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天女紀コミュの天女記 〜蒼天の果て〜 第二章:乱世の少女

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天女記 〜蒼天の果て〜 第二章:乱世の少女



「憐や?暇なら陳大人のところへ絹を届けておくれ!」
「は〜い!」
やたらと元気な声が母親に返る。
先刻、旅宿の女将小恵から頼まれたお使いを済ませ、満開の桜の木の下で遊んでいた少女は、軽い足取りで母親の元へと駆け寄って行く。
「まったく・・お前は長安へのお使いだけは、機嫌よく手伝ってくれるんだね?」
呆れたようにぼやく母親の言葉が聞こえなかったかのように、少女は嬉しそうな表情で母親から絹を受け取った。
鳳家は、古くは長安の大商家であったと母から聞かされていたが、いまではこうして十日に一度ほど長安へと絹を届けて生計を立てていた。母が絹を織り、少女は剣の修練の合間にそれを市場に届けることで、母娘二人がなんとか暮らしていける程度の生活であった。しかし、母は少女に優しく、天龍城の城下街の人々も、そんな仲の良い母娘を気遣い、なにくれとなく世話してくれている。
少女は、そんな平和な暮らしに満足もしていた。

少女は、市場の喧騒が好きだった。
日常品はもちろんのこと、安いもの、貴重なもの、便利なもの、様々な露店が立ち並ぶ長安市場。
長安は、宋国内では首都開封、旧都洛陽に次ぐ大都市である。開封と洛陽が政治的・文化的な発展を遂げているのに比して、長安は宋国内はもちろん、南方や西域との交易など、主に経済の発展した都市である。市日には、宋国全土の名産品や西域からの珍しい品まで立ち並び、大通りの露店商の売り声は無論のこと、買い手の民の表情にまでも活気が溢れている。

中華の誇る美麗絹は世界的にも名高く、国内各地はもちろん、遠く西域の国にまでもその名が広まっている名産品である。
陳大人は交易刺使であり、おもに西域との交易全般を取り仕切る要職に就いている人物であった。西域へ送る絹を宋全土から長安に集めているのだが、その中でも母の織る絹は織り目が細かく美しいと、長安市場でもとりわけ評判が良かった。少女自身も、暇をみては絹を織ってはみるのだが、手先が不器用なのか、なかなか母のようにはきめ細かく織ることができずにいる。少女は内心、そんな母を誇りに思ってもいた。そのような経緯からか、母と陳大人は長年の付き合いがあるらしく、陳大人はいつも母の絹を買ってくれ、少女も何度も絹を届けている。母が言うには、陳大人は開封の有力者とも面識があるほどの大人物だというのだが、少女にとっては、いつも可愛がってくれるただの好々爺にしか思えない。陳大人の孫娘が他家へ嫁いでしまってからというもの、ますます陳大人は少女を自分の孫のように扱い、鳳家の面倒までみてくれるようになっていた。

「寄り道しないで、夕暮れまでには戻って来るんだよ?」
母は、まるで少女の思惑など見透かしているかのように、釘を刺した。
「は〜い!もう子供じゃないんだから、わかってるってば!」
少女は、心配そうな母親の顔も見ずに、嬉々とした表情で手早く支度を済ませると、「空牙!いくよ?」と、連れの狼に声を掛け、城門へ向かって走り出した。
満開の始天桜を見上げていた狼は、まるで少女に返事をするかのように軽く一声唸り、少女に駆け寄ってゆく。
母親は諦めた様子で軽く頷くと、娘のその小さな背中を見送った。




天龍城は、長安の西に位置する都市である。
長安までは約二十里ほどの道程で、馬だと半日、少女の足でも一日で十分往復できるほどの距離である。街道も整備されており、旅人は自由に往来ができるようになっている。
かつて、中華で初めて自らを皇帝と名乗る英雄が現れた頃の時代、現在の天龍城付近は咸陽と呼ばれ、帝都として繁栄を極めていた。始皇帝の離宮として造られた阿房宮は、いまでも天龍太守の居城として残っており、この地の繁栄の記憶を留めている。その後統治者が変わるにつれ、徐々に現在の長安が関中の中心都市となっていったが、いまでも天龍城付近は関中地域の交通の要衝であることに変わりはなく、そのため古来から何度も、長安・洛陽へと進軍するための争奪の地となった歴史がある。

