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田所俊一は会社に入って2年目の23歳。
1年目で部署換えによって、今のポストへついた。
上司は敏腕で知られる西田ゆかり35歳。
ひと回り年上の女性である。
強烈なナイスボディーとはいえないが、どことなく色気のある風貌だ。
俊一はこのポストに移されると噂が立って程なく、前のポストの先輩達に色んな情報を叩き込まれていた。
「ゆかり女史は厳しいからな」とか。
「前にいた佐々木や大塚は半年ももたなかった」とか。
あまりいい話は聞こえてこなかった。
「田所」
そんなことを思い出していると、気付かれたように名前を呼ばれた。
「はい」
半分焦りながら西田のディスクへ駆け寄る。
「今度の週末空けておくように」
西田は書類に目を通しながら、念を押すように言った。
「週末ですか」
「そうだ。大阪で接待がある」
「接待・・、わかりました。空けておきます」
物分りのいい返事に西田は顔をあげて、
「相手は丸菱商事の専務だ」
と、隣の友人のように専務と言い放った。
「・・・わかりました」
一瞬、間の空いた返事だったので、西田は目を細めて微笑んだ。
「私の護衛役、しっかり頼む」
俊一は声には出さなかったが、「はい」とはっきりと頷いた。

「護衛役」
俊一はコーヒーをすすりながらその言葉を思い出していた。
「田所」
「はい」
名前を呼ばれると、条件反射のように返事をする。
初々しさの残る新人そのものだ。
「塩屋さん」
「ここいいか?」
「はい」
塩屋は元のポストの2年先輩だ。
手荒くテーブルの椅子を引くとドカッと座った。
「今度大阪に出張だって?」
「はい。情報早いですね」
「その手の仕事をしてるからな。当たり前といえば当たり前だな」
「そうでしたね」
「ゆかり女史同伴だろ?」
「そうです、丸菱商事さんのところへ行きます」
「そろそろだろうとは思ったが、意外と早かったな」
思わせぶりに塩屋はニヤついたが、その意味を俊一は知る由もなかった。
「護衛役っていってましたよ」
「ほう、それは丸菱の専務に会うと見た」
塩屋は得意げに鼻を膨らませた。
「よくわかりますね」
「わかるさ、前からゆかり女史を狙っていたからな。ご指名なのさ」
自らの説明に納得するように塩屋が頷き、
「そういうことですか」
俊一はその態度に変な納得をしていた。

コメント(20)

「ゆかり女史の予定は大概変更があるから心しておけよ」
「変更?」
俊一はその意味もよくわからなかった。
「ところで塩屋さん」
「ん?なんだ?」
塩屋は飲みかけのコーヒーを置いて俊一を見た。
「西田さんと一緒に仕事をしていた人って、どうして・・・」
「佐々木たちのことか?」
俊一が何を言いたいのか手に取るようにわかった塩屋は、俊一が話し終わる前に聞き返した。
「・・・はい、そうです」
「まぁ、ゆかり女史のやり方についていけなかったってとこかな」
「・・厳しいからですか?」
「そうだな、簡単に言えば彼女の主義に合わなかったってことさ」
「はぁ・・」
塩屋はとにかく核心を避け、有耶無耶な返事で終止した。
「ゆかり女史の仕事振りは手本にはなるから、勉強させてもらって授業料を払う気持ちでがんばるんだな」
「わかりました」
俊一には最後の言葉だけが、よくわかったような気がしていた。

そしてその日は来た。
木曜日の夕方になって俊一は西田に呼び出された。
「課長、なにかありましたか?」
「あぁ、田所か」
西田は相変わらず忙しそうに、書類に目を通しながら返事をした。
「はい」
「予定が変更になった」
「変更ですか?」
俊一の聞き返しに、西田が顔をあげた。
「そうだ、明日会社が引けた後、その足で大阪へ移動する」
「明日ですか?」
「なにか不満か?」
西田の表情は変わらないが、声色が変化していた。
「いえ、わかりました」
「うん、では明日頼むな」
「はい」
俊一は自分の席に戻りながら、塩屋の言った言葉を思い出していた。
「おはようございます」
フロアーの戸を勢いよく開いて俊一が挨拶をする。
「おはよう」
同僚たちが一斉に挨拶をした。
「田所」
その中のひとり、大平が俊一を見て呼び止める。
「はい」
「今日、出張だろ?」
「はい」
「大阪だって?」
「そうです」
「土産頼むな」
出張する俊一よりも楽しそうに話す大平だった。
「仕事ですよ?」
「わかっているさ。半分は仕事だろう?」
根負けしたのか俊一は笑った。
「わかりました。でもあまり期待しないで下さいね」
「楽しみにしているからな」
俊一もなぜか大阪出張が楽しみになっていた。

午前中の休憩時間になって、同僚が屯する中に西田がやってきた。
「田所」
俊一は同僚と雑談していた。
「はい」
「悪いが、休憩が終わったあと塩屋のところへ行って、チケットを貰ってきてくれ」
「わかりました」
西田はそれだけを伝えると、さっさと去っていった。
同僚は西田が見えなくなるのを確認すると、
「ゆかり女史と出張かぁ」
と、羨ましそうに呟いた。
「仕事ですよ」
「半分だよ」
なぜか同僚全員が「半分」というのだった。
休憩が終わり、俊一は塩屋のところへ向かった。
「塩屋さん」
「おぅ、田所。どうした」
「チケットを取りに来ました」
「チケット?・・・あぁ新幹線の切符だな。ちょっと待てよ」
塩屋は書類受けの中からひとつの封筒を取り出し、取り出した封筒の中身を確認して俊一に手渡した。
「明日じゃなかったな」
「はい。塩屋さんの言うとおり変更でした」
「だろ?いつものことさ」
「いつもなんですか?」
「あぁ、いつもだ」
塩屋はやれやれといわんばかりにため息をついた。
「それとハイヤーを5時半に迎えに来させるので、遅れないようにとゆかり女史に言っておいてくれ」
「わかりました」
俊一は頭をぺこりと下げ、踵を返し歩きだしたところへ塩屋に「田所」と呼びと止められた。
「はい」
塩屋は親指を立て、
「がんばれよ」
と、笑っていた。
俊一はなぜか応援してくれる人の気持ちが嬉しかった。
フロアーに戻った俊一は、塩屋の言伝とチケットを西田に渡した。
その時の俊一の顔が西田には楽しそうに見え不思議に思った。

終業時間になり、俊一はフロントのソファーで西田を待っていた。
俊一にとって一張羅の背広は会社の作業服と同じだった。
相手は丸菱商事の専務さんだ、背広での出で立ちが当然であろう。
俊一はいっこうにこない西田に焦りを感じ始めていた。
それもハイヤーの時間に迫っていたからだ。
「お待たせ。出かけましょうか」
焦っている俊一とは裏腹に西田の声は落ち着き払っている。
その声に頭を上げた俊一は、西田の服に度肝を抜かれた。
原色の青のワンピースは会社の制服とは全く違うものだった。
スーツ姿の西田は派手さがなく、今の雰囲気とは全く異質のものだ。
「ハイヤーを待たせている。早くしなさい」
俊一はその言葉で我に返り、ぎこちなく立ち上がって歩き出す。
ふたりが表玄関のハイヤーに乗り込むと、
「新横まで急いで」
西田は行き先を運転手に伝えた。
新横浜駅の表玄関は日が暮れ始めていた。
ふたりはハイヤーから降りると、正面玄関へ歩き出す。
「時間には間にあったか」
「何時の新幹線ですか?」
西田は派手目のバックを弄りチケットを取り出すと俊一に差し出した。
「これは田所が持っていてくれ」
「はい」
俊一はチケットを受け取ると中身を確認する。
「6時29分ののぞみですね」
「のぞみか」
「7号車ですよ」
そんな話をしていても、周りの視線は派手な青に奪われるようだ。
「まだ10分ほどあるな」
「そうですね」
新幹線の駅にしてはこじんまりした改札を抜け階段を上がる。
「田所の荷物はたったそれだけか?」
俊一の軽装備に西田が怪訝な顔をした。
「1泊ですからこれくらいでいいかなと思いまして」
俊一の持っているバッグは確かに大きくはなく、どちらかというと肩からかけるセカンドバッグといっていいほどだ。
それとパソコンを入れているソフトバッグとふたつだった。
「・・・まぁ、仕方ないか」
西田のその言葉には何かを含んでいたが、俊一は気付く様子もなかった。
「課長の荷物は多いですね」
「普通だろ?」
課長も女性なので、それなりに必要なものが多いのだ。
階段を上り終えると、外は深い青に溶けかけていた。
時折吹き抜ける風が西田のワンピースの裾を持ち上げたが、気にする素振りもなく湿った空気を楽しんでいるようだった。
アナウンスが流れ、ふたりが待つ時間が迫った事を知らせる。
「全席禁煙だと?」
「はい」
ふたりが乗る予定の新幹線は全席禁煙であった。
「あの馬鹿」
西田がいう「あの馬鹿」とは塩屋のことだ。
「でも課長、7号車には喫煙デッキがありますね」
「それがどうした」
派手な青のワンピースをお召しになっているのにタバコはどうかと思う。と俊一は言いたかったが、西田の顔を見るととてもいえる状態ではないと悟った。

なにも言わずにまっすぐ前を見る西田の横顔を気にする俊一は、会社ではみる事のない凛々しい西田の魅力を感じていた。
そんな俊一の気持ちを余所に真新しい新幹線が滑るようにホームに入ってくる。
新幹線の扉が開いて、その前のゲートが呼応するように開く。
「新横浜。新横浜」
味気ないアナウンスが流れ、まばらに人が降りてくる。
品川を出て1つ目の駅だ。
それほど利用客は多くないだろう。
降りる客をやり過ごすと俊一は、新幹線に先に乗り込み扉を抑えて西田の乗車を促す。
「ありがとう」
まだまだ半人前社会人の俊一だが、ひと通りのマナーは身につけていた。
「7のEはこちらです」
ふたりがけの椅子の奥に西田を通すと、
「失礼します」
俊一は通路側の椅子に座った。
「何時に着く?」
「新大阪へは8時43分です」
「結構時間かかるものだな」
「しかし、ここを出ると3つ目が新大阪ですからびっくりしますよね」
「コホンッ」
俊一の子供のような表情を見た西田は軽く咳払いをした。
「仕方ない、暫らく我慢するか」
なにを思ってか西田は独り言のように呟いた。

新幹線は静かに走り出し、横浜の街を抜け出した。
「おなかは空いていないか?」
「多少は・・」
「まぁ、大阪まで我慢しろ。美味い店に連れて行ってやる」
「わかりました。楽しみです」
時折子供のように無邪気に笑う俊一を見ると、後ろめたい気持ちになる西田だった。
「田所は彼女がいるのか?」
西田はすっかり暗くなった窓の外を眺めながら聞いた。
「はい」
「まぁ、いてもおかしくはないな」
「はぁ・・」
俊一は西田が何を言いたいのかわからなかった。
「切れそうなくらいの三日月だな」
西田が見つめるその先には細く輝く月が垂れ下がっていた。
そして窓に映る西田の顔はひどく寂しそうだった。
ふたりを乗せた新幹線は名古屋に到着しようとしていた。
西田は喫煙デッキに向かうこともなく、車内販売のビールを片手に外を眺めていた。
「なぁ、田所」
「はい」
俊一から西田に話すことは少なく、ほとんど西田から話しかけていた。
「彼女はいくつだ?」
「えっと、今年二十歳になりますね」
「そうか、・・学生か?」
「専門学校です」
俊一の答えに少し間が空いた。
「ここから先はプライベートだ。話したくなければ話さなくていい」
「・・はい」
何事を言われるかと緊張した俊一だった。
「付き合いは長いのか?」
「付き合って2年です。知り合ったのはもっと前で、大学時代の家庭教師のアルバイトで知り合いました」
「それは、教師と教え子か?」
「そんなたいそうなものではありませんが」
西田はその言葉にクスッと笑った。
「課外授業の方が専門か?」
「・・そんな事ありませんよ」
俊一は少し憤慨していった。
「でも、教え方が悪かったんだと思います。めざす大学に入れなかったんです」
「勉強どころではなかった。そういうことだろう」
「・・・どういうことですか?」
西田はその答えの代わりにクスクスと笑った。

