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ロットン、彼こそピストルズコミュのネバーマインド・ザ・ボロックス/レビュー集

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「Never Mind the Bollocks Here's the Sex Pistols」

1977年10月
ヴァージンレコード
プロデュース:クリス・トーマス

1.Holidays In The Sun
2.Bodies
3.No Feelings
4.Liar
5.God Save The Queen
6.Problems
7.Seventeen
8.Anarchy In The U.K.
9.Sub Mission
10.Pretty Vacant
11.New York
12.EMI Unlimited Edition
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<レビュー>
ロックンロールのユダ達へ〜セックス・ピストルズ評/

第一回ニュー・ルーディーズ・クラブ主宰“ロックン・ロールを我らの手に!”オムニバスCD企画で最優秀作に選ばれたトレインズの「ハダカの夜」は、僕が“一年半ほど前”にセックス・ピストルズの徹底的な洗礼を受けて作った曲である。

彼らのたった一枚のオリジナル・アルバム「ネバー・マインド・ザ・ボロックス」は遅れ馳せながら僕の音楽観(つまり人生観)を一変させた。当然僕が詞、曲等のイニシアチブをとっていたバンドの方向性もがらりと変わった。“今さら?”“セックス・ピストルズ?”というのが回りの大半の反応でバンドのメンバーも僕の唐突な路線変更に困惑し、6人のうち3人までが「ハダカの夜」をスタジオ録音した後、脱退した。それまでのトレインズはディランやストーンズを基本にした、やや黒っぽいロックン・ロールをその屋台骨としていたのだが、僕は突然それを受け付けなくなってしまったのである。

「昨日オレはみじめな気分だった。それでセックス・ピストルズを見に行ったら“王様のような気分”になって、未来に向かって進んで行こうって気になったんだ。」
(パンク・エクスプロージョン/キャロライン・クーン著:水上はるこ訳)

1976年当時、若きジョー・ストラマーはピストルズのギグを観た直後、ジャーナリストのキャロライン・クーンにこう語ったらしいが(ストラマーはこの後それまでやっていたリズム&ブルースのバンドを即時解散し、新進気鋭のパンク・バンド、ザ・クラッシュを結成する)、どうやらこのストラマーが言うところの“王様のような気分(にさせるもの)”こそがパンク・ロックの“核心”であろうと思われる。

セックス・ピストルズに傾倒した僕はピストルズやパンク・ロックに関する書籍、資料を手当たり次第に読み漁ったが、現時点でのいわゆる初期パンク・ロックへの評価は驚くほど低いと言わざるをえない。多いのはパンク・ロックの発生要因を当時のイギリスの切迫した社会状況のみに求めたもので、それはそれなりに意味があるとは思うが、それがパンク・ロックの全てであり、それ以外ないのだという論調には失笑を禁じ得ない。その他今聴くと単なるポップなロックン・ロールにすぎない、曲構成が単純、演奏が稚拙過ぎる、結局芸術的には何も残さなかった等、なぜか誰もがピストルズ、パンク・ロックを一時の流行として片付けたがっているようなのだ。こういった傾向は僕のようなパンクの新参者にとってはまことに不可解であった。

かりに、ピストルズ、パンク・ロックの意義を前述した範囲内にとどまるものと仮定してみよう。しかし、ならばどうして、“90年代”の“日本”でこの“僕”がある日突然、ピストルズの幻影に“徹底的に”イカれてしまったのであろうか。(僕は「アナーキー・イン・ザ・U.K.」のイントロのファンファーレと共に長年勤めたデザイン会社を辞め、好きな事をするための時間をより多く持てるアルバイトで糧を得るようになったし、前述した通り強引な路線変更で自分のバンドにも混乱を引き起こした。つまり、現実に僕の生活はピストルズの幻影によって大きく旋回させられた。)今や完璧に過去のものとなったはずのパンク・ロックが、20年近く経った今、僕に及ぼした影響力とはいったい何か。全ての疑問を時代的、地域的な考察に委ねたとしても、この単純にして最大の疑問がどうしても残ってしまう。

