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太王四神記(たいおうしじんき)コミュの雑談トピ(ネタバレなし)

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コメント(5)

 何処に書いていいのかよく判らないので、こちらに書かせて頂き
ます。太王四神記の公式サイト
http://www.taioushijinki.jp/
に、ドラマの地図があったのですが・・・
http://www.taioushijinki.jp/story/map/07.jpg

山東半島が百済? 有り得無え!!!

スタッフブログには
http://taiousijinki.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_747f.html
> そして1つだけ…、この地図はあくまでドラマの中の地図であって
> 実際の地図とは異なっているのでその辺をご了承頂きご覧になっ
> ていただければ幸いです!!
と書いてはあるのですが・・・

 と、ここで気になって調べてみました。
 五胡十六国の時代の410年(広開土王37歳)、東晋が南燕を滅ぼ
して南燕の領域であった山東半島を奪取しました。それで、百済は
東晋に、東晋が劉宋に簒奪されてからは劉宋に朝貢したのですが、
(ちなみに高句麗はもっと前から東晋に朝貢し、407年[広開土王34
歳]に征東大将軍を認可されています)その際に何でも、劉宋が百
済に山東半島の支配を承認したらしいのです。とは言っても実際に
百済が山東半島を支配したのでは無いのですが。

 これは438年に倭王珍が劉宋に朝貢して「持節都督・百済・新羅・
任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」を自称してこれの
承認を取ろうとしてこの時は「安東将軍倭国王」だけ認めれ、後に
倭王済が451年に「使持節都督・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六
国諸軍事安東将軍倭国王」を認められたのと同様だと思われます。
 この時の倭王は、ヤマト(山東)・カフチ(山西)、ヤマシロ
(山背)、ハリマ(針間)、キビ(吉備)、東は若狭湾から伊勢湾
までのラインの西側が大雑把な支配領域だったと思われます。また
百済は東晋の頃から朝貢してしていますから、倭に百済の支配は認
めませんでしたが、百済や高句麗以外の朝鮮半島状況が不明だった
と見えて(東晋や劉宋にしてみれば、朝鮮は東方の果て、倭はその
また東の最果て)、アバウトに「新羅・任那・加羅(≒任那)・秦
韓(新羅の古い地名)・慕韓(百済の古い地名)六国諸軍事」を認
可したみたいですね。
 恐らく、百済の山東半島支配も似たような雰囲気で認可されたの
では無いでしょうか。

 東晋も劉宋も北伐して中原を回復するという国家的テーマがあり
その為に以下のように目論んだのでは?と思いました。
[1]この主目的の他のプライオリティの低い事はアバウトになった。
[2]むしろ、この朝貢状況を利用しようとした。
{1}朝貢して来た東夷には、称号の類を「よきに計らえ」とばか
  りに乱発(但し倭王のように明らかに矛盾がある場合は不認
  可)。
{2}いざ北伐となったら、東夷どもに動員をかけて二方面作戦を
  やる。
{3}山東半島の支配を百済に認める事により、劉宋が「山東を百
  済が支配し、その百済をオレが支配しているので山東はオレ
  のものだ」と主張する。

 で、この事とは別に、山東半島と朝鮮半島はなんらかのつながり
があり、山東から朝鮮に行った人々もいれば、朝鮮から山東に行っ
た人々もいたようです。また、以下のような話もあります。

> 司馬 山東半島と朝鮮の関係はすごいね。
> 金 古代は新羅とか百済という村みたいなのがあったらしい。
> 司馬 唐の時代には山東半島に高麗人の居留地があって、自治
> がゆるされていた。
> 金 考古学者の森浩一さんによると、”飛び地新羅””飛び地
> 百済”だそうです。
(「歴史の交差路にて」金達寿・陳舜臣・司馬遼太郎の鼎談/講
談社文庫/1991年3月11日第2刷発行/42頁より)

 ですので、山東に”飛び地新羅””飛び地百済”があったみたい
ですが、百済や新羅が国家として支配していたのでは無く、居留民
が居て、16〜17世紀の東南アジア各地の”日本人町”のような
感じだったのでは無いでしょうか。

 しかし、それにしても、山東半島を百済領にするのは幾ら何でも
無謀だ・・・。
 太王四神記関連のサイトやブログで、漢字だったら「なるほど」となるの
に、カタカナで書いてあるため意味不明の単語というのが結構ある気がしま
すが。
 その一つに「ゲマ武士」がありました。
 そして、太王四神記関連のサイトやブログで「鎧馬隊」というのがありま
して。閃きました「ゲマ」とは「鎧馬」という事だったのですね。
「鎧袖一触(がいしゅういっしょく)」というコトバがありますから、「鎧
馬」とは、日本語では「がいば」と読むのでしょうね。
 とすると、馬もヨロイを付けた「重装騎兵」というのが、より正しいのか
な?と思いました。画像はネット上からパクって来ました(藁)。
 皆さん、既にご存じの事と思いますが、2011年(今年)6月8日から韓国KBSで「広開土
太王」が放映されています。

 広開土王・談徳は「淵蓋蘇文」(韓国SBS/2006年7月8日〜2007年6月17日)で淵蓋蘇
文の青年期を演じたイ・テゴンさん。彼はこんな事を言ったそうです。
> 「ドラマ『太王四神記』のペ・ヨンジュンとは全く違うキャラクター」だと説明した。
> イ・テゴンは「『太王四神記』のタムドク(ペ・ヨンジュン)が説得して率いていくス
> タイルであるのに反して『広開土太王』のタムドクは粗く野性的な気質の男性」だと
> しながら「ふたつのドラマの雰囲気自体が違うので比較することができない」と先手
> を打った。
(2011年6月1日の放映前記者発表の席で
http://blogs.yahoo.co.jp/sj566029/64647366.html )

 他のキャラクターは「太王四神記」では本の少ししか登場しなかった高雲が重要な脇役
で、「朱蒙」の帯素王を演じたキム・スンスさんが演じています。最初は談徳と高雲は親
しい間柄だったのが次第に対立を深めていく、という設定の様です。
 他にも「太王四神記」ではセリフ(字幕)に名前が出ただけの慕容宝(後燕の皇帝)も
登場、「大長今」の王様役だったイ・ムホさんが演じます。
 そればかりか慕容宝の親父の慕容垂(後燕の初代皇帝)や、後燕の漢人将軍で後に北燕
の皇帝になる(このあたりが高雲と因縁的になるのですが・・・)馮跋も登場する、とい
う事でなかなか面白そうなドラマです。

 是非、日本でも放映して頂きたいものです。

※ウィキペディアに記事がありましたので参考迄。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E9%96%8B%E5%9C%9F%E5%A4%AA%E7%8E%8B
テサギロケ地(パークサザンランド)がもうすぐなくなると聞きました涙
一度見に行きたかったです泣き顔

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