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『人生の目的』を考えるコミュのゲーテ

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ゲーテといえば、ドイツの詩人・作家で「若きウェルテルの悩み」などで有名です。

また、戯曲「ファウスト」「エグモント」も知られています。


ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは1749年、ドイツ中部のフランクフルトに生まれました。


14歳で、年上の少女に一目ぼれしたのを最初に、恋多き人生を送ります。大学時代には、レストランの娘・アンナと恋に落ちました。しばらくは楽しく過ごしたが、次第に暴君的になっていきます。


「根拠のないつまらない嫉妬のために、わたしは自分と彼女のもっとも幸福な日々をだいなしにしてしまった。彼女はしばらくのあいだ驚くほどの忍耐でそれにたえていたが、わたしはその忍耐を極度に追いつめるほどざんこくであった」と回想したほどに。


破局を迎えたあと、ゲーテは自分になぞらえ、嫉妬に狂う男が主人公の、最初の戯曲『恋人の気まぐれ』を書きます。


21歳で知り合ったフリーデリーケとの恋愛からは、『五月の歌』『野ばら』など、ドイツ詩史上、画期的な抒情詩が生まれました。しかしその夏、面と向かって決別を告げぬまま、ゲーテは彼女の元を去るのです。


「私は最も美しい心を奥ふかく傷つけた」(詩と真実)


自責の念に駆られた彼は、戯曲『ゲッツ』や『クラヴィーゴ』に、純真な少女を捨てた男を登場させて毒殺します。またもや自分に似せた者を描き、悪報を与えて、懺悔の気持ちを表したのでした。哀れなフリーデリーケは、61歳で世を去るまで独身だったといいます。


大学卒業後には、婚約者のいるロッテを、
「朝な朝な重苦しい夢から目ざめるとき、僕は彼女を求めて空しく腕をさしのべる」ほど、恋い焦がれるようになります。苦悶の末、身を引いたゲーテは、この恋愛をモチーフに、『若きウェルテルの悩み』を著しました。


すでに『ゲッツ』で知られていたゲーテでしたが、25歳でこの作品が出版されるや、大反響が巻き起こります。

「ウェルテル熱」と呼ばれ、ゲーテが再版の扉に、
「すべての青年はこのように愛さんと、あこがれ、すべての少女はこのように愛されんと、あこがれる」と添えたとおりでした。


種々の言語に翻訳され、称賛の声は世界に広がっていきます。
「ヨーロッパは私をほめた。……ドイツは私をまねた。 フランスは私を読みたがった。イギリスよ!おん身は心乱れた客(ウェルテル)をやさしく迎えた。……シナ人さえ細心な手でウェルテルとロッテをガラスに描いている」(ヴェニス警句)

ゲーテとドイツ文学が、世界に認められた瞬間でした。


『若きウェルテルの悩み』で彼は、人妻との恋に敗れた男を自殺させ、罪を償おうとしました。書き終えて、総ざんげをした後のように楽しく自由に、新しい生活への資格を得たような気持ちに変わったと言います。


その後もゲーテは、婚約して別れたリリー、移住したワイマル公国(ドイツの小国)で出会ったシュタイン夫人、後に結婚するクリスティアーネなどに恋心を燃やし、愛にもだえました。そして、それらを詩や戯曲、小説に託して心の清算をしては、新たな恋へと身をゆだねていったのです。


一方で、玄人並みの絵を描き、色彩論を展開しました。鉱物を採集して、地形の変遷や地質の変動を研究。論文『植物変態論』や『動物変態論』は、進化論のさきがけをなしたとも考えられ、解剖学に寄与する骨の発見までしています。


ワイマル公国では大臣となり、財政、文教、産業など多岐にわたって国政にも参与しました。


さまざまな分野で異彩を放ったゲーテは、総じて無類の楽天家でした。晩年の助手・エッカーマンに、語っています。

「私はこう勧めたい。何も無理じいをせぬことだ。何もできない日や時には、後になって楽しめないようなものを作ろうとするより、ぶらぶらして過ごしたり、寝て過ごす方がいい」(ゲーテとの対話)


「処世のおきて」と題し、こんな言葉も残しています。

「気持よい生活を作ろうと思ったら、済んだことをくよくよせぬこと、滅多なことに腹を立てぬこと」(警句的)


74歳で、19歳の少女・ウルリーケへ求婚した時には、さすがに周囲も困惑したらしい。彼女にとって彼は、?尊敬できるおじいさん?にすぎなかったのですから。結局、あきらめ、愛の詩をしたためました。


かくまで楽観的なゲーテでさえ、75の時に、
「結局、私の生活は苦痛と重荷にすぎなかったし、75年の全生涯において、真に幸福であったのは4週間とはなかった」
とさえ断言できる。私の生涯は、たえず転がり落ちるので、永遠にもち上げてやらねばならぬ岩のようなものでしかなかった」と嘆いています。


晩年、病に伏して、
「死神がわたしを取り囲んで部屋のすみずみに立っている」と漏らします。極度に死を恐れ、部屋が暗くなるのも怖がりました。


「ああ暗い。光が欲しい、光が欲しい」が最期の言葉であったといいます。

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