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まほろ王国コミュの毒蜜想 (1)

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 昨日の真夜中、学校のウサギを殺した。

 夜の学校は、昼間とは違う気配がする。非常燈が点々と暗い窓に反射している。リノウムの緑の床の上で、運動靴がきゅ、きゅ、と鳴るのが耳に痛い。階段を降りて中庭に出た。ウサギ小屋は花壇の奥だ。夜の中で、紫陽花が呼吸している。紫水晶いろの夜の底で、喘いでいる紫の魂。足音に気がついてウサギが飼育小屋の中でうろうろする。扉を小さくあける。普段可愛がってあげているので、ウサギはなんの疑いも抵抗もなく、わたしの指先に甘えてきた。一匹とりだした。やわらかくて小さくて、温かい物体。わたしは耳のうしろの血管を探り当て、毒蜜草を注射する。

 毒蜜草は東アジア一体に分布する多年草だ。初夏の頃に白い小さな花をつける。槍状の細い葉にもともと微量の毒を含んでいるのだが、なぜか花が咲いて実がなるまでの間、それが猛毒化する。文献に最初に登場するのは4世紀末。7世紀には人気の秘薬であったという。
 なぜなら、それは猛毒であるにもかかわらず、甘露の味わいであり、蜜の滴る夢を見させてくれたから。唐に伝わる古い名は露蜜。日本ではミツクサと云われていたらしい。むろん、その植物の真の力を知る人々だけが使う秘密の呼び名である。余りに一般的な雑草のため、毒草であることは極秘とされてきたのだ。日本でその毒性を知っていたのは唯一、東北の古い豪族、摩蟲守の一族のみ。その摩蟲守も天明の大飢饉で離散。伝説によると「蟲に喰い殺された」という。毒薬術は、暗号で書かれた書物によって代々伝わり、その読み方は摩蟲守にだけ伝わる特殊な言語であったが、一族の離散とともに秘伝書も蟲詞も散り散りになり、今は杳として知れない。
 ここまでは史書にある、辞典的な話。

私がヴォイニッチ手稿、という古文書について知ったのは偶然だ。ひょんなことから、20世紀初頭にイタリアの寺院で発見された暗号だけで書かれた植物図鑑のようなものの存在を知ったのだ。何気なくその図版をみたとき、血が凍りつくような驚愕と興奮が私を襲った。
私には、その暗号が読めたのだ。毒蜜草との出会いである。

自己紹介をしておこう。私の名は蝮部。タジヒベ、と読む。摩蟲守の末裔だ。

秘伝書は伝わっていない。少なくとも我が家にはなかった。ただ我が家ならではのいい回しや魔除けの呪文があって小さい頃からそれを見聞きしてきたし(余所から嫁いだ母はそれを使ってはいけないことになっていた)、常用の仮名とは違う仮名を、3歳になった頃から、曽祖父の家に習いに行っていた。史書にいう蟲詞だ。

古い屋敷が並ぶ旧街道の、迷路のように奥まった路地の奥、大きな枝垂桜に隠れるようにしてある屋敷。それが曽祖父の家だった。白壁の和洋折衷な造りで、平屋なのだけれども鐘楼がついていた。玄関ホールの大きなステンドグラスには、鎌首をもたげた双頭の蛇が金色を背景に藍と翠で描かれていて、靴を脱いだり履いたりするたびに射すくめられる思いがした。
矢絣の着物を着て黒髪をおかっぱにした、少女のような風貌の母が私の手を引いてお屋敷に連れて行く。応接間から先に、母は行かない。旧式の白衣を着たお手伝いさんが母にお茶とお菓子をだし、私だけを奥の間に通す。ひいおじいさまは仙人のような風貌で隻眼だった。
 ここで習ったことは内緒だよ。母殿にもいってはならない。けれどもけっして忘れぬように。
 花吹雪。桜。満開の桜が子供心にもあまりに綺麗で、つい庭に出る。花びらをふみしだき着物の裾を乱した母が放心したように座り込んでいる。白い蛇がその白い脚をつたっていく、何匹も何匹も。母を後ろから抱いて首筋を吸っていたお手伝いさんと私は目が合う。
その眸が春の淡い光を享けて金色に光る。
カヲルも一緒に遊ぶかえ?
必死に首をふる私を見て女装の沙南はからからと笑った。
 まだ早いか。カヲルの母殿は本当に美味しい。カヲルも早く味見させておくれ。

