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世間はクリスマス一色ですが、コミュのみなさんは友達減らしたり、女子供と喧嘩しないように・・・

定番ですが、クリスマスについて・・・



サンタ・クロースなんて火あぶり!-X'mas?
 
さてクリスマスが近いです。街はもうキラキラです。
 クリスマスとは、一応は、イエス・キリストの誕生日(降誕祭)ということになってます。

それでこんな時節になると、キリスト教だかキリスト教系新興宗教だかの街宣が出てきたり(←うるさい)、「イヴは近所の教会へ」なんてビラが撒いてあったりします。

だからこれって「キリスト教のお祭り」だと、ふつう、信ぜられてます。
 
だが意外にも、真に正統なるキリスト教徒からは、「クリスマスの季節には異教的なものの侵略を感じて寒気がする」なんて発言があったりする。これはどういうことでしょう?

 
いま世界中で知られているクリスマスの祝い方は、サンタ・クロース、クリスマス・ツリー、七面鳥ステーキとかシャンペンのご馳走、贈り物…といったところ。
 でもこれは、昔からそうだと決まっていたスタイルではありません。まず幾つかポイントを指摘しましょう。

?サンタ・クロースが人気者になったのは、17世紀オランダの流行が、その移民によりアメリカに持ち込まれてからである。

?サンタ・クロースの赤服は、20世紀初頭のコカ・コーラ社の宣伝ポスターから広まって定着した。

?ツリーはもとは北欧やドイツの習慣。これもやはりアメリカ経由で、第二次大戦後に世界中に拡散した。

?「アメリカ的」クリスマスが入ってくる前は、フランスでは、妖怪山男のような「ペール・ノエル」と、燃やして灰にしてしまう「ブッシュ・ドゥ・ノエル=つまり薪」が、お祭り飾りの定番だった。

?スペイン語圏では、贈り物は1/6に行う習慣。
?東方教会(オルソドクス)では、今も1/6をイエスの誕生祭日と定めている。


 他にも色々あるのだが、まあちょっと突っ込んでみると、いま「当然」と思われているクリスマスの習俗は、意外に新しいものであるとわかります。
早い話が、現行のクリスマスは、アメリカの商業=宣伝主義が造り上げたものなのです。
 
?でも触れたように、そのアメリカ一国の流儀が「世界標準」化したのは、第二次大戦後。

つまり大戦で疲弊荒廃したヨーロッパに、アメリカの兵隊さんがいっぱい来て、復興援助計画(マーシャル・プラン)で、じゃんじゃんお金を落としてやった。
そのときクリスマスでも他のことでも、「アメリカ流」が大挙流入しちゃったわけです。
 これらの事情を『サンタ・クロースの秘密』(レヴィ=ストロース著/訳と解説は中沢新一)という本が詳しく解説してます。
当書中のレヴィ=ストロース論文は、「火あぶりにされたサンタ・クロース」という題名です。
 
その紹介するところでは、50年代フランスで、サンタ・クロースは異端者だとして、教会が火刑にしちゃう…という事件があった(もちろん人形をです)。
 
つまりアメリカ商業主義が、フランスの宗教伝統を破壊せんとしているとして、教会スジが怒ったわけです。
 
まあ、なにしろコカ・コーラの宣伝キャラなんだからねえ。真に伝統的な信仰の立場からは、「異端者」呼ばわりされるのも仕方ないか。

 
ほんらいの「フランス流」クリスマスは、?でも触れたよう、「山男」ペール・ノエルや「焚き木」ブッシュ・ドゥ・ノエルで祝うものでした。それに陶製の「降誕祭の置物」クレシュも欠かせない。
 
あと我々にとって意外なのは、やはりフランスの伝統では、イヴの夜は断食!であったことです。水も飲んじゃいけないのです!
 
