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PLANET Masters Collectionコミュの上映中!今日はゴダール絶賛の「火山の驚異」

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8/29(火)  1:00〜「海底探検世界一周」
8/30(水)  1:00〜「火山の驚異」
8/31(木)  1:00〜「素晴らしい風船旅行」
 一般●¥1000 会員/学生●¥800 会員/学生3日券●¥1500



特集:2006年夏休み長編記録映画
■ドキュメンタリーの世界でも数年に一度大ブレイクすることがある。アメリカではディズニーが製作しまるでアニメの実写版?のように動物を擬人化した動物ドキュメンタリーがある、そしてイタリアでは残酷モンドや夜シリーズのようにエログロ・ドキュメンタリーが、そんな頃フランスはといえば科学をあくまで詩的に描く「映画詩」としてのドキュメンタリーが60年代にヒットしていた。この流れはリュック・ベッソンの「アトランティス」やジャック・ペランの「WATARIDORI」そして2005年のリュック・ジャケの「皇帝ペンギン」にまで引き継がれる。一見かけはなれたドキュメンタリーとファンタジー、これを「詩的に」合体させたのはフランス人の功績だろうか。 まさに夏休みの最後に相応しい教育と娯楽の融合!

8.29.海へ行こう!          
「海底探検世界一周」Les Quatre du Moana 1959/French/92min
フランス/ゴーモン社 監督●ベルナール・ゴルスキー、ピエール・バスキエ、ロジェ・ルザージュ、セルジュ・アルヌー
 編集●レイモン・ラミー 音楽●マルク・ランジャン 
■「大きくなったら世界一周したい」という子供の頃からの夢を持ったベルナール・ゴルスキー、ピエール・バスキエ、ロジェ・ルザージュ、セルジュ・アルヌーの四人が廃船となっていた10トン、12メートルのヨットを手に入れ2ヶ月かけて修理。「モアナ号」と名付けて世界一周の旅にでるのを自らが記録した。編集は『面の皮をはげ』'52などの監督レイモン・ラミーがあたった。
■「モアナ号」とはポリネシア語で海を意味する。彼らは1954年6月29日にフランスの北にあるノルマンディのサン・コロ港から出発する。
■ベルナール・ゴルスキーは37才のリーダー。ピエール・バスキエは34才でモアナ号の船長を務める。ロジェ・ルザージュは機関係とカメラマンを担当の34才、そしてセルジュ・アルヌーは23才の若者だが潜水技術の専門家である。まずは大西洋を南下、アフリカのタンジェからカサブランカに到着。大西洋を東に向かってカナリア群島から西インド諸島まで。そしてパナマ運河から太平洋へと出ると、ガラパゴス諸島から赤道沿いにタヒチ島、トニガ諸島。そしてニュー・カレドニアの島々を巡り、ニューギニアのポート・モレスビーに停まる、チモール諸島からクリスマス島そしてインド洋に入ると、ココス島を経て紅海、スエズ運河を通って地中海へと戻るのだが終点はフランスのサント・ロペスである。到着は1957年7月27日だった。つまりほぼ3年間、37ヶ月かけて彼らはこの世界一周の旅に出たのであった。航行距離は48000キロ。もちろんその間には1000回以上に渡って海底に潜るのである。南洋の島々や赤道直下の海底のめずらしい生物などクストーやクイリチとはまた趣を異にした「深海映画」の一本である。上記に記述に従って世界地図を広げ、そのコースを辿ってみるのもよいかと思うのだ。

8.30.山へ行こう!         
「火山の驚異」Les Rendez-vous du diable 1959/France/80min
  U・G・L 作品 アグファカラー/スタンダード
 監督●アルーン・タジェフ 撮影●アルーン・タジェフ、ピエール・ビシェ 解説台本●ポール・ギマール、R・M・アルロー
 音楽●マリウス・フランソワ・ガイヤール 日本語版解説●小田山宗徳
■1914年5月11日ワルシャワ生まれのアルーン・タジェフ氏(Haroun Tazieff)は地質学者であり、有名な火山学者である。本作品以前にも『火のあられ』『エトナの噴火』など短編記録映画を製作していたが、本作では画家のピエール・ビシェの協力を得て長編ドキュメンタリーの第一作として完成させた。彼等はほぼ二人で世界の火山を巡り、火口近くまで迫ってカメラ(パイヤール・ボレックス)を廻している。
映像は日本の桜島・阿蘇からアフリカのキリマンジェロ、イタリアのベスビアス、大西洋のアゾーレス諸島のファイヤールなど全19箇所に及ぶ。この後1966年には長編第二作目『le Volcan interdit(禁じられた火山)』を製作している。ゴダールは『勝手にしゃがれ』でデビューした1959年のベスト3にこの作品選んでいる。ちなみにベスト1はロベール・ブレッソンの『スリ』ベスト2はJ・P・メルヴィルの『マンハッタンの二人の男』であった。以下当時のゴダールの批評の1部
《孤独な征服者》
「火山は非常に単純なものです、とタジェフは語っている。6メートルのところでは、何も感じない。4メートルに近づくと、暑く感じる。2メートルで、やけどする。『火山の驚異』においてタジェフは、この燃える魔王から3メートルのところまで、実に散文的に近づいてゆき、散文的に火山を撮りはじめる。この散文こそ、詩だ、と『よみがえる記憶』の作者なら叫ぶだろう。・・・タジェフは本能的な高貴さによって、知らぬ間に紳士になっており、またつねに知らぬ間に優れた映画をつくっているのだが、その限りにおいて彼の中にジュールダン氏(モリエールの喜劇「町人喜劇」の主人公で金持ちのラシャ商で、貴族になろうとしておかしな行為にとらわれるようになる。)がいると言えるわけだ。愛用のパイヤール・ボレックスのネジを無我夢中で巻き、彼に立ち向かってくるミケランジェロの筆になるかと思えるような花火を何一つ撮りのがすまいとするタジェフの、マンフレット的なシルエット(撮影は友人のビッシェだ)の見えるショット、また機関銃の一斉射撃をあびる兵士のように火山岩が飛び交う下で、身体を曲げているタジェフを同じく友人のビッシュが撮影したショット…(略)こうしたショットがあるだけで、『火山の驚異』は最も美しいフィルムになるのに十分だろう。その理由は二つある。1つはタジェフ自身に関する理由であり、もう一つは、映画そのものに関する理由だ。…(略)」ジャン・リュック・ゴダール カイエ・デュ・シネマ93号 1959年
■以下詳しくは「ゴダール全集4・ゴダール全エッセイ」p220に収録されているので読んでいただきたいが、1つめ「最も美しい」の理由としてはタジェフが「魂をスポーツと詩とに半分づつ奪われた人物」として鳥人ヴァランタン、死の自転車乗りジョ・メフェールやメルモス、ギョーメなどの探検家、冒険家やジュール・ヴェルヌを引き合いに出し2つめの理由としてフラハティーの『極北のナヌーク』、ムルナウの『タブウ』、ロッセリーニの『イタリア旅行』や『ストロンボリ』を引き合いに出し、「とにかく、演出のこうした驚異のすべてを見せながら、タジェフは、事実それ自体によって、演出とは驚嘆すべきものであることをわれわれに証明したことだ。」と締めくくっている。

8.31空を飛ぼう!         
「素晴らしい風船旅行」Le Voyage En Ballon 1960/France/80min
 監督・脚本●アルベール・ラモリス 撮影●モーリス・フェルー、ギイ・タバリー、アルベール・ラモリス
 音楽●ジャン・プロドロミデス 出演●パスカル・ラモリス、アンドレ・ジル、モーリス・バケ
■1952年の「白い馬」そして1956年の「赤い風船」でフランスの映画詩人と言われたアルベール・ラモリスの初長篇。トリック撮影を嫌い、つねに実写でファンタジーを再現しようとしたラモリスは1922年パリ生まれ。47年と49年に短編ドキュメンタリーを撮り、52年の「白い馬」でジャン・ヴィゴ賞を受賞。「赤い風船」はジャン・コクトーにも絶賛されカンヌ映画祭の短編賞を受け、一躍時の人となった。日本でもファンは多く。「赤い風船」の続編として取り組んだ長篇がこの作品。主演も「赤い風船」と同じ自分の息子パスカル。
空中撮影に特殊ヘリコプターを用いた“ヘリビジョン"方式と謳われた。この独特の装置を付けた“ヘリビジョン"を日本にも特許売り込みに来たが商談は成立しなかった。この後、ラモリスは64年「フィフィ大空を行く」、そして67年短編「パリの空の詩」を撮るが1970年6月にイランのテヘランで次回作「恋人たちの風」の撮影中にヘリの事故で亡くなった。

























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