ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

死後の世界は存在します。コミュの四国八十八箇所遍路。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
四国霊場八十八ヵ所、巡礼の文化を紹介致します。




http://jiten.biglobe.ne.jp/j/2e/82/4d/72e28c312a8351b15d3...


四国八十八ヵ所(しこくはちじゅうはちかしょ)は、四国にある88か所の弘法大師(空海)ゆかりの札所の総称。「四国遍路」(しこくへんろ)・「四国霊場」とも言う。


概要
巡礼者江戸時代ごろから西国三十三箇所観音霊場、熊野詣、善光寺参りなど庶民の間に巡礼が流行するようになった。そのうちの一つが四国八十八ヵ所である。これを模して小豆島には小豆島八十八ヵ所霊場・江戸には御府内八十八ヵ所霊場など、全国各地に大小様々な巡礼地が作られた。「移し」または「写し」とも呼ばれ、四国遍路隆盛の証左とも言われている。

他の巡礼地と異なり、四国八十八カ所を巡ることを特に遍路と言い、地元の人々は巡礼者をお遍路さんと呼ぶ。八十八ヵ所を通し打ち(後述)で巡礼した場合の全長は1200 - 1400km程。自動車を利用すると打戻りと呼ばれる来た道をそのまま戻るルートや遠回りのルートが多いので徒歩より距離的には増える傾向にある。観光バスや車を利用する場合は10日前後、徒歩で巡ると40日前後かかると言われている。


遍路は順番どおり打たなければならないわけではなく、各人の居住地や都合により、移動手段や日程行程などさまざまである。1度の旅で八十八ヵ所のすべてを回ることを「通し打ち」。何回かに分けて巡るのを「区切り打ち」という。また、順番どおり回るのを「順打ち」、逆に回るのを「逆打ち」という。順序を無視して打つことを「乱れ打ち」ということもある。うるう年には逆打ちをする遍路が平年に較べ多いとの印象をもつ人もいるらしい。これは閏年に逆打ちを行うと倍の御利益があるとも、お大師さん(弘法大師)とすれ違うと云う言い伝えがあるからだろう(実際に多いかどうかは不明)。

遍路(巡礼者)は札所に到着すると、ある程度決められた手順(宗派によって多少異なる)に従い、本堂と大師堂に参り、般若心経など決められた読経を行い、その証として納札(後述)を納め、納経所(のうきょうじょ)で寺の名前や本尊の名前、本尊を表す梵字などを墨書し、納経印を押したのものを納経帳(のうきょうちょう)に受領することができる。この、墨書し納経印を押したものは朱印・(御)宝印とも呼ばれ、寺の本尊を写したもので大切に扱わなければならないとされている。宝印は納経帳以外にも掛け軸、白衣にも受領できる。宝印目当てに急ぎ巡る遍路は、判取り遍路(はんとりへんろ)またはスタンプラリーと揶揄されることもある。八十八カ所全てを廻りきると「結願(けちがん、結願成就)」となり、その後、高野山(奥の院)に詣でて「満願成就」とする。



四国八十八ヶ所霊場
http://www.awanavi.jp/tokusyu/category/0000177.html



関連トピック
四国は日本の聖地
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=19711755&comm_id=369605

四国霊場、八十八ヶ所。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59081285&comm_id=2640727

映画「仏陀再誕」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=45424105&comm_id=2640727

救世の法
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59087600&comm_id=2640727

コメント(15)

歴史
修行の地、四国
古代から、都から遠く離れた四国は辺地と呼ばれていた。平安時代頃には修験者の修行の道であり、讃岐国に生れた若き日の空海もその一人であったといわれている。空海の入定後、修行僧らが大師の足跡を辿って遍歴の旅を始めた。これが四国遍路の原型とされる。時代がたつにつれ、空海ゆかりの地に加え、修験道の修行地や足摺岬のような補陀洛渡海(補陀洛山寺#補陀洛渡海)の出発点となった地などが加わり、四国全体を修行の場とみなすような修行を、修行僧や修験者が実行した。また、西行の白峰御陵(白峰寺)の参拝、弘法大師遺蹟巡礼や、一遍の影響もあるといわれている。室町時代には僧侶の遍路が盛んになる。


四国遍路の成立
江戸時代初期に「四国遍路」という言葉と概念が成立したとされる。この頃には僧侶だけでなく民衆が遍歴しはじめる。17世紀には真念という僧によって『四国遍路道指南』(-みちしるべ)という今日でいうガイドブックが書かれている。手の形の矢印で順路を示した遍路道の石造の道しるべも篤志家によってこの時期に設置され始めたと言われる。修行僧や信仰目的の巡礼者以外にも、ハンセン病患者などの、故郷を追われた、もしくは捨てざるをえなかった者たちが四国遍路を終生行った。また、犯罪やそれに類する行為で故郷を追われた者も同様に居たといわれている。もっともこれらの者たちも、信仰によって病気が治るのではないかという期待や、信仰による贖罪であったので、信仰が目的であったともいえる。また、信仰によって病気や身体の機能不全が直るのではないかと一縷の望みをかけ、現代でいう視聴覚障害者や身体障害者が巡礼することも始まった。その後、地区によっては一種の通過儀礼として村内の若衆が遍路に出るといったこともあったとされる。


近代における遍路の「観光化」

善通寺昭和30年代頃までは「辺土」と呼ばれ、交通事情も劣悪で、決して今日のような手軽なものではなかった。今日でこそその心理的抵抗は希薄になっているが、どこで倒れてもお大師のもとへ行けるようにと死装束であり、その捉え方も明るいイメージではなかった。しかしながら、次第に観光化の道を歩み始める。

近代以降、四国遍路はさまざまな場面で取り上げられることとなった。以下は、森正人の『四国遍路の近現代―「モダン遍路」から「癒しの旅」まで』創元社に詳しく紹介されているが、1908年には現在の『毎日新聞』の前身である『大阪毎日新聞』で、四国遍路の巡礼競争が企画された。全国紙での企画ではこれが最初のものであるらしい。1930年代には乗り物を用いて、旅館などに宿泊する人々が登場した。彼らは「モダン遍路」と呼ばれた。四国遍路は観光としてみなされたのだった。

