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古い映画を語ろう!“Gay ”コミュのわが青春の一本 − ウエストサイド物語

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もうかなり前の事だが、100万人の映画ファンを対象にした「わが青春の一本」という一大アンケートを一冊に纏めた文庫本があった。青春時代に観た映画の中から、これぞ!という一本を選ぶというアンケートだった。

自分だったら何を選ぶか考えてみた。うーん、難しいっ!子供の頃から映画好きだった私は、青春時代にはまことに数多くの映画を鑑賞したものだ。だから、たった一本を選ぶのは至難の技、というより不可能に近い。高校生、大学生の頃は、週に一度や二度は映画館へと足を運んでいた。とすれば、少なくとも一年に52本の映画は観た計算になる。『旅情』『ローマの休日』『エデンの東』『道』
『死刑台のエレベーター』『太陽がいっぱい』『南太平洋』『草原の輝き』『アラビアのロレンス』等々、映画館で観た様々なタイトルが次から次へと浮かんできた!映画の良し悪しに関わらず、好きな映画は沢山あり過ぎる。しかし、もし、どうしても一本という事になれば、高校三年の時に観た『ウエストサイド物語』を選んでしまう。

『ウエストサイド物語』の舞台であるニューヨークへは休暇や仕事で幾度か訪れている。NYCに到着前の機内の窓から眼下に広がるニューヨーク市街を眺める度に、『ウエストサイド物語』のオープニングが鮮明に蘇る。70ミリの画面いっぱいに、マンハッタンの超高層ビル群が大俯瞰でとらえられ、カメラが少しずつ移動して行きウエストサイド地区に到達するや、急降下してビルの間のグラウンドでフィンガー・スナップしているジェット団の姿をクローズアップで捉える導入部!

61年の暮に東京で封切られたこの名作を実際に目にしたのは、数ヶ月経ってからだった。当時は東京や大阪で先行ロードショー上映されても、広島の様な地方都市ではなかなか封切られなかった。テレビやラジオで、『ウエストサイド物語』についてのトークショーを聴いたり、映画雑誌の特集などを読む度に、”早く観たい!”と、期待がどんどん膨らんでいった。初めて『ウエストサイド物語』を観たのは、親戚を尋ねて行った福岡市の中州にあった福岡SY松竹座という映画館だった。胸をときめかしながら切符を買って映画館に入ったのを憶えている。幕が上がって館内が暗くなり暗闇に「ピッピーーピ!」と口笛が響き渡るとユナイテッド・アーティストのロゴが現れレナード・バーンスタイン作曲の序曲が始まった。その時の興奮は忘れもしない。一度では満足し切れず、続いて二度も観てしまった。福岡から広島に帰ってから少しして、広島朝日会館という大きな劇場で『ウエストサイド物語』の公開が始まった。長蛇の列も何のその、頑張って三度目四度目の観賞に行った高校三年の春だった。

この映画の良さは、何度観ても新鮮さを失わない斬新さであると思う。ドラマ、音楽、ダンスが渾然一体となってダイナミックに迫ってくる。人種差別や偏見、貧困、セクシュアリティー等の社会的問題も取り入れ、上甘美でロマンチックで悲劇的なストーリーが70ミリ大画面に展開され目が釘付けになる。フィンガー・スナップしながら飛び跳ねるエネルギッシュでダイナミックなダンスと様式化されたバレーのようなダンスを混合させた振付の斬新さ。そして全編に散りばめられたレナード・バーンスタイン作曲による素晴らしい楽曲の数々!昨今のミュージカルには覚え難い曲がほとんどであるが、この『ウエストサイド物語』の楽曲には一度聴いただけでも口ずさめる曲が多くある。観終わって映画館を出て、「トゥナイト」や「アメリカ」、「マリア」や「アイ・フィール・プリティ」等を口ずさみながら、指をパチン、パチンと慣らしながら歩いている自分があった。

監督はロバート・ワイズとジェローム・ロビンスの二人。ロビンスは、自分自身のブロードウエー・ミミュージカル”ウエストサイド・ストーリー”に引き続き振付監督として映画化に参加。振付師として稀有な才能の持主だと映画版を観て納得。ダイナミックな群舞の素晴らしさには圧倒される。冒頭でのシャーク団とジェット団の街中でのエネルギッシュな追っかけシーン、体育館でのマンボ合戦、アパート屋上でのシャーク団とアニータ達が踊り狂う”アメリカ”、高速道路下のランブルでの様式化されたダンス、そして怒りとフラストレーションが爆発するガレージでの”クール!”等、どのシーンにも、エネルギーが溢れ圧倒される。

『ウエストサイド物語』の出演俳優達の中で、当時の私が知っていたのはマリア役のナタリー・ウッドとリフを演じたラス・タンブリンの二人だけだった。トニー役のリチャード・ベイマーや、ベルナルド役のジョージ・チャキリスそしてアニタを演じたリタ・モレノは、私は全く知らなかった。でも、それぞれが正に適役!ナタリー・ウッドのファンだった私は、『ウエストサイド物語』を初めて観た時、この女優はマリアを演じるために生まれて来たとまで思ったものだ。白いドレスをまとって可憐で清楚な容姿のマリアが、屋上で一人舞うシーンの素晴らしさ!純心無垢なマリアが人種の壁を越えて白人と愛し合い、実の兄を恋人に殺されるという悲劇を経験し、愛する事の激しさ哀しさを味わい、強かな女性へと変っていく姿。ナタリー・ウッドは、そんなマリアをよく演じ切っていたと思う。

若かった頃は、この映画の音楽やダンス、ファッション(ジーンズやコットンパンツ、バスケットシューズ等など)などに興味が集中していた様に思う。しかし、後年繰り返し観ているうちに、スティーブン・ソンドハイムのリリック(歌詞)の素晴らしさに気付くようになった。英語が理解できるようになったからであろう。字幕の和訳では、歌詞の良さ、素晴らしさはなかなか伝わり難い。ソンドハイムの歌詞には、ユーモアやシニシズムもピリッと効いていて、聴く者の胸を打つ、考えさせられる。ソンドハイムの詞は「オフィサー・クラプキ」とか「アメリカ!」、「Somewhere」等どれもこれもいいが、私が一番胸を打たれたのはアニータが唄う「A Boy like That !」とマリアが唄う「I have a love」だ。マリアの恋人トニーがアニータの恋人ベルナルドをナイフで刺殺するという悲劇が起こった後、アニータがマリアを訪れ、悲しみと憤怒を爆発させるようにマリアに向かって"A boy like that will give you sorrow -- You'll meet
another boy tomorrow! One of your own kind, Stick to your own kind !"
と歌い上げると、マリアがアニータの気持を汲みながらも、愛の強さを"Oh no, Anita, no ... It isn't true not for me, It's true for you, not for me.....I have a love, and it's all that I have. right or wrong, what else can I do ?"と歌い上げると、アニーととマリアが手を取りながらデュエットで"When love comes so strong, There is no right or wrong, Your love is your life !"と愛の不条理を切々と歌う。このアニータとマリアの二重唱のシーンを見る度に聴く度に、感動してしまう。

『ウエストサイド物語』を初めて観た時から既に46年という長い歳月が流れてしまった。今尚、サンフランシスコの名画座では年に一度は、この映画が上映されている。しかも70ミリの大画面でだ。その度に、私は観に行くのだが、満席の館内で今も多くの人達を感動させている『ウエストサイド物語』は、私の青春の一本だ。素晴らしい映画『ウエストサイド物語』に乾杯!


コメント(12)

しげさん、
『ウエストサイド物語』公開時、8歳でしたか。リバイバル上映でこの映画をご覧になったんですね。全ての映画について言えると思いますが、映画は暗闇の中の大画面で観るに限ります。特に『ウエストサイド物語』のダイナミズムは6本トラックの大音響と巨大スクリーンで観ないと、なかなか伝わってこないかも知れませんね。「マリア」がいちばんお好きな曲だそうですね。体育館のダンスで運命的な出会いをした後、トニーが街を彷徨いながら歌う曲ですね。美しい曲です。
登場(で)ましたね!
僕らの世代にウエストサイド・ショックを与えたミュージカル映画の最高傑作!
シェークスピアの原作が下敷きになっているそうですが、それまでの砂糖水を飲まされるようだったハリウッド・ミュージカル映画のイメージを見事に払拭してくれました!
70ミリで展開される大型画面もショックでしたし、なによりもレナード・バーンスタイン
の旋法による音楽が素晴らしかった!これもショックでした!。
オフビートのフィンガー・カウントの練習をしたり、「アメリカ、アメリカ」の複雑な
手拍子の真似をしたり、熱にうなされたような当時の記憶が蘇ります。
一本の作品を10回以上、それも劇場で観たのはこのウエストサイド物語くらいです。
ビテオやDVDで観る気はまだありません。
大学に入ってからも、新宿にあった名画座(曰く因縁付の映画館でした)にも同級生
を誘ったりよく出かけました。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=5691270&comm_id=275597
『草原の輝き』という僕の大好きな映画に主演していたナタリー・ウッドも既に亡く、
リチャード・ベイマーなどの消息はどうなっているのでしょうか?
イタリア映画やフランス映画でも活躍したジョージ・チャキリスも大好きで

僕のご贔屓だったベJ・P・ルモンドと組んだ作品もあったと思うのですがタイトルは忘れてしまいました。
奇しくも僕の日記にヒロさんがアメリカについて書かれておりました。
僕はこの映画を観てアメリカに興味を持つようになりました。
Sharakuさん、
そうでしたね、団塊の世代そして私の世代にとっては忘れられないミュージカル映画の傑作ですよね。社会現象にもなりましたね。ショックは芸能界にも広がり、あの頃のテレビやラジオではみんなウエストサイド熱にかかっていました。
『ウエストサイド物語』を10回以上もご覧になったのですか。私は、それ以上です。DVDは3〜4年前に特別版が出た時に購入し、2、3度観ました。やはり、映画館で観るようなインパクトはありません。
『草原の輝き』お好きなんですね。私も、あの映画は大好きな一本です。ナタリー・ウッド良かったですね。アカデミー賞にノミネートされましたが、残念ながら逃してしまいました。『草原の輝き』の直後が『ウエストサイド物語』で、彼女は波に乗っていました。ジョージ・チャキリスは『ブーべの恋人』と『ロシュフォールの恋人たち』の二本が好きでした。いつか、NHKのドラマ『日本の面影』を録画したものを送ってもらった時、チャキリスが小泉八雲を演じていたのにはビックリ仰天したものです。

洋平さん、こちらこそ初めまして。何卒よろしくお願い申上げます。

「ウエストサイド物語」の登場は、それまでのミュージカルを根底から覆す様な、衝撃的な事件でしたね。ジェローム・ロビンス自身は、甘いおとぎ話的なミュージカルを壊してみたかったのかも知れませんね。そんな彼のエネルギーが伝わってくるようでした。

舞台は一度も観たことがありません。映画と比べてどうでしたか?「マイフェアレディー」、「ヘアスプレイ」、「屋根の上のヴァイオリン弾き」そして「コーラスライン」等は映画と舞台の両方を観ているのですが。

「草原の輝き」が、青春時代の想い出の一作とか。私もこの作品、大好きです。ナタリー・ウッドが痛々しかったですね。彼女が、自分の過去との決別をする為に、ウォーレン・ベイティ(役名はバッドでしたか)に会いに行くシーンは印象的でしたね。あのシーンでも、ナタリー・ウッドは純白のドレスを着ていましたね。ツバの広い帽子と白いドレス、よく似合っていました。

想い出の一作といえば、「草原の輝き」もそうですが、「シェルブールの雨傘」もどうかなと迷ったんですよ。
洋平さん、
菊田一夫の東宝ミュージカル、一度も観たことはないのですが懐かしいですね。
江利チエミと高島忠夫の『マイフェア・レイディー』、越路吹雪と市川染五郎の『王様と私』それから雪村いづみの『ノー・ストリングス』など、次から次へと菊田版ミュージカルが誕生しましたよね。本場ブロードウエーとは比較にはならなかったでしょうが、日本でブロードウエーのミュージカルが観られるというだけで、憧れていました。今日の俳優陣にしてもそうなんですが、日本とアメリカを比較すると、俳優陣やダンサーの層の厚さ広さには大きな差がある様です。

私は、『草原の輝き』はDVDで持っています。エリア・カザン監督で作品としても高い評価を受けたもの、今観ても作品の良さには変りないと思います。年齢を重ね、様々な人生経験を積んだ事で、初見の時には気づかなかった部分はありましたが、何度観てもあのラストのシーンには胸がいっぱいになります。

『ウエストサイド物語』のブロードウエー舞台版を日生劇場でご覧になられたのですね。羨ましいです。いつか再演されれば、是非観てみたいものです。
あかひとさん、始めまして。コメント、ありがとうございました。

京都でこの『ウエストサイド物語』を初めて観られたのですね。京都は大好きな町で、ここ数年帰国する度に、訪れております。

私とあかひとさんは同世代なんですかね。石原裕次郎や小林旭の日活映画も沢山観ていましたよ。特に裕次郎映画が大好きでした。小林旭は渡り鳥シリーズを次から次へと観ていましたね。日活がアクション物と青春文芸物を制作するようになってからは、吉永小百合の青春映画をよく観に行ったものです。懐かしく思い出されます。

確かに、『ウエストサイド物語』を初めて観たときは、衝撃的でした。オープニングから引き込まれてしまって、最後のエンド・クレジットまで身動きもせず画面に釘付けでした。この映画を観るたびに、あの頃の清秋時代が蘇えってきます。

あの当時は、入れ替え制というのはありませんでしたね。当時、私は広島に住んでいました。入れ替え制で指定席券を採用し始めたのは、『クレオパトラ』か『マイフェア・レディ』だったと思います。どちらも、70ミリ超大作映画でした。

コメント、ありがとうございました。また、このコミュで古い映画について語り合いものです。
はい、ウエスト サイド物語ね、良かったね、今でも音楽を聴くと
シーンが思い出します、レコードも買った覚えが有りますよ、、
バースタインが後にオペラの歌手を使ってまた吹き込みしましたね、
私はあまり好きでは無かったけど、オペラの歌手のウエスト サイド、
やはり映画の方が良かった。
黒竹さん、初めまして。コメント、ありがとうございます。
オペラ歌手は、キリ・テ。カナワがマリアで、ホセ・カレラスがトニーだったと思います。カレラスは素晴らしいテナーを聴かせてくれますが、「ウエストサイド」の楽曲には不向きでしたね。どうして、大仰な唄い方になってしまう。オペラ歌手がポップスなどを唄うのは、歌舞伎役者がテレビで演技するのと似ています。どうしても、見得を切ってしまうんですね。

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