 母と父は一回りは年が違っていた。無口な母は本当にお人形みたいで、いつも豪奢な着物を着せられ(それはしばしば振袖だった)、家中の人々に‥‥父は勿論、祖父にも、義兄にも、義弟にも、使用人たちにも、出入りの商人たちにも、つまりみんなに抱かれていた。私が傍にいても彼らは全く気にしない。私の目の前で、母の裾を絡げ、袷を開いて、母と交わる。左肩にあるとぐろを巻いた蛇のような痣に気がついたのは幾つの時だろう。たしか何人かが同時に母と「して」いたのだろう、ほとんど全裸だった気がする。白磁の肌に紫がかったその模様が異形で、いつになくまじまじと行為を見つめている私に、一人が笑いかけた。
 蛇紋だよ。この紋がある者しか蝮部には嫁げない。逆にこの紋がある人間は蝮部に関わる人間との間にできるだけ子をなさなければならない。主、おなごでよかったの。危うく母殿と交わらねばならぬところであったぞ。
 
 小学校にあがるまで、私は少年として育てられた。そして小学校にあがる日に曽祖父から教わった文字のことは誰にも口外してはならない、と固くいいつけられた。
 カヲルのことは、濃の蛇の目がずっと見張っておるからな。忘れてはならぬぞ。
 曽祖父はそういって、普段隠している方の目を一瞬あけた。金色の爬虫類の目が光っていた。

 クラスメートは私を宇宙人でも見るかのように見る。私もあんたたちのことはわからない。薬剤に詳しかったら変?解剖が好きだったら変?虫であろうと両生類だろうと爬虫類だとうと、平気で掴めたら変?あまり笑わない子供って変? まむしべ、と先生は間違って私を呼ぶ。タジヒベです、と冷たく訂正する姿は、6歳児らしからぬという。その基準はどこにあるというのだ。
 理科が好きな私を、父も曽祖父も、さすが血筋だといって喜んだ。私の部屋は、すぐに小さな理科室になった。そうやって私は少しずつ大きくなる。

 小学校にあがってしばらくすると、屋敷の裏にある薬草畑が私に解放された。隻眼の曽祖父は病がちになり、ひがな幻覚剤を溶かした水煙草を吸って寝ていたので、白衣の沙南が私に薬草の手ほどきをする。薄暗く冷たい座敷で魔術的なことばを習うより、畑の世話をするのはどんなに楽しかったろう!
「父上もここには濫りに入ることはできないのですよ」時期を得た薬草を摘みながら彼はいう。「ご当主さまは、あなたを世継ぎに決められたのです」
東屋で私は彼に媚薬を盛られる。彼は急がない。ゆっくりと私を摘んでいく。それくらいには彼は老成しているのである。心地よく甘美な午後。
「どうしてひいおじいさまは僕を選んだの」
うっとりと訊ねる私に、彼は薄く笑う。薬でぼぅっとなっている目からみても、ぞっとするような酷薄な笑い。「鏡をよくごらんなさい」
私に彼は小さな鏡を差し出す。自分の左右の目の色が、わずかに異なることに私は初めて気がつく。
「お父様には徴がありませんでした。あなたは特別な子供なのですよ、カヲル」

