忌野清志郎をフロントマンとし、「King of Rock」「King of Live」の異名をとるなど日本語ロックの成立や、現在日本で普通に見られるロックコンサート、ライブパフォーマンスのスタイルの確立に大きな影響を及ぼした。実際、RCサクセション (以下、特段の理由がない限り「RC」と略す。) に影響を受けたと公言するミュージシャンは非常に多い。
* 1 概要 o 1.1 メンバー + 1.1.1 サポートメンバー + 1.1.2 その他のメンバー o 1.2 楽曲 + 1.2.1 特徴 + 1.2.2 代表曲 * 2 来歴 * 3 詳細・エピソード o 3.1 結成 〜 デビュー「宝くじは買わない」(バンド黎明期) o 3.2 『初期のRCサクセション』 〜 『楽しい夕に』 (アコースティック期) o 3.3 『シングルマン』 〜 「わかってもらえるさ」(暗黒期) o 3.4 「ステップ」 〜 『BLUE』(復活・ブレイク期) o 3.5 『BEAT POPS』 〜 『King of Live』(絶頂期) o 3.6 『FEEL SO BAD』 〜 『Tears of a Clown』(激動期・その1) o 3.7 各ソロ活動等(停滞期) o 3.8 『MARVY』 〜 『コブラの悩み』(激動期・その2) o 3.9 『Baby A Go Go』(終焉期) o 3.10 その後 〜 現在 * 4 その他のエピソード * 5 ディスコグラフィー o 5.1 シングル o 5.2 アルバム o 5.3 ライブアルバム o 5.4 主な編集盤 o 5.5 ビデオ・DVD * 6 脚注 * 7 RCサクセションに関する主な文献 * 8 RCサクセション関係外部リンク
「僕の好きな先生」「スローバラード」「ヒッピーに捧ぐ」「雨あがりの夜空に」「トランジスタラジオ」「JUMP」「君が僕を知っている」「キモち E」「多摩蘭坂」「つ・き・あ・い・た・い」「ドカドカうるさいR&Rバンド」「SUMMER TIME BLUES(カバー)」「ラブ・ミー・テンダー(カバー)」「I LIKE YOU」 など。
1982年、忌野が坂本龍一(当時イエロー・マジック・オーケストラ)と組んで発表したシングル「い・け・な・いルージュマジック」が資生堂82春のキャンペーンソングとしてヒット。PVでは、どぎつい化粧をして男同士でキスをするなど過激なパフォーマンスを展開、時代を席巻する。 RCとしては同年、サム・ムーア、チャック・ベリーらとのジョイントライブを開催(アルバム『THE DAY OF R&B』収録)。ロンドン・レコードに移籍。自身のレーベル「BARCA」を設立。
* 1990年、メンバー間での話し合いの末、Gee2woが脱退(趣味に夢中になり過ぎ練習をすっぽかすことが度々あったこと、小林らとの音楽的な志向性の違いがあったことなどが主要因と言われている)[14]。以降、キーボードにはVOW WOWの厚見玲衣がサポートで参加することになる。
* 『Baby a Go Go』の制作中、ミキサー(ヘンリー・ハーシュ、デイヴィッド・ドマーニッチ)と忌野が、曲によってドラマーを春日博文や外部のドラマーに変えたいという方針を打ち出したことに新井田が反発、RCを脱退する[15]。結果、RCは忌野、仲井戸、小林の3人編成となる。
* 忌野、仲井戸、小林の3人で現時点でのラストオリジナルアルバム『Baby a Go Go』をリリース。ヘンリー・ハーシュら外国人プロデューサーを迎えアナログ制作にこだわって作られたこのアルバムは高い評価を得る。
* 1990年12月25日の日本武道館ライブを最後にRCとしての活動を休止。事務所「うむ」は解散となる。
* アルバム『EPLP』は、EP(シングル)盤で発売した曲を集めた編集盤。EPの曲を集めて作ったLP(アルバム)だから『EPLP』。これに関連し忌野は、音楽メディアがレコードからCDに切り替わった当時、「そのうちに『ABCD』っていうCDを誰か出すんじゃないか」と言っていたが、後年自身でミニアルバム『abcd』を出している。
* アルバム『COVERS』以前からも忌野が書く歌詞は再三物議をかもしている。
o シングル「ボスしけてるぜ」は、ボス (経営者) に給料を上げてくれないとやる気が起こらないと平社員の青年が懇願する内容。この歌詞に眉をひそめた中小企業の経営者たちからの苦情により銀座地区など歓楽街で流される有線放送で放送禁止になってしまう。
o アルバム『BLUE』に収録の「あの娘のレター」は曲中「ポリ公」という歌詞がレコ倫に引っかかったためその部分の音声にノイズが被せてある。歌詞カードでも伏字にしてあるが、「ライブでは勝手に歌わせていただきます」という旨の注釈がついている。
o 「お墓」は、フォーク時代からの重要なレパートリー曲でありアルバム『シングル・マン』に収録予定だったが、タイトルが忌み嫌われ収録を見送られた。結局正式にレコード化されたのは、その7年後にリリースされたアルバム『OK』においてである。なお、歌詞の内容は、自分の元を去った恋人への失望からその恋人との思い出のある街には二度と行くことはない、そこは自分の心が死んだところであり心のお墓が立っている、というものである。
o ライブアルバム『the TEARS of a CLOWN』に収録された「君はそのうち死ぬだろう」は、ノイローゼ気味となった友人を逆説的に励ますための曲だったが、内容的にまずいということで歌詞カードには載せられなかった。