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市野川容孝コミュの論潮(7月)

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市野川容孝「論潮〈7月〉」『週刊読書人』2005年7月8日号

〈反日〉と向き合って──アジア諸国の共生と連帯はいかにして可能か

 4月から5月の中国における反日デモ、独島/竹島問題をめぐる韓日の対立など、今年に入って多くの衝突と軋轢が表面化しているが、『現代思想』の特集「〈反日〉と向き合う」の編集後記でY氏は、これらを「喜ばしい他者との出会いの入り口」と喝破する。激しい抗議という形ではあれ、「想像上の人々であったアジアの民衆」が日本人の前に「具体的に登場してきた」からだ。
 だが、その「アジアの民衆」なるものは、決して一枚岩ではない。アン・ヨンソンは、「国民国家とその中の個人を一致させるという前提」そのものを解体しなければ、真の出会いはないと説く(「近くて遠い『独島/竹島』問題の一考察」『現代思想』)。例えばドイツで、ネオナチの集会と、そのネオナチを批判するデモが同時になされるのと同じように、独島/竹島問題については、韓国内でも意見の対立はあり、日本でもそうだ。そういう「国民国家の構成員である個人間の緊張関係」に蓋をして、韓国と日本の各々の政府見解をそのまま民意と見誤るなとアンは指摘する。
 林志弦(イム・ジヒョン)「国民国家の内と外」(『現代思想』)は、竹島領有を一歩も譲らない日本の右派に対してのみならず、独島に軍隊を駐屯させて開発しようという韓国民主労働党の姿勢に対しても、「独島は元々カモメとツバメ、幾多の魚と波のもの」との立場から断固たる批判を向けた、韓国のある環境主義者にふれながら、「韓/日民族主義の敵対的共犯関係」を批判する。主張が正反対でも、民族主義という形をとるかぎり、それらは相補的な共犯関係にある。そうした「敵対的共犯関係」を解体しないかぎり、韓日民衆の出会いもない。
 一枚岩でないことは、中国もそうだ。
 共産党政権打倒を目指す在日中国人、呉麗麗、相林、張本真の鼎談「靖国参拝をやめる必要はありません」(『諸君!』)は、反日デモを、中国民衆の不満を逸らすために共産党政府が仕組んだものと断定し、中国の日本批判に耳を貸す必要はない、むしろ中国政府のこれまでの民衆弾圧こそ批判せよ、と説く。日本の「反中」派には実に好都合の主張だ。しかし、これらの論者と、反日デモを真摯に受けとめ、自分たち自身を正そうとする、もう一方の日本の民衆との対角線の対話がなされないかぎり、出会いは完成されない。
 同じく『諸君!』の何清漣「中国の「人権」と「民主化」に力を貸して」も、反日デモを中国政府の「道具、操り人形」と見ているが、右の鼎談とは異なり、日本政府には「歴史の過ちを認め」ることを「中国人」として強く求め、小泉首相の靖国参拝を批判する。「日本人国民からすれば、彼ら[=靖国神社の戦没者]は国に命を捧げた人たちであり、日本史上の英雄だろう。しかし、第二次大戦で日本軍に侵攻された国の国民から観れば、これらの軍人や兵士は侵攻し、無実の武器をもたない人たちを殺害した」。
 一方、孫家は、反日デモの中国政府陰謀説そのものを批判する(「歴史の交差点に立って」『現代思想』)。中国については一部の過激な行動をことさら問題視するくせに、反日デモへの報復として日本の右翼が在日本の中国駐在機関にする嫌がらせは等閑に付す、そうした日本の側の認識の歪みに注意を促しつつ、孫は、反日デモを契機に、中国ではそれまで乏しかった日本への関心が高まり、日本(人)とは何かをめぐって、様々な異なる意見がたたかわされる公共空間が新たに立ち上がりつつあると指摘する。この公共空間は、孫によれば、中国政府のコントロールからも相対的に自立しており、さらに多様性という意味で「9・11以降のアメリカと比べれば、もっと柔軟性がある」。
 しかし、国民国家という枠組には回収されない、アジア民衆の多様な現在の像をとらえるだけでは不十分だ。アジア民衆が、国民国家の枠組に拘束されつつ、これまで互いにどのような関係にあったかの問い直しがなければ、今の、そして今後の出会いも失敗に終わるだろう。
 台湾の陳高興は、日本を含むアジア各国の「独立」という問いを突きつめることで、その連帯の可能性を反転的に探る(「アジアにおける独立の問題」『現代思想』)。日本は、程度の差はあれ、台湾や韓国と同様、今もアメリカの支配下にあり、そうした独立の未達成(=「批判的主体性」の未確立)がアジア諸国との連帯を挫折させてきたのではと、陳は問う。陳はまた、かつて竹内好が日本に求めた「文化的独立」を重視しつつも、竹内が問題を反転させて、アジア諸国の独立と、日本の植民地支配を十分に掘り下げて考えなかった点に、果たされぬ課題を見る。
 権赫泰(クォン・ヒョクテ)は、1980年代に「反共独裁」の「貧しい」国、韓国から日本に留学したとき、当時の日本の平和と民主主義に「圧倒」されたことを振りかえりつつ、しかし、その平和と民主主義が、わずかこの10年で急激に衰退したと見る(「日韓関係と「連帯」の問題」『現代思想』)。なぜか。権によれば、そもそも日本の平和と民主主義が、周辺諸国の犠牲の上に成り立っていた。韓国の厳しい「徴兵制」が、日本の「軍隊に行かなくともいい若者の当たり前の権利」を支えていたのである。その周辺諸国が冷戦崩壊後、アメリカから離れつつ、軍事的負担を拒み、それが日本に回帰して、日本が右傾化したと権は見る。こうした構造を超えた、アジア諸国の共生と連帯はいかにして可能か。
 4月末、産経新聞が不正確に伝えた親日的発言がもとで歌手の趙英男(チョ・ヨンナム)がKBSで番組降板を余儀なくされる中、ペ・ヨンジュンが韓国の人びとに向けた、おそらくぎりぎりの言葉。「独島は大韓民国の領土です。そのことは明確なのだから、もう少し理性的に対処しなければならないと思います。私に求められている役割があるとするなら、国家の領土の線を引く一言よりも、アジアの家族(ファン)たちの心を結び付けることではないかと考えます。私はその仕事のために、全力を尽くしたいと思います」(「ペ・ヨンジュンからもらった「幸福な60分」」『現代』)。彼なりの計算があるにしても、日本の一部の言論人よりは、はるかにまともな発言だ。

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