少し前に“パンク・リバイバル”的な風潮が少なからずあった。いくつかのその方面の雑誌が特集を組み、ジョニー・ロットンの異様な形相を載せた表紙が街の本屋に出現し少なからず人目を引いたり、女王をコケにしたジェイミー・リードのデザインを転写したハガキが女子高校生や、少なくとも二十歳前後までの若者達がひしめく雑貨屋に並んだりした。しかしそれが単なる懐古趣味でないことは明らかである。街を歩けば彼らがパンクを現在の路上でとらえ、自身の深いところで実践しようとしているのが見て取れる。彼らの、パンク・ロックの影響が色濃いニルヴァーナやグリーン・デイに対する圧倒的な支持もそれを証明している。つまり表層への顕れ方がリバイバルに見えただけであり、ありきたりな言い方だがパンク・ロックの精神はジョニー・ロットンが耳タブを安全ピンでブチ抜いて以来、彼が声高に宣言したようには決して“死なず”に、いや、正しくは“死”と“再生”を繰り返しながら、もっと言えば“何度も死ぬこと”によってある種の免疫性を獲得し、より“強力”に、街の雑踏の中で脈々と“生き続けて”いるのである。

結局ピストルズ、パンク・ロックに対する現在における酷評とは、今や路上をはるかに離れ、時代の枝葉末葉に照準を合わせ続けざるをえない宿命を背負った評論家達や、現世ご利益のみを求めたロックン・ロールのユダ達の“弁証法”にすぎないのではないか。
 
さて、すでにこの世の人ではないが、先ほど少し触れたニルヴァーナのフロント・マン、カート・コバーンについての興味深いエピソードがある。

「カートは林業の町の一般的な型にはまらない人間でした。彼を理解しない人達に彼は攻撃されたのです。ある日、カートが数ブロック先で喧嘩をしていると聞いて、駆け付けてみると喧嘩はすでに終わっていました。友人に聞いたところ、彼は250ポンド(約113?)のがっしりした木こりタイプの男に襲われたというのです。カートは明らかにやり返していませんでした。彼はゴロツキがあきらめるまで、殴られるたびに指を突き出すジェスチャーをして見せたのです。」
(病んだ魂/マイケル・アゼラッド著:竹林正子訳)

この逸話はカート・コバーンの個人的な資質をして正統なパンク・ロックの継承者であることを証明している(それが後天的に獲得したものにしろ)。おそらくここで見られるような、自身の“力”を限定するものとしての肉体に追従しない強烈な諧謔の精神こそがピストルズの演奏においてジョー・ストラマーを圧巻し、“王様のような気分”にさせたのであり、ピストルズを筆頭に、パンク・ロックが提示した全く新しい価値観とはまさに肉体とは逆方向に設定された、誰にでも(ヒ弱な肉体を超克して)勝利できる、という大いなる希望であった。

僕は小・中学、高校を通しておよそ運動の苦手な“ヒ弱な”生徒であった。少・青年期の一般的な価値観は、尾崎豊の歌の一節にもあるように“力だけが必要だとかたくなに信じて/自分がどれだけ強いか知りたかった(卒業)”というようなものであり、スポーツが得意でケンカが強いことが究極の理想であった。その中で“負”のジレンマを抱えたまま成長した僕が、かなり遅れてとはいえ前述したパンク・ロック的な美学に共鳴したのは至極当然なのである。しかし、実は問題はもっと大きい。誰にとっても肉体とは滅びゆくものであり、その自らの“生”を限定する現実すべてを凌駕しようとする精神的布石としてパンク・ロックは要請されたのではないか。

おそらくパンク・ロックにおいて肉体はすでに風化した、または腐敗したものであり、だから彼らのファッションはきらびやかに飾り立てるものでなく、また生活そのものでもない、“終焉”をイメージさせる一種独特のものとなったに違いない。パンク・ロックの象徴である穴だらけのシャツやズボンは、あたかも精神の強烈な放射によってボロボロになったかのようでさえある。

さて、話は別にそれてはいない。以上のようなことを僕にツラツラと考えさせた「ネヴァー・マインド・ザ・ボロックス」の意義は深い。また、あまり言われないことだが、このアルバムは“音楽的にも”かなり優れている。一曲一曲がバラエティーに富んでいて、どうでもいい曲など一つもない。このアルバムの曲がどれも同じに聴こえるような音楽バカは耳タブを取っぱらって耳の穴だけにしてしまったほうがいいのではないか、とさえ思う。そんな耳は“傾ける”資格などないからだ。
 