天龍城から街道沿いに十里程歩いた頃、少女は足を止めて休むことにした。
「空牙?ここでちょっと休憩しよう?」
連れに声をかけると、少女はさっさと木陰へ向かい、小さな背中を幹に預けて座った。
「う〜ん・・・ねぇ、空牙?今日もいい天気だねぇ・・・」
少女は背伸びしながら、足を伸ばして仰向けになった。
連れは面倒そうに一声唸ると、木陰に寝転んだ少女の足へ頭を乗せた。
長安へと続く街道には、旅商人らしき姿が多かった。うららかな春の陽気に誘われて、木陰で居眠りしている者さえもいた。
しかし、ときおり腰に剣や弓を帯びた者の姿も見受けられるのは、やはり時勢というものなのであろうか。

先帝真宗の時代は、たびたび他国からの侵攻もあり租税も苦しかったが、両国との和睦以来、国内の政治は一応の安定があった。
しかし欽宗の即位後は、開封では宰相秦檜が政権を独占し、軍も弱体化した。いまではすっかり宋の政治は乱れ、各地で治安も悪化して賊が出没するため、国内の旅商人でさえも隊商を組んで品を運んでいる者もいるという。民も賊の襲撃におびえて暮らしているところもあると聞くが、ここ天龍城ではそんなこととはまったく関係ないかのように民は平和に生活しており、乱世の渦中でも忘れられた土地であるかのようにすら感じることがある。

しかし、少女の甘い感慨とは裏腹に、乱世の世情とは敏感なものである。
だいぶ以前から、街の有力者や大商人などは世間に呼びかけ、官軍とは別個の武装集団を組織し初めていた。彼らは「侠客」と呼ばれ、主に隊商の護衛や街の治安維持などに一役買っていたため、世間ではすでにいち早くその存在が認められるようになっている。大抵は五〜十人程度の少人数の護衛集団が多いが、高名な侠客が率いる集団はかなりの人数になり、五十人を超す大きな集団もあった。世情に敏感な侠客は、いちはやく名の有る侠客に弟子入りし、教えを乞う者もいる。そのような大集団は「門派」と呼ばれ、小規模ながらも義勇軍として、官軍の任務を代行する門派までもあった。

もともと侠客とは、武術はもちろんのこと、医術や暗器など、それぞれが独自の特技を持った武芸者を指す。また、その道に長じた者の中には禁軍兵以上の武術を持つ者さえもいると言われ、そのような者は「武侠」や「医仙」などと尊称され、官の太守や将軍にも劣らぬほどの高い名声を得ていた。
しかし、彼等が何よりも民衆を惹きつけた理由としては、彼等が官軍のように単なる武術のみを追求する武芸者ではなく、己が信ずることならば、命を掛けても貫き通すという「侠」の精神を尊んでいたからに他ならない。「弱者仁愛、信義貫徹」など、彼等の掲げる信念とはまさに、いつの時代であっても弱き民衆の望むものである。彼等が「侠客」と呼ばれることに一方ならぬ誇りを持つのは、このような理由からであった。ゆえに、少女のような者はまだ「侠客」とは呼ばれず、単なる「修練生」と呼ばれていた。少女は自分が「侠客」と呼ばれることに軽い憧れは感じていたが、どちらかと言えば、母娘二人で平和な暮らしを続けていければそれで良いと思っている。

木陰を吹き抜ける風は、心地よく少女の頬を撫でていた。




侠客という存在が世間に注目されるきっかけとなった事件は、いまから百年程前に起こった「十二天魔の乱」であった。

白昼突如太陽が姿を消したその日、突如、十二天魔と名乗る半人半魔の悪鬼達が現れた。
彼等が何の為に現れたのか、何処から来たのか・・・当時も今も、誰も知るものはいない。
彼等は手始めに山東地方を襲った。
一切攻め声も立てない兵を率いて城壁に兵を登らせると、街に火を放たせた。
無論、山東の守備兵は応戦したのだが、彼等に立ち向かっていった者は悉くその魂を操られ、屍兵となっていった。
それは、「操屍の法」と呼ばれる、いまでは忘れ去られた古魔道の禁呪であった。
山東屈指の勢力である泰山派が崩れ去ったという伝令と同時に、斉南の剣派も壊滅したという急使が開封に到着した。山東、斉南の官軍を屍兵として吸収した彼等は、開封を取り巻くかのように福建、広東など周辺地域を陥落させながら迫っている。その上さらに、北方民族の遼までもが、天魔に呼応したかのように北方に攻め寄せてきた。
この期に及び、宋は滅亡直前の危機に瀕した。
力なき民衆は、ただ救国の英雄の出現を待ち望みつつ、ひたすら逃げ惑うばかりであった。

そのような状況下である。
官軍だけでは到底手に負えないと判断した各大門派は、救民報国の旗を掲げ、天魔に立ち向かっていった。
魔道総本山である魔教が彼等に挑んだが、脆くも崩れ去り、十万人の魔教信徒が血の海に沈んだ。
続いて、武林総本山である百八羅漢大陣も彼等に挑んだが壊滅し、伝統ある少林寺は焼け落ちた。
元来が敵対勢力であった魔教と百八羅漢大陣である。ともに力を合わせて攻めかかることもできずに、各個撃破されてしまった。