観光として四国遍路を捉える人々に対して、伝統的な四国遍路を主張する「遍路同行会」が1929年に東京に誕生した。同書によると、現在のような四国霊場会は昔は存在しなかったが、1910年ごろに小林正盛という人物が組織された形跡があるらしい。ただし実質的な活動はしておらず、1942年に善通寺を中心とした「四国八十八ヶ所霊場会」が組織されたのが、四国側での活動組織となっている。この霊場会の組織に先立って1937年、大阪の南海電鉄によって「四国八十八ヶ所出開帳」というイベントが開かれた。このとき、それまで全寺院が協力して何かを成し遂げることなどなかったのに、初めて全寺院が団結して出開帳を成功させた。「この経験が、1942年の霊場会の成立と関わっているのではないか」と、同書は解説している。


現代

大窪寺現代においては、従来の信仰に基づくものや、現世・来世利益を期待する巡礼者も引き続き大勢いるが、1990年代後半からは信仰的な発心よりも、いわゆる自分探し、癒しとしての巡礼者が増えたといわれている。一時期減ったといわれるすべての札所を徒歩で巡礼する歩き遍路も同じころから増えた。また、バックパッカー的な感覚やトレッキングを楽しむ感覚で遍路をする者も増えたといわれている。今治明徳短期大学など、四国の大学・短期大学の中には歩き遍路を自分を見つめなおす機会ととらえ、教育課程に組み込んでいる学校もある。

その人数は定かではないが、年間30万人(うち歩き遍路が5000人)ともいわれている。
いろいろな巡礼の仕方
道しるべ
徒歩
伝統的には、四国遍路は「歩き」(歩き遍路と呼ばれる)で、1日30km歩いても約40日を要する。一時期は峠道や山道などの旧来の遍路道も廃れ、幹線道路になった遍路道は車の排気ガスが充満するなど歩き遍路にとってはつらい状況になったが、排気ガス規制や、寺院や地元の人たち、へんろみち保存協力会などによって、遍路道の整備や復興、道しるべの設置などが行なわれ一時期よりは歩きやすくなった。国道55号などの遍路道と幹線道路とが一体化している道や旧来の遍路道では、遍路装束の歩き遍路を目にすることができる。歩き遍路向けに歩き遍路のルートを解説した書籍も何点か販売されている。また、全行程ではないが、いくつかの区間においてハイキングも兼ねたウォークガイド本も出ている。


バスによる団体巡礼
昭和40年代からの四国内の道路事情の改善もあり、大型観光バスによるお四国巡りの団体巡礼が企画催行されている。何泊もしながら1回で回り切る本格的なもの、一国参りといって一つの県内を回るもの、原則日帰りで、1回で10か寺程度ずつお参りし、何回かのツアーに参加して結願となる手軽なものなど、さまざまである。地元の会社が主催する四国発着の団体巡礼もあるが、大手ツアー会社が主催する関西や中国地方からの団体巡礼も多く、近年では関東などからの団体巡礼も増えている。団体巡礼では本堂や大師堂での読経は先達(後述)や僧侶が先導してくれ、納経帳に判を貰うのは添乗員が代行してやってくれる。このようなツアー会社やバス会社主催の団体巡礼以外にも、札所や寺院、各地の参拝団(講)が主催する団体巡礼もある。小規模な団体や大型バスが通行できない札所への参拝は、マイクロバスやジャンボタクシー等も利用される。


公共交通機関の利用
体力や身体的な理由などですべてを徒歩で巡礼するのは無理だが、できる限り歩きつつ公共交通機関を利用する巡礼者もいる。2006年から、四国運輸局では、公共交通を利用した四国遍路のためのガイドリーフレットを作成、配布している。


自動車・オートバイ遍路
自動車やオートバイを利用して、巡礼する人も多い。マイカーを利用したり、遠方からは四国でレンタカーを借りて巡礼する人もいる。四国の出先機関に赴任してきた人の中には、休日を利用して少しずつ計画的に回る人もいる。今では、高速道路を利用すれば、四国の主要都市からほとんどの札所へ日帰りが可能である。但し山道など道路事情が良くない区間、札所も多い。


自転車
自転車を利用して参拝する巡礼者もいる。ルートは自動車を利用する場合とほぼ同じだが、山寺などへのルートは急坂が多いため、登りはともかく降りは注意しないと危険である。きちんと(特にブレーキを)整備した自転車を用い、極端に安価な軽快車(ママチャリ)や折り畳み自転車は避けたい(ブレーキや構造上に問題がある場合が多い)。
四国遍路にちなむ文化衛門三郎伝説

衛門三郎は、四国霊場にまつわる伝説上の人物。
四國邊路指南(しこくへんろみちしるべ)の刊行
ここまで四国遍路が盛んになったのは、貞享4年(1687年)に刊行された『四国遍路指南』という新書版の本の刊行による。この本を著したのは眞念という人であるが、そこには宿泊所情報なども盛り込まれており、遍路をしたい人にとって重要なガイドブックとなった。さらに、この本によって八十八箇所が固定化され、それまで順番などなかった札所の寺に順番が付けられたものと考えられる。

同行二人
仮に一人で四国八十八箇所をめぐっても、同行二人(どうぎょうににん)と言って常にお大師さん(弘法大師)と一緒にいる想いで巡礼している。「同行二人」は参拝の道具にも記されている。同行二人の巡礼者ともう一人は弘法大師以外でも、亡くなった家族や先祖、帰依する如来や菩薩などのことを想っても良いとする教えもある。

白衣
笈摺(おいずる)とも呼ばれる。巡礼者が着なければならないとされる、白い着衣。四国八十八箇所の寺院や門前の店で購入すると「南無大師遍照金剛」と背中に書かれたものが一般的である。袖があるものを白衣、袖無しのものを笈摺とする説明もあるが、はっきりと区別されているわけではない。宝印を受領するためだけの実際には着衣しない白衣は判衣とも呼ばれる。巡礼の途中でいつ行き倒れてもいいように死装束としてとらえる説もあれば、巡礼といえども修行中なので清浄な着衣として白を身につける、どんな身分でも仏の前では平等なのでみな白衣を着るとする説もある。

金剛杖
木製の杖で空海が修行中に持っていた杖に由来する。巡礼者が持つ金剛杖は弘法大師の化身ともいわれるほどで、宿に着いたら杖の足先を清水で真っ先に洗い、部屋では上座や床の間に置くなどの扱いをするのがならわしである。巡礼中、行き倒れた巡礼者の卒塔婆として使用されたといわれる。市販されているものは「同行二人」「南無大師遍照金剛」や梵字が書かれ、般若心経が書かれているものもあり、杖の上部の細工は塔頭を模している。橋の上ではついてはならない(後述)。