冒頭の続きだが「ハダカの夜」のどこがパンクなんだ?まさにトレインズの基本路線である“やや黒っぽいロックン・ロール”そのものではないか(実際オムニバスCDを買って確かめていただきたい)、なぜこの曲を録音した後にメンバーが脱退しなければならなかったのか、等と思われるかもしれないが、まず僕のバンド内での振る舞いが変わったのである。やや民主的であったバンド運営が完全な僕の独裁となった。つまり「ハダカの夜」の時点ではパンクのふるまい方のみを実践し曲づくりにまでは及ばなかったというところか。しかし歌詞的なアナーキズムは曲のそこかしこに顕れていて、それは「ネヴァー・マインド・ザ・ボロックス」に直結している。もちろんその後は曲調も徐々に殺伐としたものとなり現在に至っている。

ところで、第一回“ロックン・ロールを我らの手に!”最優秀作に贈られるはずのミキサー(MM-1)はいったい、いつもらえるのか(これはこの後、しばらく経って送られてきました。悪しからず)。それともこの企画じたい、“ザ・グレート・ロックン・ロール・スウィンドル”であったのか。説明を乞う。
 
 <P・S>
僕がこの拙文を記したのは今年(平成8年)の4月中旬のことである。まだピストルズ再結成のウワサはあくまで「まーた始まったかー」程度のオオカミ少年のウソの域を出ず実際にどこそこでライブをやるだの、ましてや来日するなどとは想像だに出来なかった。まさに青天の霹靂である。

件のピストルズ再結成に関しては賛否が渦巻いているが、実はこの問題は非常にややこしい。解散した過去の、例えばイーグルス等のビッグ・バンドが再結成する場合は、普通それを支持する感情は古き善き時代への“郷愁”だけで充分なのであるが、ピストルズのような、存在自体がロマンチシズムやノスタルジアに対峙することによって成立しているようなバンドでは再結成というイベントの意義そのものが、これまで拠り所にしてきた足場を崩されて浮き上がってしまうのである。

今回の再結成に対して激しい嫌悪感を示しているのは圧倒的にリアル・タイムでパンク・ウェーブを体験した、いわば最も真摯なパンクの信奉者という意味で僕が“パンク・ロックのユダ達(または、まったく同義で“ロックン・ロールのユダ達”)”と呼んでいる一群の人々である。

彼らはもちろんパンクのよき理解者であり、実践者でもあったが、僕が思うに彼らは大きな挫折を経験してひねくれてしまっている。つまり彼らはパンク・ロックが商業主義に取り込まれてしまったことに憤慨し(はっきり言っておくがそんなことはたいした問題ではない)、一方では自分の人生においてパンクを実践したいと切望しつつ不可避的に社会に取り込まれざるをえなかった現実に対する嫌悪を親元であるパンクに投影し、出来もしないことをそそのかしたパンクを弁証法的に遠ざけたのである。ことに日本のオールド・パンクス達は一種独特の演歌的な自虐心でもって、(表向きはジョン・ライドンの仰せに従って)パンク・ロックの最も基本的な価値観を抹殺した。

実際彼らはまさに裏切られたと感じたユダの如く、奇跡を起こせなかったパンク・ロックをポップスやプログレに売り渡し、ニュー・ウェーブと呼ばわせしめ、残ったものを己が自我のショーケースの中に陳列してしまった。つまり彼らはパンクの概念を幻想の中に封印し、現実味のない理想主義的なものにしてしまったのである。

本稿でも述べたようにパンク・ロックの核心とは自己を限定しようとするあらゆる条件を超克して勝利しようとする、つまり何でもいいからとにかく自分以外の存在を凌駕し尽くすことを生命体として意志せよという、誰もが根本的には持っているであろう生物学的な“原”衝動の拡大、促進にあった。セックス・ピストルズ、パンク・ロックの長期にわたる文脈の中で、1996年現在、“今”“ここ”でその核心を取り出して利用し、自身の強力な“生”を楽しんでいる奴ら、例えば街中で傍若無人にふるまう女子高生やコンビニ前にたむろして騒いでいる、Tシャツにカーゴパンツ姿の若いの、テレクラやインターネットを100%利用して遊びまくるアナーキスト達こそが未来なのであり、ジョニー・ロットンの言っていた通り、それ以外には“未来はない”。ピストルズ再結成というフェイクはパンク・ロックのユダ達を淘汰する“踏み絵”として機能しているらしい。

