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あなたが本物が見たいなら「ファット・シティ」は見て下さい。

今回は「サン・ピエトロの戦い」以外は字幕がついています。


ハリウッド50年代/ Hollywood 50s
Vol.5:レッドパージと失われた50年代  
ジョン・ヒューストン生誕100年 PART-1   
 ★ジョン・ヒューストンの生涯★John Huston 1906-1987
1906年8月5日にミズーリ州で名優ウォルター・ヒューストンと女優のレアの間に生まれ、3歳で両親と共に
舞台に出演、その後も両親の巡業についてまわるが、病弱だった為にボクシングなどで体を鍛える。学校を
中退してボクサーとなり、14歳でアマチュア・ライト級のチャンピオンとなり、19歳の時にはオフ・ブロード
ウェイの舞台に立つ、突然メキシコに渡って騎兵隊に入隊。その後は、ホースショーの芸人や小説の執筆など
の仕事を経て再び俳優として舞台や映画に端役として出演、1928年に最初の脚本『Frankie and Johnny』を執筆、
32年には父親の助けもあってユニヴァーサルと脚本家として契約を交わす。ユニバーサルで父親が出演する
『北海の漁火』(32)の脚本などを手掛け、ロバート・フローレー監督の『モルグ街の殺人』(32)の脚本執筆後
ハリウッドを離れ、ヨーロッパ放浪。その後38年にワーナー・ブラザーズ社と契約。ウィリアム・ワイラー監督
の『黒蘭の女』(38)、ウィリアム・ディターレの『偉人エーリッヒ博士』(40)、ラオール・ウォルシュの『ハイ
・シェラ』(41)、ハワード・ホークスの『ヨーク軍曹』(41)などの巨匠たちの脚本を手掛ける。そして同年自ら
脚本を執筆した『マルタの鷹』で監督デビュー。監督としても高い評価を得る。そして同じボガート主演の
『大平洋を越えて/Across the Pacific』(42)等ボガートとのコンビで売り出した。
 第二次世界大戦が激化すると通信隊員として参戦して3本の戦争ドキュメンタリー映画を手掛ける。
戦争が終結するとハリウッドに戻り、ノー・クレジットでロバート・シオドマーク監督の『殺人者』(46)や
オーソン・ウェルズ監督『ストレンジャー』(46)等の脚本にも参加。ワーナーに戻ってボガートと父親
ウォルターとボガートを起用した『黄金』(48)で高い評価を得、興行的な成功を収めただけでなく、
父親にアカデミー助演男優賞をもたらし、ヒューストンは監督賞と脚本賞を受賞。ワーナーでは続いて
『キー・ラーゴ』(48)などを手掛けた後、独立してジョン・ガーフィールド主演の『われわれは他人だ
った/ストレンジャー6』を監督した。MGM社に移籍しフィルム・ノワールの傑作『アスファルト・ジャン
グル』(50)。続いて、後に彼の最高傑作と謳われた反戦的な南北戦争映画『勇者の赤いバッジ』を作っ
たが、「レッド・パージ=赤狩りの時代」が始まっており、気骨ある行動をしたが、結局次回作の
『アフリカの女王』(51)製作の為にアフリカに渡ると、スタジオは『勇者の赤いバッジ』再編集して
公開し、映画は興行的にも惨敗し失敗作の烙印を押される。その頃ヒューストンはアフリカで映画の
撮影よりも象狩りに夢中になっていた。(この頃のヒューストンを主人公に後にクリント・イーストウ
ッドが後に映画『ホワイト・ハンター、ブラック・ハート』(87)を作る)。『アフリカの女王』撮影
も過酷を極めたが、映画は大ヒット。しかしレッド・パージ=赤狩りのため「アメリカが自分の国
ではない」と感じたため。ヨーロッパ、アイルランドに移り住んだ。以後『赤い風車』、文豪
ハーマン・メルヴィルの文芸大作を映画化した『白鯨』(56)や、モンローとクラーク・ゲイブル
の遺作となった『荒馬と女』(61)などを送り出す。
 しかし、60年代に入ると『許されざる者』(60)や『イグアナの夜』(64)など批評的にも
興行的にも失敗する作品が多くなる。一方超大作の旧約聖書の映画化『天地創造』(66)、
オールスターのパロディ版007『カジノロワイヤル』(67)までこなした。
 俳優としての出演も目立つようになった。アカデミー助演男優賞にノミネートされた
『枢機卿』(63)から『チャイナタウン』(74)などまで愚作も含めて数多くの作品に出演し
好演。60年代後半にはアメリカに帰り、メキシコに住んで70年代にはヒットはしなかったが『ファット・シティ』(72)、『ロイ・ビーン』(72)、と流行の”ニューシネマ”の影で傑作を発表。『ロイ・ビーン』に続いてポール・ニューマンと組んだ『マッキントッシュの男』は再び故国アイルランドでロケ、念願のキップリング原作の冒険映画『王になろうとした男』も完成させた。この60-70年代はレイ・スターク、カーター・デ・ヘヴン、ジョン・フォアマンら当代の力ある製作者との関係も大きかった。70年代末は日本でも未公開の地味な『賢い血』『恐怖症』と続くがこれらにはブラッド・ダリら優秀な俳優達が出演している。80年代にはシルベスター・スタローン主演の『勝利への脱出』(81)、そしてヒット・ミュージカルの映画化『アニー』(82)、彼の娘アンジェリカの出演する『女と男の名誉』(85)と再び優れた娯楽作品を送り出す一方、『火山の下で』(84)そして念願のアイルランドものでジョイス原作の『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』(87)を車椅子の上から酸素ボンベを付けても演出して演出、クランクアップ後87年7月28日にイギリスのマサチューセッツ州フォールリヴァーのチャールストン記念病院に入院。翌月8月28日ロードアイランド州ミドルタウンで肺炎にために81才で亡くなった。生涯5人の女性と結婚(最後の妻はイヴリン・キース)したがいずれも破局。長女のアンジェリカは女優に、長男のダニーは監督となり、次男のトニーは脚本家になった。1980年には自伝「John Huston an open Book」を出版。今年2006年4月に日本でも「王になろうとした男-ジョン・ヒューストン-」として出版された。