新幹線は名古屋を出て、京都に向かっていた。
「大阪に着くのは9時ちょっと前ですよ」
「そうだな」
「先方さんはそんな遅くでもかまわないのですか?」
「かまわないな」
西田の言葉に俊一は引っ掛かるものを感じた。
「けっこうおおらか人なんですね」
「今日は専務に会う予定はない」
「え?・・・どういうことですか?」
「会うのは明日の午前10時だ。まず、打合せをして現場での説明のあと、午後7時に再度会う」
「そういうことだったのですか」
俊一は納得するように頷いた。
「そういうこととは?」
外を眺めていた西田が俊一を見ていった。
「課長は朝が弱いので前の日に移動するのですね」
「なぜ私が朝、弱くなければならないのだ?」
「違うのですか?」
「全く違うな」
「そうですか・・」
俊一はかなり自信があったので、その分余計に意気消沈してしまった。
しかし、西田自身焦りを感ぜずにはいられなかった。
ふたりの間に沈黙が流れ、心地よい振動が眠気を誘っていた。
「課長」
「なんだ?」
西田は流れる灯りを眺めたまま返事をした。
「大阪では何を食べるのですか?」
上司が起きているのにその横でアホ面をさげて寝るわけにもいかず、俊一は話すことで醜態を防ごうともくろんだ。
「そんなに気になるのか?」
「そうですね。大阪での食事は初めてですから」
「私の知り合いが経営する店でな、間違いなく美味いから安心しろ」
「わかりました」
嬉しそうに頷く俊一を西田は笑って返した。
「酒は飲めるのか?」
「ほんの少しですけど」
「そうか」
新幹線は京都を出て一路大阪を目指していた。
「新大阪〜。新大阪ぁ〜」
新幹線は大阪に到着した。
ホームに降りた二人は大阪の風に新鮮さを感じた。
「結構疲れましたね」
「そうか?」
西田は少し赤い顔をして俊一を見た。
「酔ったのですか?」
「いや、それほどでもない」
それほどでもないといいつつ飲んだビールは、ゆうに3リットルに達している。
「飲みすぎですね」
「田所がつまらない話をするからだ」
俊一はその意味が全くわからなかった。
「すみません」
とりあえず頭を下げたものの、納得がいくはずもない。
「まあいい、この先のホテルに荷物を預けよう」
西田はそういうとさっさと階段をおりた。
「タクシーで移動しますか?」
「そうだな」
俊一は軽く手をあげると、待機していたタクシーを捕まえた。
「グランドホテルまで」
西田は行き先を伝え「ふ〜っ」とため息をついていた。
「今日はもう出かけるのはよしましょう」
西田の様子を見て俊一は西田の身体を気遣った。
「なに言っている。私は酔ってなどいない」
「しかし・・」
「お前は小さなことばかり気にしすぎだ」
確かに西田くらいになるとそこそこ自分の事はわかってくるもので、自分の限界を知っているものだ。
「お客さん着きましたで」
いつの間にかタクシーはホテルの目の間にやってきていた。
「あぁ、悪いがこのまま待っていてくれ。荷物を預けてすぐに戻ってくる」
「僕が行きましょう」
「いい。私の名でとってあるのでな。お前の荷物もよこせ」
西田は有無も言わせず俊一の荷物を鷲掴みにした。
ボーイが近寄ってくると荷物を全て渡して、フロントに向かおうとする。
「課長」
「いいから、お前はそこで待っていろ」
西田は降りようとする俊一を手で制して、ボーイと一緒にホテルに入っていった。
タクシーの中からフロントの男と西田が話しているのが見えた。
フロントの男が西田に深々と頭を下げると、西田はホテルから出てきた。
西田がタクシーの中の俊一を覗き込んで見る。
「おまたせ」
どこか楽しそうに聞こえたその言葉は、上司の西田とは違って聞こえた。
「嘉月まで」
乗り込んだ西田はひと言添えると、タクシーは堰を切ったように走り出した。
「嘉月ってなんですか?」
「料亭だ」
「料亭・・・」
「ここらでは有名な料亭だ。そうだよな?」
西田はハンドルを握る運転手に話しかけた。
「そうです」
イントネーションが横浜と違っていて不思議な感覚だった。
「どこからです?」
「横浜だ」
西田と運転手が話し込む間、俊一は料亭といった言葉を飲み込めずにいた。
いくら西田の知り合いの店だからといっても、あまりに身分不相応に感じたのだ。
俊一はドラマに出てくるような高級料亭を想像してしまい、頭から離れなくなっていた。
タクシーが停まった場所は、格子戸のある立派な料亭だった。
「嘉月・・・」
門の横には達筆な字で書かれた店の名前があった。
「ありがとう」
西田は運転手に軽く手をあげてお礼を言った。
「さぁ、入ろうか」
西田は自分の家にでも帰ってきたように店に入っていく。
「・・・あ、はい」
少し遅れて俊一が返事をした。
「腹が減っただろう。美味しいもの食べような」
「・・はい」
軽く20メートルはあるであろう石畳を躊躇いもなく歩く。
俊一はその後ろをついていくだけで精一杯だった。
西田は格子になった戸の前に立って、俊一の方を振り返った。
「店は堅苦しいが、気にすることはないからな」
そんなことを言われても「はい、そうですか」などと言えるはずもない。
西田が格子の戸を開けると、入ってすぐのところに仲居が立っていた。
「いらっしゃいませ」
仲居は深々と頭を下げる。
「西田です」
「お話は伺っております。どうぞこちらです」
仲居は西田の斜め前を先に歩き、店の中へと案内した。
木の香りがする一画をぬけ、部屋の前で立ち止まり引き戸を開ける。
「こちらになりますがよろしいでしょうか?」
「あぁ」
西田のそっけない返事でも仲居は深々と頭を下げ立ち去る。
俊一がその部屋を覗くと、そこは三十畳はあろうかというものだった。
「ふたりで使うには広すぎませんか?」
「普通はな」
西田はそう頷きながら靴を脱いで部屋に入っていく。
「・・・」
俊一にはその普通の意味がどういうものかわからないまま、西田について部屋に入った。
中央の重そうなテーブルを挟んで俊一と西田が座る。
「この部屋は通常、芸者を呼ぶ部屋なんだ」
「なるほど・・、接待用の部屋というわけですね」
「そうなるかな」
戸が叩かれる音がしたような気がして俊一がその方向を向くと、
「失礼いたします」
先ほどの仲居が入ってきた。
「お食事の準備をいたします」
仲居はそういいながら竹製の器に入った手拭を差し出す。
「ありがとう」
思わず礼の言葉が出た俊一に、仲居はクスッと笑って会釈した。
「失礼します」
またひとり、仲居が部屋に入ってきた。
その仲居はなにやら大きな器を持っており、テーブルの中央にその器を置いた。
「失礼します」
次々に仲居がやってきては、美味しそうな料理の器を置いていく。
そうして、あっという間にテーブルの上は華やかな料理たちで埋め尽くされた。
「井上は手を外せないのか?」
一番最初に案内してきた仲居に西田が聞く。
「井上はただいま西田様に喜んでいただけるよう腕を振るっておりますので、今しばらくお待ちください」
「そうか、では先に頂くとするか」
「どうぞごゆっくりご賞味くださいませ」
仲居はそういうとそそくさと部屋から立ち去る。
「田所、遠慮せずに食べろ」
「・・はい」
「堅苦しいマナーは不要だ。好きなものを食べろ」
「・・はい」
そういわれてもなかなか箸が進まないのは、俊一が小心者というわけだけではないだろう。
「田所、まぁ一杯やれ」
西田はそういいながらビール瓶を差し出した。
「いえ、課長、先にどうぞ」
俊一は恐縮になりながらも、ビールを西田のコップに並々と注いだ。
「今日は無礼講でいこう」
西田の顔には爽やかな笑顔があった。
「冷めないうちに食べよう」
西田は俊一に箸を進めるようにいった。
「頂きます」
俊一は西田と向かい合わせに座りながらも、変に気負うことなく食べ始める。
「これ、美味しいです」
里芋を煮込んだような口取りなのに、すでに俊一は満足だった。
里芋を頬張ったまま西田をみた。
「課長はあまり食べないですね」
「私か?私は飲むか食べるかどちらかだな」
俊一はビールを注ぎながら西田に聞いた。
「僕は人見知りしやすくて、あまり話すのが得意ではないのですが」
「そうなのか?まぁ、あまり気にするな」
「自分的には営業という職業は向いてないと思います」
「なんだ、頭から否定的なやつだな」
「対人恐怖症の営業マンなんて洒落にもなりません」
「単なる甘えん坊なだけだろ」
西田の言葉が鼻についた。
「甘えてなんかいませんよ」
「社会人になって、あれはやだ、これはやだっていっていられるほど会社ってやつは甘くない」
「それはわかりますけど・・」
そういいながら里芋を口に運ぶ。
それと同時に、
「箸を舐めるものじゃない」
西田は俊一の行動を見て一喝した。
「は?」
俊一は何を言われたのかわからなかった。
しかし、西田はそれ以上言葉を足さない。
「はぁ・・、甘えん坊なのですかね」
「すまん、言い過ぎた」
西田はビールを一気に煽ると、青いワンピースの胸のボタンをひとつ外した。
「暑いな」
「コップ空ですよ、どうぞ」
俊一はビールを差し出してはみたが、肌蹴た部分が目に入って仕方なかった。
青のワンピースはボタンの間隔が広めで、ひとつ外しただけでかなり肌蹴るのだった。
「ああ、ありがとう」
西田は目の前にある料理を、少しずつ口に運んではビールを煽っていた。
「いつもそのペースですか?」
少し不安になった俊一が聞く。
「そうだな、無礼講と決めたときはこんなものだ」
西田は酔っているのだろうが、箸の使い方というか、マナーというか、俊一にはその食べる姿がとても美しく映っていた。
「お節介かもしれませんが・・」
「お節介だな」
俊一が言い終わる前に西田は先を読んで答えた。
「そうですよね」
「そうだな」
俊一が俯いて料理を口に運んだ時、
「箸を舐めるなといっているだろう」
また西田が俊一を一喝した。
「???」
俊一は物を口に入れたとき、二度ほど口で箸を扱く癖があった。
しかし、そのことに俊一本人は気付いていなかった。
「田所、お前は気持ちの悪い癖がある」
「癖ですか」
「あぁ、接待の時は絶対にするなよ」
「・・・どんな癖ですか?」
俊一は何を言われているのかよくわからないまま聞いた。
「なんだ、気付いていないのか?」
「はぁ・・」
「お前は箸を舐める癖がある」
「舐める?」
「みっともないから今のうちに治しておけ」
「はぁ・・」
どうやって治せばいいのか俊一にはわからない。
「それと、手持ち無沙汰に箸を振るのはやめろ」
西田のいう箸を振るというのは、俊一が時折見せるもう一つの癖だった。
物を掴む前に器の中で箸を細かく振るしぐさをするのだ。
「ダメですか?」
「当たり前だろ、無礼講とマナーは違う。堅苦しいマナーは不要だといったが、食べる順番や、好き嫌いにおけるマナーのことであって、最低限のマナーは守れ」
「はい」
畳み掛けられて、俊一は頭を垂れた。
それを見た西田は、
「私はこれでもレディーだからな」
と付け加えた。
美味しいはずの料理も、指摘された癖を出さないようにするので精一杯で、俊一は味を味わうような余裕がなくなっていた。
西田は空になったコップに手酌で注いでいた。
「悪かったな」
「いえ、もともと僕が悪いですから」
「箸を舐めるあたり、まだまだ子供なんだな」
俊一は西田の言葉が鼻に突きながらも、思い当たる点を思い返しているとき、部屋の入り口からノックの音がして、一人の男が部屋に入ってきた。
「こんばんわ」
物腰の低い男だった。
「おぉ、井上。久しぶりだな」
「西田も相変わらずの男言葉だ」
どうやらこの嘉月の店長のようだ。
「関西弁になかなか染まらないようだな」
「かなしいかな客に合わせてしまうよ」
「おまえらしい」
話からするとこの井上という男も関東のようだ。
井上は西田と大雑把な挨拶を交わすと、俊一の顔を見た。
「これは失礼しました。わたくし店長の井上と申します」
「田所です」
俊一は座ったまま頭を下げた。
「西田とは同級生の仲でして、まぁ腐れ縁ですかね」
「よくいうよ」
西田は笑いながらワンピースのボタンを留めた。
「今回は商談か?」
「いや、単なる顔見せだ」
「また丸菱か」
西田は鼻で笑いながら相づちを打っていた。
「田所さんはいくつになられますか?」
「23です」
「そうですか」
井上はそういいながら西田を見た。
「なんだ?」
「いや、なんでもない」
今度は井上が鼻で笑っていた。
「一杯やるか?」
西田はコップを差し出した。
「仕事中だ遠慮しておく」
「相変わらず固いやつだ」
井上は俊一の方を見てから西田へ振り返った。
「ゆっくり料理を味わってくれよ」
それから俊一の方を再度見た。
「西田はこんな言い方しかできんが、人はいいやつだ。末永く付き合ってやってくれ」
「井上、変な言い方はよせ」
西田は慌てて井上の言った言葉を否定した。
井上はその言葉に反応を見せず立ち上がる。
「用があるならこれで声をかけてくれ」
柱に掛けてある電話に手をおいて話し、格子の向こうに消えた。
「馬鹿なことばかりいうやつだが、料理は美味いだろ?」
西田は久しぶりに会った友人のことを懐かしく、誇らしげに話した。
「面白い人ですね」
「単なる馬鹿だよ」
西田は明らかに酔っている。俊一の目にはそう映っていた。