イヴには家族みんなで揃って、ご飯も食べずに教会に行く。それで真夜中のミサをすませて、もう日が変わって帰ってくる。それからやっとご馳走(レヴェイヨン)を食べるわけです。
このとき代表的な食べ物は、「ブダン・ブラン=血詰めのソーセージ」なのだとか。
家畜(豚)の血をぶよぶよのゼリーにしたもんだそうです。おいしいのか?
 
松原秀一『フランスことば事典』(←面白い本だが、もう絶版)が、こうしたフランス伝統のクリスマスについて色々と紹介してます。

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 クリスマスの謎を探る2回目です。
 前回記事では、現行のクリスマス習俗は、第二次大戦後にアメリカ商業主義が広めたもの−という事実を確認しました。

その「文化侵略」以前のヨーロッパには、別様のクリスマスがあったことも。
 
レヴィ=ストロースは「火あぶりにされたサンタ・クロース」という論文で、次のような指摘をしてます。

?クリスマス自体はとても古い(はるかキリスト以前に起源を持つ)習俗だが、その祝い方は、各時代によってさまざまに変わってきた。

?ただし、来訪神・緑の木・明るい火・集会・贈り物…などの要素は、そのさまざまなスタイルの中で、かたちを変えて繰り返し出現している。

?これらの祭りの核にあるのは、「帰ってきた死者に贈り物をする」という精神である。子供たちは、死霊の象徴者として、贈り物をもらうのだ。

 ?はちょっと意外に思う人がいるかもしれません。そこでこれについて述べてみましょう。
 
いったい日本では、「死霊が帰ってくる」時季は真夏の「お盆」だと決まっている。
TVは怪談特集をやり、「幽霊を見た」って目撃談もドッと増えます。
 
だが欧米では、幽霊ピークの季節は冬。
とりわけてクリスマスです。
「ツリーの横に去年死んだおばあちゃんが…」なんて話題が、巷にいっぱい出てくるのです。
 
この違いはどこから来るのか? 一つには「湿気」の問題があるでしょう。
日本では、夏が高温多湿で不快、猛烈に寝苦しいです。
しかしヨーロッパの夏は快適。湿って暗くて不快なのは逆に冬です。
 
またもう一つ、「死の季節」について考える必要もありそうです。
今ではあまり関係ないかもしれないが、昔の日本では、旧暦五月の初夏に最もよく人が死んだ。

お米の収穫が秋であるから、その直前には食べ物がないわけです。おまけに田植え労働は苛酷であるし、体力的にも弱ってくる。ただ真夏には畑作(野菜とか)の収穫がちょっとあるので、それを死霊にお供えするのが、つまり盂蘭盆会なわけですよ。
お盆に「ナスの牛」をお供えするのは、そんな深い意味があったわけです(←宮本常一『女の民族誌』より)。
 
いっぽう高緯度のヨーロッパでは、人が一番死ぬのは真冬。なにしろ日本よりずっと寒いし。
麦の主な収穫期は初夏六月となるわけで、冬には食べ物も減ってくるし。

「死霊の帰ってくる祭り」と言えば、11月のハロウィーンが有名ですね。暗闇が増大し、闇の力が押し寄せてくる。

「ハロウィーンで死霊の到来→冬至・クリスマス・十二夜で闇の極期→聖燭祭から光の回復」
 …この連合が、「冬祭り」のサイクルをつくっています。
なお「十二夜」とは12/25〜1/6の冬の「もの忌み」で、「聖燭祭」とは2月初頭の火と光のお祭りです。
 
これに対して、生命と生殖を祝う「夏祭り」のサイクルもある。それは、
「謝肉祭→灰の水曜日→復活祭→ペンテコステ」 
 の連合です。
日本ではナジミがないけど、キリスト教圏では「復活祭」こそが最重要の大祭です。クリスマスより格上ですよ。
 
