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アントニオ・ネグリコミュの『野生のアノマリー』

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邦訳が発売直前ですが、ネグリによる日本語版序文がネット上で公開されているのでご紹介します。

http://archive.mag2.com/0000013315/index.html
以下上記サイトより引用です。

★特別掲載「『野生のアノマリー』日本語版序文」/ アントニオ・ネグリ
→ドゥルーズ絶賛の画期的スピノザ論、待望の日本語訳がついに来週発売!
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■特別掲載「『野生のアノマリー』日本語版序文」/ アントニオ・ネグリ
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 本書が出版されてから、すでに25年が過ぎた。本書は獄中で書かれたもので
ある。いまとなっては、どうやってこの本を書いたものか自問しても、その答
えは見つからない。

 読み返すたびにわたしの抱いている驚きは大きくなる。とりわけ、本書が依
然現役でスピノザ関係の文献のなかで頻繁に取りあげられ、肯定的ないし否定
的に論じられていると知ったときの驚きははかりしれない。

 さらにまた私を驚かせるのは、「野生のアノマリー」におけるいくつかの主
張ないし論証にたいして否定的に反応している批判であってもやはり、絶対的
存在のなかに様態的個物性を構成するエネルギーを見いだした著者としてのス
ピノザ、様態的個物性の集合のなかに生の形態と諸制度の存在論的発展を見て
とり、共通概念のなかに理性の展開を見てとった著者としてのスピノザ、とい
う解釈に改めるべきところはない、ということは十分受け入れている、にもか
かわらず、かれらは批判をおこなっているという点である。

 そのなかには、コナトゥスのもつ物質性から欲望のもつ身体性を経て、愛の
もつ知性へと遡上する力能の連続性にスピノザの読解を依拠させることは、
「精神の仕事business dello spirito」のようなものだと考えたものもいた。
(それも、まるでこうした仕方で、困難な生のなかで戦っている人間にたいし
て、過大な期待の根拠が示され、幻想的効果が構築されるかのように、である)。

 反動的な憤激もあらわに、マルチチュードによる「絶対的な普遍的民主制
democratia omnino absoluta」が革命的な役割を担うことを否定しようという
試みも見られた。スピノザは、革命のためにこの概念を構想したというのにで
ある。

 しまいには、力能と権力の対立があまりに強調されていると解釈しようとす
るものまであらわれた。こうした対立はじっさいはつねに相互作用的なものな
のだが、かれらはその対立の中にある種のマニ教的二元論が生じていると見て
とったのである。しかし、これらの批判は、結局収支決算してみればさほどの
収益をあげたわけでもなかったし、われわれの全体的な解釈を更新しようとい
う試みがそこから生まれることもほぼなかったのである。

 いま、私は改めて驚いている。だがどうしてだろう? 驚くのはもうやめる
べき時だ。むしろ認識すべきは、この「野生のアノマリー」が決定的に、「68
年」以降に(「現実的社会主義」の栄光と災厄とを受け継いで)、精神科学の基
盤を、とりわけ、資本主義的生産様式の変容と、均一化した大多数の人間の主
張とにたいして行動を起こそうとする意識と意志を、新たに決定的に再構築し
たということ、革新と革命のエピステーメーの一部になったということだ。

 わたし以外にも、多くの人びとが未来の共産主義のエピステーメーの構築へ
向けて働いた。なかでも、スピノザを扱った者としてはマトゥロンとドゥルー
ズがいた(この二人に比べれば、わたしなどものの数にも入らないと思う)。か
れらもまた、欲望という基礎から民主主義の革新という高みへと向かう人間の
歴史の再構築という分野に取り組んでいた。かれらの前には現象学や構造主義
の学派が、第二次世界大戦中、大きな矛盾を抱えたこれらのプロセスや、ヨー
ロッパや先進資本主義世界全体でこの道を突き進もうとしていた労働者闘争に
ついて考察していた。

 スピノザと「68年」、「68年」とともにあったスピノザ、そして「68年」以
降のスピノザの再読解、これは哲学史的にはいいサブタイトルであり、いい
「トポス」だろう。だがそれは、哲学の資料体を、精神の超越性に組み込んで
無効化することを目的とする哲学史にとってではない。われわれがプラグマテ
ィックに(理性の批判的冒険を通じて、マルチチュードの活動の経験を通じて)
自由の実現へ向かう歩みを手助けしてくれるような哲学史にとってである。

 われわれは新たな時を迎えている。「現実的社会主義」の崩壊後、資本主義
は新たな局面を提示しようと試みてきた。認知的労働のヘゲモニー、金融的次
元、帝国の拡張……しかし、なにひとつとして成功していない。おそらく、そ
れらはそれほど強く望まれていたわけではなかったのだ。というより、そもそ
もそれは不可能だったのだ。

 スピノザが述べていたように、矛盾は「外」にあるのではなく、つねに「内」
にあるがゆえに。ネオリベラリズムとそのエリートたちは、新たな戦争と破壊
を通じて、世界を新たな危機へと導いてきた。「極悪の野蛮人」、バルフ・ス
ピノザはこんどはこのような非難をかれらに投げつけるかもしれない。

 スピノザの思想の布置は、近代の始まりにおいて「異形」として登場したが、
いまや近代の終わり、かつて「ポスト(〜以降)」と呼ばれていたものが同時代
的になるこの時に、根本的に「オルタナティブ」なもの、実際的に革命的なも
のとして姿を現す。

 「野生」というあの規定は、十七世紀の反宗教改革的の重苦しい雰囲気との
衝突のなかで、スピノザ思想の危機的かつ構築的な経験を特定するものであっ
た。こんにちではまったく別なパースペクティブ、すなわち転覆の経験の多様
性と、マルチチュードの生き生きとした力能の励起のなかでそれが称揚されて
いる。

 したがって、この作品が再び読み直されるようになったとしても、わたしは
もはや驚かない。そのなかには実現しつつある欲望があり、そこではひとつの
布置が構成されるにいたるのである。おそらく、ひとたび生が神的なものの幻
想と手を切るや、無限が(ドゥルーズがわれわれに教えたように)われわれのな
かに実現する、すなわち、欲望と現実性の一致の中に。しかし、これもまた、
スピノザが革命という普通名詞で呼んだものにほかならない。


※本稿は株式会社作品社の許可の下、特別掲載したものです。掲載にあたり、
読みやすいように改行を増やしていることをお断りしておきます。翻訳は、
杉村昌昭さんと信友建志さんによるものです。(C) Sakuhinsha, 2008.


野性のアノマリー――スピノザにおける力能と権力 
アントニオ・ネグリ:著 杉村昌昭+信友建志:訳
本体5,800円 46判上製536頁 ISBN978-4-86182-203-2 【9月30日発売】  

スピノザを現代に蘇えらせた歴史的名著。刊行から27年、翻訳不可能とまで言
われたネグリの名高き代表作の待望の邦訳。「我々のスピノザ理解を刷新した
偉大な本」(ジル・ドゥルーズ「序文」より)。

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