いつの間にか西田はワンピースのボタンをまた肌蹴ていた。
「課長。そろそろホテルに帰りましょう」
「ん?・・今何時だ?」
俊一は左腕の時計を見た。
「一時です」
テーブルの料理はほとんど食べ終わり、ビールだけが残っていた。
「田所、お前飲んだか?」
「はい、頂きました」
「ほんとか?」
「はい」
西田は疑い深く俊一の顔を覗くと、
「まぁ、いい。いこうか」
「はい」
「ホテルで飲みなおしだ」
「・・・・」
俊一はまだ飲むのかと思ったがやめた。
「なんだ、何か言いたげだな」
「いえ、なにも」
西田はとにかく感がよかった。
ふたりは立ち上がり、格子を空けると仲居が少し間を開けて立っていた。
「お帰りですか?」
「あぁ、井上はどうした?」
「タクシーを呼んでおります」
「そうか」
酔っているとは思えないほど、しっかりとした足取りで先を進む。
「ご馳走様でした」
俊一は仲居にお辞儀をした。
「ありがとうございました」
それよりも深く仲居が頭を下げた。
さっさと先に行く西田に遅れをとった俊一は、店先で話し込むふたりの姿を確認した。
「悪い癖出すんじゃないぞ」
「なにをいっている」
ふたりの会話は気の知れた同級生の会話だった。
「すみません」
俊一は謝りながら近寄り、待たせていたタクシーに西田を誘う。
「ご馳走様でした」
井上にひと言声を掛けて俊一もタクシーに乗り込んだ。
「また寄ってください」
井上は頭を下げて礼を言った。
「また来る」
西田はひと言そういって、
「グランドホテル」
タクシーの運転手に行き先を伝えた。
ホテルの前に横付けされたタクシー。
後部座席でなにやら怪しげな雰囲気のふたり。
「課長、着きましたよ」
「わかっている」
運転手は後ろを振り返って聞いた。
「大丈夫ですか?」
「何がだ?要らぬ世話だ。釣りはいらん」
西田はお金を差し出してさっさと降りていった。
「すみません、ありがとうございました」
「お気をつけて」
ばつが悪そうに降りていく俊一に運転手は声をかけた。
俊一は西田を追いかけてホテルに向かう。
「課長、待ってくださいよ」
西田は確かに酔っていると思われるのに、妙にしっかりとした足取りだった。
先にフロントに着いた西田は、部屋のキーを貰ってルームサービスを頼んでいた。
「バーボンとサラダスティック・・、田所はなにかいるか?」
西田は後ろに追いついた俊一に背中を向けたまま聞いた。
「まだ飲むのですか?」
俊一は思わず口にして「しまった」と思った。
その言葉に西田は振り返った。
「なんだ。飲むって言ってなかったか?」
西田の俊一を見る細く開いた目は頭を押さえつけるような迫力があった。
「・・いえ、なんでもありません」
そう言うしかなった。
西田は向きかえって男を見た。
「バーボンはボトルで。田所には・・なにか簡単なつまみを頼む」
宿泊名簿の横文字で書かれた達筆なサインには慣れた感があった。
「わかりました」
「一時間後に」
「承知しました。ごゆっくりどうぞ」
深々と頭を下げる男に背を向けエレベーターの方向に歩き出す西田。
「田所」
エレベータのボタンを押し、扉が開いたのを確認してから俊一を呼ぶ。
「はい」
エレベーターに乗り込み扉が閉じると西田が口を開いた。
「あのな、注文をしている時に逆に否定すると受け側が困るだろう」
「はい」
「なぜ同じことを言わせる」
「はい・・、課長の体のことを・・」
「お前は私のなんなのだ?」
「はい」
「恋人にでもなったつもりか?」
「いえ、そんなつもりは・・」
「私の事は私が一番知っている。何度も言わせるな」
「はい・・、しかし・・」
そういいかけたとき、エレベーターは35階を示して止まった。
それと同時に西田は、話すのを止めろ言うように俊一を睨んだ。
35階というフロアは赤い絨毯が敷き詰められ、おおよそ一般客が泊まる雰囲気ではなかった。
西田はひとつのドアの前に立つと、カードキーを差し込んだ。
重厚なドアはカシャっと気持ちのいい音がして自然と開いていく。
西田は慣れた手つきでカードを引き抜いて、内ドアのポケットに差し込んだ。
すると、部屋に灯りがついて中の様子が明らかになった。
俊一はドアのところに佇み、どうしたものかと途方に暮れた。
「早く入ってこい」
奥ばったところから西田の声が聞こえた。
しかし、俊一は躊躇っていた。
暫らくしてぱたぱたと近づいてくる足音がしたと俊一が思っていると、何かに胸座を捕まえられて引きずり込まれる自分に気付いた。
「なにをしている。さっさと入って来い」
敷居も段差もない部屋は二つに分かれていて、6畳位の畳の間とスタンドバーのようなテーブルと椅子、それとカーテンに遮られた寝室になっていた。
畳の間には俊一の荷物が置かれており、それが何を物語っているのか俊一にもわかった。
「ルームサービスが来る前にシャワーを浴びるがいい」
西田は自分の荷物を整理しながら、鏡の前のテーブルに女性の道具を並べていた。
「こ、これはどういうことですか?」
俊一は酔ってはいないというものの、アルコールは入っていた。しかし、この状況に至っては酔いも醒めるというものだ。
「ここに泊まるんだ」
「僕の部屋はないのですか?」
「だから、ここに泊まるといっておるだろう」
「ここが普通の部屋ですか?」
俊一は興奮冷めやらない。
「ここはVIPルームではないぞ」
「だからなんですか」
「ロイヤルスィートルームだ。私はいつもこの部屋に泊まる」
西田は至って冷静だ。
「僕の部屋を別に借ります」
「なにをいっている。このホテルは当日に取れるほど安くはない」
「だからといって、課長と同じ部屋っていうのは・・」
「困るとでも言うのか?」
いつの間にか近くにまで寄ってきた西田が俊一の肩に手を置いた。
酒の入った西田は妖艶だ。
大人の色気と言っても過言ではないだろう。
「別にするってわけじゃないし、問題はないだろう?」
「・・・僕だって男だし、酒に飲まれたら責任取れませんよ」
「なに?」
西田が「責任」という言葉に過敏に反応した。
「男と女が肉体関係を持ったら責任取るとかいう話になるって?」
「それはそうでしょ?」
西田は俊一に背を向けて歩き出す。
「馬鹿らしい、シャワー浴びてくるわ」
「ちょっと、ちょっと待ってください」
俊一が西田の後を追って近づいて手を引っ張る。
「なに?一緒に入りたいの?いいわよ」
「冗談いわないで下さい」
俊一は慌てて手を離し後ずさりする。
シャワールームに入っていく西田の背中がクスッと笑った様に感じた。
部屋にとり残され椅子にもたれかかった俊一は、シャワールームから聞こえる雑音に纏わりつかれていた。
西田が浴室に入ってずいぶん時間が経った。
シャワーの音も聞こえない。
俊一はいつ頃からか気にはなっていたが、中を覗くことに気が引けていた。
しかし、いつになっても出てこない西田に聊か心配になった。
「課長、大丈夫ですか?」
戸を開けずに中の西田に話しかける。
戸に写る人影から西田がいるのはわかった。
しかし、返事はない。
「課長?」
何度呼びかけてもその人影が動く事はなかった。
「課長、開けますよ」
俊一はそういって戸に手をかけ、勢いよく開け放った。
「失礼します」
「そんなに私の身体に興味があるとはな」
そこにはバスローブを身に纏った西田が、バスタブに腰をかけ腕組みをしていた。
俊一は慌てて背を向けた。
「なんでもないのなら返事をしてください」
そう言い放った声は明らかに憤慨したものだった。
「怒ったのか?」
「当たり前でしょう」
「ほう・・」
西田のそれは意外だといわんばかりの口ぶりだ.
「もっと早く来るのかと思ったがな」
そういいつつ立ち上がり、俊一の横をすり抜けていった。
「お前も汗を流すがいい」
俊一には西田の考えがよくわからなくなった。

