ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

西部講堂コミュの 「リッダ闘争 35周年記念」

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 来る6月3日に西部講堂で下記の映画があります。オリオンの三ツ星のいわれになった、われらが赤軍のイベントです。

 この映画は、「処女ゲバゲバ」で著名な若松孝ニが、1971年、カンヌ映画祭の帰途、足立氏とともにベイルートへ向かい、PFLP、赤軍と共闘しながら、パレスチナゲリラの「日常」を写した「世界革命のためのプロパガンダ」です。

 日本における運動映画の金字塔と呼ばれ、1973年当時「赤バス上映隊」による全国上映が展開されたという(ロシア革命のメイエルホリド、シャガールらによる革命宣伝列車を彷彿させますね)。

 あっしは、大学入学時(1981年)と、1983年の「鉛の時代」(マルガリータ・フォン・トロッタ)との同時上映でみたのが最後。

 映画では、なんといっても武装訓練する重信がカッコイイ。ナレーションが戸浦六宏だったような。重信房子が長々とアジリ、PFLPが射撃訓練をする。ゲリラ志願の若者を集めて、PFLPが銃の分解、組立てを教えるシーンが何度も何度も出てくる。暗闇でも出来るようになるのがゲリラではとても大切らしい。
 実は、最近、失敗学会の会合である消防署長と話していたとき、「もやい結び」というザイルの結び方を、暗闇で、しかも頭の上や、後ろ・逆さ吊りなど、様々な条件で結べるくらい、訓練をするんだと聞いたとき、この映画のシーンを思い出したわけ。そうだなよなあ、戦場では、灯りのある、正面立ちの状況下でのみ戦っているわけじゃないもの。

 1983年の上映時には、同じころ、経済学部のガラパゴスプロダクションが、ゴダールの『ヒア&ゼア こことよそ』を上映していた(パリ/パレステナ、平和/戦争、それをつなげる et<と>)。サイードやネグリが論壇に出るようになり、パレスチナが、一瞬だけ流行したときだった。時代は、パリ デリダの奮闘/パレスティナ PFLP/イタリア 赤い旅団とネグリ/日本 代用監獄 日大文理弾圧/ドイツ 鉛の時代
(バーダー・マインホフグループ)という、糸がつながった時代だった。 

なお、日本赤軍を知らない人には、ワンポイントレッスン
   ↓
 http://www.tscholars.com/nihongo/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%B5%A4%E8%BB%8D

(去年、京都芸短でやっていたのを見れなかった人はお勧め。今年は、ニュープリントらしい)。
                                         記


1.日時 2007年 6月3日(日) 午後1時〜4時30分

  「リッダ闘争 35周年記念」

2.場所 京都大学西部講堂
     案内:http://page.freett.com/seibukodo/
     京阪「出町柳」駅より 徒歩15分
     市バス百万遍下車、徒歩3分(3、17、31、65、102、201、203、206系統)
     市バス京大正門前下車、徒歩5分(31、65、201、206系統)
     京都市左京区吉田本町 京都大学学生部教養掛気付
     TEL:075−751−9373(西部講堂連絡協議会)


3.内容 映画上映「赤軍―PFLP・世界戦争宣言」
    特別出演 PANTA「ライラのバラード」
    ゲスト・トーク 足立正生・重信メイ


4.料金 一般:1,000円 学生:500円

5.問合 代表世話人兼発起人 森本忠紀
     TEL:090−8536−9293
     FAX:0745−22−4072

6.宣伝

「ありうべき史実に対して今一度、
 私たちは忠実に語り直すべきときが来た・・・。
 1972年5月30日(日本時間では31日)、
 この日以前に京都から旅立った
 反帝国主義でパレスチナ義勇軍への志願兵たちは、
 そのほとんどが日本の若き学生だった。
 今もなお米国を上回る自国帝国主義と
 シオニズムに酔いしれるイスラエルという国に、
 彼らは国境を越えて小銃と手投げ弾で武装して
 全身で異議を唱えた。
 当時、彼らの行為を幼いと評したひともいる。
 彼らを日本人の恥だと嘆息した日本の知識人も居た。
 けれども私たちは彼らの献身的な
 日本での運動の過去を知っている。
 彼らは自分たちの名前を棄てて、それぞれ
 バーシム(奥平)、サラーハ(安田)、アハマッド(岡本)、
 そしてユーセフ(檜森)というアラブ名を名乗った。
 私たちは彼らの決意を再現したい思いで、
 35年ちう歳月を経た今、再び相まみえることとなった。 本当の歴史を検証してみませんか?
 35年前と同じように今も
 歴史の転換点にあるという認識のもとで・・・」