最後に、僕はあたかもパンク・ロック=(イコール)セックス・ピストルズであるかの如き書き方をしてきたがその通り、単に“僕にとって”というだけではなく、ロック史全体から見ても、パンクの発生から現在に至るまでの影響力、普遍性、どれを取ってもそうとしか言いようがあるまい。パンク・ロックとはセックス・ピストルズのことである。(かろうじて幾つかの他のバンドもその中に数え上げることにしてはいるが)

セックス・ピストルズはパンクではない、といった主張をよく耳にするが笑止千万である。あなたは、例えば「アインシュタインの相対性理論は間違っていた」といった類のバカッ本をご存じだろうか。僕は読むのはもちろん、手に取ってみたこともない。読まずとも中身は知れているからだ。

<さらにP・S>
話はもっと簡単でもいい。僕は歴史上の有名人、例えば織田信長なんかを実際に観てみたいのと同じレベルでピストルズの実物を観てみたいのだ。

※ニュールーディーズクラブvol.13/1996-autumn

(レビュアー:ウッディー)
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英国労働者階級の完璧なロック。/

1970年代ロンドンパンク・ムーヴメントの金字塔であり、セックス・ピストルズの唯一のアルバム。アルバム発表当時、ピストルズはそのスキャンダラスな言動が注目され、多くのシングル曲が放送禁止になった。しかしこのアルバムは予約の時点で10万枚を超えている。スキャンダラスだとか、歌詞が過激だとかではじき出せる数字ではない。彼らは何より信じられないビートを奏でるバンドだったのだ。週末のクラブにピストルズが出演すると、観客の退屈な日々は一瞬でかききえた。シェイクスピアのリア王のようなヴォーカルのジョニー・ロットンが"I am an Anti-Christ!"と絶叫すれば、明日にもロンドンで革命が起こりそうだった。観客は夢中で飛びはねた。ピストルズも夢中で演奏した。ステージ上の彼らは、退屈な日々と自分たちとを笑いとばせるビートとユーモアできらきらしていた。そう、彼らは週末の最高のエンターティナーだったのだ。だからみんながピストルズのファンになったのだ。このアルバムにもちろんバラードはないし、陰影とか深みとか、そんなのは全くない。ただただあつかましくて、生意気で、シンプルな切迫感だけがビートに乗ってまき散らされているばかりだ。シンプルな切迫感。これこそロックの一つの本質ではないだろうか?ピストルズはそれをつかむことができたバンドだった。
(レビュアー:deae_prudence/Amazon.co.jpより転載)
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あらゆる意味で革新的だった。/

ハード・ロック、プログレッシヴ・ロックの出現により、テクニックを誇示し、音楽的な理論ばかりが先行してしまったロック・シーンに対しての不満が頂点に達した70年代後半に登場したセックス・ピストルズは、あらゆる意味で革新的だった。音楽の知識や楽器のテクニックをまったく必要としない暴力的で性急なバンド・サウンド、メジャのレコード会社、政府からロイヤル・ファミリーまでを揶揄(やゆ)・攻撃する命知らずのリリック、ビリビリに切り裂いた洋服を安全ピンで留めるファッション、短くカットされツンツンに立てられたヘア・スタイル、テレビ番組に泥酔状態で出演、「FUCK」を連発するというデタラメな態度。彼らが体現した「パンク・ロック」は、当時の音楽シーンに凄まじい衝撃を与えると同時に、80年代以降のロックのあり方を決定した、きわめて重要な出来事だったのだ。本作は、セックス・ピストルがこの世に残した唯一のオリジナル・アルバム。パンクのテーマソングともいえる<8>、放送禁止にもかかわらず全英2位を記録した<5>。そのすべてが伝説だ。
(レビュアー:森朋之/Amazon.co.jpより転載)
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オリジナルパンク、オリジナル怒。/

ピストルズのほかにパンクなしといわしめたアルバム。NIRVANAのカートコバーンも熱中し焼き尽くされた。人としてただしい怒り方がわかる。常に花火のようにちってしまうパンクイズム。しかしそれだけにかぎりなく美しい。
(レビュアー:swindol/Amazon.co.jpより転載)
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フォーピースロックの頂点。/

パンク特集を組めば、イの一番に挙がる一枚。音だけで言えば、現代の価値観からすると、とっても全うなロックアルバムに聞こえるはず。ボーカル、ギター、ベース、ドラムのオーソドックスな編成で演奏した怒れる若者の音がパッケージされています。このバンドの一番良いところは、日本人からしてみれば、バンド名じゃないでしょうか。
(レビュアー:bakkenrecord/Amazon.co.jpより転載)
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バンド名から敬遠すると一生の損!/