逆打ち
四国を時計回りに札所の数字を昇順に巡礼するのを順打ちといい、反時計回りに降順に巡礼するのを逆打ちという。第一番札所から巡礼を開始し、逆打ちする場合は第三番札所金泉寺から大坂峠越えで第八十八番札所大窪寺に向かうのが一般的であったといわれている。
映画『死国』では禁忌などのようにとらえられているが、順打ちよりも困難な場合が多く、ご利益が順打ちよりも大きく、順打ち3回分のご利益があると言われている。また、逆打ちだと順廻りしているお大師さんと遭遇する確率が高いので、この理由でご利益があるとも言われている。


お接待

茶堂の例(四国村。北宇和郡より移築)道中、お遍路さんに対して地元の人々から果物や金品、善根宿など、お接待または接待とよばれ、食べ物や飲み物、手ぬぐいやときには現金を渡す無償の提供がなされる伝統がある。これに対し、遍路は持っているお札を「お接待」してくれた人に渡すことになっている。こうした文化のおかげで、昔は比較的貧しい人であってもお参りができたといわれる。今日でも四国西南部ではお接待の場ともなった「茶堂」が残っている。「お接待」の心は、接待することによって功徳を積む、巡礼者もまた弘法大師のある種の化身であるという言い伝えからや、一種の代参のようなものとか様々である。観光振興や観光従事者の研修等では「もてなしの心」と拡大解釈されることがある。もともと、関西で西国三十三箇所観音霊場の修行者、巡礼者に対して始まったとされるが、 観光化、俗化したために関西では早くに廃れたといわれている。四国以外の地域でも、接待講と呼ばれる講を組み、浄財を集め、四国で遍路にたいして接待をするということも行われた。

納札
札所などにお参りし、納経した証に収める札。般若心経を写経したものを納めるのが正式とされているが、読経したのちに自分の名前を書いた納札を納めても良い。衛門三郎が自分が空海を探しているということを空海に知らせるために(空海が立ち寄ると思われる)寺にお札を打ちつけたのが始まりとされる。かつては木製や金属製の納札を山門や本堂の柱などに釘で打ちつけていた。このことから、遍路自体や、札所に参拝したことを「打つ」とも言う。現在では、お寺の建築物の損傷を避け、持ち運びの利便性を考え、紙製の納札を納札箱に入れることなっている。また、接待をしてもらったら、その人にお礼の気持ちも込めて納札を渡すのが決まりである。結願した回数によってお札の色を変えてもよい。1〜4回が白、5〜7回が緑、8〜24回が赤、25回以上で銀、50回以上で金、そして100回以上で錦の札となる。ただし、白より錦の札がより良いとされるわけではない。100回以上回っても白の納札を使う人もいる。

善根宿
善人宿とも呼ばれる。広義では自宅の前を通った遍路に「一晩泊っていきなさい」と一夜の宿を提供するのも善根宿といわれる。一般的には「お接待」の心で善意で用意された簡易宿泊施設である。施設を提供するのは個人や企業、地域ぐるみなど様々である。

通夜堂
本来は寺院内で夜を徹して読経や真言を唱える修行をするための施設(お堂)だが、四国八十八箇所においては霊場が巡礼者にたいして用意した簡易宿泊施設という意味合いが強い。宿坊とは違い寝るだけの最低限の設備しかない(布団も基本的にはない)。かつては通夜堂を持つ霊場が多かったが、旅館などの宿泊施設が増えたことや、利用者のマナーなどの問題により減少し、現在では通夜堂を持つ霊場(小屋やガレージなどを一時的に利用しても良いとする霊場を含む)は2割程度である。
十夜ヶ橋(とやがばし、とよがばし)
現在の愛媛県大洲市付近で空海が一宿を求めたがどの家からも断られ、仕方なく橋の下で寝ることとなった。寒さと旅人が杖で橋を突く音でまったく眠れず、一夜が十夜にも感じられた、という和歌が残っている。このため巡礼者は橋の下には空海がいるかもしれないから橋をわたるときは杖を突いてはならないというならわしがある。すぐそば、国道に面して永徳寺(番外霊場)があり、お参りする人も多い。現在、その橋は「十夜ヶ橋」と呼ばれ国道56号の一部となり、交通量の多いコンクリート橋になっているが、橋の下で空海を偲びつつ野宿することができる。雨期には冠水する場合もあり、夏季は蚊が多いので注意を要す。

地四国・島四国
四国八十八箇所のことを略して「お四国参り」あるいは「お四国」「お大師さん」と呼ぶことがあるが、四国には各地に民衆信仰としての地四国あるいは「ミニ四国」「新四国」と呼ばれるものがある。離島では島を四国に見立てて、八十八箇所を再現した島四国も瀬戸内海を中心に存在する。

先達
四国八十八箇所霊場会では、昭和30年代に「公認先達」という認定制度を発足させた。ツアー会社の団体巡礼に同行する先達はほぼ「公認先達」である。徒歩による巡礼のガイドを引き受けてくれる先達もいる。公認先達は最低4周以上の巡拝経験が必要である。その上で研修を経て補任される。

中司茂兵衛(大先達)
弘化2年生まれ。四国八十八箇所巡礼を慶応2年から大正11年まで歩きで280回巡拝した。また、しるべ石を240基余りを建立した。
世界遺産化をめぐる動き1000年を越える歴史を有する巡礼を基礎とした特異な文化であり、世界遺産への登録をめざす動きが四国にはあり、特に香川県が意欲的であるものの4県の中でも温度差があったが、2006年11月、文化庁に対して「四国八十八箇所霊場と遍路道」の「暫定リスト」への登載を求め、要望書を提出した。

また、民間で遍路道を含めて世界遺産登録に向けた活動を行なっている団体があり、その活動に積極的に関わっている札所もある。ただし、霊場会全体で見解が統一されているわけではない。ちなみに、キリスト教のサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路や日本の紀伊山地の霊場と参詣道は世界遺産登録されている。

結局、2007年1月には採択ならなかったが、四県関係者は今回の関係者の認識統一や採択に向けた課題も整理でき一歩前進と受け止めている。
その他與田寺は四国八十八箇所総奥の院とされる。

現在、第三十番札所は「善楽寺(高知市一宮)」であるが、元来の第三十番札所は土佐一ノ宮高賀茂大明神(土佐神社)で別当の神宮寺が納経を行っていた(当時、高鴨大明神と神宮寺はほぼ一体の存在であった)。しかし、明治初頭の廃仏毀釈によって「神宮寺」は廃寺となり、高賀茂大明神の本地仏である阿弥陀如来も二十九番札所国分寺に移された。1876年(明治9年)、これを安楽寺へと移すこととなり、三十番札所も安楽寺が引き継いだ。

