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サイレント映画の花/リリアン・ギッシュ
■カウリスマキも映画史上のベスト作品に選ぶD.W.グリフィスの『散りゆく花』を含み、まさにサイレント時代の可憐なモ白い花モのイメージそのものリリアン・ギッシュの代表作を4作品一挙上映。20年代に達成された白黒のコントラストとともにリリアンの顔を心に刻もう!
リリアン・ギッシュ
Lillian Gish (1896-1993)
★1896年オハイオ生まれのリリアン・ギッシュ。父が仕事を転々としたため母は女優の職を探すうちにリリアンと妹のドロシーの姉妹を子役で舞台に立たせるようになった。メアリー・ピックフォードと知り合ったのをきっかけにグリフィスと出会う。このリリアンとドロシー姉妹は1912年のグリフィスの『見えざる敵』でデビュー。以後グリフィスの数多くの2巻ものに主演した。ドロシーは監督もするがリリアンはグリフィスの主演女優として大スターとなったばかりか、サイレント映画における演技というものを完成させた女優としても重要である。『国民の創生』'15『イントレランス』'16『世界の心』'18などの10年代の超大作から20年代の『散りゆく花』'19『東への道』'20などとともにキング・ヴィダーの『ラ・ボエーム』'25やヴィクトール・シェーストレムの『風』'28などでも見事だったが30年代は舞台に専念し40年代には脇役として映画に復帰、『白昼の決闘』'46、『ジェニーの肖像』'49、『許されざる者』'60など晩年まで活躍したがトリュフォーが高く評価した『狩人の夜』'55も忘れてはならない傑作だった。遺作は1987年の『八月の鯨』であったが「かわいいおばあさん」として見事に老けた。1993年に2月になくなった。

『散り行く花』The Broken Blossoms 1919年/U.S.A./75min ユナイテッド・アーチスツ配給
D・W・グリフィス・プロ作品 製作・監督●D・W・グリフィス 
オリジナル音楽●D・W・グリフィス
脚本●トマス・バーク、D・W・グリフィス 撮影●G・W・ビッツァー、カメラ●カール・ブラウン 
編集●ジェームス・スミス 美術セット●ジョセフ・ストリンガー
主演●リリアン・ギシュ(ルーシー・バローズ)、リチャード・バーセルメス(チェン・ハン)、
   ドナルド・クリスプ(バトリング・バローズ)、
   アーサー・ハワード(バローズのマネージャー)、エドワード・ピールJr,(エヴィル・アイ)、    ジョージ・ベランガー(スパイする男)
■「The Chink and the Child 」「Scarlet Blossoms」「The Yellow Man and the Girl」というタイトルで表記される場合もあるグリフィス=ギッシュ=バーセルメスのトリオによる傑作。原作はトーマス・バークの短編小説「ライムハウス夜景集」に収録されている「中国人と子供」でこの本の存在はメアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクス夫妻が1918年の秋にグリフィスに勧めたものであった。冬には撮影の準備が進められ19年の5月にニューヨークで公開された。ユナイテッド・アーチスツの最初の配給作品であった。中国人役をバーセルメスが演じ、貧しい中華街を舞台に少女と中国人青年との禁断の恋を描いた。ギッシュは最初この作品への出演を断った。というのも原作では少女ルーシーは12才であったからだがグリフィスは譲らなかった。ドナルド・クリスプが恐ろしい幼女虐待の父親役で恐怖感を盛り上げる。リリアン・ギッシュの死の演技は1960年にゴダールが『勝手にしゃがれ』でベルモンドの死に際の顔に引用したことでも有名であるが、他にもヴィンセント・ミネリがデビュー作であるオムニバス・ミュージカル『ジーグフェルド・フォリーズ』の中で『散りゆく花』をそのままミュージカル化しており、フレッド・アステアがバーセルメスの役を見事にこなした。これは必見である。1936年にはジョン・ブラームがリメイクしている。

「ルーシーの父親が娘を飛び跳ねさせようと面白半分に彼女の足元にスプーンを投げつけるシーンのテストをしていたときのこと、
 投げつけたあとで父親は娘が笑わないと言ってはまた怒る。怒られた私はそのとき深い考えもなしに二本の指を使って口の両端を
 持ち上げた。そのときホールの向こうに座ってテストを見ていたグリフィスは椅子から飛び上がってやってきた。「そのまま、そ  のまま!! いや凄いな、そんな仕草今までに見たこともないぞ。よし、映画全体で使ってみよう〜略〜ミス・ギッシュ、いつ思
 いついたんだね?」「思いついたも何もありません」と答えた私は、まさかこの仕草が世界中で私のトレードマークになるとは夢
 にも思ってなかった」「リリアン・ギッシュ自伝」より

『スージーの真心』True Heart Susie 1919/U.S.A./62min アートクラフト=フェイマス・プレイヤーズ
 製作・監督●デヴィッド・ウォーク・グリフィス 脚本●マリオン・フレモント
 撮影●B・W(ビリー)・ビッツァー、カール・ブラウン 編集●ジェームス・スミス
主演●リリアン・ギッシュ(スージー)、ロバート・ハーロン(ウィリアム・ジェンキンス)、
    ウィルバー・ヒグビー(ウィリアムの父)、ロヨラ・オコナー(スージーの叔母)、
    クレリーヌ・セイモア(ベッティーナ・ホプキンス)、
    ケイト・ブルース(ベッティーナの叔母)、レイモンド・キャノン(スポーティ・マローン)、    キャロル・デンプスター(ベティーナの友人)
■『幸福の谷』に続くグリフィス=ギッシュ&ハーロン主演作品の田舎を舞台にした小品。1915〜16年『国民の創世』『イントレランス』そして1918年に『世界の心』と大作が続いたグリフィスは、1919年1月にメアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクスという当代の大スターそしてチャップッンとともに製作・配給会社ユナイテッド・アーティストを興した。以後グリフィスは女優リリアン・ギッシュの魅力を最大限に引き出す作品を作りはじめる(グリフィスの「ギッシュ時代」と呼ばれる)が、この『スージーの真心』もそうした女優の魅力満載の田舎ロマンス第二弾。小品にこそグリフィスの魅力が溢れていることがよくわかる。撮影は1919年の春に行なわれた。ギッシュの自伝によると小説“「デヴィッド・コッパーフィールド」を焼き直した田園詩”とのこと。

「グリフィスが望んでいたのいは、スージーという娘が初めはシンデレラのようにごく平凡な子として観客の目に映ることだった。
 たいていのシーンで私は長いずんどうのドレスの上にエプロンをつけ、頭にはユーモラスな帽子をまっすぐにかぶっていた。
 スージーの役柄を伝えるものはまだ他にもある。例えば私はいつも両腕をぴったり脇にくっつけていた。またスージーが恋人の
 男の子ウィリアムの後ろをぴったりくっついて歩いてついてゆくところでは、私は歩幅の狭いしっかりとした足取りでチョコマカ
 歩いた。あるシーンでは、臆病なはずのスージーがちらりとイタズラっぽい笑みを浮かべて、彼女の隠れた側面を覗かせた。最後  に彼女と男の子は一緒に歩きながら観客に背を向けて遠ざかってゆくところで、彼女は足を横に蹴るような面白い仕種をする。」
「リリアン・ギッシュ自伝」より