チャイムが鳴り、ボーイがワゴンを押して入ってくる。
「お作りします」
そういいながらボトルに手を掛け栓を開けた。
「あぁ、いい。自分で出来る」
西田が丁重に断るとボーイはお辞儀をして部屋から出て行った。
大き目のコップに氷を入れ、バーボンを半分くらいまで入れる。
褐色の飲み物を軽く口に含み鼻に抜ける香りを楽しむ。
華奢なスチール製の椅子に腰を掛け足を組むと、バスローブの裾が肌蹴て太ももまで露になった。
西田はこの時間が一番好きだった。
窓の外には町の灯が遷り、それを眺めながら過ごす。
自分自身を取り戻すには一番の時間なのだ。
その横を俊一が通り抜ける。
「田所」
「はい」
「ここに来ないか?」
西田は隣の椅子に手を置いて誘う。
「はい」
俊一は着替えをカバンに詰めると、西田の横に座った。
「ロックでいいか?」
俊一の答えを待たずに作り始める。
「水割りで」
「バーボンだぞ?水割りはあまりいい飲み方ではない」
「そうですか?」
「そうだな。コークハイにしてはどうだ?」
「コークハイ?」
「バーボンはもともとアメリカの飲み物だ。コーラとの相性もいい」
「・・ロックでもらいます」
コーラといわれてなぜかムキになった俊一だった。
「ゆっくり飲むといい」
西田はそういいながら俊一の前にコップを差し出した。
俊一はその言葉に反するように煽って飲む。
その飲み方を見て西田は目を細めて聞いた。
「なにか言いたいことでもあるのか?あるなら言ってみろ」
目の前に空になったコップをドンと置くと、
「なんでこんなやり方をするのですか?」
「いけないか?」
「いいわけないでしょう」
「彼女に申し訳ないとでも思っているのか?」
「思いますよ。当たり前でしょう」
「黙っておればわからん」
「なんですかそれ?」
「ただ夜通し酒を飲むだけだろ」
冷静な西田に対し、徐々に熱くなる俊一だった。
「前の部下たちも同じように扱ったのですか?」
「前の部下?」
「佐々木さんとか」
「何を気にしているのだ?」
「別に・・・」
「佐々木はすぐに身体を求めてきたぞ」
西田は事も無げに言い放つ。
「な・・」
「するとかしないとかは自由じゃないのか?」
「課長はそんな人だったんですか?」
「なにをいっている。どんな女だと思っていたのだ?」
「・・・分別のあ・・る大人・・だと」
さっき煽ったバーボンが今になって効いてきたのか、それとも熱くなりすぎて酔いが回ったか、俊一の思考が停止し始めていた。
「お前はなぜそんなに形に拘るのだ。いいか、形に拘った時点で自由はなくなるのだぞ。仕事もセックスも同じことなんだ。自由がなくなったら想像は抑えられ自分の成長も抑えられるのだ。わかるか田所」
「・・課長・・は間違っ・・て・ます」
俊一はこれ以上西田に抗うことができなくなった。

これほど瞼が重く感じたことはなかった。
自分が今どこにいるのかよくわからない。
ただ肩からかかるバスローブには見覚えがあった。
「目が覚めたか?」
瞼だけではない重くなった頭を持ち上げると、隣の西田の顔が目に入った。
「・・課長?」
「大丈夫か?」
「すみません」
「気にするな、30分くらい寝てただけだぞ」
その30分の間、西田はバーボンを飲み続けていたのであろう。
ボトルはほとんど空に近い状態だった。
「飲むか?」
ボトルを揺すって聞いてきた。
「はい」
「お、見直したぞ」
「いつもこうして飲むのですか?」
「そうだな、・・私はここで外を眺めながら飲むのが好きだ」
氷を溶かすように、バーボンをゆっくりと注ぎながら西田は言った。
窓の外は眠らない都市が映っている。
「ひとりでですか?」
西田は俊一の顔をマジマジと見た。
「寂しさを紛らせてくれる男はたくさんいるぞ」
俊一にコップを差し出しながら言う。
「いえ、そういう意味ではないです」
「ふっ、そういうことだ。ただそれだけのことだ」
西田は寂しそうに笑みをつくり、残り少なくなったバーボンを喉に流し込んだ。
「寝る前のことを覚えているか?」
「寝る前?・・セックスがどうのとか?」
「お前は・・肝心なところは覚えていないくせに、どうでもいいところだけ覚えているのだな」
呆れ顔で俊一の顔を見た。
「まぁいい。所詮男と女だ。だがな、セックスで大体その男の性格というか、大きさとかそういったものがわかるものだ」
「・・・・」
「持ち物の話ではないぞ。大きければ女が悦ぶと男は思い違いをすることがあるが、大きさなど関係ない。女の気持ちをいかに大切にするかだ」
「・・・」
「自分勝手に気分を盛り上げて、気持ち良い?とか聞いてくるが、女は男に合わせて気持ち良いふりをするものなんだ」
「・・・・」
俊一は自分の行動を思い返していた。
「仕事もセックスも同じだからな。いかに相手の気持ちを察して、相手の気持ちになってやりきるかなんだ」
「形に拘るな。ですか」
「そうだ、形に拘ると視野が狭くなる。発想も乏しくなるばかりだ」
「いっている事はわかります」
「わかっていないな。そんな言葉が出るようではわかっていない」
西田はボトルに残ったバーボンを空にした。
「わかります」
俊一はムキになった。
「そうか」
コップに残る褐色は名残惜しそうに氷を鳴らしていた。
「僕は課長のことを勘違いしていました」
「男を食う色魔とでもいいたいのか?」
「いえ、そうではないです。逆です」
「いいんだ。当たらずとも遠からずかもしれん」
「どういうことですか?」
西田はコップに残ったバーボンを一気に飲み干すと、ふ〜っと息を吐いた。
「私は仕事では男に負けたくない。という気持ちが強い。だから、男が成しえない仕事をしたとき、自分に褒美をするんだ」
「・・・」
「それは高価なアクセや、ブランドのバッグかもしれん」
「・・・」
「だがな、本当の褒美はこの場所でのんびり飲むことなんだ」
この場所はロイヤルスィートルームであることを除けばなにも問題はない。
「ずっとひとりで仕事をしてきたのですか?」
西田は目を閉じて微笑んだ。
「だからなんだというのだ」
俊一にはその言葉が強がりに聞こえていた。
「僕は本当に課長のことを勘違いしていました。すみませんでした」
西田はゆっくりと薄目を開けて俊一を見た。
「気にするな。どこにでも勘違いと気違いはあるものだ」
「キチガイ?」
「変質者ではないぞ、気持ちの間違いのことだ」
「・・・・はい」
俊一は胸の痞えが取れたような感覚を覚え、熱く西田を見た。
「明日も仕事だ。そろそろ寝るか」
時間は4時を回っていた。
実質4時間も寝る事ができないかもしれない、が、それほど気が重くなることもなかった。
「課長」
「ん?」
「ありがとうございました」
俊一は立ち上がって頭を下げた。
西田は笑みを浮かべ、
「明日の仕事が終わってから言う言葉だ」
「・・・はい」
俊一は同僚が言った言葉「授業料を払って勉強しろ」の意味が今わかった。
その時、西田も立ち上がり俊一に接近した。
西田よりも俊一の方が背が高い。
西田は上目遣いに俊一を見た。
「そうだ田所」
「はい」
「褒美をくれぬか?」
「はい?」
「彼女には悪いが・・・」
西田は背伸びをして俊一の唇を奪った瞬間だった。
「まぁ、これくらいは許せ」
西田は悪戯っぽく笑ってみせた。
「・・・」
その事柄は俊一にとっても悪くない経験だった。
「本日はお忙しいところを、弊社のために大阪くんだりまで来ていただきありがとうございました」
「専務、堅苦しい挨拶はもういい」
昨日の酒が全く効いていないのか、朝から絶好調の西田だった。
「さっそくで悪いが」
午前中に行った工場見学は、見学というより監査といったほうがしっくりする内容だった。
「食事をとっていただいてからでも問題ありません」
「酒が入ると口が悪くなるのでな」
「わかりました」
丸菱の専務、古谷は西田よりもずっと年上なのにかなり低姿勢だ。
「専務」
「はい」
「今日の呼び出しは結果報告か?」
「はい、・・いえ、結果を踏まえた指導を賜りたいと思いまして」
古谷の焦りは手に取るようにわかった。
「前にも言ったが、ありのままを見せないと指導も中途半端になると言っただろう」
「はい、しかし・・」
「言い訳はいい、私にはありのままを見せろ」
「はい・・」
「専務は自分の会社をよくしようと思っているのか?」
西田は酒が入ると口が悪くなると言った。
しかし、この態度は酒が入っていなくても同じなのではないかと錯覚するほどだ。
「それはもう・・」
「ならば悪い部分を包み隠さず表に出さないとよくはならん」
「・・・・」
「それが証拠に今日の場合、指摘することがなにもない」
「ありがとうございます」
西田は古谷を訝しく睨んだままだった。
「本当にそれでいいのか?」
「・・すみません、次回はありのままを・・」
「次回はない」
古谷の言葉を遮るように西田が切り伏せた。
「そうおっしゃらずに・・」
「悪いが、今回の仕事を最後にしようと思ってな」
俊一はずっと俯き加減で黙って聞いていたが、西田のその言葉に思わず顔をあげた。
「やっとその気になられましたか」
「社長がうるさいのでな、そろそろ潮時だということだ」
「そうでしたか、それはおめでとうございます」
「気が早いな。決まったわけではないぞ」
「なにをおっしゃるやら」
古谷の顔は先ほどのものとは打って変わった。
そして俊一には何がなにやらさっぱりわからず、口にするのも気がひけた。
「田所」
「はい」
「お前が最後の護衛になるな」
西田は笑って言った。
「田所さんは今までのお供の方とはちょっと違う感じがしますね」
古谷は俊一の何を見てそう感じたのか俊一自身わかっていなかった。
「そう思うか?」
「思います」
西田は終止笑っていた。
「失礼しました、田所さん」
「いえ」
俊一は相手が専務と言うだけで恐縮しきりだった。
「実は弊社丸菱は西田様によって倒産の危機を脱することができたのです。御社と弊社の創立者は古き朋であり、苦楽をともにしてきましたが、不況の波に飲まれかつてない危機に瀕していたのです」
「もういいではないか」
西田は照れくさいのか口を挟んできた。
「そんなことより、酒だ酒だ」
照れ隠しに酒だと言う西田は、今まで見た事のないような可愛らしい部分がみえた。
「西田様のおかげで持ち直すことができたのですが、そればかりではなく過去にない成果を収めることもできたのです」
「もういいといっておるだろうが、酒を飲め酒を」
西田は古谷に語らせないように、どんどん酒を注いでいった。
俊一は西田との仕事を単なる営業だと思っていたが、ふたりの会話を聞くに至りそうではないと感じていた。

とにかくよく飲む西田と古谷だった。
壁越しに話だけを聞いていると、男同士の宴に勘違いされるほど口が悪い。
確かに口が悪くなると言っていたが、これほどだとは思わなかった俊一だった。
「田所君、まぁ飲め」
「はい・・」
酔っ払い相手に真面目に対応するほど馬鹿を見ることはない。
俊一のなみなみと注がれるコップを、目を細めて西田が見ていた。
「田所君、西田様はいいぞぉ・・」
「はい」
「見ての通り美人で、賢くて、恩義に厚い。しかもナイスバディーだ」
俊一は西田をチラッと見た。
「はぁ・・」
その瞬間、西田は俊一の頭を叩いた。
「・・・・」
俊一は自分の返事に気分が悪くなったのかと思って西田を見た。
西田はすごい睨みようで、箸を舐める素振りをした。
その素振りに、思わず自分の箸を見た。
(すみません)
俊一は言葉にはしなかったが、頭をぺこぺこ下げていた。
それを見た古谷は、
「田所君、君はいい上司、最高の上司を得たのだ。自慢してもいい」
とにかく古谷はご機嫌だった。
俊一は古谷の言葉をかみ締めながら、ふたりの酒の注ぎあいを眺めた。
そこには、言葉ではいい現せられないものが俊一の胸を支配していた。
「おはようございます」
「おはよう」
「久しぶりですね」
「そうだな」
ニコニコと話しかける俊一に対して、部下を連れた西田はいつもの通りのそっけないものだった。
「早いものですね」
「そうか?」
大阪出張より三ヶ月が経っていた。
西田は帰ってきて早々社長命令により、二階級特進の常務になった。
もともと部長待遇の課長であった西田は、やり残した仕事を片付けたいがため昇進を断っていたのだ。
「そっちはどうなのだ?」
俊一は西田によって部署移動させられ、主任の地位についた。
「営業ではなくなりましたが、社内での改善担当になりました」
「つまらない仕事だな」
「そうでもないですよ」
ひょっとすると俊一は西田の部署にいるときよりも顔色がいいかもしれない。
「私は人形になったよ」
「人形?」
聞き返す俊一に西田は微笑んだ。
西田は俊一の顔に自分の顔を近づけると、
「彼女とはうまくいっているか?」
そう聞いてきた。
俊一は意味がわからないまま「はい」と頷いた。
「つまらないやつだ」
吐き捨てるように俊一から離れる西田。
その西田からはいつもの香りが漂った。
「常務」
西田の取り巻きのような男たちがふたり西田を追っていった。
「人形・・?」
俊一は西田の言葉を繰り返し考えた。

お昼になると俊一は塩屋のところへ出向いていた。
「人形ねぇ」
「なにか気になる点がありませんか?」
顎に手をあてて考えていた塩屋が顔を上げた。
「ゆかり女史はあの性格だろう?」
「はい」
「自分の足で稼ぐのが主義なんだろうな」
「というと?」
「要するに報告を待つのではなく、結果を取りに行きたいのだろう」
俊一はどうすることもできないことに気がつく。
「田所」
「はい」
「大阪出張から帰ってきてからお前が手掛けたクライアントは、その後どうなのだ?」
「千葉商事ですか?」
「うん」
コーヒーを啜っていた塩屋が何かを含んで聞いてきた。
「業績はそこそこですが、原価が下がった分だけ黒字に転じたと聞いています」
「そうか・・、まぁそういうことだな」
俊一にはどういうことなのか見当もつかなかった。
「ゆかり女史はハードの面で長けているが、ソフト面が弱いといわれているからな」
「ソフト面?」
「うん、機械には強いが人には弱い」
「西田さんがですか?」
俊一はそんな馬鹿なと言いたげに聞き返した。
しかしすぐにあの大阪の夜のことを思い出して考えた。
「大阪から帰ってきて、噂がなにも流れないのは普通じゃない」
「どういうことですか?」
「今まで、ああいった出張の後はたいがい色んな噂やデマが蔓延っていた。しかし今回はなにもない」
「実際なにもありませんでしたから」
俊一は若干強い口調で否定するように答えた。
「常務は仕事ができるし、あの性格だ。妬むものも少なくない」
「・・・」
「快く思わない輩もいるってことさ」
塩屋は西田のことをよく知っている。
俊一は出張を共にしたのかと聞きたかったが、想像もしたくない気分にかられた。
「西田さんはすごい人ですよ」
「そりゃあそうだ」
「自分の気持ちにストレートで、仕事にも自信と責任を持ってあたる人です」
俊一は興奮気味に話した。
「授業料は払ったのか?」
「これから払います」
「そうか・・結構高いぞ」
塩屋は笑った。
俊一は仕事に戻ろうとエレベーターを待っていた。
エレベーターの扉が開いて出てくる四、五人の降客の中に、西田がいることに気がついた。
西田はエレベーターの前で待つ俊一の姿を確認したが、目で追うだけで言葉を交わそうとしなかった。
俊一は一歩エレベーターに足を踏み入れたにも拘らず咄嗟に踵を返した。
そして西田のあとを追った。
「常務」
西田は聞こえないようだった。
「常務」
俊一が何度も呼びとめようと試みたが振り向くこともなかった。
「西田さん」
さすがの西田も名前を呼ばれては無視するわけにいかない。
ひと気の少なくなったところで振り返る。
「なんだ、さっきからうるさいな」
「聞こえているのなら返事してくださいよ」
「私にもプライドというものがある」
「どういうことですか」
「私はお前に振られたからな」
俊一は出しかけた言葉を飲み込んだ。
「なにか用か?」
「・・・」
「呼び止めるな」
西田は踵を返して歩き始める。
「西田さん」
俊一は意を決して名前を呼んだ。
西田は振り向きもせず立ち止まる。
「今日、飲みに行きませんか?」
「どういう意味(こと)だ?」
「授業料を払うためです」
「いらん」
「僕は西田さんからまだ教えてもらっていないものがあります」
「全部教えたつもりだが?」
「嘘です、そんな中途半端でいいのですか?」
「中途半端だと?」
西田が憤慨して振り返ったとき、俊一は笑っていた。
「き・・・気持ちの悪いやつだ・・。・・・変更はないからな、ハイヤーは6時だぞ」
西田は再び踵を返して歩き始める。
「はい」
俊一には背筋をピンと伸ばして颯爽と歩く西田のうしろ姿が、心なし踊っているように感じた。
なんとなく中途半端に終わった気がする
”ご褒美”でした
(僕的には完璧なシナリオでしたが)

気が付かれた方がいたかもしれませんが
田所俊一(主人公)以外は
声優から名前を借りました

最後飲みに行ったふたりが
どんな関係になるのかは
ご自由ですので創造してみてください

ただ
男女の関係になると思った人は
どろどろの人間関係模様が想像できますね

とりあえず
脚本演出はお気楽極楽
朧 楊季でした(ちゃんちゃん)
刑事もの警察もの鑑識もの等は
勉強不足で書けないのです
お恥ずかしい話ですね

あまり長い話だと
飽きちゃうのが楊季なので
このくらいが最長でしょうね

ふたりの関係は
どこまで進めるかが鍵だったのですが
それこそ中途半端になりましたね(ワラ

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