善楽寺は神宮寺の塔頭寺院として葬儀などを執り行っていたが、神宮寺と共に廃寺となった。しかし1929年(昭和4年)に地元から葬儀を執り行う寺院の復興が望まれたため、埼玉県さいたま市にあった東明院の寺基を移す形で善楽寺を復興し、国分寺から旧神宮寺の弘法大師像や寺宝を引き継いだ。このころから善楽寺が「善楽寺は弘法大師巡錫地であるから第三十番札所である」というようになった。三十番札所が二ヶ所存在するような事態となった。1942年(昭和17年)には善楽寺を札所とし、安楽寺を奥の院とする取り決めがなされたが履行されず、二ヶ所併存状態が続いたため、遍路たちも戸惑いながら2つともに巡礼する姿が見られた。そのため、安楽寺を弘法大師ゆかりの阿弥陀如来を安置する本尊奉安の霊場、善楽寺を開創霊場として、どちらで納経を行ってもよいということとなった。さらに1993年(平成5年)元日より、「善楽寺」を第三十番札所に、「安楽寺」は第三十番札所奥の院とすることで正式に決着した。

明治維新による神仏分離令によって、それまでの第六十八番札所「琴弾八幡宮」の本地仏(本尊)の阿弥陀如来像をほぼ隣接する第六十九番札所「観音寺」の西金堂に移し、神恵院とした。これ以降、観音寺には一寺院の中に二つの札所が存在する。本堂と大師堂はそれぞれ存在するが、納経所はひとつである。

大相撲第六十八代横綱朝青龍明徳(あさしょうりゅうあきのり)の四股名は、第三十六番札所青龍寺にちなんでつけられた。モンゴルから相撲留学していた明徳義塾高等学校の近くにある青龍寺の石段でよくトレーニングをしていたため、角界に入り青龍寺より許可を得て四股名とした。ちなみに「明徳」は、母校の名からつけた。

江戸期の巡礼では河川や湾口の通行に渡し船を使うことがあり、吉野川、浦戸湾、須之内湾、四万十川などにあった。2005年末までは四万十川にも渡し船があったが、現在では浦戸湾の種崎・長浜間の渡し船(県営フェリー)が残るのみである。巡礼者が渡し船を使うと多くの場合渡し賃が無料(接待)であったと伝えられている(現在の浦戸湾の渡し船は巡礼者でなくとも無料)。歴史的な経緯から渡し船に乗った以外を徒歩で結願した場合は、全て徒歩で結願したとみなされる。

歩行不可能、困難な巡礼者はかつて「いざり車」に乗って巡礼した。これは現代でいう車椅子にあたるもので、小さいものは台車のようなものだが、大きなものは小屋に両輪がついたようなもので、この中で寝泊りできたという。遍路では主に後者の小屋タイプが使われていた。村によってはいざり車をみかけると隣村まで押していく、という決まりごとがあったと伝えられている。

江戸時代、土佐国(現高知県)では巡礼者の入国、出国は甲浦(現東洋町甲浦地区)と松尾峠(現宿毛市)の関所二ヶ所のみとされた。入国してからも札所以外の立ち寄りは禁止など厳しい制限がかけられた。また遍路狩りのようなこともあったと言われている。また、四国でもっとも廃仏毀釈が激しかったのは土佐であり、このようなことから、巡礼者の間では「鬼国土佐」などと呼ばれることもあった。といっても、入ってしまえば、草の根を分けてでも取り締まることはそうそうなく、気候温暖ですごしやすく、民衆の接待は他の国と同様であったため、冬には乞食遍路が集まってきたといわれている。そのため晩秋のころからは遍路に対しては関所を閉じるということもあった。

国や自治体では、四国八十八箇所やその他の史跡や自然を辿る道を「四国のみち」として各種整備している。旧来の遍路道が「四国のみち」が重なっている場合などは、「四国のみち」として案内版や登山道の整備などがされているが、かならずしも「四国のみち」と旧来の遍路道は一体となっているわけではない(札所間のルートで四国遍路とは関係がない史跡が組み込まれて遠回りになる場合がある)ので、遍路道を辿りたい場合には注意が必要である。
四国八十八ヵ所一覧
No. 山号 山号の読み 寺号(括弧は通称) 寺号の読み 宗派 本尊 所在地 位置

