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モームコミュの日本モーム協会 再発足

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イベントのところに書いたのですが、どなたの訪問もなくて消えてそうなので・・・(涙)

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去る4月22日の「モーム没四十周年記念講演会」を受けて、平成18年10月10日付けで「日本モーム協会(The Japan Maugham Society)」が再発足されることになりました。

会長は『人間の絆』『月と六ペンス』の名訳でもおなじみの行方昭夫先生。副会長は『秘密諜報部員・サマセット・モーム』の著者であり世界3大モームコレクター(!)でもある田中一郎氏がそれぞれ就任します。

年一回以上の講演会、談話会、懇親会を開催。堅苦しい学会というよりも、モーム・ファンが「モーム愛」を熱く語れる場にしたいということです。

モーム・コミュの皆様にも是非ご入会いただければありがたく存じます。

年会費は一般5,000円、学生3,000円。賛助会員を置き、寄付も受け付けます(一口10,000円)

連絡先は:

〒112-8606 東京都文京区白山5−28−20 東洋大学文学部英米文学科題研究室内 日本モーム協会 事務局 (事務局長 藤野文雄)Tel: 03-3945-7377(又は7374)、Fax: 03-3945-4100 

あるいは私「いぬきち」までご連絡いただければ案内状をお送りするように手配いたします。

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私への連絡では不安という方は、直接事務局までご連絡下さい。

本来はトピックではなく、イベントに書き込むべきことですので、今後はトピの方ではお知らせはしません。

ただ、日本におけるモーム再評価につながるかも知れない動きですので、皆様にも是非ご参加いただければと思います。

コメント(8)

今日、はじめてモーム協会の案内書送付希望のメッセージを受け取りました。本当にありがたいことです。

私はある事情があってこれまでずっとモームに背を向けてきましたが、幼少の頃よりこの作家とはかかわりを持ち続けてきました。

やっとこの年(35歳)になってモームと向き合えるようになり、彼の作品をむさぼり読んでいるところです。

でも、今だからこそ彼の作品が楽しめるのかな〜とも思います。

とにかく、私ごときがモームの素晴らしさを改めて広く知ってもらうためには何ができるかと考えて、協会の方を手伝っています。
ロンヅーさん

同じ東洋の卒業生からのメッセージ嬉しく思います。

東洋では故・奥井 潔先生がモームの研究を(も)されてましたね。

今は奥井先生の弟子で私の父が東洋でモームを教えていますが、来年3月で退職なので残念ながら東洋でのモームの火は途絶えてしまうかも・・・

私も東洋で非常勤講師していますが、専任ではないので英文学専門(特論等)は担当できないんですよ。ま、専任だったとしてもモームは勉強不足ですので、教えることはできませんが(苦笑)

私も数年前にシンガポールいったときに、ラッフルズのロング・バーでモームに浸っていましたよ。その前にはカンタベリーのキングス・スクールのモームのお墓を訪れ、モーム図書館でそれはそれはキレイな手書き原稿を見せてもらいました(モームはほとんど原稿に手を加えなかったということです)。

モーム好きで旅好きなら無敵ですね(笑)これからも宜しくお願いします(もしよろしければ協会の案内書お送りしますよ)。
ロンヅーさん

まだまだ生まれたばかりの協会ですが、今後は講演会、座談会、親睦会を積極的に開催していく、とのことです(事務局談)。

メッセージ気軽に送ってくださいね〜♪
最近、コミュにご参加の方数名からモーム協会「案内状」希望のご連絡をいただきました。ありがたいことです。
日本モーム協会会長で『人間の絆』その他の訳者である行方昭夫先生から転載許可を得てアップさせていただきます。

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 モームと日本人

                             行方昭夫

 二十世紀のイギリスの作家、サマセット・モームの没後、今年で四十年になる。先ごろ、日本モーム協会再立ち上げの催しを開いたところ、大勢の研究者、愛好家が詰め掛けた。モームの「水脈」はこの国ではなお脈々と生きているようだ。

 モームが初めて日本に紹介されたのは、一九四〇年中野好夫訳で「雨」と『月と六ペンス』が刊行された時であった。ある程度の注目を浴びたものの、戦争勃発のため、本格的な紹介は一九五〇年まで待たねばならなかった。この年、三笠書房からモーム選集が、その三年後に新潮社からモーム全集(シェイクスピア以外の英米作家では例外的であった)が刊行され始めた。同時に、大学の英語テキストとして「雨」「赤毛」「凧」などの短編が多数出版され広く使われた。内容が面白く、大学生でも分かる英語だというので評判であった。大学入試では随想録『サミング・アップ』から頻繁に出題され、その一部を収めた対訳本は受験生の必読書とされた。

 当時、世界文学全集が戦時中の空白を埋めるべく矢継ぎ早に各社から出され、これらに必ずモームが堂々と入っていたので、著名作家として一般読者に認識されるようになった。中野氏を中心とする東大系の英文学者が翻訳に参加し、高く評価したのも、彼の名声に貢献した。二十世紀中葉の二十年間はモーム人気の最盛期であったわけだが、今振り返って、人気の秘密を考えてみよう。

 まず、誰もがそれまで肩に力を入れて接していた外国文学を身近なものにした功績がある。モームなら、すぐれた訳文のお陰もあって、文章も中身も日本語の小説とあまり変わらずに楽しめるのであった。

 巧みな語り手。モームは読み出したら止められない。純文学がこんなに面白くていいのかと不安だった読者に、中野氏は「一切の通俗性の皮を剥ぎとってしまった最後に、人間の不可解という核が残るーー永遠の謎なるものとしての人間の魂を描くことが彼の一生歌い続けた唯一の主題である」と巧みにモーム文学を擁護した。

 人間観。人間は誰も五十歩一〇〇歩であまり変わらない。誰も彼も矛盾した要素を持ち、首尾一貫した人などいないと考え、多くの作品で善人の持つ悪を、悪人の持つ善を描いた。信じていた権威に裏切られたという思いを抱いていた人びとは、この人間観を歓迎した。

 戦後の混乱期に、人生いかに生きるかの指針を求めた読者は、『人間の絆』で主人公が彷徨の末到達する「ペルシャ絨毯の哲学」に共鳴した。人生には意味などない。どのように生きようと個人の自由である。ペルシャ絨毯の織り手が自らの好みにあわせて模様を織るように「人生の糸」も織っていけば、自分の体験する喜びも悲しみも、全て人間模様を複雑に豊かにする要素にできる、という考えは、日本人の心性に合致した。
一九五九年末モームが訪日した時は大騒ぎであった。これを記念して日本モーム協会が設立されたのは自然の流れであった。丸善と新潮社がバックアップし、中野氏を中心とした派手なものであり、盛んに講演会が催され、会誌も刊行された。ところが、僅か数年の短命で終わった。モーム人気の終息は意外に早かった。高過ぎた評価への反動もあったし、他の多数欧米作家の登場という事情もあったろう。

 だが、戦後の日本人が受け止めたモームの魅力は、今でも輝いている。一時期のブームは異常であったにせよ、過去の作家として葬り去るのは愚かである。最近『人間の絆』『月と六ペンス』の新訳、『回転木馬』の初訳、『ドン・フェルナンドの酒場で』の新訳も出た。この機会に、モームを懐かしがる年配の読者だけでなく、より若い読者にも是非彼の文学の魅力に目を開かせたい。その願いをこめて協会を復活させた。会則も決まり、目下ホームページの企画など活動を開始したところである。大方のご支持を願っている。

(日本モーム協会事務局 東京都文京区白山五ー二八ー二〇 東洋大学文学部英米文学科第五研究室 電話 〇三ー三九四五ー七三七七、メール maughamsociety@yahoo.co.jp)
10月に日本モーム協会の再発足後の最初のイベントとして「例会」(仮称)を予定しております。詳細が分かりましたらこちらにアップします。

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