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山陽本線沿線観光コミュの鶴羽根神社

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 広島県広島市東区二葉の里2丁目5−11。

 広島駅の西北800m。旧村社。
 社伝によると建久年間(1190〜99)に源三位頼政の未亡人菖蒲の前《http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1847826266&owner_id=250900》が安芸国加茂郡西條郷を領していましたが、其の遺言により元久年間(1204〜1206)に家臣池田左衛門が帯中津日子命(タラシナカツヒコノミコト;仲哀天皇)・品陀和気命(ホムダワケノミコト;応神天皇)・息長帯比賣命(オキナガタラシヒメノミコト;神功皇后)を勧請(カンジョウ)して椎木八幡宮を創建、以後池田氏が代々神職を務めました。本来は現在地の西方、明星院西隣の京橋河畔に位置していました。
 しかし、元享年間(1321〜24)に火事で炎上し、その後も再建されるたびに兵乱に罹って衰微、万冶2(1659)年頃、神職池田氏の血筋も絶えてしまったため、明星院の鎮守社となりました。
 その後、天保4(1833)年に明星院鎮国堂より出火した火事で類焼してしまいましたが、この機に同地への饒津神社の造営が決定されたため、天保6(1835)年に現在地へ移転して再建される事となりました。
 この結果、安政3(1856)年に社殿が完成、明治元(1868)年の廃仏毀釈の結果、明星院から独立して、第12代広島藩主浅野長勲(ナガコト)の撰名により鶴羽根八幡宮と改め、明治5(1872)年に鶴羽根神社へ再改名しました。
 昭和20(1945)年の原爆投下でにより社殿は悉く倒壊しましたが焼失は免れ、石造太鼓橋・松・石鳥居・唐獅子・石燈籠等は無事でした。
 戦後、規模が小さくなったものの社殿は再建され、また神前結婚式の客を誘引伊邪那岐命(イザナキノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)も祭神に加えられました。
 二葉山麓七福神のうち弁財天像があります。

*二葉山
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=264039&id=76553548
*聖光寺
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=264039&id=76543228
*國前寺
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=264039&id=76538700
*尾長天満宮
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=264039&id=76543200
*広島東照宮
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=264039&id=76553475
*明星院
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=264039&id=76558640
*饒津神社
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=264039&id=76558702

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