1 竺和山 じくわさん 霊山寺 りょうぜんじ 高野山真言宗 釈迦如来 徳島県鳴門市 北緯34度09分34.0秒東経134度30分10.8秒

2 日照山 にっしょうざん 極楽寺 ごくらくじ 高野山真言宗 阿弥陀如来 徳島県鳴門市 北緯34度09分21.7秒東経134度29分24.9秒

3 亀光山 きこうざん 金泉寺 こんせんじ 高野山真言宗 釈迦如来 徳島県板野郡板野町 北緯34度08分50.2秒東経134度28分05.8秒

4 黒巖山 こくがんざん 大日寺 だいにちじ 東寺真言宗 大日如来 徳島県板野郡板野町 北緯34度09分05.4秒東経134度25分52.2秒

5 無尽山 むじんざん 地蔵寺 じぞうじ 真言宗御室派 勝軍地蔵菩薩 徳島県板野郡板野町 北緯34度08分13.8秒東経134度25分56.5秒

6 温泉山 おんせんざん 安楽寺 あんらくじ 高野山真言宗 薬師如来 徳島県板野郡上板町 北緯34度07分05.2秒東経134度23分18.1秒

7 光明山 こうみょうざん 十楽寺 じゅうらくじ 高野山真言宗 阿弥陀如来 徳島県阿波市 北緯34度07分13.6秒東経134度22分41.9秒

8 普明山 ふみょうざん 熊谷寺 くまたにじ 高野山真言宗 千手観音 徳島県阿波市 北緯34度07分22.4秒東経134度20分24.2秒

9 正覚山 しょうかくざん 法輪寺 ほうりんじ 高野山真言宗 涅槃釈迦如来 徳島県阿波市 北緯34度06分15.2秒東経134度20分00.3秒

10 得度山 とくどさん 切幡寺 きりはたじ 高野山真言宗 千手観音 徳島県阿波市 北緯34度06分27.1秒東経134度18分14.6秒

11 金剛山 こんごうさん 藤井寺 ふじいでら 臨済宗妙心寺派 薬師如来 徳島県吉野川市 北緯34度03分05.4秒東経134度20分54.7秒

12 摩盧山 まろさん 焼山寺 しょうざんじ 高野山真言宗 虚空蔵菩薩 徳島県名西郡神山町 北緯33度59分05.9秒東経134度18分38.3秒

13 大栗山 おおくりさん 大日寺 だいにちじ 真言宗大覚寺派 十一面観音 徳島県徳島市 北緯34度02分17.6秒東経134度27分46.1秒

14 盛寿山 せいじゅざん 常楽寺 じょうらくじ 高野山真言宗 弥勒菩薩 徳島県徳島市 北緯34度03分01.2秒東経134度28分32.4秒

15 薬王山 やくおうざん 国分寺 こくぶんじ 曹洞宗 薬師如来 徳島県徳島市 北緯34度03分20.8秒東経134度28分24.0秒

16 光耀山 こうようざん 観音寺 かんおんじ 高野山真言宗 千手観音 徳島県徳島市 北緯34度04分06.7秒東経134度28分27.2秒

17 瑠璃山 るりざん 井戸寺 いどじ 真言宗善通寺派 七仏薬師如来 徳島県徳島市 北緯34度05分06.7秒東経134度29分07.9秒

18 母養山 ぼようざん 恩山寺 おんざんじ 高野山真言宗 薬師如来 徳島県小松島市 北緯33度59分09.6秒東経134度34分40.8秒

19 橋池山 きょうちざん 立江寺 たつえじ 高野山真言宗 延命地蔵菩薩 徳島県小松島市 北緯33度58分04.6秒東経134度36分23.4秒

20 霊鷲山 りょうじゅぜん 鶴林寺 かくりんじ 高野山真言宗 地蔵菩薩 徳島県勝浦郡勝浦町 北緯33度54分49.7秒東経134度30分19.6秒

21 舎心山 しゃしんざん 太龍寺 たいりゅうじ 高野山真言宗 虚空蔵菩薩 徳島県阿南市 北緯33度52分54.7秒東経134度31分14.1秒

22 白水山 はくすいざん 平等寺 びょうどうじ 高野山真言宗 薬師如来 徳島県阿南市 北緯33度51分07.9秒東経134度34分56.4秒

23 医王山 いおうざん 薬王寺 やくおうじ 高野山真言宗 薬師如来 徳島県海部郡美波町 北緯33度43分56.8秒東経134度31分38.9秒
24 室戸山 むろとざん 最御崎寺(土佐東寺) ほつみさきじ 真言宗豊山派 虚空蔵菩薩 高知県室戸市 北緯33度14分57.3秒東経134度10分33.3秒

25 宝珠山 ほうしゅざん 津照寺(津寺) しんしょうじ 真言宗豊山派 延命地蔵菩薩 高知県室戸市 北緯33度17分17.7秒東経134度08分54.5秒

26 竜頭山 りゅうずざん 金剛頂寺(土佐西寺) こんごうちょうじ 真言宗豊山派 薬師如来 高知県室戸市 北緯33度18分26.1秒東経134度07分21.3秒

27 竹林山 ちくりんざん 神峯寺 こうのみねじ 真言宗豊山派 十一面観音 高知県安芸郡安田町 北緯33度28分03.5秒東経133度58分29.0秒

28 法界山 ほうかいざん 大日寺 だいにちじ 真言宗智山派 大日如来 高知県香南市 北緯33度34分40.0秒東経133度42分20.0秒

29 摩尼山 まにざん 国分寺 こくぶんじ 真言宗智山派 千手観音 高知県南国市 北緯33度35分56.0秒東経133度38分25.0秒

30 百々山 どどさん 善楽寺 ぜんらくじ 真言宗豊山派 阿弥陀如来 高知県高知市 北緯33度35分31.0秒東経133度34分40.4秒

31 五台山 こだいさん 竹林寺 ちくりんじ 真言宗智山派 文珠菩薩 高知県高知市 北緯33度32分47.9秒東経133度34分38.9秒

32 八葉山 はちようざん 禅師峰寺 ぜんじぶじ 真言宗豊山派 十一面観音 高知県南国市 北緯33度31分36.1秒東経133度36分42.1秒

33 高福山 こうふくざん 雪蹊寺 せっけいじ 臨済宗妙心寺派 薬師如来 高知県高知市 北緯33度30分03.0秒東経133度32分35.0秒

34 本尾山 もとおざん 種間寺 たねまじ 真言宗豊山派 薬師如来 高知県高知市 北緯33度29分31.4秒東経133度29分15.7秒

35 医王山 いおうざん 清瀧寺 きよたきじ 真言宗豊山派 薬師如来 高知県土佐市 北緯33度30分45.2秒東経133度24分33.7秒

36 独鈷山 とっこうざん 青龍寺 しょうりゅうじ 真言宗豊山派 波切不動明王 高知県土佐市 北緯33度25分33.8秒東経133度27分03.9秒

37 藤井山 ふじいさん 岩本寺 いわもとじ 真言宗智山派 阿弥陀如来
観世音菩薩
不動明王
薬師如来
地蔵菩薩 高知県高岡郡四万十町 北緯33度12分29.2秒東経133度08分04.8秒

38 蹉跎山 さださん 金剛福寺 こんごうふくじ 真言宗豊山派 三面千手観音 高知県土佐清水市 北緯32度43分34.7秒東経133度01分06.6秒

39 赤亀山 しゃっきざん 延光寺 えんこうじ 真言宗智山派 薬師如来 高知県宿毛市 北緯32度57分40.3秒東経132度46分27.2秒
40 平城山 へいじょうざん 観自在寺 かんじざいじ 真言宗大覚寺派 薬師如来 愛媛県南宇和郡愛南町 北緯32度57分52.7秒東経132度33分51.0秒