「サン・ピエトロの戦い」The Battle of SanPietro  1944/USA/32min
製作●U.S.アーミー・ピクトリアル・サーヴィス 
 監督・脚本・ナレーション●ジョン・ヒューストン少佐 撮影●ジュールズ・バック 音楽●ディミトリ・ティオムキン
■従軍したジョン・ヒューストンが撮った「なぜ我らは戦うか」シリーズの1編。ヒューストンは1943年『アリョーシャン報告』、本作そして『光あれ』の3作ある。本作はイタリアの寒村サン・ピエトロの戦いの有様をGIを通して描く。次作の『光あれ』'46とともに反戦的な場面のためプロパガンダ映画の範疇を越えたものとなりカットされることになった。しかし後にアメリカの戦意昂揚映画の中でもジョン・フォードの『ミッドウェイの戦い』'42やウィリアム・ワイラーの『メンフィス・ベル号』'44と並び賞される。'95年の山形国際ドキュメンタリー映画祭では、ディレクターズ・カットが上映された。 ちなみに『光あれ』は1980年にようやく一般公開の許可がおりるようになった。

「マルタの鷹」★The Maltese Falcon 1941/U.S.A./100min
 ワーナーブラザーズ映画作品 監督・脚本●ジョン・ヒューストン 原作●ダシール・ハメット  音楽●アドルフ・ドイッチェ
 製作●ハル=B・ウォリス、ヘンリー・ブランク 撮影●アーサー・エディスン
 出演●ハンフリー・ボガード、メアリー・アスター、ピーター・ローレ、
シドニー=グリーン・ストリート、ウォルター・ヒユーストン、エリシャ・クック
■元ギャングでハリウッド入りしたスターのジョージ・ラフトがその役を蹴って代役として起用されたハンフリー・ボガードが本作のサム・スペードをはまり役として悪役専門だった彼がスターダムにのし上がっていく切っ掛けとなった記念すべき探偵映画である。ハリウッド映画界がフィルム・ノワール一色に染められたのは1941年〜1958年の18年間つまり第二次世界大戦から東西冷戦までの期間である。この期間にハリウッドでは250本以上ものフィルム・ノワールが製作された。そして、本作がフィルム・ノワールの嚆矢であり、その終焉は1958年の『黒い罠』であるとされている。原作者はハードボイルド派の始祖と言われ、それまで通俗的なものとされていた探偵小説をすぐれた文学の域にまで高めたダシール・ハメットである。彼の原作は数多くハリウッドで映画化されており、その代表作が本作であり、その他にはハリウッドのボックス・オフィスの大ヒット連作シリーズ『影なき男』や『夕陽特急』『第三の影』といった数々の連作シリーズや『ガラスの鍵』がある。1950年代のハリウッドを語る時に決して忘れることの出来ない赤狩りの嵐に最後まで抵抗を続け投獄までされ実人生でもハードボイルドであった気骨の作家でもあった。そうした赤狩り=マッカーシズムが吹き荒れるハリウッドの中で反対の会合を開いたメンバーの中心人物が本作の監督のジョン・ヒューストンである。彼の父親はハリウッドの名優ウォルター・ヒューストン(本作でも“マルタの鷹”をサム・スペードに届けてすぐに事切れる船長役で出演)
参考上映「黒い牡牛」The Brave One 1956/U.S.A./75min 日本語吹替短縮版
 製作●モーリス・キング、フランク・キング 監督●アーヴィング・ラパー