 その年の夏は、寒かった。なかなか梅雨があけず、草が全部腐ってしまう、と家の者がやきもきしていたのを覚えている。梅雨があけて、最初の新月の晩には一族の秘儀が行われる。初めてその儀式に参加することを許された私は、厚く垂れ込めた雲が晴れてほしいような、ほしくないような微妙な心持である。
 ある日学校から帰ると、家の前に黒塗りの大きな車が止まっていた。応接間で、沙南がお茶を飲みながら私を待っている。
「ようやく明けたようです。お迎えにあがりました、カヲル」
母がわたしを抱擁した。薬と薬の間の母は正常だ。黒曜石の眸にきちんと私が映っている。「いい子でね」震えるような、小さな声で母はいう。私は黙ってまた靴をはき、眩暈がするほど白く明るい戸外へまた出て行く。
 お屋敷につくと、そのまま湯屋へ連れて行かれた。つんとする強い匂いの薬草風呂に入れられる。換気のためか、穿たれた丸窓の向うがまだ明るいのが、変な感じがした。庭木の緑が鮮やかに見分けられる。
 湯屋からでると、さっきまで着ていた洋服は片付けられていて、糊のきいた白い浴衣が用意されていた。沙南が私を待っていて、着付けを手伝ってくれる。

「今日から禊です。日に三度、こうして湯を浴び、祈り、身を清めなければならないのですよ。食事も精進料理。ケガレを避けるため、外出もしてはなりません。まぁ、秘儀の晩まであと5日ほどですからね、運が良かったですよ、カヲル。禁欲と節制と束縛がたったの5日。」
 そういえば、今日はまだ犯されていない。いつもなら、かならず湯屋に侵入してくるものを。安心したような、物足りないような、奇妙な感覚で内臓が痺れたが、私は平静な顔のまま、沙南について霊屋へ向った。
 香の薫りが心地よい。昼なお薄暗い内部では、同じように白い浴衣をきた曽祖父が瞑想していた。北の方にあるという、断食の末に生き仏となる木乃伊を思い出す風情である。
 沙南は霊屋へは入れない。もう障子をひいて庭の奥へ下がったようだ。
「濃の隣りへ」 曽祖父が呟いた。私は静かにその横に座った。奥の間には香煙に包まれるようにして、千手観音が鈍い光を吸い込みながら雅やかに立つ。摩蟲守のご本尊らしく、手にしているのはどれも薬草―花が咲いていたり、枝葉を伸ばしていたり、たわわな実をつけていたり、さまざまな形状の−だ。私は、様式化されたそれらの薬草のうちに、知ってるものを探そうと目と思考を凝らす。やがてそれにも疲れ、曽祖父を倣って目を閉じる。

半夢のうちに日々が過ぎた。人形のように扱われる5日間は、過ごしている間は永遠のように思われたが、終わって振り返ってみるとあっという間だったように思える。その日は朝から屋敷が騒然としていて、私は秘儀の日がついにきたことを悟った。各地から秘密の名を忘れずに隠れ生きてきた一族の人々がぞくぞくと屋敷に集まってくる。屋敷のひとびとはその応対に、秩序だった右往左往を繰返しているのである。
 朝、私を起こしにきたのは母だったので、私は一瞬、もう自宅に帰ってきてしまったのかと錯覚したが、母の顔のむこうにみえる天井の模様で、まだ本家にいるのだと思い出した。早朝から、父と共に屋敷にあがり、色々と手伝いをしているのだという。
久しぶりに逢う私を母はしげしげと眺めた。手は触れない。禊のルールだ。
 朝の湯を浴びたあと用意されていたのは、浴衣ではなく白い絽の着物である。よく見ると蝶や蟲の模様が透かし織りになっている。化粧を施され、霊屋に通された。今日はいつも瞑想をしている手前の座敷ではなく、一段高い奥の間の千手観音の隣りだ。通常はおろされていない御簾が奥の間と手前の座敷を区切っていた。千手観音を挟んで、左に曽祖父、右に私という、こんなところに座ってもいいのか、と躊躇しそうになる場所である。
 私がきちんと座り終えたのを確認して、曽祖父が傍らの木魚を叩き始めた。障子が広く開け放たれ、白い着物に白い被り物をしたひとびとが音もなく入室する。
 全員が入ったとみえて、再び障子は閉じられた。曽祖父が病を繰返しているとは思われぬよくとおる声で、経のようなものを読み、一族が唱和する。みな手に手に小さな鐘をもっていて、それを打ち鳴らすのだった。香はますます焚かれ、曽祖父の声はますます朗々と大きくなり、さらに銅鑼を叩き始める。呼応する鐘のリズム。その激しさに私はだんだん意識が遠のいていきそうになる。
 突然、曽祖父がその歳からは想像もつかない奇声をあげ、部屋はそれを合図に水をうったように静かになった。千手観音の影から背の高い人物が現われ、供えられている大きな壷を恭しくさげる。曽祖父が立ち上がった。片手に小さなナイフをもっている。彼は筋張った左腕を露わにすると、手首の少し上に十文字の小さな傷をつける。
 血が滴る。壷をもった人物が壷を差し出して、その血を受けた。
 曽祖父は、再び、静かに自分の席についた。背の高い人物は、壷の中身を私の前に置かれた杯に注ぐ。
 3回にわけて飲むのです。さぁ。
 沙南の声である。私ははっとして彼を見上げた。こんなに彼は背が高かっただろうか。思い出せない。
 御簾の向こう側から、一族の視線が重々しく刺さるように注がれているのを感じだ。彼らは恐ろしいほど静かだ。衣擦れの音ひとつ、咳払いひとつしない。
 私は観念し、静かに杯を捧げ、3回にわけてその中身を飲み干す。