バンド名から「胡散臭そうだな!?一発屋じゃないの?」との先入観・偏見が、まずあった。が、BUT聴いてビックリ!ショックを受けた音楽体験の数少ない作品の1つ。「世代を超える名盤」で、全曲今でも覚えてる。K..クリムゾン・EL&PからD.ボウイ・R.ミュージックなどを聴いていた自分が驚いたのだから…。「バンド名から敬遠すると一生損をする!」ロック史上(パンク史上じゃないぞ!)に残る『エッポクメイキングで凄い作品』と絶対保障。ロック名盤を選べと言われれば「ベスト20」にはまず入るでしょう。(ベスト30なら誰でも必ず選らぶ)
(レビュアー:muscularbrainxymale/Amazon.co.jpより転載)
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パワフルな音。/

単純に、演奏から伝わってくるエネルギーがすばらしい。プロデュースの巧みさに感心する。あれだけヘタクソな演奏がすごくROCKに聞こえてしまう。ジョニーがピストルズ解散後に結成したPUBLIC IMAGE LIMITEDE も必聴。レゲエの影響をうけたダブぎみのビートと、アンチメロディックなギターが、後のジャングルや、テクノといったクラブミュージックに影響をあたえているのでは?と思うほどに、革新的である。
(レビュアー:ckbie707/Amazon.co.jpより転載)
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無責任な原点。/

Japan 70年代で一枚、といわれればこれ。この一枚がどれほどの人間の人生を狂わせただろうか、信じられないものを作ったものだ。聴けば誰でもガツ〜ンとくるこの音が全て。プロデュースに拍手、そしてこの衝撃が今でも胸に迫る事実。マジックはマジックを生む。
(レビュアー:man-kun/Amazon.co.jpより転載)
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パンクといえば、なにはなくとも。/

パンクの代名詞的アルバムといえば、この「勝手にしやがれ」でしょう。ジョニー・ロットンの、人をあざ笑うかのようなボーカル、挑発的な歌詞。それに当時としては斬新だった、クリアで軽く、それでいて攻撃的なギターサウンド。ロックの歴史をこの1枚で塗り替えた、教科書に載っていてもおかしくない作品。
(レビュアー:サヌイヌ/Amazon.co.jpより転載)
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これこそロックの一つの本質。/

1970年代ロンドンパンク・ムーヴメントの金字塔であり、セックス・ピストルズの唯一のアルバム。アルバム発表当時、ピストルズはそのスキャンダラスな言動が注目され、多くのシングル曲が放送禁止になった。しかしこのアルバムは予約の時点で10万枚を超えている。スキャンダラスだとか、歌詞が過激だとかではじき出せる数字ではない。彼らは何より信じられないビートを奏でるバンドだったのだ。週末のクラブにピストルズが出演すると、観客の退屈な日々は一瞬でかききえた。シェイクスピアのリア王のようなヴォーカルのジョニー・ロットンが"I am an Anti-Christ!"と絶叫すれば、明日にもロンドンで革命が起こりそうだった。観客は夢中で飛びはねた。ピストルズも夢中で演奏した。ステージ上の彼らは、退屈な日々と自分たちとを笑いとばせるユーモアとビートできらきらしていた。そう、彼らは週末の最高のエンターティナーだったのだ。だからみんながピストルズのファンになったのだ。このアルバムにもちろんバラードはないし、陰影とか深みとか、そんなのは全くない。ただただあつかましくて、生意気で、シンプルな切迫感だけがビートに乗ってまき散らされているばかりだ。シンプルな切迫感。これこそロックの一つの本質ではないだろうか?ピストルズはそれをつかむことができたバンドだった。
(レビュアー:dear prudence/Amazon.co.jpより転載)
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やっぱり悪くないですよ。/

ピストルズやらビートルズ(特にレノン)は、もうまともな形では評論不可能な面がありますね。ただの音楽じゃなくて、ムーブメントになっちゃったからな。語ろうとすると個人史に触れることにもなるわけで。というわけでこの盤は、今でも聖書のように崇めている人もいれば、もう振り返りたくないという人もいるはずです。私は大のロックンロール好きなので、今でもよく引っぱり出して聞いています。言われるほど下手でも無茶でもなく、R&Rアルバムとしてはやはり好盤ですよ。魅力的な演奏しています。あとやはり歌詞は素晴らしい。ただ時代性が強いので、今では意味が薄れてしまっていますが。もともと音楽的革新性を求める類いの盤ではないと思います。シンプルなR&Rに皆革新を期待していた、その時代状況を、今、面白がって聞くのはアリだと思いますが。なんでみんなそんな夢見ちゃったんでしょうね。といいつつ、大衆文化なんてそんなことのくり返しではあるわけです。チャック・ベリースタイルの発展系として星4つ。満点にならないのは、残念ながら、時代性が強い盤なので、色褪せ加減を加味しました。
(レビュアー:ys7/Amazon.co.jpより転載)
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オンリー・ワン。/

いまや伝説のパンク・バンドとして名を残してるSex Pistols 下手糞な演奏と、過激な歌詞。パンクは演奏が下手というイメージはやはり彼らから来たのだろうか。(まあRamonesあたりもどっこいどっこいだが…)たしかにこのアルバムが放つエネルギーというのは、25年以上たった今でも色あせないものがある 。なんだかんだで僕もこのアルバムは好きだ。
(レビュアー:べんがるぶ/Amazon.co.jpより転載)
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Never Mind...the Bollocks!!/

昔みたインタビューで「(レコーディングで)彼ががなりだした時は本気でうろたえたよ。全員が本気でいいものを作ろうとしてた」と楽しそうに語っていたクリス・トーマスの顔が印象的だった。意外にアバなども好きだった彼らだがビートルズファンだったグレンの作曲、スティーヴやポールのアレンジ、ジョンのまだ抽象的だが直感的な詞など、当時平均21歳(同いじゃん!)の彼らが無自覚(ジョンは感覚的)にも的確に生んだ一枚。そしてスティーヴのギターはもっと評価されるべき。「自分の未来は自分で開く以外ない。現状であきらめたが最後、暗闇に葬られるのさ」JHONNY〜最近メディアに顔をみせていたジョニ−。昔から見えかくれしてたエンターティナー体質がみごと開花してたけど、暴言と助言まぜこぜの口調はかわってなかった。
(レビュアー:no_9/Amazon.co.jpより転載)
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最高。/

まぎれもなくパンクです。最高です。それまで胡散臭そうなバンドだと敬遠していたピストルズが大好きになりました。ヘッドホンでガンガン聴きましょう。アナーキー・イン・ザ・UK!!
(レビュアー:★円★/Amazon.co.jpより転載)
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普通。/

普通の音楽です。古臭さは感じないけど、いい音楽だとは思わない。ピストルズは偉大なエンターテイナーだったと僕は思う。だから音楽はどうでもいい。
(レビュアー:ソルティードッグです/Amazon.co.jpより転載)
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世界中にマシンガンをぶっ放すように。/

このレコードを初めて聴いた日のことは今もはっきり覚えている。18歳の冬。ロックンロールの表現の偉大さに目覚めた僕は、クラッシュ、ツェッペリン、ディープパープル、ジミヘン、ストーンズ、ジャニス、ドアーズ、CCR、ザ・バンド・・・ロック史に残る偉大なバンド、伝説の名盤を片っ端から聴きまくり、そのたびに新しい世界が目の前に開けていくことにワクワクしていた。数多くのバンドを聴き漁り、そして最後に残った超大物がピストルズだった。時は1984年、ロックといえば(今では嘲笑の対象でしかないが)ハードロック/ヘヴィ・メタルが大全盛で、パンクなんてクソミソな扱いをされていた時代だったし、周りの友人の誰もピストルズなんて聴いてなかった、そんな時代だった。そんな時代に違和を感じたからこそピストルズを欲したのだろうけど、なんだかとてもかっこ悪かった。レンタルレコード屋の中で何度もジャケットを手にとっては戻し手にとっては戻し、意を決してなんとかカウンターへ持っていったときは本当に恥ずかしかった。真冬の風に吹かれて自転車のカゴにピストルズのっけて、誰にも会わないように急いでペダルを漕いだ。誰かに話し掛けられたらケンカしてしまいそうだった。そしてヘッドフォンで大音量で、ピストルズの爆音を浴びた。こんなん聴いてたら不良になると思ってゾクゾクした。今思えば、張り裂けそうな将来への不安や、自分への自信のなさをぶっ飛ばしていたのだろう。まさにあの頃、ピストルズは僕の「クスリ」だった。そして今も・・・年に一度や二度あるかないかだけど、本当に心が張り裂けそうになったときには、まるで世界中にマシンガンをぶっ放すような気持ちで浴びるように聴く。もちろんヘッドフォンで、大音量で。
(レビュアー:サ*****シ/Amazon.co.jpより転載)
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はっきり言って信用できない。/