コメント(21)

 僕は、5/6と5/20の西連協MTGに参加した者で、そこで上記主催スタッフの方よりイベントの概要を拝聴させていただきました。正直言いますと、政治運動や左翼思想的な事象には、全くと言っていいほど無関心な一般大衆の一人です(^^ゞ

 しかしロックミュージシャンのパンタ氏(頭脳警察)が出演されるとの情報をお聞きし俄然興味が沸いてきました!
 実は西部講堂に纏わるロックアーティストのドキュメンタリー映像を細々と製作しているのですが、もし出来ましたらパンタ氏に対するインタビュー映像等を撮らしてもらうことは可能なのでしょうか??
 又、そのためには何方にご承認を賜ればいいのか、お教えいただければ幸いですm(__)m
>政治運動や左翼思想的な事象には、全くと言っていいほど無関心な一般大衆の一人です(^^ゞ

 と言い切っている方が、どうして西部のドキュメンタリーを取ろうとしているのか、まったく理解できません。

 音楽を、芸術を単に楽しむ(消費する)立場なら、そうのもありでしょう。しかし、映像として構成して他者に見せようというときに、何らかのテーマを持たなければ、単なるフラグメントの寄せ集めになって、そのドキュメンタリーに説得力は少なくなる可能性があります。唯一のインタビューの価値は、文化人類学でいうところの、消え行く文化の採譜・記録だけであり、それも、作品として提示するときにはテーマ(コンセプト)が必要になるでしょうに。

 特に、西部講堂を撮ろうというときには、政治運動や左翼思想への「理解」が不可欠と思います。共感や支持はしなくても、ワカルという興味やオモシロガリは必須です。新左翼の本を書いた京大の大嶽秀夫教授だって、運動の担い手になるつもりはなくても、運動が存在する理由をタノシンデイルから、現出できたのでしょう。

 同様に、なぜ、パンタ、フランクザッパ、淺川マキ、内田裕也、駱駝館、風邪の旅団、ローザ、東京ロッカーズが出演し、ポリス事件でウドーとけんかをし、あるいはなぜ三ツ星を今も消さずに残しているかは、社会思想史・音楽史としてのものの見方がなければ、単なる芸能ゴシップとしてしか貴方には受容されいないかと、忖度・危惧します。

 さらには、明治期の自由民権の演説の歌としての「演歌」(添田ら)、イギリスでのパンク、ワールドミュージク、マルチニックといった音楽の始まり、日本でも高橋悠ニが三里塚の音楽を、谷川と武満徹が労働歌を作曲するパトスはなにであるか、そういったことは、「一般大衆の一人」とあっけらかんと言ってしまっては、彼岸のものになるのでは。

 以上が次の質問への回答の前振りとなります。インタビュー・取材は、ドキュメンタリーを作ろうとしている人が、テーマ(コンセプト)をきちんと持っていれば、普通は、それがパンタ氏なり、西連協のメンバーに、内容がしっかりとしていると(共感はいらない)いうことが伝わって、簡単にOKとなるでしょう。
 反対に、テーマがしっかりいない場合、例えは悪いですが、鉄道ファンが列車を撮影・記録するのと同じようなもので、パンタ氏に「何で俺なの?」と疑問が提示されよう。映像作家の森達也が面白い映像を、多くの方に協力してもらって撮影できているか、想像してみると、答えは自ずと出てくると考えます。
>蓑やんさん
>冬眠鼠さん

 真摯なレスポンス有難うございます m(__)m
お二方とも、恐らく筋金入りの左翼シンパ(京大OB?)とお見受けし、身が引き締まる思いです(^_^;)
もしよろしければ、今後ともアドバイス宜しくお願いします。

 お二方の文面中大いに共鳴できる箇所は以下です。

「西部はフランク・ザッパやらパンタさんやらが出演した場所やからすごいんではなくて、そういう祭りを実現しようとした人々の情念が渦巻いた場所やからすごい場所やと思う」
↑正に同感です!

「なぜ、パンタ、フランクザッパ、淺川マキ、内田裕也、駱駝館、風邪の旅団、ローザ、東京ロッカーズが出演し、ポリス事件でウドーとけんかをし、あるいはなぜ三ツ星を今も消さずに残しているかは、社会思想史・音楽史としてのものの見方がなければ、西部をテーマとしたロック記録映像としての品質は確保できない」
↑駱駝館、風邪の旅団というアーティスト名は初耳ですが、文面の趣旨は大いに共感します(^u^)又、そのような姿勢で映画を製作したいと考えております!

 あと、僕の質問の意図が誤解されているカモ・・なので言い直します(^^ゞ
「リッダ闘争35周年記念イベントに出演予定のパンタ氏にインタビューしたいが、誰にアポを取ればいいのでしょうか?」ということが質問の趣旨でした m(__)m

 結果を先に申しますと昨日主催者である森本氏に直接電話し、当方の厚かましいお願いを伝えたところ、OKのご返事をいただきました。大変有り難い事です。

 お二方からのアドバイスを生かし、当日はパンタ氏や主宰スタッフの方々に対し失礼にならないよう、十分な準備にもと真摯な姿勢でインタビューに当たらさせていただきますm(__)m
>恐らく筋金入りの左翼シンパ(京大OB?)とお見受けし

 いやああ、そないに褒められると照れるなあ。昔は、ゴロだの、浪速のマルクスとか、赤い資本主義者とか散々な、言われ方だったんで。

 閑話休題。「夢は荒野を」の後半部の「私史」は、私的な視点とはいえ、いまとなっては、どこにも当時のドキュメントがないゆえに、貴重な記述となっています。一読を。いわば、西部講堂の魏志倭人伝ですな。京都市図書館(伏見)にあるんでみるといい。
 西部講堂のマガジン「姦報」は、あるときの西連協メンバーによって、捨てられたのでボックスには残っていないらしい。個人的な所有に頼るしかない。

 因みに、あたしの在学時代には、白樺には死んでも近づくなと同学会中執がいうてたんで、高瀬氏・小松氏とは面識ないまま。もう亡くなって20年でしょうか。八木さんも、もういない。
 でも、祇園の馴染みのお茶屋が、偶然、高瀬氏や新開氏(タカラブネ元社長)といったブントが通っていたお茶屋さんなんで、ときどき女将さんが高瀬さんの思い出してくらはります。昔は、京都府学連は京都の女学生のあこがれの的やったという、これホント。
 あたしの仲人が「序章」の関係者で、赤軍シンパだったのですが、彼も酒で死んでしもたので、だんだんとそういう60年代、70年代の話は、知られなくなってきているんちゃう。それは、残念だね。

>正式には確か、大駱駝艦と、風の旅団と

然り。
先日の月酔忌でもモジョのK氏と西連協のA氏との間でまーきーがらみということから話題になっていた。
何であれ下のような日記を平気で書けるような神経の持ち主に「西部講堂でこれから行われる/最近行われたイベント」を単体で、消費用に撮るならともかく「西部講堂の」歴史を書けるとは思えない。吉田寮のコミュニティ説明と同レベル。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=434721984&owner_id=8850312
2007年05月15日
20:43 京都カルトスポット

(熊野寮の写真3点、筆者注)
 この半ば廃墟化した異様な建物に潜入(*≧m≦*)

こんな処にも人が住んでるんだぜ\(◎o◎)/!
二十歳そこそこの女子もチラホラお見かけしました(^u^)



そもそも聖地聖地と会議でもネットでも飽かずに繰り返す輩は多いが、聖地と祭り上げる事自体がどれだけ西部でのイベントではなく西部を作り上げていくことに情熱をかけた人間達の営為を無視していることか。

本気でやるのであれば方法論は考えた方がいい。小史や森達也の映像等のみならず、実際に関わった人間に触れる事。なじられまくる事。でないと何も始まらん。
何故当時の人間が誰も書いてないのか考えてみるといい。
>石垣★カフェ太郎さん

 上記の日記を書いたのは確かに僕です。
見たまんまの第一印象を日記に書き、悪意は無かったのですが、気分を害される方がいることを今になって知り、削除いたしました。

 ただ西部の歴史を映像化する件に関しては真剣であり、恐らくは一生かかりそうですが、何とか大人のロックマニアの鑑賞に堪える作品にできたらと思っています。
 今後とも宜しくご指導下さい。
僕の書いた文章等で不快な思いをされたなら、申し訳ないですm(__)m

 ただ僕は、西部講堂発のロック音楽と向かい合うとき、政治思想に対する共感や造詣の深さが絶対必要条件だとはどうしても思えません。
 むしろ僕は積極的にノンポリティカルな姿勢でもって西部を捉えたいのです。
 この事に関しては、上記パンタ氏へのインタビュー時にも最初に言っておくつもりです。
 もちろん左翼というコミュニティーを拒絶するつもりは毛頭なく、西連協の出身母体である新左翼についての知識も今後積極的に獲得して行きたいと思っています。

 僕にとっては、20世紀音楽の巨人フランクザッパやパンタ氏が左翼思想の熱烈な信望者であるかどうかが重要なのではなく、彼らの発信する音楽表現のクオリティーやその普遍性こそが重要であり尊敬に値すると感じています。

 もっとも僕の大尊敬する音楽人としてのフランクザッパは、左翼思想に共鳴しているどころか、寧ろある特定の思想やムーブメントに熱狂するコミュニティーに対して徹底的に茶化しバカにする傾向があり、そういった彼の絶妙なるバランス感覚も僕自身大いに共感するところ大なのです。
アマちゃんさん
楽しみにしてます。

映画を撮る過程で、あなたの目線が変わるかもしれない、変わらないかもしれない、

ノンポリか左翼かは、あまり重要でない気がします

大事なんは、あなた個人の視点です。

制作途中であなたの視点が変わるかもしれない、それもいいやないですか。

いろんな人のいろんな想いがあるんだ、西部には。
全てを撮るのは無理だし、西部に思いを寄せる全ての人が肯定できるものなんて有り得ないし、そんなものは表現じゃない。


アマちゃんさんの視点で撮ることを貫いてください。
> 上記の日記を書いたのは確かに僕です。
>見たまんまの第一印象を日記に書き、悪意は無かったのですが、気分を害される方がい>ることを今になって知り、削除いたしました。


私は削除を求めたつもりも無いし、また「悪意は無かったのですが」から「削除いたしました」に至る一文に「なぜ指摘されたかを考える」という営みが読み取れないということこそが最も問題であると思います。
即ち指摘の後も、削除で事足れりとして、スペクタクル化・差別の問題に関して全く考察が見受けられないこと。

糾弾した側としては、ただ謝られても本当に問題の核心を理解したのか判別し得ません。
なべて糾弾というのは糾弾それ自体を、あるいは反動がいうところの吊るし上げを狙うものではなく、差別発言をした主体の意識を変革するところにあります。
つまり何故それが差別に当るのかということを歴史的・社会的に理解するよう導き、真の意味での謝罪・被差別者の心理に寄り添う、を引き出すところにあると私は考えます。

無論考えたが書かなかったという可能性もあります。しかし、仮にも映像を以ってその思想を世に問おうという人間がその思考の変遷を書かず、己の言わんとするところを説明せずしてどうしようというのですか。

数々の問かけに悩み、答えて始めてスタートラインに立てるでしょう。

> もっとも僕の大尊敬する音楽人としてのフランクザッパは、左翼思想に共鳴しているどころ>か、寧ろある特定の思想やムーブメントに熱狂するコミュニティーに対して徹底的に茶化しバカに>する傾向があり、そういった彼の絶妙なるバランス感覚も僕自身大いに共感するところ大>なのです。

ザッパは如何様にしてこのような境地へ至る事が出来たかをまず調べるのも一手だと考えます。そこまで至るのは非常に難しいと思いますが。

またいずれ実際に話し合うこともあるでしょう。それまでは冬眠鼠氏がだいたい言い尽くしてくれたのでひとまず筆を置きます。
「リッダ闘争」記念イベントのトピなのに、僕がやろうとしている超低予算自主映画の話ばっかで済みません(´・ω・`)>
 しかしこのイベントは、ここ数年の西部イベントの中でも外す事の出来ない記録素材だと思います。なんせ35年前の西部の空気と密接に繋がっているのようなので、ここの場で色んな年齢層や様々な立場の人達の話しを聞き、出来れば採譜したいと思っていますm(__)m
 イベント前日よりボランンティアスタッフとして参加してきました。
僕はノンポリであり、当時の唯銃主義には到底賛同しかねる立場ですが、一貫して弱者の側に立ちたがる左翼の精神性には少なからず共感する部分もあります。
 ただし、このイベントの主旨である殉教した3人の赤軍兵士を追悼する気持ちは正直ありません。まず追悼すべきは、やはりテルアビブ空港でのテロルに巻き込まれ命を奪われた罪無き民間人やその家族に対してであるという感は僕にとっては不変です。
 当初よりの目的であるゲスト参加のミュージシャン・パンタ氏(頭脳警察)へのインタビューは、映像こそ主催スタッフよりstopが入り収録出来ませんしたが、親しく話す事ができ、たいへん有意義でした。
 パンタ氏の音楽はやっぱ素晴らしい!
それは左翼思想云々を超えて聴く人の精神に届く彼の声と詩の力だと確信できる。
 このトピック及びレスのやりとりを改めて読み返すのは、かれこれ1年半ぶりとなる。
 実際僕は2007年6月3日に西部講堂で開催された本イベントに参加させていただいた。正確には、主催者である森本忠紀氏の承認を得た上、その前日よりボランティアスタッフとなり、会場設営等の準備作業にも参加させていただいた。
 パンタ(頭脳警察)氏へのインタビューをさせていただくというこちらからの不躾なお願いに対し、快く承諾していただいた主催者の方々に対し、せめてもの誠意を示したかったこともある。
 その時の体験を備忘録がわりに書き連ねる事とする・・

 西部講堂でのイベントの仕込み(設営前準備)は、ボロフェスタ等のスタッフ経験から慣れているが、とにかく肉体労働中心の土方作業が大半で多くの男手が必要だ。
 前回の西連協ミーティングでも同席して顔見知りとなった20代の左翼シンパの青年達(京大院生・立命・阪市大のOB生達)と設営に汗を流した後・・
「腹減ったしメシ食いに行こうぜ!百万遍のパチンコ屋の裏にムッチャ激安のにぎり寿司があんねん!金無いにゃったら、オレが多めに払ったるやんけ(*^▽^*)」と僕から提案し、4人で食いに行ったのを覚えている。
 みんな爽やかな青年達で、寿司をつまみビールを飲みながら直ぐに打ち解けた。そこで僕の西部講堂ロック映画の話もしてみたが、彼らは「いいじゃないすか!がんばって撮ってくださいヨ〜(^u^)応援しますよ^^」てな感じで、僕が全くのノンポリである事など、さほど拘る様子も無く励ましてくれたような記憶がある。
(・・・続く)
左翼シンパのみんな!ムッチャ久しぶり(*^▽^*) 元気にしてるか??
オレは、相変わらず左翼でもアナーキストでもなく、自由人と言えば聞こえがいいが・・あっちこっちフラフラと好き勝手に精神的放蕩を楽しんでいるぜ(^_-)-☆

ついこの間、「リッダ闘争」イベント主催者であった京大新左翼の重鎮「森本忠紀」氏のご自宅へインタビューの為に遊びに行きました。
しかし・・忠紀さんはホンマに最高にイカした人物である!!
僕は・・・彼の思想のみではなく、その人間性に正に男惚れした!!

 どこの馬の骨かわからぬオレのような者の勝手なお願いを快諾していただき、インタビューにも真摯な姿勢で臨んでいただいた。更にお寿司とビールまでご馳走していただき頭の下がる思いである・・・ m(__)m

 そして・・・彼は沖縄の三味線「さんしん」の名手でもあることが判明!
ソウルフラワーユニオンの中川も真っ青の、素晴らしいロックボーカリストでもある!
忠紀さんの名演はバッチリと記録させていただいた!
何時の日にか皆にも聞かせてやりたいぜ!!(^_-)-☆

ログインすると、残り8件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

西部講堂 更新情報

西部講堂のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。