 酒なのか薬なのか、ひどく酩酊する液体であることは確かだ。
 私が杯を置くのと同時に、御簾がするすると巻き上げられた。
 曽祖父が静かな声でいう。「摩蟲守の一族よ。此度はよく遠路はるばる集まられた。ここに濃は新しい当主をご紹介する。まだまだ未熟で幼いが、秘められた力は濃よりもはるかに強い。カヲルのことをどうぞよろしくお頼み申す」
 水を打ったような座敷の白いひとびとに、彼はそう囁きかけ、深く頭を下げた。白いひとびとも静かに一礼する。
 壷をもった沙南がひとびとの杯に何かの液体を注いでまわる。最後に、曽祖父の杯と私の杯が満たされた。
 呻くように何かをいって、みなが杯をあける。私も沙南に睨まれて、あまり気はすすまなかったが、何とか杯を飲み干した。ふたたび、杯が満たされる。また飲み干す。満たされ、飲み干し、満たされ、飲み干し‥‥‥‥
 踊り子たちが部屋に通される。足首と手首にたくさんの鈴をつけていて、踊るたびにしゃんしゃんと鳴る。私は真っ直ぐ座っていられなくなって、ひとりの踊り子に身体をまかせた。呻くような叫ぶような奇妙な声で、霊屋が満たされる。奇妙な飲み物を、踊り子は笑いながらまだ私に勧める。口移しに飲ませてくる‥‥
 
 あとのことはよく覚えていない。いつの間にか、私は、自室としてあてがわれている桂枝の間に横たわっていた。まだ酩酊しているのか、見上げている天井がぐるぐると廻っているような気がする。あたりは薄暗く、時間もよくわからない。着物はいつの間にか脱がされていて、私は素っ裸でぱりっとした麻の布団にくるまれているのである。

 何があったのか、思い出してみようとする。モノクロの霊屋が、途中から極彩色の地獄絵の様相に変わってしまったイメージ。だめだ、頭痛がする‥‥
 とりとめのない思いにとらわれていると、襖が開いて、母が入ってきた。お粥を運んできてくれたのである。
 まだふらふらとしている私を母は泣きそうな顔で眺め、それから粥を食べるのを手伝ってくれた。
 そうして私は1000年も続く蝮部家の当主となったのだ。父母が会いに来ることはあれ、彼らの家に私が眠りにいくことはもうない。その後、曽祖父は夏が終わるのを待たずに死んでしまった。

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