 原作●ロバート・リッチ 脚本●ハリー・S・フランクリン、メリル・G・ホワイト
 撮影●ジャック・カーディフ 音楽●ヴィクター・ヤング
 出演●マイケル・レイ、ロドルフォ・オヨ、フェルミン・リベラ、カルロス・ナバロ
■レッド・パージ=赤狩りで「ハリウッド・テン」とされたドルトン・トランボが偽名のロバート・リッチで物語を書いてアカデミー賞原作賞を受賞したがだれも登壇しなかったというハプニングをまねいた。
■ドルトン・トランボは1905年生まれでジョン・ヒューストンと1歳うだけの同時代人。コロラド大学を卒業後、雑誌記者、編集者を経て映画のシナリオを書き始める。ハリウッドを席捲した“赤狩り”で、証言を拒否した映画人集団<ハリウッド・テン>の一人。47年の第一回聴聞会で証言を拒否したことで逮捕・禁錮刑に服した。出所後、偽名でシナリオを書き、ロバート・リッチ名義で原案を担当した「黒い牝牛」がアカデミー賞脚本賞原案部門を受賞したが、名乗り出ることができなかった。(「ローマの休日」の脚本も実はイアン・マクレラン・ハンター名義で担当していたことが1993年に公表されている)60年の「栄光への脱出」で脚本家として名を公表し、以後は実名で作品を発表。自作『ジョニーは銃をとった』を「ジョニーは戦場へ行った」として自ら監督した。製作のキング兄弟は言うまでもなくB級アクション「拳銃魔」でなお馳せた兄弟


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★ニューシネマ以後のアメリカ映画とヒューストン第2の黄金時代★
■1960年代以後アメリカ映画は政治状況、社会状況の変化とともに徐々に変質しはじめる。まずは30年代から続いたヘイズ・コードが緩和され、結局、現在のレイト制へと移行するのだが、これは映画での性表現が増え、それにしたがって登場人物のキャラクターとその表現も多様化する。そして60年代半ばから後半にかけての米国内でのベトナム反戦運動から始まる学生や若者たちの政治的変化とその発言の自由化。ネオ・フロンティアと歴史の再発見とともにアメリカ人はかつての反共、右傾化から解放されつつあった。ハリウッドでは徐々にかつて「レッド・パージ=赤狩り」で抹殺された映画人が復帰するようになり、大作化するだけのハリウッド映画から観客が離れ、若者たちは"新しい映画"=ニューシネマを製作しはじめる。これは大手の映画会社ではなく独立プロ=インディペンデント映画やB級映画から始まるが得に「イージー・ライダー」がヒットするとこうした若者たちを主人公にしたいわゆる「アメリカン・ニューシネマ」が流行する。かつて50年代に赤狩りで「失われた世代/ロスト・ジェネレーション」になったエブラハム・ポロンスキーは傑作西部劇「夕陽に向かって走れ」を撮り、ドルトン・トランボは「ジョニーは戦場へ行った」を撮ったのである。ジョン・ヒューストンは「レッド・パージ=赤狩り」の直接的な被害者ではなかったが50年の「アスファルト・ジャングル」で「ハリウッド・テン」の一人だったベン・マドウとともに傑作を作り、「許されざる者」で再会している。しかし60年代のヒューストンは大作映画に加担しつつ生き残った。そして70年代こうした「アメリカン・ニューシネマ」の時代に「ファット・シティ」など数本の傑作を残した一人である。

「ファット・シティ」★Fat City 1972/ U.S.A./96min
 製作●レイ・スターク、ジョン・ヒューストン  監督●ジョン・ヒューストン
 原作・脚本●レナード・ガードナー 撮影●コンラッド・L・ホール
 編集●ウォルター・トンプソン キャスティング●フレッド・ルース
 プロダクション・デザイン●リチャード・シルバート
 セット●モリス・ホフマン 衣装●ドロシー・ジェンキンス 音楽編集●ケン・ホール
 主題歌●クリス・クリストファーソン“Help Me Make It Through The Night”
 出演●ステイシー・キーチ、ジェフ・ブリッジス、スーザン・ティレル、キャンディ・クラーク
ニコラス・コラサント、アート・アラゴン、カーティス・コークス
■60年代の混迷期を脱出し、ニューシネマも振り切った70年代ヒューストンの傑作。しかしながら実際にはまったくヒットしなかった「呪われた映画」だった。 レナード・ガードナーが自分の出身地でもあるアメリカの地方都市ストックトンを舞台にしたうらぶれた二人のボクサーの物語(邦訳「陽の沈む街へ」)の映画化。ガードナー自身が脚本を書いた。ヒューストンは最初マーロン・ブランド主演で考えていたが、フランク・ペリーの「ドク・ホリディ」やロバート・アルトマンの「Bird Shit」でニューシネマのスターになりつつあったステイシー・キーチの舞台を見てキーチ主演に変更、若いボクサーには「ラスト・ショー」で注目されていた若手俳優ジェフ・ブリッジス、そして舞台女優で本作ではアカデミー助演女優賞にノミネートされたスーザン・ティレル、そして翌年ルーカスの「アメリカン・グラフィティ」で注目される新人キャンディ・クラークにテレビの傍役で知られるニコラス・コラサントの他プロボクサーのアート・アラゴン、カーティス・コークス、そしてストックトンの人々が出演した。撮影は70年代アメリカ映画を代表するコンラッド・ホール。音楽は主題歌にクリス・クリストファーソンのヒット曲“Help Me Make It Through The Night”が使用された。興行的には失敗作であるが、プロデューサーのレイ・スタークにとっても自身の最高傑作だと自負しており、72年のカンヌ国際映画祭では高く評価された。まさにファーストシーンの無言の10分、そしてラストシーンの無言の数分は誰もが溜息をつくしかない「絶望感」が充満しているが、もちろんだれも映画館に「絶望」を求めてはこないのであった。

「マッキントッシュの男」★The Mackintosh Man
  1973/U.S.A./105min  ワーナー配給 製作●ジョン・フォアマン
 監督●ジョン・ヒューストン 原作●デズモンド・バグリイ「Freedam Trap」 脚本●ウォルター・ヒル
 撮影●オズワルド・モリス 美術●テレンス・マーシュ 音楽●モーリス・ジャール
 出演●ポール・ニューマン、ドミニク・サンダ、ジェームズ・メイソン、ハリー・アンドリュース
イアン・バネン、マイケル・ホーダーン、ナイジェル・パトリック、
ピーター・ヴォーン、ローランド・カルヴァー、ジェニー・ラナカー
■「高い砦」で有名になった冒険小説家デズモンド・バグリーのスパイ小説「Freedam Trap」(邦訳「マッキントッシュの男」)を映画化。前年にポール・ニューマンそしてジョン・フォアマンと組んで「ロイ・ビーン」を監督しその後に同じメンバーでニューマンの以来で本作を撮った。脚本には若手のウォルター・ヒルを器用。ハリー・アンドリュース、イアン・バネン、ナイジェル・パトリックらイギリスの名優が顔をそろえた。撮影には50年代から「赤い風車」「悪魔をやっつけろ」「白い砂」などでも組んで、この後「王になろうとした男」も担当するオズワルド・モリス、音楽もモーリス・ジャールとヨーロッパの才能をそろえた。そして主演女優には69年にフランス映画「やさしい女」でロベール・ブレッソンに見い出され、以後ベルナルド・ベルトルッチの「暗殺の森」で注目されたドミニク・サンダ。黒いシンプルな水着でのシーンや上品さと危うさを持ち合わせ、ラストのシンプルな銃撃シーンは圧巻。

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