41 稲荷山 いなりざん 龍光寺 りゅうこうじ 真言宗御室派 十一面観音 愛媛県宇和島市 北緯33度17分42.8秒東経132度35分53.6秒

42 一{王果}山 いっかざん 佛木寺 ぶつもくじ 真言宗御室派 大日如来 愛媛県宇和島市 北緯33度18分37.0秒東経132度34分55.9秒

43 源光山 げんこうざん 明石寺 めいせきじ 天台寺門宗 千手観音 愛媛県西予市 北緯33度22分08.7秒東経132度31分08.5秒

44 菅生山 すごうざん 大宝寺 だいほうじ 真言宗豊山派 十一面観音 愛媛県上浮穴郡久万高原町 北緯33度39分39.7秒東経132度54分41.7秒

45 海岸山 かいがんざん 岩屋寺 いわやじ 真言宗豊山派 不動明王 愛媛県上浮穴郡久万高原町 北緯33度39分32.5秒東経132度58分52.5秒

46 医王山 いおうざん 浄瑠璃寺 じょうるりじ 真言宗豊山派 薬師如来 愛媛県松山市 北緯33度45分12.8秒東経132度49分07.9秒

47 熊野山 くまのざん 八坂寺 やさかじ 真言宗醍醐派 阿弥陀如来 愛媛県松山市 北緯33度45分29.0秒東経132度48分46.9秒

48 清瀧山 せいりゅうざん 西林寺 さいりんじ 真言宗豊山派 十一面観音 愛媛県松山市 北緯33度47分37.0秒東経132度48分49.2秒

49 西林山 さいりんざん 浄土寺 じょうどじ 真言宗豊山派 釈迦如来 愛媛県松山市 北緯33度49分00.5秒東経132度48分28.5秒

50 東山 ひがしやま 繁多寺 はんたじ 真言宗豊山派 薬師如来 愛媛県松山市 北緯33度49分40.0秒東経132度48分18.1秒

51 熊野山 くまのざん 石手寺 いしてじ 真言宗豊山派 薬師如来 愛媛県松山市 北緯33度50分52.4秒東経132度47分47.3秒

52 瀧雲山 りゅううんざん 太山寺 たいざんじ 真言宗智山派 十一面観音 愛媛県松山市 北緯33度53分06.1秒東経132度42分54.1秒

53 須賀山 すがざん 円明寺 えんみょうじ 真言宗智山派 阿弥陀如来 愛媛県松山市 北緯33度53分30.4秒東経132度44分22.9秒

54 近見山 ちかみざん 延命寺 えんめいじ 真言宗豊山派 不動明王 愛媛県今治市 北緯34度04分00.6秒東経132度57分50.5秒

55 別宮山 べっくさん 南光坊 なんこうぼう 真言宗醍醐派 大通智勝如来 愛媛県今治市 北緯34度04分05.7秒東経132度59分43.2秒

56 金輪山 きんりんさん 泰山寺 たいさんじ 真言宗醍醐派 地蔵菩薩 愛媛県今治市 北緯34度03分01.0秒東経132度58分29.0秒

57 府頭山 ふとうざん 栄福寺 えいふくじ 高野山真言宗 阿弥陀如来 愛媛県今治市 北緯34度01分46.1秒東経132度58分42.9秒

58 作礼山 されいざん 仙遊寺 せんゆうじ 高野山真言宗 千手観音 愛媛県今治市 北緯34度00分47.6秒東経132度58分39.5秒

59 金光山 きんこうざん 国分寺 こくぶんじ 真言律宗 薬師如来 愛媛県今治市 北緯34度01分33.8秒東経133度01分31.3秒

60 石鎚山 いしづちさん 横峰寺 よこみねじ 真言宗御室派 大日如来 愛媛県西条市 北緯33度50分15.4秒東経133度06分39.5秒

61 栴檀山 せんだんさん 香園寺 こうおんじ 真言宗単立 大日如来 愛媛県西条市 北緯33度53分36.7秒東経133度06分11.4秒

62 天養山 てんようざん 宝寿寺 ほうじゅじ 高野山真言宗 十一面観音 愛媛県西条市 北緯33度53分50.8秒東経133度06分54.2秒

63 密教山 みっきょうざん 吉祥寺 きちじょうじ 真言宗東寺派 毘沙門天 愛媛県西条市 北緯33度53分46.1秒東経133度07分45.2秒

64 石鈇山 いしづちさん 前神寺 まえがみじ 真言宗石鈇派 阿弥陀如来 愛媛県西条市 北緯33度53分25.3秒東経133度09分37.9秒

65 由霊山 ゆれいざん 三角寺 さんかくじ 高野山真言宗 十一面観音 愛媛県四国中央市 北緯33度58分00.6秒東経133度35分11.3秒
66 巨鼇山 きょごうざん 雲辺寺 うんぺんじ 真言宗御室派 千手観音 徳島県三好市 北緯34度02分05.2秒東経133度43分23.5秒

