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ゴータマさんコミュの極秘かも

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私は今まで書いてきたものはどんなものでも一般公開してきましたが、これだけは限定にしたいんだけど、コミュは限定ってできないみたいなんだよなあ。
まあ、いいか。ほとんど入ってこないだろうから。

今回からのは、別に誰も読まなくても良いんだけど、一応記録として残しておこうかなと考えかいておこうと思いました。
初めはサーと書くからおかしいところが出てくるかもしれない、そういう場合は後で直すかも。


宗教と政治
宗教と政治は常に一体となっていたのが歴史だ。
政教分離は理想だが中々それはできなかった。
現在でも政教分離がなされているようで現実は宗教が政治を支配しているために宗教による争いが世界中で行われてる。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの世界で大きな宗教と言われているものも、政治とくっつき宗教は作られてきた、
日本でも卑弥呼は巫女であり政治も司っていた。
古代から常に戦があり、その戦に勝つために神の言葉を聞くというのがパターンだったかもしれない。
その中で唯一、宗教で政治から離れた思想と言うものが古代インドで生まれた。
それがバラモンの生き方だ。
真のバラモンは4住期の生き方をする。
4住期は五木寛之氏が本にも書いたが、それはマヌ法典の方の4住期で、実はそれよりも昔に4住期の生き方があった。
マヌの4住期の説明は↓
http://homepage2.nifty.com/k-todo/bunnmei/eastyourasia/india/baramon/juuki.htm
4住期の説明としては↓のほうがいいかもしれない。こちらの説明だとマヌの法典より前の4住期の説明となっていると思うから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%9E
古代インドのバラモンたちも政治と繋がっていた。
それは古代インドのバラモンの聖典といわれるウパニシャッド成立のころからウパニシャッドは戦いのための祈りと言う形がふんだんに入っており、それを見ても政治と繋がっているのが分かる。
しかし時代が経ち、ウパニシャッドが哲学的になり始めたころ4住期という思想が生まれた。この思想は政治からの決別でもあった。
4住期とは
学生期(梵行期、ブラフマチャルヤ、brahmacarya)師のもとでヴェーダを学ぶ時期
家住期ガールハスティアgārhasthya) - 家庭にあって子をもうけ一家の祭式を主宰する時期、
林棲期(ヴァーナプラスタ、vānaprastha) - 森林に隠棲して修行する時期
遊行期(サンニャーサ、samnyāsa) - 一定の住所をもたず乞食遊行する時期
と言うことだが、この中で初めの二つは世俗的な生き方であり、政治とも密接にくっついた生き方である。しかし後の二つはそれらを完全に離れた生活である。
つまり政治とも離れるし、全ての世俗的な生き方から離れると言うことである。

ここまでは多少難しいかもしれないから、そういうことがあるということだけ知ればよい。

問題はこの4住期の生き方をゴータマ(釈迦)は真のバラモンの生き方だと言って、その生き方を賛美し己もその生き方を目指そうとしたことだ。
真のバラモンの生き方となぜわざわざ言うのか?
それはそういう生き方をするバラモンがいない、もしくはほとんどいなかったから真という言葉を使うしかなかったと言うことだ。
つまり、ほとんどのバラモンは政治と結びつき世俗的に生きていたと言うことだし、その生き方を子供に継がそうとしたり守ろうとしていたと言うことだ。
そのような生き方はおかしいのではないかと思う人がたくさん出てきたのがゴータマの時代で、その結果、出家者という存在が出てきたと言うことでもある。
この出家とは、4住期の後の二つの生き方で林棲期と遊行期のこと。
ここでこの二つの生き方をちゃんと考えてみてください。
この二つの生き方は個人でやるものだ。
また、個人でやらなければ意味のないものである。
誰かと一緒にやったり縁をしたりしてはいけない生き方(修行・苦行)なのだ。
その生き方が真のバラモンの生き方と言うこと。
と言うことは、宗教団体なんて作れない。
個人だから。
ゴータマがあこがれた真のバラモンの生き方とは個人主義の生き方で、誰とも縁してはいけない生き方なのになぜ仏教って生まれたのだろう。
この後はおいおい書くとして、釈迦の本当の教えがあるとしたら今の仏教は全部違うと言うことで、特に大乗仏教は完全に釈迦から離れた教えであるし(この教えと言うこと自体おかしいのだが)法華経に至ってはもう仏教でもないのではと言う代物だ。
法華経は国教にしなければいけないとなっているから完全に政治とくっついている。
何でこんな簡単なことが誰も分からないかと思うんだけど、宗教と政治は一心同体なものとして捉えるのなら法華経も宗教に入るのかもしれないが、宗教とは哲学的なものとして考えるのなら法華経は完全に除外される。
政治とは争いが主であり、政治に宗教が一体となるのなら、その宗教も争いばかりとなる。
そんな宗教ならないほうが争わないですむから良いんだけど。
また争う宗教は他の宗教者を人間として捉えないから、敵はひどい扱いをしたというのは歴史がいくつも証明している。
人種の違いでも人間扱いしないから、敵に対してひどい扱いをする。
つまり、争う宗教と人種の問題は同じだと言うことで、それらの宗教の神様も人種の王様と同じだと言うことだ。

コメント(7)

「誰とも縁してはいけない生き方なのになぜ仏教って生まれたのだろう。」

私もあまり縁したがらない人生なのでこれらの教えは理解がしやすいですが林棲期と遊行期に移行
するのは大変だろうなと思えます。

政治や大きな世界無しで生きられる世界とは無いものでしょうか?

最近その事を良く考えます。

クロさん、だから仏教団体が存在すると言うことが本当は矛盾なのですが、出家者は真のバラモンを目指して出家するが、しかし、真のバラモンの行き方をするとその人の思想は世に広まらないから釈迦も真のバラモンの生き方をしていたなら釈迦の仏教は生まれなかったはずなのです。
しかし、本来は真のバラモンの生き方はこの世で全てのことをやり遂げ、この世に未練のなくなった人が生きるやり方で、それを形だけまねて若者が出家したら、真のバラモンの行きかたは難しいものとなってしまうでしょう。
若いから、自分の生き方が正しいと言いたくなるから。
この辺は後に詳しく書きますね。

政治や大きな世界なしで生きることは可能だけど、それはつまらないものになるのではないかな。
それこそ個人主義的な生き方をすればいいのだから。
政治や大きな世界はこの世の中でなくてはならないもので、それを頑張っている人はそれはそれで良いのです。
それをやっている人がいるからこの世界は維持できていると言うのもあるからです。
王様になりたい人がいないとこの世界、活性化されないし。
沖縄も台風が来ないと海が活性化されないで海が温かくなってしまい珊瑚などの生物が死んでしまうと言うこともあります。
だから台風はひどい被害を与えるけど、違う面から言うと必要なものでもあるのです。
大きな世界も大事なものがあるということですね^^。

そこらへんの区切りが分かりませんでした今日の話を聞いて肩の力が抜けました。


バラモンというのは梵天を目指すと聞きましたが、これも本当の話でしょうか。

バラモンとはブラフマンのこと英語でブラフマンと書けばバラモンと読めるでしょ。
つまり、バラモンとはブラフマンと同じような意味だった。初めはね。
「唯一、宗教で政治からはなれた思想と言うものが古代インドで生まれた。
それがバラモンの生き方。」

ゴータマさんはバラモンの生き方を行ったはずなのに実際には後世に大宗教の開祖になってしまった。

これはどういうことなのでしょうか? 何があったのだろう。


今回の2回目に少しそのことを書いたけどね。
初期の原始仏教では釈迦のことはゴータマさんと呼ばれていた。
仏陀とか世尊じゃあなかったんだよ。
その辺がヒントね。

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