ちょっと余談にそれるけど、西欧の映画や小説では、この両大祭のサイクルが、しばしば前面に出てきます。
たとえばスウェーデンの可愛らしい映画『ロッタちゃん初めてのお使い』! 
それから英国ファンタジーの古典、スーザン・クーパーの『光の六つのしるし』シリーズ。
どちらもクリスマスや復活祭が重要な情景をつくってます。

 
ともかくこれで、「クリスマスは死霊の祭り」だといった意味が、少し納得せられたでしょう。
 
真冬が「死の季節」であるからこそ、炎・光・緑の木…などのアイテムで、生命のお祭りをやるわけです。
そして冬闇からあふれた死霊に、贈り物をすることで、おとなしくお引き取りを願うのです。

 けれどもここまで突っ込んだって、まだまだクリスマスの謎は解けない。
たとえばクリスマスの起源は、いったい何時まで遡れるのか? またキリスト教第一のお祭り「復活祭」は日本でハヤらないのに、なぜクリスマスは受け容れられたか?

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クリスマスの謎を探る3回目です。
前2回では、
?クリスマスの習俗は不変ではなく、各時代ごとに変わってきた。
?にも関わらず、つねにその内核には、「来訪する死霊と贈与関係を取り結ぶ」という精神が機能している。 
 …ということを確認しました。

 今回は、このクリスマスの原型を、ちょっと遡ってみるとしましょう。

 サンタ・クロースの起源は、ふつうには、3世紀の小アジアの聖人ニコラウスであるといわれています。
だがこれは本当でしょうか? 
 
ユダヤ教やイスラム教は、いわば「純粋な」中東の一神教です。
しかし対してキリスト教は、一神教の見かけの内に古いヨーロッパの魔術性(多神教性)を保存している。
これがキリスト教の「不純さ」でもあり、また絢爛たる豊饒さの秘密にもなっています。
 
こうした「不純要素」を、最も多く含んだ部分が、その「聖者」伝説です。
つまり聖者や聖女らには、実はしばしば、異教の神々や妖怪らの形を変えた者が混じっている。
 
たとえば聖ルチア(Lucia)はその一人です。その名(=光)が意味するとおり、彼女はほんらい地中海多神教の「光の女神」なのでした。
その記念日は12/13だが、前回も触れた「ハロウィーン→クリスマス→聖燭祭」という「冬祭り」大祭の全期に渡って、彼女は重要な存在となっています。
 
他にも聖ゲオルギウスは、古い竜退治伝説のキリスト教的な変奏であり、また聖クリストフォロも、中部ヨーロッパの「山の巨人」伝説の書き換えです。
他ならぬ聖母マリアさえ、古代の大地母神が変身して生き残ったものだといえる。
そうとするなら、サンタ・クロースも、当然疑ってかからねばなりません。

 これも前々回述べたように、アメリカ経由のサンタ・クロース流行が入る前は、フランスでは「ペール・ノエル」という山爺いがその役割を占めていました。
サンタ・クロースのよう陽気ではなく、ちょっと怖い感じです。
この起源には、「真冬に異界から訪れる妖怪」の元型が存在している。
これはまた、山から来て悪い子にお仕置きする「鞭打ち爺さん」のイメージとも重なります。

ドイツの冬祭りで活躍する悪魔サムハイン・魔女フォアペルヒタらとも同類です。
彼らは山の精霊をぞろぞろ引き連れ、冬に人里を訪れるのです。
 
今は楽しいサンタ・クロースも、もとはこのような「山の妖怪」の一人でした。
こんな異教の末裔に、どうにか聖ニコラウスの名をかぶせて、教会はキリスト教の格好をつけさせていたのです。
 
こんな理由があったればこそ、前々回で触れたよう、教義のワクをはみ出しかけたサンタ・クロースに対して、教会が「異端火あぶり」の処置を取ることにもなったわけです。
クリスマスとは、一皮剥けば、まさしく異教の大祭なのです。

 
さてクリスマスじたいの起源は、
?イエスの誕生日
?…というのは後づけ理由で、もとはローマのサトゥルヌス祭。
 というのがよく聞かれる説明です。
もちろんこれはこれで正しい。
 

イエスがいつ生まれたかなんて、福音書には書いてません。
だいたいユダヤ文化では、人はみな正月に年を取るので(昔の日本と同じですね)、誕生日を記念する習慣がなかった。
だからイエスがいつ生まれたも気にしてない。
 
しかしキリスト教がその中で成長したギリシア=ローマ文化では、「イエスがいつ生まれたか?」は大きな問題となりました。

そこで教会は布教営業の戦略上、サトゥルヌス大祭にイエス誕生祭をシンクロさせたというわけです。
これは大成功だったといえる。
 
しかしそうとするならば、今度はさらに「サトゥルヌス祭の起源」を探る必要がありそうです。
後世にもこれほど強力に生き残ったその祭りは、いったいもともと何だったのか?

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クリスマスの謎迷宮に踏み込んで4回目です。正直言うと、書いてる方も、だんだんワケわかんなくなってきた…。
 
とにかく前回、サンタ・クロースという存在には「異界から訪問する妖怪」の元型があり、「聖ニコラウス」の名前は、いわばその異教性を隠すために貼りつけられたラベルに過ぎない…ということを確認しました。
 
実はマリアやイエスにしてもそれと同じだ…と言ったらどうでしょう? うわ。あちこちから怒られそうだ。
 
マリアやイエスは「福音書」に書かれた歴史的実在であり、断じて妖怪やら異教神話のタグイではない!
 ってツッコミがありそうですね。
でも、よくよく調べると、どうもそうとは言い切れないのです。

 
まずマリアさんについて見てみましょう。
実は彼女の名は、初期の新約文書(パウロ書簡、マルコ)には見えません。
とうぜん「処女懐胎〜降誕」話もナシ。
それどころかマルコは、「イエスの母は『ウチの子が狂った!』と怒って彼を取り押さえにきた」なんて伝えている。
息子イエスの戦いを理解しない、バカな母親だというのです。
要するに、初期の頃には「マリア伝説」は存在してなかったのです。
 
マリア伝説を完成したのは、福音書「第三版」のルカです。
この著者だけはギリシア語が上手なので、あるいはギリシア人信徒でなかったかと思われます。
おそらく彼はギリシアふうの女神崇拝にもよくなじんでいたでしょう。
 
そこでこのように考えられます。ルカ著者は、マルコの「色気」のなさを、たぶんさびしく思ったのではないでしょうか? 
ありがたく優しい女神様の彩りを、イエス伝説に追加したいと思ったのではないでしょうか?
 
古代中東〜地中海では、「マリ」とか「アナ」とかの大女神の存在が知られていました。
そこで「マリ」が「聖母マリア」に、「アナ」が「聖母の母アンナ」に、転用されたらしく思われるのです。
 
この「女神崇拝」導入は、キリスト教がギリシア人・ローマ人らにアピールをする上で、大きな力になりました。
結局、何のことはない、冬至に「光の子」を産み落とすマリアもまた、古代異教の女神の変身した姿なのです。
けれどこれはこれでたいへんな話になるので、今は深入りはやめておきます。
(*深く興味のある方は、こちら「神名録」をさまよってください)

 
次がイエスです。
はじめ福音書第一版のマルコでは、彼は「不正を憤る政治的叛逆者」として描かれていた。
罪人たちの側に立ち、権力を憎み、怒りを叫ぶ告発者。
清く正しくも危険な革命家のイメージです。それがありがたい「光の子」に化けたのは、やはりルカの作為でした。
 
わりと有名な事実だけど、あの冬至に誕生する「光の子」…という元型は、実はペルシア系の太陽神ミトラスと同じものです。

すでに忘れられた神だが、当時紀元一世紀には、ミトラス教は世界に広まり、キリスト教の強力なライバルとなっていました。
へたをするとミトラス教が、ローマ国教→世界宗教となった可能性もあったのです。

「光の子」であるミトラスは、冬至に死に、かつ死から蘇るとされていました。
その再生の祭日は12月25日! なーんだ、そーゆーコトだったのか。
 

ルカの創作した「降誕神話」は、このミトラスや、前回にも触れたサトゥルヌスのお祭りを、取り込んだものであったわけです。
 
さらに「神の子の再生」というモチーフは、中東神話のアドニスやタンムズとも共通します。
彼らはユダヤ人にもなじみの「異教神」で、冬に死んで春蘇る「地上の生命」の象徴者です。
旧約聖書では、「ユダヤの女たちが主の神殿でアドニスやタンムズの死を嘆いている!」と憤慨してます。
さらに彼らと同じ「再生」する神々として、エジプト神話のオシリスや、ギリシア神話のペルセポネーを並べることもできるでしょう。

 ああ、収拾がつかなくなってきた(笑)。
 
クリスマスの起源にあると見られたキリスト教。しかしそれも一皮剥けば、古い古い異教神話の綜合体なのでした。
前回も言ったとおり、このような混淆性=不純性が、キリスト教の魔術的な豊かさの秘密なのです。

 しかし、それはそれとして、ここでの主題はクリスマスの起源だった。
 
イエス、ミトラス、タンムズ、アドニス、そしてサトゥルヌス。これら広範囲の神話群は、「冬至の再生」というテーマを繰り返し変奏しています。
 そうとするならこれらの深層には、神話をなお遡ってはるかに古い「共通核」があるものと思われます。
 
それは、いつ、どこで、どんな状況で生み出されたか…?
 これほど人々の記憶に深く刻まれた「冬至祭」の元型とは何であるか…?
 
そしてまた、なぜ冬至には死霊たちが現れ出て、彼らに贈り物をしなければならないのか? 

なぜその死霊らは「山の老人」や「子供たち」によって表象されるのか?

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クリスマス起源の謎を探る5回目です。そろそろ結論へ向かいましょう。
 ここまでの4回で、クリスマスとは、

?その装いは時代ごとに変わってきたが、核にあるのは、太古から普遍的な「冬至祭」の元型である。

?「冬至祭」とは、太陽・光・生命の「死と再生」の祭りである。

?冬至には、闇から「子供たち」や「老人」の死霊が還ってくる。
彼らには贈り物をして、祝福とともにまた闇へ戻ってもらわねばならない。

 …といったことを見てきました。
このうち??の起源については、わりと簡単に解けそうです。
 
はるか太古の人類も、さまざまな巨石遺構が示すとおり、天文の動きには詳しかった。太陽=生命の力が最も弱まり、夜=死が極大に達したとき、そのサイクルの逆転を祈って、彼らがお祭りをしたとしても、何の不思議もありません。
 
ではその「太古」とはいつ頃か? 
それは恐らく、光のありがたみがとても貴重な氷河期まで遡るものでしょう。
そうとするなら、「冬至祭」の伝統は、現生人類とともに古いといってよい。

すなわちクロマニヨン人の発生いらい−ということです。
 氷河期の長く厳しい闇のなか、彼らクロマニヨン人たちが、炎や緑の木を使い、光=生命のために祈っているさまを、まあちょっと考えてみてください。
今も我々が冬祭り(ハロウィーン・クリスマス・新年祭)に、ひどく痛切な懐かしい感じを持つのは、きっとこのような古層の記憶に拠るのです。

 で、いよいよ?の謎です。
すなわち「冬至に来訪する死者たち」とは何であるか? 
なぜ彼らは「贈り物をねだる子供たち」であったり、「悪い子を罰する老人」であったりするのか?
 
これまでに何度も名を出したレヴィ=ストロース『サンタ・クロースの秘密』では、これについてかなり難解な説明をしています。
あまり難解なので省略するけど、要するに、それでは僕は納得がいかなかった。
この謎が解けた(と思う)のは、佐々木宏幹『シャーマニズム』を読んでた時です。
そこではこんなことが書かれていた。
 
長く暗い氷河の時代、つまりシャーマニズムの時代、人々は厳しい移動生活を送っていた。
そして育てられない子供や、足手まといになった老人は、移動のときにそのまま闇のなかへ棄てていった…。
あわれな彼らは、もちろん飢えと寒さの中で、死んでしまうしかありません。
だが人々は、彼らが明るい楽園へ行き、老人は一族の守護霊となり、子供たちは生まれ変わりの機会を捜すのだ…と信じ定めた。
 
どうです? これでこの謎にも、やっとチェックメイトがかかりました。
 
冬闇の中から現れ、「悪い子はいねーが!」と叫ぶ老人「ペール・ノエル」とは、まさしくもとは棄てられた祖老の霊、いま生きている子孫らの守護者なのです。
そしてまた再来する子供たちとは、これも闇に棄てられて死んだ子らで、それゆえ人々は彼らに贈り物をして、慰め、おとなしく引き取ってもらうのです。
 
クリスマスとは、ほんらいは、けっこう怖いものだったのですね…。

 氷河期クロマニヨン人たちは、この「冬祭り」の元型記憶を持ち伝えたまま、全地に広がってゆきました。
そこで冬季のある北半球の中〜高緯度全域に、この習俗は拡散した。

それだから、たとえば北米インディアンの間にさえ、サンタ・クロースにそっくりな「カチーナ神」が見られたりするのです。
 
 そしてまた、言うまでもないことだが、日本の正月祭りも同じ元型に属している。

よってツリーと「門松」が、ペール・ノエルと「歳神」「ナマハゲ」が相似だったりするのです。
「光の子」の再生というモチーフさえ、宮中の「大嘗祭」に生きている。

http://yumiki.cocolog-nifty.com/station/cat4943565/index.html

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◎門松(かどまつ)とは、正月に家の門の前などに立てられる松を主体に作った飾りのこと。 古くは、木のこずえに神が宿ると考えられていたことから、門松は年神を家に迎え入れるための依代という意味合いがある。
新年に松を家に持ち帰る習慣は平安時代に中国から伝わり、室町時代に現在のように玄関の飾りとする様式が決まったという。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E6%9D%BE

◎カチーナ信仰はホピ族から始まったといわれています。
アメリカインディアンはカチーナの事を『神の世界と現実の世界との取り持つ精霊』と考えています。彼らにとってカチーナは神ではなく人でもないのです。
また彼らは、カチーナが自然世界に影響を及ぼすことができる超自然の力を持っていて、精神的な物ではなく実態があると信じられています。
男たちはカチーナを人形を作り、女性や子供に与えて、カチーナ人形は家族を守る神として崇められます。
定住民族であるズニ族とホピ族の作るカチーナが有名であり、コットンウッドの根や松から作られます。

画像:カチーナ人形

http://www.wildwest.co.jp/E_SHOP/Frame/04variety_kachina_index.html
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男鹿 なまはげ紫灯まつり

「なまはげ」とは大晦日に男鹿半島各地で古くから伝わる民俗行事で、昭和53年に国の無形民俗文化財に指定されております。鬼の面をつけ「怠け者はいねが、泣く子はいねが」と各家々を巡り、悪事を戒め、祝福を与え去っていきます。「なまはげ」の名前の由来は、仕事もせず火にあたってばかりいるとできる「なもみ」と呼ばれる火形をはぎ取り、なまけものを懲らしめる意味があるそうです。


長くてごめんなさい〜

コメント(1)

僕は、24、25日は仕事。特にイベントの予定無し!

ブライトの「正しいクリスマスの過ごし方」ですか?(笑)

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