67 小松尾山 こまつおざん 大興寺(小松尾寺) だいこうじ 真言宗善通寺派 薬師如来 香川県三豊市 北緯34度06分08.9秒東経133度43分08.0秒

68 琴弾山 ことひきざん 神恵院(琴弾八幡) じんねいん 真言宗大覚寺派 阿弥陀如来 香川県観音寺市 北緯34度08分03.7秒東経133度38分50.2秒

69 七宝山 しっぽうざん 観音寺 かんのんじ 真言宗大覚寺派 聖観音 香川県観音寺市 北
緯34度08分04.2秒東経133度38分51.5秒

70 七宝山 しっぽうざん 本山寺 もとやまじ 高野山真言宗 馬頭観音 香川県三豊市 北緯34度08分23.0秒東経133度41分38.9秒

71 剣五山 けんござん 弥谷寺 いやだにじ 真言宗善通寺派 千手観音 香川県三豊市 北緯34度13分47.8秒東経133度43分28.2秒

72 我拝師山 がはいしざん 曼荼羅寺 まんだらじ 真言宗善通寺派 大日如来 香川県善通寺市 北緯34度13分24.4秒東経133度45分00.6秒

73 我拝師山 がはいしざん 出釈迦寺 しゅっしゃかじ 真言宗御室派 釈迦如来 香川県善通寺市 北緯34度13分09.4秒東経133度45分00.4秒

74 医王山 いおうざん 甲山寺 こうやまじ 真言宗善通寺派 薬師如来 香川県善通寺市 北緯34度13分59.6秒東経133度45分56.9秒

75 五岳山 ごがくざん 善通寺 ぜんつうじ 真言宗善通寺派 薬師如来 香川県善通寺市 北緯34度13分30.4秒東経133度46分26.9秒

76 鶏足山 けいそくざん 金倉寺 こんぞうじ 天台寺門宗 薬師如来 香川県善通寺市 北緯34度15分00.3秒東経133度46分51.5秒

77 桑多山 そうたさん 道隆寺 どうりゅうじ 真言宗醍醐派 薬師如来 香川県仲多度郡多度津町 北緯34度16分36.5秒東経133度45分45.8秒

78 仏光山 ぶっこうざん 郷照寺 ごうしょうじ 時宗 阿弥陀如来 香川県綾歌郡宇多津町 北緯34度18分24.2秒東経133度49分28.7秒

79 金華山 きんかざん 天皇寺(高照院) てんのうじ 真言宗御室派 十一面観音 香川県坂出市 北緯34度18分39.4秒東経133度52分58.8秒

80 白牛山 はくぎゅうざん 国分寺 こくぶんじ 真言宗御室派 千手観音 香川県高松市 北緯34度18分11.9秒東経133度56分39.3秒

81 陵松山 りょうしょうざん 白峯寺 しろみねじ 真言宗御室派 千手観音 香川県坂出市 北緯34度20分03.9秒東経133度55分37.7秒

82 青峰山 あおみねざん 根香寺 ねごろじ 天台宗単立 千手観音 香川県高松市 北緯34度20分39.9秒東経133度57分38.3秒

83 神毫山 しんごうざん 一宮寺 いちのみやじ 真言宗御室派 聖観音 香川県高松市 北緯34度17分12.0秒東経134度01分35.6秒

84 南面山 なんめんざん 屋島寺 やしまじ 真言宗御室派 十一面観音 香川県高松市 北緯34度21分28.1秒東経134度06分03.4秒

85 五剣山 ごけんざん 八栗寺 やくりじ 真言宗大覚寺派 聖観音 香川県高松市 北緯34度21分35.2秒東経134度08分24.5秒

86 補陀落山 ふだらくさん 志度寺 しどじ 真言宗善通寺派 十一面観音 香川県さぬき市 北緯34度19分27.6秒東経134度10分46.8秒

87 補陀落山 ふだらくさん 長尾寺 ながおじ 天台宗 聖観音 香川県さぬき市 北緯34度16分00.5秒東経134度10分18.4秒

88 医王山 いおうざん 大窪寺 おおくぼじ 真言宗大覚寺派 薬師如来 香川県さぬき市 北緯34度11分27.4秒東経134度12分25.7秒
関連トピック
四国は日本の聖地
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=19711755&comm_id=369605

四国霊場、八十八ヶ所。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59081285&comm_id=2640727

映画「仏陀再誕」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=45424105&comm_id=2640727

救世の法
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59087600&comm_id=2640727
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%98%E7%9B%A7%E9%81%AE%E9%82%A3%E4%BB%8F

毘盧遮那仏
毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)は、大乗仏教における仏の1つ。

概要
毘盧遮那とはサンスクリット語のVairocana「ヴァイローチャナ」の音訳で「光明遍照」(こうみょうへんじょう)を意味する。「毘盧舎那仏」とも表記される。略して盧遮那仏(るしゃなぶつ)、遮那仏(しゃなぶつ)とも表される。

史実の人物としてのゴータマ・シッダールタを超えた宇宙仏(法身仏)。宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏。毘盧遮那仏については、華厳経に詳しく説かれている。

密教

真言宗などの密教における「摩訶毘盧遮那仏」(大毘盧遮那仏、Mahāvairocana(マハー・ヴァイローチャナ))は、大日如来と呼ばれ、成立の起源を、ゾロアスター教の善の最高神アフラ・マズダーに求める学説がある。仏像では、聖武天皇の発願により造られた東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏、東大寺大仏)が有名。同様に、鑑真が開創した唐招提寺金堂の中尊も、天平時代の脱乾漆像として有名であり、鑑真が中国からもたらした盛唐様式の作風を伝える彫刻[1]として貴重な存在である。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A6%82%E6%9D%A5

大日如来
大日如来(だいにちにょらい)、梵名 マハー・ヴァイローチャナ (महावैरोचन [mahaavairocana])は、密教において宇宙そのものと一体と考えられる汎神論的な如来(法身仏)の一尊。その光明が遍く照らすところから遍照、または大日という。

三昧耶形は、金剛界曼荼羅では宝塔、胎蔵曼荼羅では五輪塔。種子(種字)は金剛界曼荼羅ではバン(vaM)、胎蔵曼荼羅ではアーク(aaH)またはア(a)


概要

大毘盧遮那成仏神変加持経(大日経)の教主であり、大日経の説く胎蔵曼荼羅中台八葉院九尊の主である。また金剛頂経の説く金剛界曼荼羅五智如来の中心。空海の開いた真言宗において、究極的には修行者自身と一体化すべきものとして最も重要な仏陀である。不動明王は、密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。

後期密教を大幅に取り入れたチベット仏教でも、大日如来は金剛界五仏(五智如来)の中心として尊崇される。チベット仏教では、宝飾品を身に纏わずに通常の如来の姿で表現されたり、あるいは多面仏として描かれることもある。

像形は、宝冠をはじめ瓔珞などの豪華な装身具を身に着けた、菩薩のような姿の坐像として表現される。これは古代インドの王族の姿を模したものである。一般に如来は装身具を一切身に着けない薄衣の姿で表現されるが、大日如来は宇宙そのもの存在を装身具の如く身にまとった者として、特に王者の姿で表されるのである。 印相は、金剛界大日如来は智拳印を、胎蔵界大日如来は法界定印を結ぶ。
http://news.biglobe.ne.jp/trend/0925/sgk_140925_5240992016.html


四国お遍路 各県の基本と難所・見所を専門家がレクチャー
NEWSポストセブン9月25日(木)16時0分

 今年で開創1200年となる「四国遍路」。最近はバスや車で巡る観光客も増えており、気軽に楽しめるようになっているという。そこで、八十八ヶ所の寺院を気軽に巡りたいという初心者に、お遍路のプロである四国八十八ヶ所霊場会公認権大先達の横地稔さんと中大先達の貞美さんご夫妻が、エリアごとに基本を伝授する。

 まずは徳島県。徳島県の札所は23か所。1番札所霊山寺を擁し、ここから全長約1400km、歩きなら40〜60日はかかる遍路道が始まる。

「徳島県はお遍路の始まりの土地のため、『発心(ほっしん)の道場』と呼ばれています。10番(切幡寺)くらいまでは比較的歩きやすいですが、11番(藤井寺)あたりから“遍路ころがし”と呼ばれる難所も始まり、徐々にきつい旅路になります」(横地さんご夫妻、以下「」同)

 続く高知県の札所は16か所と4県でもっとも少ないが、お寺からお寺への距離が長く、歩き遍路ではまさに修行の場所。

「23番札所(徳島の薬王寺)と24番札所(高知の最御崎寺)は約75km離れており、歩くと3日はかかります。これを越えても、変化の少ない海辺の道が延々と続くため、高知は、自分と向かい合うための修行の場所とされています。とはいえ、室戸岬、足摺岬では絶景も楽しめます」