ここに至り、民は希望を失った。

そのとき現れたのが、当時まったく無名の一侠客だった天龍大侠である。
彼は、敵対していた勢力同士でも一切構わず敗残兵を糾合し、十二人の仲間に率いさせ、天魔を萬大山仏会谷に誘い込み、仲間とともに包囲した。
そして彼は、十日間に及ぶ激闘で三千人を超える犠牲を出しながらも、ついに天魔を封印することに成功し、1004年には、遼も和約を結び兵を返していった。

天下は平和を取り戻した。

救国の英雄となった彼は「天龍大侠」と崇められ、天魔の乱から二十年後、すべての侠者を代表する「天下武林盟」の盟主となった。当世最高の達人と称される彼の信念の下、侠者は「民に報いるべし」との共通理念を持つに至り、世間では悪事を働く者さえ姿を消した。
一部には天龍大侠から離れて独自の理念を保持している門派もあったが、そのような門派でも、平和を乱すことは本位ではないため、本山に籠もって修練を続けるという姿勢を保っていた。

彼の統率の下、全ての民は平穏に暮らすことができていた。

誰もが「彼がいる限りは平和に暮らせる」と、そう思いだしていた頃に、その事件は起こった。
彼が突如暗殺されてしまったのだった。しかも犯人は彼の妻である牡丹夫人であったという。
夫人が夫の亡骸を前にして、呆然と呟いた言葉が人々に衝撃を与えた。
「彼等が・・・彼等が戻ってきた・・・十二天魔が復活した・・・」
その一言が天下を揺るがした。
真宗をはじめ、中央政府は軍備や遷都論で混乱を極め、いち早く逃げ出す民すらいた。
事態を重く見た各派は、それまで天龍大侠から離れていた魔教や西蔵の天龍寺をはじめ、天下武林や世外武林などの邦派までもが続々と天下武林盟へと終結してきた。

−本当に奴等が復活したと言うのか?
−再びあの惨劇が繰り返されると言うのか?

誰もが、天龍大侠亡き今、立ち向かえる者はいないと思っていた。
誰もが恐れ、息を潜めて見守っていた。
しかし、何故か数年の時が経っても、何も起こらなかった。
そして、誰もが「思い過ごしだったのか?」と考えるようになってきた頃から、目に見えて宋の政治は乱れてきた。軍備に費やした費用を徴収するために租税は重くなったが、肝心の軍内では派閥争いのために弱体化が進んでゆく。
1044年に西夏が侵攻してきた際はかろうじて防いだが、今後もまた官軍だけで撃退できるとは、誰もが思っていない。いまや民がその身を守るには、もはや自衛するしか手段がなかったのである。

そのような時勢の中、いまや彼等「侠客」は、郡の太守からさえも一目置かれる存在にまでなっていた。

なぜなら、先帝の時代以来、宋は周辺の国々の圧力に悩まされているためである。
宋の北方には遼があり、また西方にも西夏がおり、さらにはほんの数年前の1115年、東方の満州では女真族が金という国を起こしていた。南方では南詔が滅んだのち、大理が起こっていたが、こちらは宋とは友好的な関係を結んでいる。
現在、宋はこれらの国に財物を贈ることによって外交を維持している状態である。
宋は1004年、遼との澶淵の盟以来、毎年銀十万両と絹二十万匹を遼に送り、西夏に対しても、1044年の慶暦の和約以来、毎年銀五万両、絹十三万匹、茶二万斤を送ることで、両国と相互不可侵条約を結んでいた。
十二天魔の乱で、宋は莫大な軍事力を消耗した。
外交政策により、一応の平和を保ってはいる状態であったが、民は乱世の盟などに何も意味も無いことを知り尽くしている。既に河北では不穏な空気が漂っていると噂されるが、民は、もはや弱体化していく官軍には何も期待していなかった。河北では、太守自ら義勇兵まで募っており、民の義勇兵や、流れ者の侠客などが参集してきているという。

少女も一年ほど前から、母親の薦めにより月迷風影という門派に所属し、日々修練に励んでいた。少女はもともと剣術にまったく興味はなかったが、ただ、「乱世ゆえ、自分の身は自分で守れるように」という母の言葉には真実があると思い、剣の修練は続けていた。いまでは多少、剣の扱い方も身に付いてはいたが、少女はまだ世の動きのこと関心はなく、もっぱら暢気なことばかり言っては、母を困惑させている。母は、少女のその暢気さに対しては小言ばかり言うのだが、天龍城の街の人々は「なにぶん年端も行かぬ少女ゆえ、さして心配することもなかろう」と言って笑っていた。

