ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

クルサー・リッリエイ孤児院コミュのクルサー・リッリエイ便り

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
クルサー・リッリエイ便り 2008年1月1日

 明けましておめでとうございます。ご無沙汰しておりました。お蔭様でクルサー・リッリエイの子供たちは昨年1年も現施設で無事に元気に過ごすことができました。子供たちに成り代わって、お礼申し上げます。

 私が昨年中頃から家庭の事情によりカンボジアに長期逗留できなくなり、それだけにいっそう支援ネットワークをより強化・活性化する必要を痛感して、クルサー・リッリエイのホームページ(http://kriosarikriey.hp.indfoseek.jp.co)を新規に作成しました。現状ではまだ日本語版しかできていませんが、目下、阿部めぐみさんを中心に支援者有志が翻訳チームを結成して英訳に取り組んでおり、間もなく英語版が出来上がる予定です。現地でも英語圏の支援者が次々に誕生していますし、またBob Lee氏を中心としたアメリカでの支援活動も本格的に動き出してきているので、英語版のホームページが完成すれば、支援ネットワークがより強化されると期待しています。

 ホームページとほぼ時期を同じくして、倉敷の日野尚美さんが中心になってmixiにクルサー・リッリエイのコミュニティ(http://mixi.jp/view_community.pl?id=2636632)を立ち上げてくれました。発足から3ヶ月で会員数が100人を突破。ネットワークのつながりで、多くの方々にクルサー・リッリエイの存在を知っていただけたことは、喜ばしい限りです。上記の英訳チームの結成に際しても、またクルサー・リッリエイでの日本語授業を日本人ボランティアで進めていく上でも、mixiでのネットワークが機能しています。

 この1年間で支援ネットワークの輪はかなり大きく広がってきました。里親の方々およびクラブワンネスの定期的支援に加え、日本、ドイツ、アメリカからの個人の寄付で、45人の子供たちと3人の無給スタッフが暮らしていくために必要な経費をなんとか賄ってきました。上記ホームページにクルサー・リッリエイの月ごとの収支報告を記しましたが、必要経費の大半は食費で(エンゲル係数は70〜80%)、米代が1日約10ドル(25kg)、副食費(野菜や魚)が1日15ドル(1人当たりに換算すれば0.3ドル=35円)です。副食費については栄養改善のため11月から1日20ドルに増額しました。果物や手製のおやつ等は1ヶ月で10〜20ドルですから、いかに質素な食生活であるかが分かります。現地でクルサー・リッリエイを訪問される方は果物を手土産に持参していただければと思います。

 教育支援に関しては、この1年で大きな進展がありました。マレーシアのボブ・リー氏が年長の4人の子供の職業教育を支援するアメリカ人の里親を見つけました。今後数年にわたってこの子供たちが専門学校あるいは大学に進学する間の支援です。また2007年6月以降、カンボジア人の個人事業者(英語ガイド)、ジョン・テン氏がツーリストをクルサー・リッリエイに案内し、その中から子供たちの英語教育を支援するアメリカ人やオーストラリア人の支援者が次々と現れてきました。ジョン・テン氏はカンボジア人としては珍しく利他精神に溢れた男です。彼自身、子供の頃、外国人の篤志家の支援を受けて英語を学び、そのおかげで今日の自分があると考えています。であるがゆえに、かつての自分と似た境遇にある貧しい子供たちをこういう形で支援しようと志しているのです。

 2006年3月から1年半にわたってカンボジア人の日本語教師がクルサー・リッリエイで日本語授業を行ってきました。2007年9月から、阿部めぐみさんを中心とする日本人ボランティアによる授業に切り替えました。現在まだ試行中で、場合によっては授業の一部をカンボジア人教師に再度委託することも検討中ですが、いずれにせよ子供たちが日本人から「生きた日本語」を学ぶことの重要性は疑いを入れません。4・5日以上の期間、現地に滞在して日本語を教えて下さるボランティアの方を募集しています。

 2006年3月からSelf-Help Projectと題して、子供たちが手作りの絵葉書を作成し、その売り上げをクルサー・リッリエイの生活費の一部とするプロジェクトを開始しました。金額としてはまだ微々たるものですが、何よりも「援助だけに頼るのではなく、自らなしうる最大限の努力をする」という自立の発想を子供たちが今から少しずつでも身につけるという意味で、重要なプロジェクトです。絵葉書は現在クルサー・リッリエイのほか、一部のゲストハウスでも販売していますが、もし皆さんの周りで日本でも販売する機会があると思われる方は、是非私までご一報下さい。
 

さて、「お母さん」の「隠居住宅」が今年5月頃に完成してからというもの、「お母さん」に対していつ政府から立ち退き命令が発せられるのかと事態の成り行きを注視してきましたが、昨年11月半ばに社会福祉省シェムリアップ局の副局長ムンティ氏が電話で私に話し合いを求めてきました。そのときは多忙を理由に断ったのですが、今回12月半ば、私は同局を訪問してきました。おそらく何か動きがあるのだろうと推測され、いずれにせよ先方の動きを探るために「虎穴」に入ってみました。ムンティ氏は開口一番、トーラエムさんの「隠居住宅」が電気や水等の設備も含めて完成したので、政府としては12月中(2007年)に彼女退去させる方針だと言いました!ここ数ヶ月、ひょっとしたら政府もサンライズも「お母さん」の追い出しを諦めたのではないかという淡い期待をもっていましたが、その期待は外れました。ムンティ氏に続いて、シエンソン局長とも話をしましたが、そこから幾つか情報が得られました。

1. ここ3ヶ月ほど、サンライズの検問体制が機能しなくなっていましたが、その理由が判明しました。これまで3年間現場を仕切っていたボンナ氏がサンライズを辞めてどこかへ消えてしまったということです。
ただその一方で12月半ば、サンライズのコックス会長やトレバー事務局長が頻繁に出没していました。おそらく12月中にトーラエムさんを追い出すという政府の方針決定と関係があるのかもしれません。

2. シエンソン局長もあと1・2年で異動となり、シェムリアップを離れることが判明しました。彼が消えるまでの1・2年をなんとか凌げば、子供たちにとって展望が大きく開けるであろう反面、シエンソン氏としては逆に在任中になんとか懸案を解決してしまおうと待ったなしの攻勢をかけてくることが予想されます。またこの会談に通訳として同席していたソムナン君の推測によれば、サンライズの宿願とも言えるトーラエムさん追放に成功した暁にはサンライズからシエンソン氏に対して成功報酬としてなにがしかの金額が支払われるだろうというのです。カンボジアで地位の高い役人が他所へ移動する場合にはかなり金がかかるのが常識であり、シエンソン氏は置き土産としてトーラエムさんを追い出す見返りにサンライズから金をもらうという密約があっても不思議ではありません。

3. この推測と符合する事実として、トーラエムさんの「隠居住宅」の建設費用、推定5000ドルはやはりサンライズから支払われたことが、ムンティ氏の口からはっきり語られました。これは大臣を交えた三者会談での合意事項であったとはいえ、サンライズがトーラエムさんの個人住宅の建設費用を負担するというのは本来筋違いの話です。オーストラリアの善意の人々がカンボジアの子供たちのために寄付したお金を、クルサー・リッリエイの子供たちにとって見れば半年分もの食費に相当するお金を、彼らは子供たちのために使うのではなく、子供たちの「お母さん」を追放する手段として流用したのです。彼らが「事業」のために5000ドルもすでに「投資」した以上、何がなんでも目的達成のために圧力をかけてくることは容易に想像できます。

4. 三者会談の合意事項の中には、フンセン首相がトーラエムさんの「隠居住宅」と土地を彼女の占有物として認め、それを文書化するという約束が含まれていました。「隠居住宅」が実際には2007年5月に完成していたにもかかわらず、今日までシエンソン氏が動かなかった(動けなかった)のは、この文書がなかったからだと思われます。シエンソン氏は実は昨年の三者会談には出席していなかったのですが、合意事項については当然大臣やムンティ氏から聞いて知っているはずです。ところが今回シエンソン氏はフンセン首相の一筆が得られぬままで局面打開に動きだしています。すなわち、「法律=フンセン首相の意思」であるがゆえに、法律に従って土地登記が行われれば、それは事実上フンセン首相が保証したのと同じことだと強弁して、彼は約束を反故にする気です。以前はフンセン首相から一筆を取り付けることは容易ではないと漏らしていたムンティ氏も、今やシエンソン氏と口をそろえ、三者会談の合意事項には触れようとしないのです。

 トーラエムさんはかねてより、約束が履行されれば自分は今の施設を出ざるを得ないと語っていましたが、省がこういう形で約束を反故にする以上、彼女も自分から立ち退くことはありえません。そもそも今回のシエンソン氏の動きが大臣の了解の下で行われているのかどうかも疑問です。われわれとしては大臣に約束の履行を直訴する手もありますし、また三者会談に出席したシェムリアップ州知事に訴える方法もあるでしょう。

もう一つ、シエンソン氏のアキレス腱はマスコミです。ムンティ氏の言葉から分かったことですが、シエンソン氏は事件がマスコミ等を通じて大騒ぎになることを何よりも恐れているのです。トーラエムさん一人であれば、闇討ちで強制排除できるかもしれません。しかしその後、子供たちが家具や備品を携えて孤児院をぞろぞろ出ていくところがマスコミで報じられることはなんとしても避けたいのです(2005年3月に)。だからこそ、シエンソン氏はムンティ氏に命じて私にコンタクトを取ってきたのです。摩擦なしに目的を達成する方法として、シエンソン氏は私たちが早く新しい孤児院を作って子供たちとお母さんを引き取ることに大きな期待をかけているのです。シエンソン氏は省のシェムリアップ局の裏手の空地を提供するからそこに子供たちを引き取ってはどうかと提案してきました。その土地は十分な広さがあり、立地も申し分ないのですが、よく話を聞いて見るとシエンソン氏が在任しているあと僅か1・2年その土地を無償供与するというだけのことでした。1・2年後に退去しなければならないと分かっている土地に家を建てて住めというのです。無論、問題外です。この提案を私が拒否すると、シエンソン氏は今度は自分の所有している土地を安く賃貸しするから、そこに孤児院を作ればいいと言って、すぐにでも契約を結ぶ勢いでした(シエンソン氏はやたら急いでいる様子)。この土地も立地の点で問題外でしたが、時間を稼ぐため、私はシエンソン氏に対して「まずは他の支援者と相談しなければならない」と言って回答を保留しました。したがって1月いっぱいは彼らが強硬措置に出ることはなかろうと思います。ただ2月、3月になると、彼らが「しびれを切らして」動き出す可能性は否定できません。いずれにしても、結果的に平穏無事に済んだ2007年とは異なり、今年は正念場となりそうです。また改めて皆さんのご協力を仰ぐことがあるかもしれませんが、その折はよろしくお願いします。

 当面、アメリカと日本の支援グループ来訪に合わせて、1月16日から2月1日までと、2月下旬から3月初めにかけてシェムリアップに滞在する予定です。その期間にとりあえず打てる手はすべて打ってくるつもりです。しかしその後、3月半ばから5月末までは仕事のため、現地に滞在することができません。万一「お母さん」や子供たちが今の家を追い出されるような事態になったとき、その場に1人でも多くの目撃者がいた方がいいことは言うまでもありません。皆さんの中で、今後シェムリアップ行きを予定されている方は、是非お知らせいただければと思います。

クルサー・リッリエイ支援コーディネーター 
伊藤 聡
itosatoshijapan@yahoo.co.jp
〒286-0211 千葉県富里市御料1032-57
090-4830-7684

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

クルサー・リッリエイ孤児院 更新情報

クルサー・リッリエイ孤児院のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング