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ダルマ森不安倶楽部、、、(^ ^;コミュのただ耳をカタムケルコトはむずかしい。

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2012年03月22日 | 日記

森のあるきかたafter311制作日記〜

講演会やファックス、友人、子どもの一時避難保養の活動準備会などなどに参加させてもらって、偶然なのか時の必然なのか、いかに放射能汚染地域に住む方々に耳を傾ける ことに話の方向が向いているように思う。が、これがなかなか難しい。震災被災者、原発事故被災者、避難した方、いまだとどまる方、非汚染地域に住む方、復興させたい方・・右もあれば左もある上もあるし下もある。今回知り合った方もいらっしゃる。「喜多方」の高汚染地区で有機無農薬豆腐を作っていたO氏は昨年6月で自主廃業。「無農薬有機にこだわっている自分がとどまれば、信じてくれている消費者の方々もここにとどまってしまう。それなら自ら避難者となろうと決意した。」と。「いままで農家は、農薬のない野菜を自分達が食べ、農薬散布した商品野菜を売っていた。その精神から問いたださなくては今回のことは収束しないだろう。」と。これは甘甘な日本の社会意識そのものの大改革にちがいない。それほどの引き金を引いた事故だったということだ。一方同じ日にであった飯舘村からの30代(程?)女性。「子どもの一時避難とか言わないでほしい。あまりにも福島が汚染されているといわれるのがつらい。わたしは美しい飯舘村の森のなかで住み続ける。放射能も怖くない。除染もしないでいただきたい。美しい森がなくなってしまうのがつらい。」飯舘村での除染が必要なのかどうかは??のつくところで理解できるものの、前段階では少々気持ちを寄り添うことに困難を感じてしまった。このお二人はいずれも福島県へ移住された方々だ。それぞれの移住での夢や意識の違いがこの差を生んでいくのだろうか。有機農業の講演会できいたおはなしでは、有機農業を長年されてきたN氏は事故後早々と長野県に移られてそこで技術指導などで徐々に生活基盤を創ることに成功されているそうだ。有機農業と共に原発の勉強も長年やってこられていたとのこと。親友となった一時避難者のおかぁさん(子ども2人)は、事故直後に出会ったのだけど、そのころの不安そうな感じから一年たって、たくましく講演会もされるほどになられた。まぶしいほどだ。もちろん当初は原発の知識などなかったに違いないのだが、猛烈に勉強されたようだ。根っこには子どもたちを守り社会を守るのだという使命感が強く感じられる。素晴らしい女性だと思う。彼女は今月、ご主人の待つ福島へと帰る。「なぜ?」と普通おもうでしょ?そこが今回の事故後「耳をカタムケルコトはなかなか難しい」と言った要なのです。理屈だけでは出口が作れないということか。でいまのところ非汚染地域に住みいくらかでも「なんとか力をかしたい」とおもっている僕たちはどう考えればいいのか。さきの有機農業講演会の講師の橋本真二氏がこんなことを仰った。「オセロのように白黒逆転はありえない。全てを黒にはできないものだ。でもスポイトで一滴ずつ黒インキを垂らしていると、そのうち水は真っ黒になります。」・・・「被災者の方々にただ耳をカタムケルコト」・・・にはそんな持久戦の心根が必要なようだ。

ところで、新作の制作はオープニングのタイトルバックのアニメ制作真っ最中で、予想通り、もう首がコリまくって痛くなってきている!ガラスの首をどこまでだませるかしら??作品を発表するってことは自分の意思を発表するってことだ。ここはただ耳をカタムケている場合ではない。その分すべての表現の責任が重くのしかかっている。これから深みに嵌っていく予感です。

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