少女はまだ、何の為にその剣を振るうのかなど、まったく考えたことはなかった。



少女がまだ八歳になったばかりの春、母親に連れ添われて月迷風影の門を叩いた。
入門の日、幼い頃の記憶ながら、母が何故か熱心に懇願していたのだけははっきり覚えている。

月迷風影は天龍城を本拠としており、斎慎という侠客が主を務めていた。
男の年齢は三十代なかばというところであろうか。別段、荒々しい雰囲気を持つわけでもなく、かと言って、豪奢な服装をしているわけでもない。だが、その落ち着いた仕草は、信頼するに足る人物であることを感じさせるには十分であったし、背負っている刀は黒く妖しげな光を放っており、それらの様子から、彼が侠客としてかなりの内功に達していることがわかる。

入門の日、その斎慎という男は、少女を一目見るなり、ただ一言「まだ早い。」とだけ言い残して奥の自室へと戻ろうとした。
別段、剣術に関心が無かった少女は、断られたのを機に退出しようとしたが、意外にも母は斎慎の服の袖を掴み、なにやら小声で斎慎に囁いていた。沈着な様子の男だったが、母の囁きがよほどに意外であったのか・・その表情が軽い驚きに変わっていた。

斎慎は私の眼を覗き込みながら、ゆっくりとした口調で私に語りかけてきた。
「少女よ、そなた・・名はなんと申す?」
穏やかな口調ではあったが、少女にとっては気圧されるほどの威圧感があった。
「はぃ・・鳳憐と申します。」
私の眼を覗き込みながら、彼はなお問いかけた。
「鳳憐よ、剣の道は険しいが、修練に耐えられると思うか?」
私は困惑してしまった。元々、剣に関心があるわけでもなく、母の薦めで来ただけで、修練がそこまで激しいものであるならば・・・と考えてしまっていた。
そんな私を落ち着かせるためであろうか・・彼は私の答えを聞くつもりもないかのように、門の様子などを話し始めた。

「我が門派は、兵士や修練生を取り纏める立場の者だけでも軽く数十人を数える、比較的大きな門派でな・・。現在、斎慎の他は各地でそれぞれの任務や修練をこなしており、ここにはみな不在であるがな・・。ときおり任地から戻ってくる者もおるゆえ、その時には修練してもらうがよかろう。」
窓の外では、修練生達が気炎を上げながらそれぞれの修練に励んでいた。
斎慎も窓の外へ眼を向けながら、話を続けた。
「ここでは主に、まだ侠客としての資格を持たぬ修練生らが数十名、ともに鍛錬に励んでおる。剣術や槍術の腕を磨く者、医術を身に付けようと学ぶ者、巨大な戦斧を振るってその膂力を発揮する者、暗器を使いこなす者など、ここには様々な者がおり、みなそれぞれ、己が道を究めんと修練に励んでおる。この中で、そなたも修練することになるであろう・・・。幼きそなたには、まだ無理なのではないかな?」
彼の口調は穏やかではあったが、有無を言わせぬだけの拒絶の意思があった。
「はぃ・・・私には剣の道は向かないかと思います・・・」
私は、思わずそう答えてしまっていた。
斎慎はその答えを予期していたかのように、別段驚くふうでもなく、私を眺めていた。
「鳳憐よ。そなたは剣を握って何を為すつもりであるのか?」
彼の問いかけた言葉は、私にとっては予期せぬことであった。私はこれまで、剣に関心があったわけでもなく、何を為すか・・など考えたこともない。
答えに困っている私を見ながら、彼は静かに語り始めた。
「鳳憐よ。いまのそなたに問うべきことではないのはわかっておる。しかし、剣を振るう者は、たえず剣の意義を考え続けねばならぬ。意義なき剣は、邪剣にすぎぬことを覚えておくがよい。」
これまでその手に剣を握り続けてきた彼の言う言葉である。そこには真実が込められているようであったが、私には全く理解しえることではなかった。
黙って頷くと、母は私に「外で待っていなさい」と言い、奥の斎慎の部屋に入っていった。

その後しばらく、私は外で一人待たされた。
母と斎慎との間で、何を話していたのかはわからない。
しかし、何故か翌日から少女の入門は許されていた。
経緯はともかく、普段は見せたことのない、母親のその異常なまでの熱意に内心驚きながら、その母親の想いを裏切るような真似だけはしない、と幼な心に思ったものだ。
以来私は、理由も分らぬまま、斎慎の元でひたすら六合剣法の修練に明け暮れてきた。

一二歳の春に、父の真相を知るまでは。

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