 愛媛県の札所は26か所ともっとも多い。宇和海沿岸の穏やかな道が続くかと思えば、険しい山道に入っていく…。めまぐるしく変わる景色の中を進むのが特徴。

「厳しい環境が続いた高知の札所を歩ききると、体も鍛えられ、愛媛は比較的楽に越えられます。景色も変化に富み、名湯・道後温泉などの観光スポットもあるため、心の余裕も生まれるでしょう。とはいえ、43〜44番札所(明石寺〜大寶寺)までは約75km離れており、さらに46番札所(浄瑠璃寺)までは、険しい山道を行く難所が続きますので、まだまだ慢心はできません」

 香川県の札所は全部で23か所。長かったお遍路の旅も、88か所を巡り終える“結願”(けちがん)へ向けて、クライマックスを迎える場所だ。

「香川の札所を『涅槃の道場』と呼びます。長く苦しい旅の末、煩悩を断ち、結願で悟りの境地を開くことに重ねて、こう呼ぶようです。88番(大窪寺)まで巡拝を終えたら、1番札所にお礼参りをし、高野山奥の院か、京都の東寺を訪れるまでが本来のお遍路になります」

※女性セブン2014年10月9日号
http://animeanime.jp/article/2014/07/12/19422.html



ufotable制作の個性派アニメ「おへんろ。〜八十八歩記〜」主題歌CD発売、上映イベント決定

ニュース アニメ

2014年7月12日(土) 14時24分


『おへんろ。〜八十八歩記〜』は、ufotableが手がけるアニメと実写のバラエティ番組だ。人気アニメ会社ufotableが制作するが、現在は四国でのみで放送する。他の地方のファンにとっては、幻の作品となっている。
その主題歌CDリリースが決定した。主題歌は「千と二百の物語」。本編のメインキャスト陣によるユニット「TEAM OHENRO。」が歌う。
さらに番組自体も、いよいよ東京進出を果たすことになった。新宿でのイベント上映会開催も発表されている。

『おへんろ。〜八十八歩記〜』は、アニメキャラクターの3人が四国八十八ヶ所を「歩き遍路」しながら、お寺周辺の名所やグルメ情報を紹介する旅情報番組である。カメラ目線と呼ばれる主観映像も駆使するなど、遍路を身近に感じることができるような趣向が数多く取り入れられている
その主題歌「千と二百の物語」を歌うのは、めぐみ役の高野麻里佳さん、ちわ役の江原裕理さん、まお役の山下七海さんによるユニット「TEAM OHENRO。」だ。10月8日発売のCDには、Blu-ray付属バージョンも用意され、番組のアニメPVとドキュメンタリー映像を収録する。価格はBlu-ray付属盤が2800円、CDのみが1000円(すべて税抜)となる。

そして8月23日、24日にはシネマート新宿、8月30日・31日には角川シネマ新宿でイベント上映会が開催される。こちらにもメインキャスト3人が出演。2話の上映に加え、オーディオコメンタリーも楽しむことができる。
上映会は本番組の東京進出を祝う盛大なイベントになりそうだ。チケット料金は2200円(税込)で、発売日程などの詳細は公式ホームページで後日発表される。
さらに『おへんろ。〜八十八歩記〜』のネット配信も決定。ニコニコチャンネル、楽天ショウタイム、GyaO!/GyaO!ストア、ビデオマーケットでの配信を予定している。その続報も期待していきたい。
[高橋克則]

『おへんろ。〜八十八歩記〜』
http://www.ufotable.com/ohenro/
[コメント]

高野麻里佳さん(めぐみ役)
「皆様こんにちは。高野麻里佳です。TV番組「おへんろ。」楽しんでいただけているでしょうか?
お遍路1200年という記念すべき年に始まったこの番組…思えば収録が始まってから早3ヶ月になります。
八十八ケ所を巡る旅をしているまお・ちわ・めぐみですが、どの札所もご利益あり過ぎて、各札所で各々の願望を解き放ち、全てお参りした暁にはみんな最強になっているに違いないと確信しています。
そんな楽しい旅の最近の悩みは、いちいち札所に行く途中のお店が魅力的過ぎて収録する度に飯テロにあっている気分になることですね。
キャスト一同日に日に四国に行きたいという想いが募っております。
しかもこの度、おへんろ。のユニット「TEAM OHENRO。」のCDが早くも発売決定!?いえーい!ということで、またより一層勢いを増すおへんろ。に私もドキドキわくわくです!皆様これからもぜひ共に盛り上がって参りましょう。」

江原裕里さん(ちわ役)
「おへんろ。では私にとって何もかもが初体験の場所でした。
初収録の時右も左もわからないままスタートだったんで、不安がいっぱいあったけどキャストのみなさんやスタッフのみなさんが優しく教えてくださって今では楽しんで収録することができています!!
今回CD発売が決定したということで、ものすごくビックリしています!
でも、やるからには全力でやりたいなと思います!必ず素晴らしいものにしてみせます!!
なので、みなさん発売まで楽しみに待っておいてください!
これからもおへんろ。全力全身で頑張りますので、応援のほどよろしくお願いします!」

山下七海さん(まお役)
「私がおへんろ。のまお役をいただけたのは、徳島県出身ということやufotableさんの近藤社長と面識があったことがきっかけでした!
同じ徳島出身の近藤社長とは、地元トークで盛り上がったりしていて人と人の縁は大切だなとこの作品で凄く感じました。
おへんろ。のアフレコの雰囲気はアットホームです!
お昼休憩はみんなでご飯を食べに行ったりもします。サラダを分け合ったり、お菓子を分け合ったりアフレコをする度に家族みたいになってます。
おへんろ。のCDリリース!!とっても嬉しいです!四国のお遍路をたくさんの方に楽しんでいただけるように、おへんろ。の魅力をがっつりと詰め込みたいと思います。
これからもよろしくお願いします!あなたも一緒に、おへんろ!!!」

プロデューサー 近藤光さん(ufotable代表取締役社長)
「2009年に徳島という場所でスタジオを構えたことがきっかけで、地元に根付いたコンテンツをつくりたいというのが企画の始まりでした。
今年が四国霊場開創1200年ということもあり、これまで興味のなかった若い層も含めて注目されていますね。
皆さんがこの「おへんろ。」きっかけで、歴史というものを知る機会になったり、実際にあるきお遍路にチャレンジ。
友達とワイワイ食べ歩きするなんてことでもいいし、ある人にとっては自分を見つめなおす機会になったり、そんな入口になれば素敵だなと思っています。」

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

死後の世界は存在します。 更新情報

死後の世界は存在します。のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング