家を引ッ張ッてッて貰わなければならぬという人はない。しかるにそれを専門に商売にしている者があるから、東京は広いと思ったのです。

馬琴(ばきん)の小説には耳の垢(あか)取り長官とか云う人がいますが、他(ひと)の耳垢(みみあか)を取る事を職業にでもしていたのでしょうか。西洋には爪を綺麗(きれい)に掃除したり恰好(かっこう)をよくするという商売があります。

近頃日本でも美顔術といって顔の垢(あか)を吸出して見たり、クリームを塗抹(とまつ)して見たりいろいろの化粧をしてくれる専門家が出て来ましたが、ああいう商売はおそらく昔はないのでしょう。今日のように職業が芋(いも)の蔓(つる)みたようにそれからそれへと延(の)びて行っていろいろ種類が殖(ふ)えなければ、美顔術などという細かな商売は存在ができなかろうと思う。もっとも昔はかえって今にない商売がありました。

私の幼少の時は「柳の虫や赤蛙(あかがえる)」などと云って売りに来た。何にしたものか今はただ売声だけ覚えています。それから「いたずらものはいないかな」と云って、旗を担(かつ)いで往来を歩いて来たのもありました。子供の時分ですからその声を聞くと、ホラ来たと云って逃げたものである。よくよく聞いて見ると鼠取(ねずみと)りの薬を売りに来たのだそうです。鼠のいたずらもので人間のいたずらものではないというのでやっと安心したくらいのものである。

そんな妙(みょう)な商売は近頃とんと無くなりましたが、締括(しめくく)った総体の高から云えば、どうも今日の方が職業というものはよほど多いだろうと思う。

単に職業に変化があるばかりでなく、細かくなっている。現に唐物屋(とうぶつや)というものはこの間まで何でも売っていた。

襟(えり)とか襟飾りとかあるいはズボン下、靴足袋(くつたび)、傘(かさ)、靴、たいていなものがありました。

身体(からだ)へつけるいっさいの舶来品(はくらいひん)を売っていたと云っても差支(さしつかえ)ない。

ところが近頃になるとそれが変ってシャツ屋はシャツ屋の専門ができる、傘屋は傘屋、靴屋は靴屋とちゃんと分れてしまいました。

靴足袋屋(くつたびや)……これはまだ専門はできないようだが、今にできるだろうと思います。現に日本の足袋屋は専門になっています。

十文のをくれと云えば十文のをくれる、十一文のをくれろと云えば十一文のをくれる。私が演説を頼まれて即席に引受けないのは、足袋屋みたいにちょっと出来合いがないからです。

どうか十文の講演をやってくれ、あそこは十一文甲高(こうだか)の講演でなければ困るなどと注文される。そのくらいに私が演説の専門家になっていれば訳はありませんが私の御手際(おてぎわ)はそれほど専門的に発達していない。


素人(しろうと)が義理に東京からわざわざ明石辺までやって来るというくらいの話でありますから、なかなかそう旨(うま)くはいきませぬ。

足袋屋はさておいて食物屋(たべものや)の方でもチャンとした専門家があります。例えば牛肉も鳥の肉も食わせる所があるかと思うと、牛肉ばかりの家(うち)があるし、また鳥の肉でなければ食わせないという家もある。

あるいはそれが一段細かくなって家鴨(あいがも)よりほかに食わせない店もある。しまいには鳥の爪だけ食わせる所とか牛の肝臓だけ料理する家ができるかも知れない。分れて行けばどこまで行くか分りません。

こんなに劇(はげ)しい世間だからしまいには大変なことになるだろうと思う。とにかく職業は開化が進むにつれて非常に多くなっていることが驚くばかり眼につくようです。

ところがこれは当り前のことで学問の研究の上から世の中の変化とでも云いましょうか、漠然(ばくぜん)たる社会の傾向とでも云いましょうか、必然(ひつぜん)の勢(いきおい)そういうように割れて細かになって来るのであります。

これは何も私の発明した事実でも何でもない、昔から人の言っていることであります。昔の職業というものは大まかで、何でも含んでいる。

ちょうど田舎(いなか)の呉服屋みたいに、反物(たんもの)を売っているかと思うと傘を売っておったり油も売るという、何屋だか分らぬ万事いっさいを売る家というようなものであったのが、だんだん専門的に傾(かたむいて)いていろいろに分れる末はほとんど想像がつかないところまで細かに延びて行くのが一般の有様と行って差支(さしつかえ)ないでしょう。

ところでこの事実をずっと想像に訴えて遠い過去に溯(さかのぼ)ったらどうなるでしょう。あるいは想像でも溯れないかも知れないけれども、この事実の中(うち)に含まれている論理(ろんり)の力で後ろの方へ逆行(ぎゃくこう)したらどんなものでしょう。

今言う通り昔は商売というものの数が少なかった。職業の数が少なくって、世間の人もそのわずかな商売をもって満足しておったという訳なのだから、あるいは傘(かさ)を買いに行っても傘がない、衣物(きもの)を買いに行っても衣物がないという時代がないとも限らない。

私はかつて熊本におりましたが、或る時灰吹(はいふき)を買いに行ったことがある。ところが灰吹はないと云う。熊本中どこを尋(たず)ねても無いかと云ったら無いだろうと云う。じゃ熊本では煙草(たばこ)を喫(の)まないか痰(たん)を吐かないかというと現に煙草を喫んでいる。それでは灰吹はどうするんだと聞くと、裏の藪(やぶ)へ行って竹を伐(き)って来て拵(こしら)えるんだと教えてくれました。

裏の藪から伐(き)って来て、青竹の灰吹で間に合わしておけばよいと思っているところでは灰吹は売れない訳である。したがって売っているはずがないのである。そういう風に自分で人の厄介にならずに裏の藪へ行って竹を伐って灰吹を造るごとく、人のお世話にならないで自分の身の囲(まわ)りをなるべく多く足(た)す、また足さなければならない時代があったものでしょう。

さてその事実を極端(きょくたん)まで辿(たど)って行くと、いっさい万事自分の生活に関した事は衣食住ともいかなる方面にせよ人のお蔭(かげ)を被(こうむ)らないで、自分だけで用を弁(べん)じておった時期があり得るという推測(すいそく)になる。

人間がたった一人で世の中に存在(そんざい)しているということは、ほとんど想像もできないかも知れないし、またそこまで論理を頼りに推詰(おしつめ)て考える必要もない話ですが、そこまで行かないとちょっと講話(こうわ)にならないから、まあそうしておくのです。すなわち誰のお世話にもならないで人間が存在していたという時代を思い浮べて見る。

例えば私がこの着物を自分で織(お)って、この襟(えり)を自分で拵(こしら)えて、総(すべ)て自分だけで用を弁じて、何も人のお世話にならないという時期があったとする。また有ったとしてもよいでしょう。そういう時期が何時(いつか)あったらどうするという意味ではないが、まああると仮定(かてい)して御覧(ごらん)なさい。

そうしたらそういう時期こそ本当の独立独行(どくりつどっこう)という言葉の適当に使える時期じゃないでしょうか。人から月給を貰う心配もなければ朝起きて人にお早うと言わなければ機嫌(きげん)が悪いという苦労もない。生活上寸毫(すんごう)も人の厄介(やっかい)にならずに暮して行くのだから平気なものである。人にすくなくとも迷惑をかけないし、また人にいささかの恩義(おんぎ)も受けないで済(す)むのだから、これほど都合の好いことはない。そういう人が本当の意味で独立した人間といわなければならないでしょう。

実際我々は時勢(じせい)の必要上そうは行かないようなものの腹の中では人の世話にならないでどこまでも一本立でやって行きたいと思っているのだからつまりはこんな太古の人を一面には理想として生きているのである。けれども事実やむをえない、仕方がないからまず衣物(きもの)を着る時には呉服屋の厄介になり、お菜(さい)を拵える時には豆腐屋の厄介になる。

米も自分で搗(つ)くよりも人の搗いたのを買うということになる。その代りに自分は自分で米を搗き自分で着物を織ると同程度の或る専門的の事を人に向ってしつつあるという訳になる。私はいまだかつて衣物を織ったこともなければ、靴足袋(くつたび)を縫ったこともないけれども、自ら縫わぬ靴足袋、あるいは自ら織らぬ衣物の代りに、新聞へ下らぬ事を書くとか、あるいはこういう所へ出て来てお話をするとかして埋合(うめあわせ)せをつけているのです。

私ばかりじゃない、誰でもそうです。するとこの一歩専門的になるというのはほかの意味でも何でもない、すなわち自分の力に余りある所、すなわち人よりも自分が一段と抽(ぬき)んでている点に向って人よりも仕事を一倍にして、その一倍の報酬に自分に不足した所を人から自分に仕向けて貰って相互の平均を保ちつつ生活を持続するという事に帰着する訳であります。それを極(ごく)むずかしい形式に現わすというと、自分のためにする事はすなわち人のためにすることだという哲理をほのめかしたような文句になる。これでもまだちょっと分らないなら、それをもっと数学的に言い現わしますと、己(おのれ)のためにする仕事の分量は人のためにする仕事の分量と同じであるという方程式が立つのであります。

人のためにする分量すなわち己のためにする分量であるから、人のためにする分量が少なければ少ないほど自分のためにはならない結果を生ずるのは自然の理であります。これに反して人のためになる仕事を余計すればするほど、それだけ己のためになるのもまた明かな因縁(いんねん)であります。この関係を最も簡単にかつ明暸(めいりょう)に現わしているのは金ですな。つまり私が月給を拾五円なら拾五円取ると、拾五円方(がた)人のために尽しているという訳で取りも直さずその拾五円が私の人に対して為し得る仕事の分量を示す符丁(ふちょう)になっています。拾五円方人に対する労力を費す、そうして拾五円現金で入ればすなわちその拾五円は己のためになる拾五円に過ぎない。同じ訳で人のためにも千円の働きができれば、己のために千円使うことができるのだから誠に結構なことで、諸君もなるべく精出(せいだ)して人のためにお働きになればなるほど、自分にもますます贅沢(ぜいたく)のできる余裕を御作りになると変りはないから、なるべく人のために働く分別をなさるが宜しかろうと思う。


 もっとも自分のためになると云ってもためになり方はいろいろある。第一その中(うち)から税などを払わなければならない。税を出して人に月給をやったり、巡査を雇っておいたり、あるいは国務大臣を馬車に乗せてやったりする。もっとも一人じゃアこれだけの事はできませぬ、我々大勢で金を出してやるのですが、畢竟(ひっきょう)ずるにあの税などもやはり自分のために出すのです。国務大臣が馬車や自動車に乗って怪(け)しからんと言ったってそれは野暮(やぼ)の云う事です。我々が税を出して乗らしておいてやるので国務大臣のためじゃない、つまり己のためだと思えば間違はない。だから時々自動車ぐらい借りに行ってもよかろうと思う。税はそのくらいにしてこのほか己のためにするものは衣食住と他の贅沢(ぜいたく)費になります。それを合算(がっさん)すると、つまり銀行の帳簿のように収入と支出と平均します。すなわち人のためにする仕事の分量は取(と)りも直(なお)さず己のためにする仕事の分量という方程式がちゃんと数字の上に現われて参ります。もっとも吝(けち)で蓄(た)めている奴(やつ)があるかも知れないが、これは例外である。例外であるが蓄めていればそれだけの労力というものを後(あと)へ繰越(くりこ)すのだから、やはり同じ理窟(りくつ)になります。よくあいつは遊んでいて憎(にく)らしいとかまたはごろごろしていて羨(うらや)ましいとか金持の評判をするようですが、そもそも人間は遊んでいて食える訳のものではない。

遊んでいるように見えるのは懐(ふところ)にある金が働いてくれているからのことで、その金というものは人のためにする事なしにただ遊んでいてできたものではない。親父(おやじ)が額に汗を出した記念だとかあるいは婆さんの臍繰(へそくり)だとか中には因縁付(いんねんつ)きの悪い金もありましょうけれども、とにかく何らか人のためにした符徴(ふちょう)、人のためにしてやったその報酬(ほうしゅう)というものが、つまり自分の金になって、そうして自分はそのお蔭(かげ)でもって懐手(ふところで)をして遊んでいられるという訳でしょう。職業の性質というものはまあざっとこんなものです。







コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

池田晶子の哲学エツセイを継ぐ 更新情報

池田晶子の哲学エツセイを継ぐのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング