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PLANET Masters Collectionコミュの明日からドキュメンタリー

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シネマ・リテラシー01/ドキュメンタリー映画の誕生(基礎篇)
 ドキュメンタリー映画が劇場で公開されることが多くなった現在。その原点からドキュメンタリー、記録映画、プロパガンダ映画を見直す。ドキュメンタリーの原点「極北のナヌーク」そしてアヴァンギャルド映画(前衛映画運動)の流れ、イギリスにおけるドキュメンタリーの定義、そして戦争が始まり、映画=映像は戦争のプロパガンダとしても利用される。ドキュメンタリーには真実は映っているのか? 現実が当時見えたのか? 現在我々が見る過去の記録とはいったいなんなのか? ドキュメンタリー映画史上の傑作ばかりを見直すなかであらためてこの疑問を投げかける。ドキュメンタリーに興味のある方には必見の企画。というか、これらがドキュメンタリーの全てだと言ってもいいだろう。サイレント時代から波瀾の戦争まで20世紀前半のもっとも優れた映像群。


Aプロ《世界の発見》70min
「極北のナヌーク」★Nanook of the North 1922/USA/70min 
監督●ロバート・フラハティ
■後に最初のドキュメンタリー作家とされたロバート・フラハティ監督の映画史上の傑作の一つ。北極のイヌイット族ナヌーク一家のの生活を追いかけた。アザラシ狩り、氷の家作りなど生活の中の見事なアイディアが見れる。詩的でありながらも驚きと発見の連続!

Bプロ《世界の構築》76min
「橋」De Brug 1928/Holland/11min 監督●ヨリス・イヴェンス
■オランダのドキュメンタリー監督イヴェンスの最初の作品。列車が鉄橋を渡るまでの詩的記録、20世紀初頭のアヴァンギャルド映画に影響され、「機械」の美しさを捉えた。

「伯林―大都会交響楽」Berlin:Die Sinfonie der Groァstadt 1927/Germany/60min
監督●ヴァルター・ルットマン
■大都市ベルリンの一日。都市の風景をリズミカルな編集で魅せる都市コラージュ映画。


Cプロ《労働と享楽》65min
「ニースについて」 ヒ propos de Nice1930/France/25min 監督●ジャン・ヴィゴ
■30年代フランスの天才(29才で夭折した)ジャン・ヴィゴの最初の作品。ニースに集る人々をシニカルに且つエロティックに暴いたシネ・エッセイ前衛映画。


「流網船」Drifters 1929/UK/40min 監督●ジョン・グリアスン
■ドキュメンタリーという言葉を発明したイギリスの映画理論家で監督のグリアスンが撮った代表作。グリアスンは英国ドキュメンタリー映画の父とも言われる。流網の漁に出る漁師の生活を描く。

Dプロ《新世界の世界観》85min
「キノプラウダ6号」Kino-Pravda 6 1922/USSR/15min  監督●ジガ・ヴェルトフ
「カメラを持った男」The man with the camera1929/USSR/70min  監督●ジガ・ヴェルトフ
■イタリアの未来派の影響を受け、ロシア・アヴァンギャルド映画を作り上げたヴェルトフのニュース映画と代表作で映画についての映画としても知られる「カメラを持った男」

Eプロ《現実と労働》55min
「糧なき土地」 Las Hurdes 1931/Spain/20min 監督●ルイス・ブニュエル
■スペインの寒村の貧しい人々の生活をシュールレアリストのブニュエルが暴く、20年代のアヴァンギャルド運動からドキュメンタリーへと移行したブニュエル唯一のドキュメンタリー。

「石炭の顔」 ★Coalface 1936/UK/11min 監督●アルベルト・カヴァルカンティ
■ブラジル出身でパリ・アヴァンギャルド運動の渦中にいたカヴァルカンティが英国の石炭産業の重要性と労働の厳しさを伝えるために撮った実験的な作品。音楽はベンジャミン・ブリトゥンによる。


「夜行郵便 」★Night Mail 1936/UK/24min 監督●ベイジル・ライト、ハリー・ワット
■英国の郵政省の製作でロンドンとグラスゴーを一晩かけて郵便を運ぶ列車、そこで働く労働者の姿を撮っている。ナレーションはW.H.オードゥンが書き下ろし、ベンジャミン・ブリトゥンが曲をつけている。

Fプロ《プロパガンダと美学》120min
「意志の勝利」Triumph des Willens1935/germany/120min
 監督●レニ・リーフェンシュタール
■有名な美人監督レニ・リーフェンシュタールがヒトラーのために撮ったナチス党大会の記録。当時リーフェンシュタールはヒトラーの愛人とも言われた。

Gプロ《政策からの風景》93min
「平原を耕す鋤」The Plow that brokethe plains 1936/USA/28min 監督●ペア・ロレンツ
「河」The River 1940/USA/31min  監督●ペア・ロレンツ
■ルーズベルト大統領の「ニューディール政策」に基づいたアメリカの農業状況を調査し記録したアメリカのドキュメンタリー映画の2大傑作。

「動力と大地」Power and the Land1941/USA/33min  監督●ヨリス・イヴェンス
■世界を放浪したイヴェンスがアメリカの農業状況を捉えた。

Hプロ《戦争と現実》91min
「サン・ピエトロの闘い」The Battle of San Pietro1944/USA/32min
監督●ジョン・ヒューストン
■「マルタの鷹」などで知られるハリウッドのジョン・ヒューストンが戦時中にスペイン戦線を撮ったが、結局公開されなかった。

「英国に聞け」★ Listen to Britain1942/UK/20min
監督●ハンフリー・ジェニングス、スチュアート・マカリスター
■ジェニングスが監督としての名声を獲得することになった作品。英国ドキュメンタリー映画の伝統を継承しつつ独自の世界を構築したジェニングスはこの作品ではナレーションを最低限に抑え、戦時下の英国のさまざまな生活の中に流れる自然の音や音楽をそのままサウンドトラックに使っている。

「ティモシーのための日記」★A Diary for Timothy 1944-45/UK/39min
監督●ハンフリー・ジェニングス
ジェニングス最後の戦争映画。戦争末期、勝利が確かなものに見えてきたころに生まれた赤ん坊ティモシーのために書かれた日記の形式をとり、蒸気機関車の機関手、農夫、坑夫、戦争で傷をおったパイロットの生活が描かれている。現代のドキュメンタリー作家にも大きな影響を与えた作品。



1/13(土) 15:00〜A 17:00〜B 19:00〜C
1/14(日) 15:00〜E 17:00〜G 19:00〜H
1/15(月) 18:00〜G 19:40〜解題-1 21:00〜D
1/16(火) 18:00〜H 19:40〜解題-2 21:00〜F
1/17(水) 18:00〜E 19:00〜解題-3 21:00〜B
1/18(木) 18:00〜A 19:10〜解題-4 21:00〜C
1/19(金) 18:00〜D 19:40〜解題-5 21:00〜H
 会員/学生1プロ●¥1000 会員/学生3プロ●¥2500 学生パス●¥5000

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詳しい解説です。

シネマ・リテラシー01
ドキュメンタリー映画の誕生(基礎・前篇)
■ドキュメンタリー映画が劇場で公開されることが多くなった現在。その原点からドキュメンタリー、記録映画、プロパガンダ映画を見直す。ドキュメンタリーの原点「極北のナヌーク」そしてアヴァンギャルド映画(前衛映画運動)の流れ、イギリスにおけるドキュメンタリーの定義、そして戦争が始まり、映画=映像は戦争のプロパガンダとしても利用される。ドキュメンタリーには真実は映っているのか? 現実が当時見えたのか? 現在我々が見る過去の記録とはいったいなんなのか? ドキュメンタリー映画史上の傑作ばかりを見直すなかであらためてこの疑問を投げかける。ドキュメンタリーに興味のある方には必見の企画。というか、これらがドキュメンタリーの全てだと言ってもいいだろう。サイレント時代から波瀾の戦争まで20世紀前半のもっとも優れた映像群。

Aプロ《世界の発見》70min----------------------------------------------------------------------------------
【ロバート・フラハティー/Robert Flahertyとドキュメンタリー映画の誕生】1884〜1951
★1919年以来カナダの極北の地を探検し、1918年にエスキモーを題材にしたフィルムをすでに撮影していたが、このフィルムが失われたため、フランスの毛皮商レヴョンの出資で再び極北を訪れナヌークを撮影し、この作品『極北のナヌーク(極北の怪異)』が世界各国で大ヒット、パラマウントに請われて『モアナ』'26を、W.S.ヴァンダイクと『南海の白影』'28を、ムルナウと『タブー』'31を撮るが決別する。イギリスのドキュメンタリー一派の理論的支柱であったジョン・グリアソンに支えられ、アイルランドで『アラン』'34を撮る。アレクサンダー・コルダのもとを離れアメリカに渡ると、『ザ・ランド/土地』'42を撮るが評判は悪く、石油会社の依頼で『ルイジアナ物語』を撮る。'51年7月23日ニュー・ヨークで死去。小川紳介によって翻訳された自伝がみすず書房から発売されている。必読書である。
「極北のナヌーク(極北の怪異)」★Nanook of the North 1922/USA/70min   製作●レヴィヨン・フレール 監督・台本・撮影・編集●ロバート・フラハティ 
    音楽●リチャード・シルバーマン 出演●ナヌークとその一家
■エスキモーのナヌーク一家の日常を撮影。彼等の生活や風習には驚かされることばかり、カヌーの奥深く子供や小犬までが乗っていたり、セイウチとの格闘や、雪と氷の家イグルー作り、アザラシ取りや橇犬たちとのやりとりなど、見所はたっぷりある。製作当時は当然サイレントであったが後にリチャード・シルバーマンの音楽をつけてのトーキー版でに上映。
あきらかに演出されたシーンも多く。実際当時のフィルムではいくら雪の反射で氷の窓から光りをとっていてもイグルー内での撮影は不可能だったためイグルー内はオープンセット風に屋根無しのイグルーで撮影されたようだ。日本での公開当時は『極北の怪異』のタイトルで上映されたが後に『極北のナヌーク』と呼ばれるようになった。
■1919年以来カナダの極北の地を探検し、1918年にエスキモーを題材にしたフィルムをすでに撮影していたが、このフィルムが失われたため、フランスの毛皮商レヴョンの出資で再び極北を訪れナヌークを撮影し、この作品『極北のナヌーク(極北の怪異)』が世界各国で大ヒット、パラマウントに請われて『モアナ』'26を、W.S.ヴァンダイクと『南海の白影』'28を、ムルナウと『タブー』'31を撮るが決別する。イギリスのドキュメンタリー一派の理論的支柱であったジョン・グリアソンに支えられ、アイルランドで『アラン』'34を撮る。アレクサンダー・コルダのもとを離れアメリカに渡ると、『ザ・ランド/土地』'42を撮るが評判は悪く、石油会社の依頼で『ルイジアナ物語』を撮る。'51年7月23日ニュー・ヨークで死去。小川紳介によって翻訳された自伝がみすず書房から発売されている。必読書である。

Bプロ《世界の構築》76min----------------------------------------------------------------------------
【映像詩人ヨリス・イヴェンス /Joris Ivens】1898-1989
「多くの人がドキュメンタリー映画は必然的に客観的でなければならないと思い込んでいることを知って私は愕然とした。」
 ヨリス・イヴェンス
■「彷徨えるオランダ人」イヴェンスは、初期の詩的なアヴァンギャルド映画『雨』'29から始まり、労働する人間、自然との戦いにおける人間、社会的抑圧に対して戦う人間を一貫したテーマに、オランダからソビエト『コムソモール/英雄の歌』'32、ベルギー『ボリナージュ』'33、スペイン『スペインの土地』'37、アメリカ『四億』'38、オーストラリア『インドネシアは呼びかける』'46、東ドイツ『羅針盤の針』'56、フランス『セーヌの詩』'57、中国『6億の民衆が君とともに』'58、マリ共和国『ナンギラの明日』'60、キューバ『武装した民衆』'61、チリ『勝利の列車』'64、ベトナム『空・大地』'65、など各国を渡り歩きながら歴史上の重要な瞬間に立ち会い、時代の証言とも成り得るような作品を作り続けた。西側の世界でその師ジガ・ヴェルトフの教えを発展させながら、101才という長寿を生き延び、サイレント時代のアヴァンギャルド映画から、つい最近の驚くべき傑作『風の物語』'88に至るまで、生涯ドキュメンタリーを取り続けた。1930年にベルリンで失意のフラハティーと出会いエイゼンシュテインとドヴジェンコの映画を研究したという逸話も残している。1989年6月28日パリで死去。
「橋」De Brug 1928/Holland/11min  監督●ヨリス・イヴェンス
■イヴェンスの最初の作品。列車が鉄橋を渡るまでの詩的記録、20世紀初頭のアヴァンギャルド映画に影響され、「機械」の美しさを捉えた。列車が跳ね上げ橋を渡るまでに、どのようなメカニックな動きが起こるかを詩的に捉えている。

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【抽象派のワルタールットマンWalter Ruttmann】1887-1941
■1887年にフランクフルトで生まれたルットマンは第一次世界大戦に陸軍中尉として東部戦線に従軍。復員後にチューリヒとミュンヘンで建築学を学んだ。アンジェロ・ヤングに付いて絵画を勉強し1918年から抽象映画を作りはじめる。1921年から1924年までの抽象映画のシリーズ『Opas 1』『Opas.2.』『Opas 3.』『Opas 4』で知られるが、フリッツ・ラングの『ジークフリート』での夢のシーン、そして影絵アニメで知られるロッテ・ライニガーの代表作『アクメッド王子の冒険』にも協力した。そして表現主義の脚本家カール・マイヤーのアイディアでドキュメンタリーとして『伯林─大都会交響楽』を完成させる。トーキーでドキュメンタリー『世界のメロディ』を撮った後は、イタリアではピランデルロの戯曲『鋼鉄』を演出。この鉄の圧延工場を舞台にした作品でも工場のシーンでは絶対映画のようなリズムを持った編集をしている。ナチス政権下のドイツに帰国すると1937年にはレニ・リーフェンシュタールの『民族の祭典』に協力し絶対映画的なモンタージュで視覚美を作った。第二次世界大戦の初めには西部戦線におけるドイツ戦車隊の活躍を描いた『ドイツ機甲部隊』を監督する。ドイツから出た絶対映画のもう一人の人物ハンス・リヒターは亡命し戦後アメリカでアンダーグラウンド映画を制作したが、ルットマンはこうしてナチス政権にも協力し絶対映画のモンタージュをナチス美学に組み込んだのである。しかし1941年に独ソ戦開始とともに東部戦線に赴き、そこで『ドイツ機甲部隊』の続編を制作しようとするが、結局事故に遭って亡くなった。
「伯林―大都会交響楽」Berlin:Die Sinfonie der Groァstadt 1927/Germany/18flp/60min 
ドイツ・ヴェレニス・フィルム、AG・ベルリン作品 ドイツ・フォックス=DEFA
 監督●ヴァルター・ルットマン 原案●カール・マイヤー
 脚本●ヴァルター・ルットマン、カール・フロインド
 撮影●レイマー・クンツェ、ロベルト・バーベルスク、ラズロ・シェーファー
 美術●エーリッヒ・ケッテルハット オリジナル演奏音楽●エドムンド・マイセル
■当然明確なストーリーがあるわけではないが、朝から始まり大都市ベルリンで生きる人々の一日をスケッチ的に撮影しながらコラージュあるいはフォトモンタージュ風に編集したルットマンの代表作品。ソビエトではジガ・ヴェルトフが同じような手法で『カメラを持った男』を撮っており、ドキュメンタリー映画としてはフラハティの『極北のナヌーク』そしてヴェルトフの作品とならぶ金字塔となった。そしてこの映画は作家アルフレート・デーブリンにも影響を与え、デーブリンは長編都市小説「ベルリン・アレクサンダー広場」をこの映画の影響で書いたとも言われている。
■エッゲリングが『対角線交響楽』をハンス・リヒターは同年『リズム21』を作った同年、画家ヴァルター・ルットマンは同年絶対映画『作品1』を作る。ルットマンは24年にフリッツ・ラングの要請で『ニーベルンゲン』の中の「鷹の夢」のシーンに携わるのだが、今回上映する『伯林/大都会交響楽』は絶対映画/抽象映画がドキュメンタリーへと転換してゆくきっかけとなった作品である。そしてこういった都市コラージュ/モンタージュ風の絶対映画はヴェルトフやカヴァルカンティだけでなく各国でも制作されることになる。日本でも溝口健二や鈴木重吉らが撮った。この作品はそういった都市ドキュメンタリーの原型でありモンタージュ映画と抽象映画、ドキュメンタリーのすべての要素を含んだ作品である。そしてこういった作品が出来てきたのには都市あるいは都会という題材が20世紀に誕生したということが重要なことは言うまでもない。
■原案は『カリガリ博士』や『最後の人』など表現主義からリアリズムまで20年代のドイツを代表するカール・マイヤー。脚本表現主義の大カメラマンが加わっている。本来は音楽の演奏付きでの上映であったが、今回はサイレント版である。音楽は数年前に復元され演奏されたバージョンが山形国際ドキュメンタリー映画祭や京都映画祭での復元演奏上映されたのは記憶に新しい。
■ベルリンにおいてはこうした流れでダダから絶対映画、抽象映画が派生したのと平行し、てパリのダダからは純粋映画、フォトジェニックな詩情を残しながらドキュメンタリー風の映像を再構成した作品が生まれるのである。つまり絶対映画と純粋映画の違いはオブジェの映像化と現実の映像のオブジェ化の違いであると思ってよい。純粋映画には他にジェルメール・デュラックの『ディスク927』『アラベスク』ルネ・クレールの兄であるアンリ・ショメットの『光と高速の反射』そして戦後も優れた作品を残すジャン・グレミヨンの『フォトジェニー・メカニック』などがある。

Cプロ《労働と享楽》65min-----------------------------------------------------------
【ジャン・ヴィゴ/Jean Vigo】1905-1934
■フランスのジャン・ヴィゴは29才で映画作家としての生涯を終えた天才である。2本の短編と1本の中編、そして1本の長編を残した。ヴィゴは最初『ニースについて』でアヴァンギャルド映画作家としてデビューした。彼はアナーキストの息子であったため当然のことだったが当時1920年代後半のパリはブニュエルの『アンダルシアの犬』とともにシュルレアレスムの時代であった。ヴィゴの全作品を担当したカメラマンはあの『カメラを持った男』などで知られるロシアアヴァンギャルドのジガ・ヴェルトフの弟でヴェルトフ作品のカメラマンでもあったボリス・カウフマンであるのはよく知られている。そしてカウフマンは後にニューヨーク派の『12人の怒れる男』などルメットの作品やジョージ・ロイ・ヒルの最高傑作で少女たちの「おませな」日々を描いた『マリアンの友だち』のカメラで再び「子供たちの時間」に眼を向けたことは忘れられてしまったのだろうか。

「ニースについて」 ヒ propos de Nice1930/France/25min
製作・監督・脚本・編集●ジャン・ヴィゴ 撮影●ボリス・カウフマン
■有名なアナーキスト、ミゲル・アルメレイダの6番目の一人息子(成長したのはヴィゴだけ)で小さい頃から親の都合で変名で転校を繰り返してきたヴィゴは映画狂になり多くの映画を見るうちにシネクラブを結成するでになった。そして「わたしはスタアのうんこひろいでもなんでもやります」と手紙を書いて助監督になろうとする一方でキャメラを自ら手に入れて自主製作で撮った最初の映画が本作。「人間の形成は七歳から十二歳までのあいだにきまるという説にならえば、映画作家の才能とキャリアは、最初に撮った50メートルのフィルムにそのすべてのしるしがあらわれる」というトリュフォーの説によれば、ジャン・ヴィゴのすべてがあることになる。ブニュエルとダリの『アンダルシアの犬』などパリ・アヴァンギャルド派華やかなりし時代の前衛映画に影響された作品としても重要である。ニースでカウフマンは車椅子に乗ってそれをヴィゴが押して移動撮影までした。(8mm版での上映/20コマ)

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【英国ドキュメンタリーの父ジョン・グリアスン/ John Grierson】1898-1972
「私は映画を説教壇として見ている。」ジョン・グリスン
■1898年スコットランド生まれのジョン・グリアソンは、グラスゴーの大学を卒業後の1924年にロックフェラー財団の奨学金を受けて渡米。シカゴ大学で政治学を学習した。ジャーナリストのウォルター・リップマンの教えで映画に興味を持ち、社会教育と情報伝達の媒体としての映画に注目する。映画批評も書くようになり、1927年にイギリスに帰国すると英帝國通商局(E.M.B.)の映画班で漁業の記録映画として『流網船/流し網船』を撮った。これがイギリスのドキュメンタリー派の原点となり、一時代を築くこととなった。1926年にグリアソンはロバート・フラハティの『モアナ』の封切り次に「ドキュメンタリー」という言葉を使い、以後このジャンルの映画はドキュメンタリー映画と呼ばれることになるのである。しかしグリアソン自身は監督することは無くプロデューサーとして活躍することになる。イギリス郵政局(G.T.O.)の映画部に移り理論家、指導者としてハリー・ワット『夜間郵便』、バジル・ライト『セイロンの歌』、ポール・ローザ『造船所』、アーサー・エルトン、スチュアート・レッグ『BBC イギリスの声』、エドガー・アンスティ『グラントン・トロール船』等のイギリス・ドキュメンタリー一派を産み出すこととなった。ローザはドキュメンタリー映画理論家としても多くの著書を残した。ブラジル出身でパリのアヴァンギャルド運動にも加わった『時の他何物もなし』のアルベルト・カヴァルカンティも1934年からグリアソンの元で活躍している。1937年にグリアソンはGTOを辞任し37年にはフィルム・センターを設立。カナダ、オーストラリア、ニュージーランド政府などに招かれ1939年にはカナダ国立映画局の責任者となった。第二次世界大戦中はイギリス、カナダで製作を続ける。「The World in Action」の一編で1941年のアカデミー賞を特別賞受賞。戦後は1947年にユネスコのマスメディア担当理事、48年にはイギリス中央情報局の映画部門責任者となった。1951年には製作者に戻り劇映画も製作。54年に中央情報局を辞してスコットランド映画委員会に参加しテレビドキュメンタリーを10年間製作した。1972年に没。
「流網船」Drifters 1929/UK/47min 製作●Empire Marketing Board/New Era Films Ltd.
  監督●ジョン・グリアソン 撮影●バジル・エモット
■ドキュメンタリー映画の名付け親グリアソンの代表作であり唯一の監督作。フラハティが劇映画におけるグリフィスだとするならばグリアスンはトーマス・インスと言ったところだろうか。アメリカでエイゼンシュエインの『戦艦ポチョムキン』の上映に手を貸した後、イギリスに帰国したグリアスンは帝國通商局を訪れ局長のスティーヴンス・トーランツ卿に映画がいかに宣伝効果を生むか話す。そして大蔵省の財務長官であり「にしん」産業の有力者でもあったアーサー・マイクル・サミュエル説得。こうして「にしん」産業の映画を製作することになった。2500ポンドの制作費で完成したこの作品『流網船』は1929年にロンドン映画協会で公開された。このロンドン映画協会は1925年に設立された「シネクラブ」であり、ポール・ストランドの『マンナハッタ』、ワルター・ルットマンの『伯林大都会交響楽』『時の他何物もなし』などアート系のドキュメンタリー映画を上映していたが、『流網船』はグリアスンがイギリス用に編集しなおした『戦艦ポチョムキン』と2本で上映されたのである。フラハティが僻地を捉えたのに対してグリアスンは当時の文明世界での「蒸気と機械の叙事詩」としてあるいは「人間と機械のチームワーク」を描く。こうしたグリアソンのドキュメンタリー映画の方向は後にフラハティへの批判としてその方向が異なっていることを主張した。「市民の目を地球の果てから、今現に目の前で起こっていることの話、市民自身の話・・・・・戸口の上り段のドラマに向けること」がグリアスンのスタンスであった。

Dプロ《新世界のビジョン》85min-----------------------------------------------
【ジガ・ヴェルトフ/Dziga Vertov】1896-1954
■今はなきソビエト=ロシア。そして映画史上ほぼ同年代の三兄弟が誕生する。デニス、ミハイル、ボリスのカウフマン三兄弟である。長男デニス・アルカディエヴィッチ(1896-1954)は家族とともに生地ポーランドからモスクワへ移り、医学部に在籍する頃からジガ・ヴェルトフを名乗りはじめる。ジガDzigaとはウクライナ語では「独楽」ボヘミア語では「永遠にさまよえる人々」を表わす。ヴェルトフVertovはロシア語の動詞で「回転する、旋回する」を意味するVertetに由来する。つまりDziga Vertov とは「永久運動」を意味する。未来派=アヴァンギャルド運動に傾倒し、詩を書き言葉のモンタージュを始める。彼が”聴覚実験室”を夢見たころイタリアではマリネッティらが「未来主義映画宣言」を発表する。 1917年十月革命が勝利すると教育人民委員部映画委員会に所属し、映画週報(キノニェジェーリヤ)の編集者となる。国内戦が終わりマヤコフスキーを中心にしたアヴァンギャルド芸術活動が始まると、1922年5月より妻のエリザヴェータ・スヴィーロヴァと弟ミハイルの3人で「映画眼(キノキ)」集団を始める。独自のニュース映画キノプラウダ(映画=真実)によってヴェルトフと弟のミハイルはソビエト映画にモンタージュの新しい方法論を実践に移す。『カメラを持った男』はこのキノプラウダの延長にあり、その主題を映画そのものに向けた映画について意識的に考察された最初の映画である。ところで末弟のボリスはその後フランスに渡りジャン・ヴィゴのカメラマンとなり戦後にはアメリカに渡ってニューヨーク派に影響を与えることになる。カメラを持った男たちは世界を駆け回ったのだ。
「キノプラウダ6号」Kino-Pravda 6 1922/USSR/15min  監督●ジガ・ヴェルトフ
■1922年6月〜1925年の間に1号〜23号まで製作されたニュース映画のシリーズの6号。このシリーズを製作する中でヴェルトフはモンタージュの基本的な原理を発見したと思われる。
「カメラを持った男」 ЧЕЛОВЕК С КИНО АППАРАТОМ
 Chelovek s kinoannaratom/The man with the camera1929/USSR/70min
 監督●ジガ・ヴェルトフ 撮影●ミハイル・カウフマン 編集●エリザヴェータ・スヴィーロヴァ
■22年にマヤコフスキーが創刊した雑誌「レフ」の影響を受け、構成主義をヴェルトフなりに試みる。その結果がこの傑作を生んだ。まさにヴェルトフのモンタージュ論の集大成である。

Eプロ《現実と労働》55min----------------------------------------------------------------------------
【 シュルレアリスト・ルイス・ブニュエル 】1900〜1983
■スペイン出身のブニュエルはマドリッドでの学生時代にガルシア・ロルカ、ダリらとともに過ごし、未来派の影響を受けアメリカのスラップスティックに熱をあげる。'25年にパリにやってくるとエイゼンシュテインやフリッツ・ラングに影響され、ジャン・エプスタンの助監督として映画界に入る。ダリとの共同で『アンダルシアの犬』を作った後、マン・レイ、ルイ・アラゴン、マックス・エルンスト、アンドレ・ブルトン、ポール・エリュアール、トリスタン・ツァラ、らシュルレアリスト・グループに迎えられる。そして『アンダルシアの犬』の成功でノアイユ子爵の出資を得て再びダリと『黄金時代』を作る。しかし撮影中にシュルレアリスト・グループがあるキャバレーを襲撃したのをきっかけに右翼が上映劇場を襲いスクリーンに爆弾を投げるという事件が起ったため、1週間後には上映禁止になる。その後ブニュエルはハリウッドへ渡るが半年の滞在後再びパリに戻り共和制が布告された。スペインとの間を行き来する。そして'32年アナーキストの友人が宝くじで当てた金でドキュメンタリー『糧なき土地』を撮る。
「糧なき土地」 Las Hurdes 1931/Spain/20min 監督●ルイス・ブニュエル
■スペインの寒村の貧しい人々の生活をシュールレアリストのブニュエルが暴く、20年代のアヴァンギャルド運動からドキュメンタリーへと移行したブニュエル唯一のドキュメンタリー。
-------------------------------------------------------※以下ジョン・グリアソンの項目参照
「石炭の顔」 ★Coalface 1936/UK/11min 監督●アルベルト・カヴァルカンティ
■ブラジル出身でパリ・アヴァンギャルド運動の渦中にいたカヴァルカンティが英国の石炭産業の重要性と労働の厳しさを伝えるために撮った実験的な作品。音楽はベンジャミン・ブリトゥンによる。
「夜行郵便 」★Night Mail 1936/UK/24min 製作●G.P.O.(ロンドン中央郵便局映画班)
 製作●ジョン・グリアスン 監督●ベイジル・ライト、ハリー・ワット 
 音響●アルベルト・カヴァルカンティ 作詞●W・H・オードゥン 作曲●ベンジャミン・ブリットゥン
■『セイロンの歌』で成功したライトがハリー・ワットと共同演出した『夜間郵便』はG.P.O.時代の代表作であり、音響、音楽、そしてナレーション(時には詩のような、時にはラップのような)の使用法においてその完成度が最も高い作品となった。

Fプロ《プロパガンダと美学》120min-------------------------------------------------------------
「意志の勝利」Triumph des Willens1935/germany/120min 監督●レニ・リーフェンシュタール
■ヘレーン・ベルタ・アマリー・リーフェンシュタール。通称レニは、1907年にベルリンで生まれ美術学校から国立舞踏学校に移り、ラインハルトの指導も受けていた。しかし1925年アーノルト・ファンクの山岳映画『聖山』に出演したのがきっかけとなって、以後も山岳映画の出演から1932年には映画理論家ベラ・バラージュの協力で監督・主演の『青の光』を撮った。すでにこの頃からヒトラーとの親交を持っており、後に「愛人説」まで出てくることになるのだが、取り巻きの一人であったことは確かである。しかしそれが彼女に自由な作品を作る機会を与えたのである。つまりあらゆる文化はゲッペルスの宣伝省の管轄であったにもかかわらず、レニの映画製作はヒトラーをスポンサーにすることによって成立したのである。1933年にレニはニュールンベルグの党大会を記録した中編作品『信念の勝利』を発表した、これはゲッペルスは気に入らなかったようだがヒトラーは満足し、1934年の党大会の記録として本作は撮影された。この大会はヒトラーにとって「勝利の大会」である、強制的同化によって他の政党を解散させ、授権法によって全権を手に入れ、党内の粛正と暗殺によって突撃隊を親衛隊に編入し、国民投票は圧倒的多数でヒトラーの独裁を新任したのである。
Gプロ《政策からの風景》93min-------------------------------------------------
《ニューディール政策とアメリカのドキュメンタリー》
★所謂シネクラブは元来ヨーロッパ(パリ)で'20年代に起こったものだが、アメリカでは'30年代になってようやくその芽をふくことになる。ハリウッドの娯楽映画に対して冷ややかな扱いを受けていたニューズ・リール(映画)と写真を中心にした映画=写真連盟が設立される。ニューヨークに始まり各地に広がったこの動きの中にはあの写真家ウォーカー・エヴァンスらも在籍し'30年代の恐慌から失業問題の広がりとともに社会運動とも深く関わることになる。ニューヨーク出身のジャーナリストで映画批評にも筆をふるっていたペア・ロレンツは女優のサリー・ベイツと結婚し、映画の社会的役割についての本を出版し、ハリウッドとは関わりなく映画を作り始める。こうした動きが40年代に活況をていし、フラハティやイヴェンスらを招いて作品を撮らせるようになった。

「平原を耕す鋤」The Plow that broke the Plain  1936/USA/28min 
 製作●アメリカ農務省産業安定局 監督・脚本●ペア・ロレンツ 音楽●ヴァージル・トムスン
 撮影●ラルフ・スタイナー、ポール・ストランド、レオ・ハーウィッツ 
 ナレーター●トーマス・チャーマーズ 演奏指揮●アレクサンダー・スモノランズ
■ニューヨーク出身のジャーナリストで映画批評にも筆をふるっていたペア・ロレンツは女優のサリー・ベイツと結婚し、映画の社会的役割についての本を出版し、ハリウッドとは関わりなく映画を作り始める。1933年に就任したフランクリン・ルーズベルトのニューデール計画についての著書をきっかけに政府の金6000ドルで製作した『平原を壊す鋤』はストランドら3人を雇いモンタナからテキサスへと南下しながら撮影をすすめ、その後ハリウッドで戦争のニューズ・リールをキング・ヴィダーの協力で手にいれ、作曲家ヴァージル・トムスンの協力を得、音楽と編集の見事な一体化を終えた。...映画は各地で上映されたがニューデール計画の宣伝ともとられ、おまけに政府対ハリウッドの軋轢もあったが、配給を通さずに劇場で上映された。
「河」The River  1937/USA/31min 製作●アメリカ農務省 監督・脚本●ペア・ロレンツ 
 撮影●フロイド・クロスビー、ラルフ・スタイナー、ウイラード・ヴァン・ダイク、
  ステイシー・ウッダード、ホレイス・ウッダード 音楽●ヴァージル・トムスン 
 ナレーター●トーマス・チャーマーズ、ウォルト・ホイットマン ヴェニス映画祭最優秀記録映画賞他
■『平原を耕す鍬』続いてロレンツが製作した『河』はルーズベルトのひと声で50000ドルの予算で製作された。ミシシッピ河流域の氾濫を中心にカメラマンにはムルナウ=フラハティの『タブウ』のカメラマンでありキング・ヴィダーが推薦で決まった。配給はパラマウントが引受け、作品はヴェニス映画祭で賞をとるなどロレンツの評価も高まった。しかし大統領令によって設立されたU.S.フィルム・サーヴィスの終わりがロレンツの終わりでもあった。わずか3本の短編と未完の作品がグリアスンのように一派を築けなかったロレンツの全てである。しかしフラハティのロマン主義でもなくグリアスンのフォルマリスト的な方向でもなく、いまや忘れられたロレンツは極めて即物的である。ロレンツの映画では自然はソヴィエト映画のように調和へと向かうこともなければ、自然と闘う人間を賛美するのでもない。人間は自然を破壊し自然は人間に復讐する、そんな暴力の場として平原や河わ存在しているのだ。

-------------------------------------------------------※以下ヨリス・イベンスの項目参照
「動力と大地」The Powern and the Land 1940/USA/36min
 製作●U.S.フィルム・サービス(U.S.地方電化促進委員会/農務省) 
 監督●ヨリス・イヴェンス 台本●エドウィン・ロック 音楽●ダグラス・ムーア
 台詞●ステファン・ヴィンセント・ベネ ナレーター●ウィリアム・D・アダムス
 撮影●フロイド・クロスビー、アーサー・オルニッツ 編集●ヘレン・ヴァン・ドンゲン  
■『コムソモール』『ボリナージュの悲劇』1939年の『四億』など東西を行き来しながら左翼に傾倒しつつ当時の夫人であるヘレン・ヴァン・ドンゲンとともに過ごしたイヴェンス。トーキー以降の、ニューディール時代のアメリカでペア・ロレンツに招かれ農務省の製作で「電化の恩恵を描く映画」として撮ったのが『動力と大地』である。オハイヨ州のパーキンソン家の農場で撮影され、一家の電化前と電化後の生活を見せる。未電化農場の労働の一日を示しながら、利己的な電化は結果的に不便な農場の電化を妨げるということ、そして政府の援助で組合を作る事を奨励するという結論に落ち着く。製作者ロレンツの代表作『河』の伝統にのっとたもので、ロレンツは当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが設立したUSフィルム・サービスを設立する切っかけを作り、自作の『平原を耕す鋤』『河』『生活への戦闘い』の他、本作をイヴェンスにそしてフラハティの『土地』をプロデュースしたのである。

Hプロ《戦争と現実》91min---------------------------------------------------------------------------
「サン・ピエトロの闘い」The Battle of San Pietro1944/USA/32min
 製作●U.S.アーミー・ピクトリアル・サーヴィス  監督・脚本・ナレーション●ジョン・ヒューストン少佐
■戦時中に撮られた「なぜ我らは戦うか」シリーズの1編。イタリアの寒村サン・ピエトロの戦いの有様をGIを通して描く。反戦的な場面のために一部がカットされた。'95年の山形国際ドキュメンタリー映画祭では、ディレクターズ・カットが上映された。監督は『キーラーゴ』『マルタの鷹』等のジョン・ヒューストン

-------------------------------------------------------※以下ジョン・グリアソンの項目も参照
★後に”フリー・シネマ”のリンゼー・アンダーソンをして「英国唯一の映像詩人」と言わせたハンフリー・ジェニングスHumphrey JenningsもグリアスンのGTOでのキャリアからスタートした。彼はトーキー以後多くのドキュメンタリストがナレーションに頼ったのにもかかわらずナレーションを独自の使い方で戦中から戦後、英国のドキュメンタリーが世界のドキュメンタリー映画をリードする力となった。
「英国に聞け」★ Listen to Britain1942/UK/20min
監督●ハンフリー・ジェニングス、スチュアート・マカリスター
■ジェニングスが監督としての名声を獲得することになった作品。英国ドキュメンタリー映画の伝統を継承しつつ独自の世界を構築したジェニングスはこの作品ではナレーションを最低限に抑え、戦時下の英国のさまざまな生活の中に流れる自然の音や音楽をそのままサウンドトラックに使っている。

「ティモシーのための日記」★A Diary for Timothy 1944-45/UK/39min
 監督●ハンフリー・ジェニングス 解説●E・M・フォルスター
 ナレーション●ジョン・ギルガット
■ジェニングス最後の戦争映画。戦争末期、勝利が確かなものに見えてきたころに生まれた赤ん坊ティモシーのために書かれた日記の形式をとり、蒸気機関車の機関手、農夫、坑夫、戦争で傷をおったパイロットの生活が描かれている。現代のドキュメンタリー作家にも大きな影響を与えた作品。









B-1 流網船監督:ジョン・グリアスン 1929年/40分/日本語字幕なし
世界ドキュメンタリー映画史上、最も有名な作品のひとつ。英国ドキュメンタリー映画の父ともいうべきジョン・グリアスンの最初の映画。
B-2 夜行郵便 監督:ベイジル・ライト、ハリー・ワット 1936年/24分
世界ドキュメンタリー史上に残る名作のひとつ。GPO製作でロンドンとグラスゴーを一晩かけて郵便を運ぶ列車、そこで働く労働者の姿を撮っている。ナレーションはW.H.オードゥンが書き下ろし、ベンジャミン・ブリトゥンが曲をつけている。
B-3 石炭の顔 監督:アルベルト・カヴァルカンティ 1936年/11分
カヴァルカンティが英国の石炭産業の重要性と労働の厳しさを伝えるために撮った実験的な作品。この作品の音楽もブリトゥンによる。
B-4 英国に聞け 監督:ハンフリー・ジェニングス、スチュアート・マカリスター 1942年/20分
ジェニングスが監督としての名声を獲得することになった作品。英国ドキュメンタリー映画の伝統を継承しつつ独自の世界を構築したジェニングスはこの作品ではナレーションを最低限に抑え、戦時下の英国のさまざまな生活の中に流れる自然の音や音楽をそのままサウンドトラックに使っている。
B-5 ティモシーのための日記 監督:ハンフリー・ジェニングス 1944-45年/39分
ジェニングス最後の戦争映画。戦争末期、勝利が確かなものに見えてきたころに生まれた赤ん坊ティモシーのために書かれた日記の形式をとり、蒸気機関車の機関手、農夫、坑夫、戦争で傷をおったパイロットの生活が描かれている。現代のドキュメンタリー作家にも大きな影響を与えた作品。リンゼイ・アンダーソンはジェニングスをイギリス映画の「真の詩人」と讃えている。



映像リテラシー01/ドキュメンタリー映画の誕生(基礎篇)
 

Aプロ《世界の発見》70min
「極北のナヌーク」★Nanook of the North 1922/USA/70min 
監督●ロバート・フラハティ
■後に最初のドキュメンタリー作家とされたロバート・フラハティ監督の映画史上の傑作の一つ。北極のイヌイット族ナヌーク一家のの生活を追いかけた。アザラシ狩り、氷の家作りなど生活の中の見事なアイディアが見れる。詩的でありながらも驚きと発見の連続!

Bプロ《世界の構築》76min
「橋」De Brug 1928/Holland/11min 監督●ヨリス・イヴェンス
■オランダのドキュメンタリー監督イヴェンスの最初の作品。列車が鉄橋を渡るまでの詩的記録、20世紀初頭のアヴァンギャルド映画に影響され、「機械」の美しさを捉えた。

「伯林―大都会交響楽」Berlin:Die Sinfonie der Groァstadt 1927/Germany/60min
監督●ヴァルター・ルットマン
■大都市ベルリンの一日。都市の風景をリズミカルな編集で魅せる都市コラージュ映画。


Cプロ《労働と享楽》65min
「ニースについて」 ヒ propos de Nice1930/France/25min 監督●ジャン・ヴィゴ
■30年代フランスの天才(29才で夭折した)ジャン・ヴィゴの最初の作品。ニースに集る人々をシニカルに且つエロティックに暴いたシネ・エッセイ前衛映画。


「流網船」Drifters 1929/UK/40min 監督●ジョン・グリアスン
■ドキュメンタリーという言葉を発明したイギリスの映画理論家で監督のグリアスンが撮った代表作。グリアスンは英国ドキュメンタリー映画の父とも言われる。流網の漁に出る漁師の生活を描く。

Dプロ《新世界の世界観》85min
「キノプラウダ6号」Kino-Pravda 6 1922/USSR/15min  監督●ジガ・ヴェルトフ
「カメラを持った男」The man with the camera1929/USSR/70min  監督●ジガ・ヴェルトフ
■イタリアの未来派の影響を受け、ロシア・アヴァンギャルド映画を作り上げたヴェルトフのニュース映画と代表作で映画についての映画としても知られる「カメラを持った男」

Eプロ《現実と労働》55min
「糧なき土地」 Las Hurdes 1931/Spain/20min 監督●ルイス・ブニュエル
■スペインの寒村の貧しい人々の生活をシュールレアリストのブニュエルが暴く、20年代のアヴァンギャルド運動からドキュメンタリーへと移行したブニュエル唯一のドキュメンタリー。

「石炭の顔」 ★Coalface 1936/UK/11min 監督●アルベルト・カヴァルカンティ
■ブラジル出身でパリ・アヴァンギャルド運動の渦中にいたカヴァルカンティが英国の石炭産業の重要性と労働の厳しさを伝えるために撮った実験的な作品。音楽はベンジャミン・ブリトゥンによる。


「夜行郵便 」★Night Mail 1936/UK/24min 監督●ベイジル・ライト、ハリー・ワット
■英国の郵政省の製作でロンドンとグラスゴーを一晩かけて郵便を運ぶ列車、そこで働く労働者の姿を撮っている。ナレーションはW.H.オードゥンが書き下ろし、ベンジャミン・ブリトゥンが曲をつけている。

Fプロ《プロパガンダと美学》120min
「意志の勝利」Triumph des Willens1935/germany/120min
 監督●レニ・リーフェンシュタール
■有名な美人監督レニ・リーフェンシュタールがヒトラーのために撮ったナチス党大会の記録。当時リーフェンシュタールはヒトラーの愛人とも言われた。

Gプロ《政策からの風景》93min
「平原を耕す鋤」The Plow that brokethe plains 1936/USA/28min 監督●ペア・ロレンツ
「河」The River 1940/USA/31min  監督●ペア・ロレンツ
■ルーズベルト大統領の「ニューディール政策」に基づいたアメリカの農業状況を調査し記録したアメリカのドキュメンタリー映画の2大傑作。

「動力と大地」Power and the Land1941/USA/33min  監督●ヨリス・イヴェンス
■世界を放浪したイヴェンスがアメリカの農業状況を捉えた。

Hプロ《戦争と現実》91min
「サン・ピエトロの闘い」The Battle of San Pietro1944/USA/32min
監督●ジョン・ヒューストン
■「マルタの鷹」などで知られるハリウッドのジョン・ヒューストンが戦時中にスペイン戦線を撮ったが、結局公開されなかった。

「英国に聞け」★ Listen to Britain1942/UK/20min
監督●ハンフリー・ジェニングス、スチュアート・マカリスター
■ジェニングスが監督としての名声を獲得することになった作品。英国ドキュメンタリー映画の伝統を継承しつつ独自の世界を構築したジェニングスはこの作品ではナレーションを最低限に抑え、戦時下の英国のさまざまな生活の中に流れる自然の音や音楽をそのままサウンドトラックに使っている。

「ティモシーのための日記」★A Diary for Timothy 1944-45/UK/39min
監督●ハンフリー・ジェニングス
ジェニングス最後の戦争映画。戦争末期、勝利が確かなものに見えてきたころに生まれた赤ん坊ティモシーのために書かれた日記の形式をとり、蒸気機関車の機関手、農夫、坑夫、戦争で傷をおったパイロットの生活が描かれている。現代のドキュメンタリー作家にも大きな影響を与えた作品。


写真はグリアスン ヴェルトフ 

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