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同人 創作 自伝小説倶楽部 コミュの自伝 5 最終回 右手崩壊  作 風野 うらら

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自伝 5 最終回 右手崩壊  作 風野 うらら

母方の実家がある宇部の専門学校に通い始めた私は、もうどうでもよくなっていた。
わずかばかりの同い年の連中は不良ばかり、他の生徒?は会社を退職した爺さん、おっさん… まぁ海軍あがりの爺さんも何人か居たので貴重な戦争話は沢山聞けた。

ただ悔しい思い出と言えば中学の卒業アルバムを貸してといわれてそのまま貸したらかえって来ず… 後々悪徳セールスに利用するために業者に売り飛ばされた事がわかった事だ。

社会人になった私は親戚の勧めでボンベの会社で働いてました。昔の酸素ボンベは重い物は300キロありました。
ある日そのボンベを車に積み込む作業の時、あまりの重さに耐えかねてボンベと一緒に倒れこんでしまいました… ボンベは私の右手の指の上に… 相方の運転手は慌てて駆け寄って来ました。
呻いてる私のそばに来ると右手の手袋を外してくれた、私が自分の傷を見ようとすると相方は
「見るな!!」
私を怒鳴りつけました。

私はそのまま救急車で病院に搬送、右の指は平たくつぶれて親指以外は全て骨ごと縦に割れていました。
病院に付くとすぐに手術、指四本は縦に固定されました。
医者には二度とまともに動かせないといわれ、その日から私のリハビリは始まりました。
でも人間の回復力はスゴイ物で、一年も経たない内にグーだけは握れるように成りました。

ただペンを握ると指の感覚がおかしい… 特に小指が痛いというか、絵や字を描いてる時に小指が切り落としたくなるくらい邪魔、そんな時に、正月遊びに来た岡山の親戚からこっちで仕事出来ないなら岡山に来て縫製の仕事手伝いなさいと、半ば無理やり着の身、着のままで車に乗せられ岡山に護送させられた。

岡山では朝の六時から、夜十時まで強制労働、自分の時間が全くもらえなかった。
救いは、小学の時に別れた親戚のお兄ちゃんや妹とまた一緒になれた事だった。
最初は子供達は全員二階で、親戚夫婦は下で寝泊り、しかし旦那の方が義理の娘と何かあってはいけないとヤキモチを焼きだしたのだ。

その家族は旦那だけが血がつながってなかった… 汚い話だが奥さんのほかに娘にも異常な愛情を注いでいた。

旦那は義理の娘と奥さんとで二階占拠、私と親戚のお兄さんは下で寝なさいと半ば強引に入れ替えさせられました。

食事の度に旦那は仕事の事で私を怒ってばかり、怒られながらの食事はまずく… 一日中面白くも無い仕事漬け… テレビも漫画も見れない… 半年も経たない内に私はノイローゼになってしまいました。

次の給料が出たらここを出よう! 実家には帰れない… 帰れば岡山に連れ帰される。
あてもなく東京への切符を握り締め新幹線に乗っていた。
東京には一度行って見たかった… 東京でお金散財して、無くなったら浮浪者にでもなろう…

でも心の弱い私はお金が後一万円というところで思いとどまった。
ここで終われない… 
お金が足りないので東京駅で新幹線の入場券だけ買って飛び乗った。

目的の小郡駅まで着いたが当然、新幹線の改札はそのままでは素通り出来ない… 改札前で切符探す演技をして駅の職員さんに新幹線の中で切符落とした事を告げると、職員さんはどの駅から乗って来たかといくら掛かったかを聞いて来た。
私が金額を言うとそれを信じてくれて白切符(今はJRになったのでこの制度は廃止されてます。)をくれた。

私は母に頭を下げて岡山での出来事を話し、家にもう一度戻る事が出来た。

私はある日、アニメで少女が魔法で人々に夢や希望を毎回与え続ける話を観て思った。このままではダメだよね、もう一度絵を描いて勉強し直そう。
全て自力で夜間や通信教育の漫画講座や代アニ等を片っ端から受けて卒業した。

そんな中、私は当時まだ、同人即売会=コミックマーケット、略してコミケという名称がみんなの物だった時代、地方のコミケに初めて行った。

当初はすごく緊張した… 皆真面目にプロを目指してる人ばかりなのにこんなに汚れた私がヒツジの群れの中に居ていいのだろうかと… 本気で思ってた。

でも参加の仕方を覚えて、人と触れ合って行く内に分かって来た。
いろんな人が来てるんだと、何より嬉しかったのがコピーとはいえ目の前で自分の描いた漫画が売れて行く事… すごく嬉しかった、今思えばごめんなさいである。
とても人様に見せられるレベルの漫画ではありませんでしたね…

そして絵だけで食って生きたいと思うようになり、書店とかまわり、今でいう所のポップ、店舗促進用のイラストの仕事を自分で取ってくるようになりました。

下手なくせにちっぽけなプライドがあるものだから、お店側のリテイクで納得いかずに仕事蹴ったりもしましたがそういうのに慣れてきました。

タウン誌のスタッフ公募に自分の漫画持ち込んで連載開始、原稿料は最初の一ページ分だけ、後は全て踏み倒され、原稿も一枚も帰って来ないまま編集長とそのスタッフは夜逃げ… でも楽しかった。

編集長はパソコンが好きで事務所に当時、記憶媒体がカセットデッキの時代に五台くらいパソコン並べて子供達に一回百円でゲームやらせてた。

編集長の家に遊びに行くと編集長とルームメイトの友人がパソコンのある画面をみせてくれた… 
「僕達全国の友達とゲーム作ってんだ、仕事が機動に乗ったら東京に行こうと思ってるけど一緒に来ない?」
私は当時パソコンなんて、すがやみつるの入門書位でしか知らなかったからビビって断りました。

以前の日記でも少し触れましたが、その時見せてくれたモンスターの画像は後にFCのファ○ファン?でお目にかかるとは私自信夢にも思わなかった。

そんなある日、母の元へ義理の父の女から泣きながら電話がかかって来た。
東京でも女と子供達に暴力を振るうので、つれて帰って欲しいと、さすがの母もそれは断ったそうだ。

ただ判った事は、奴が生きてる事、他の女に子供産ませて義理の兄弟が増えてる事、今も暴力で人を苦しめてる事だった。

当時の私は話を聞いても平静を保ってたが、夢の中で何度も相手の家まで行って義理の父に謝罪させて慰謝料ふんだくる夢を観た… 本心ではよほど一度会って決着つけたかったんだなと改めて思った。

今から6年前、私はおもちゃ屋めぐりの遠征の時、かつまの義理の父の実家に身分を隠し、弟に成りすまして義理の父の正当な長男として、彼の消息を義理の父の弟に聞いた。
すると彼は今でも、弟の所に時々金のさいそくに来るそうだ。
居場所も聞いたが警戒して教えてはくれなかった… 親子間の問題に巻き込まれるのが嫌だったのだろう。

もう二度と立ち寄ることも、義理の父を怨む事もないだろう… もう一度小学校五年の頃に住んでいた義理の父の実家まで行った… それでもう満足した。

今でも指の感覚がおかしくなる時があるが、ミクシイで再び漫画を描く力をもらった。 
人は立ち止まってはいけない… 私は私の道を歩んで行く、人に優しく、自分にも優しく、和を大切にする… それでいいのだ。

                   完

コメント(1)

今の君が幸せなら、それは喜ばしい事だな('-'*)
是非、これからの人生を、より良い物にして貰いたい('-'*)


…そう言えば、マンガの勉強してたんだな('-'*)
ウチに絵の基礎があれば、書きたい絵があるんだがなぁ…(;´Д`)


やぱ、本格的に書くのって、難しい?(;´Д`)

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