このCDはゴミ、カス、クズ、音楽というものの底辺に存在するくらいヒドイ。こんなのに星5つ付ける人間の気が知れない。音楽界の暗部として紹介こそはされるが傑作として評価されることはありえない。最凶最悪の音楽CD、故にこそこのCDは傑作なのだ。買え!!
(レビュアー:カスタマー/Amazon.co.jpより転載)
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パンクじゃない!。/

ピストルズというと、歌詩、言動などすべてがハチャメチャな印象だが、冷静に聞くと、意外とまともな音楽性だということがわかるぜ。ステーブジョーンズの才能に感服だ。すべてのロックに影響を与えた、スゲー。
(レビュアー:カスタマー/Amazon.co.jpより転載)
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聴かない意味がない。/

パンクの象徴のような存在、セックス・ピストルズ。そのピストルズの代表作なんだから、良い悪いは別として聴かない理由は特に見当たらないでしょう。かく言う私は決してパンク好きでもピストルズ信者でもないが、音楽を聴く者にとっては、これは最早「必修科目」みたいなものである。最近まで知らなかったことだが、この作品はピストルズの唯一のオリジナルアルバム。一枚しかオリジナルアルバムがないのに社会現象まで巻き起こし、これほどまでに伝説として残っているバンド。ただ者では無い…。
(レビュアー:ringo_unconditional/Amazon.co.jpより転載)
ジャケを替えリマスターして再発すべきです。
(レビュアー:チーチ マリン/Amazon.co.jpより転載)
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永遠のパンク・ロック・バンド。/

(衝撃!)当時、自分の周りで洋楽と言えばBeatles、少数派でStones、Yesだったかなぁ。テレビで真っ先にPistolsを紹介していたのは他でもなくNHKだった(ライブ映像やインタビューをさんざんやってた)。その後、バンドは解散、と同時に買おうと思っていた「NEVER MIND THE BOLLOCKS」は入手不可、と言うか3年ぐらいは廃盤らしかった。コロンビアからベスト盤が出るまで待つ事となってしまった。だから、と言うわけでもない。さて、本ベスト盤には「NEVER MIND」+シングルのB面曲「Did You No Wrong」「No Fan」「Satelliti」いずれも秀逸、他カバー、アウト・テイク、リハーサル、デモ・トラツク、最後Jons Vo.の「Selly Thing」・・・等人気曲順にセレクトされている。「NEVER MIND」、「Swindle」と、聴きどころ満載の「Kiss This」3枚あれば、メジャーデビューからの音源はほぼ揃う。他、「Spunk」からは少しマニアックになるので注意!(個人的にはあまり好きではない)ベースがまったく弾けなかったViciousではあったが、しかしVoではひときは光芒を放っている。
(レビュアー:カスタマー/Amazon.co.jpより転載)
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シドの死をなんとなく感じる一枚。/

M-19でシドのソロが流れます。ドラッグという最低の流行の犠牲者としての彼が、その存在感を切なくもなんとなく匂わせてくれます。ピストルズという伝説のバンドの栄光と破滅がこの一枚に詰まっとります。                  
(レビュアー:マイレヴ/Amazon.co.jpより転載)
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あきないアルバム…。/

ピストルズって、人は知ってるけど歌は聴いたことないっていうの結構あるじゃないですか。暴れるので有名っていうか。そういうスタイルでやってたから売れたっていうのもあるとは思うんですけど、もったいないですよね。センスもいいし、面白い曲も沢山あるのに・・・。その原因といったら、きっと大勢の人を敵にまわすと思うけど、シドってベースあんま弾けないじゃないですか。彼が人気だったのはピストルズのメンバーの一人でそのうえルックスがいいというのがいちばんの理由だと私は思うんですよ。ベースを弾けないベーシストの存在があまりにも大きくて、歌は二の次みたいになってしまったんではないでしょうか。それもふまえてこのアルバムは聞く価値あると思います。シドファンはごめんなさい。でも決して文句ではないです。
(レビュアー:ミッキーアンジーキム/Amazon.co.jpより転載)

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