『東への道』Way Down East 1920/U.S.A./87mi ユナイテッド・アーチスツ配給 D・W・グリフィス・プロ作品製作・監督●D・W・グリフィス  撮影●G・W(ビリー)・ビッツァー、ヘンドリク・サルトフ 
編集●ジェームス&ローズ・スミス 脚本●アンソニー・ポール・ケリー、D・W・グリフィス 
原作●ロティ・ブレア・パーカーの戯曲より 
美術●チャールズ・O・シーセル、クリフォード・ペンバー 特殊効果●フランク・ウォートマン
主演●リリアン・ギッシュ(アンナ・ムーア)、
 リチャード・バーセルメス(デヴィッット・バートレット)、
 ローウェル・シャーマン(レノックス・サンダーソン)、
   バー・マクリントッシュ(スクウェア・バートレット)、
 ケイト・ブルース(ミセス・バートレット)、ヴィヴィア・オグデン(マーサ・パーキンス)、
 クレイトン・ヘイル(スターリング教授)、 
■『散りゆく花』'19に続き、グリフィスはファースト・ナショナル社との契約のためにカリフォルニアでギッシュ主演の『大疑問』を済ませてニューヨークに戻る。NYのマネロック・ポイントに自身の撮影スタジオを建設していた。そしてリリアン・ギッシュに妹のドロシー主演で『亭主改造』を監督するように依頼して自らはフロリダに出かけた。グリフィスはファースト・ナショナル社にために『渇仰の舞姫』と『愛の花』を撮るがギッシュは出演しておらず興行的にも失敗だった。
そうしていよいよヒットを必要としたグリフィスは舞台用のメロドラマの権利を手に入れ16万5千ドルの大金を注ぎ込んで1920年の1月からこの『東への道』に挑んだ。スタッフを含めギッシュは役者たちは当初この作品の題材が当時でも使い古されたメロドラマに過ぎないものであり、ギッシュも台本を読んで失笑するような物語であることは承知していた。当時グリフィスが居住していたNYのクラリッジ・ホテルでオーディションが行なわれ、当時の芝居の稽古量の倍にあたる8週間もの間リハーサル/テストが繰りかえされた。エキストラで後に有名になるノーマ・シアラーも出演している。
農場と室内場面はスタジオでそして3月まで、グリフィスは吹雪のシーンを屋外で撮ることに固執した。天候不順の損害を見越して保険に入り、俳優たちも生命保険に入ったが、これは吹雪の中の氷上のシーンがどれほど大変だっったかを物語っており、実際、猛吹雪のシーンやクライマックスの流氷の上でのシーンなどサイレント映画史上にも残るロケーション撮影となった。撮影では看護婦が付き添ったが、結局スタッフの何名かは肺炎で亡くなっている。しかし映画は有無を言わせぬメロドラマとして大ヒットとなりグリフィスとしては『国民の創生』に次ぐ収益を上げた。ギッシュの演技もグリフィス作品では最高のものだと評された。
この作品は後にジョナス・メカスの弟アドルフォス・メカスがシネマテークから借りた『東への道』の流氷のシーンを勝手に切って自分の作品『ハレルヤ・ザ・ヒルズ』に組み込んだことでも知られる。

「アンナが流氷の上で気絶しているシーンで私はちょっとしたアイディアを思いついたのでグリフィスに話してみると、素敵だか   ら早速やってみようということになった。流氷の上に横たわって流されてゆくときに自分の手と髪の毛を水に垂らしてみようと
 思ったのである。D.W.もその効果には満足してくれた。本番の撮影でそれをやってみると私の髪の毛はたちまち凍りつき、水に
 浸かった手はまるで焼けどしたようにひりひり痛んだ。〜略〜 一連のシーンの撮影が終了するまでの3週間のあいだ私は少なく
 とも二十回以上も氷の板の上に乗った。」「リリアン・ギッシュ自伝」より

■グリフィスはその後20年には『夢の街』を撮るが、ギッシュは出演しておらず、ギッシュの次作としてはゲーテの「ファウスト」の映画化を考えていた。しかし結局ギッシュは舞台劇「二人の孤児」を見てこの映画化を勧めた。二人をリリアンとドロシーが演じるというアイディアであったが、この題材をグリフィスはフランス革命を背景にした『嵐の孤児』として1922年に完成させた。しかしグリフィスの財政上の問題は大きくなってゆき、いっぽうリリアン・ギッシュは独立する。すでにグリフィスの元を離れていたリチャード・バーセルメス主演の『乗合馬車』で成功していた監督ヘンリー・キングの『ホウイト・シスター』(23)、『ロモラ』(24)、『ラ・ボエーム』(26)をヨーロッパで撮影した。すべてMGMの作品であった。ルイス・B・メイヤー、そしてアーヴング・タールバーグらとギッシュはスウェーデンからやってきた監督ヴィクトル・シェストレムとラース・ハンソンと『真紅の文字』(26)でそれぞれにリリアンは企画としても関わっていた。

『風』The Wind 1928/U.S.A./75min 製作・配給MGM
監督●ヴィクトール・シェストレム 脚本●フランシス・マリオン 
原作●ドロシー・スカーボロー 撮影●ジョン・アーノルド
美術●C・ギボンズ、エドワード・ウィザーズ 
編集●コンラッド・A・ナーヴィグ 衣装●アンドレ=アニ
主演●リリアン・ギッシュ(レティ)、ラース・ハンソン(ライジ)、
モンタギュー・ラヴ(ロディ)、ドロシー・カミング(コーラ)、
エドワード・アール(ビバリー)
■原作を読んだリリアン・ギッシュ自身が強く映画化を希望し、アーヴィング・タルバーグらに製作をもちかけ、自らの主導により撮影を進めた。ギッシュは後年、『この作品の撮影は、女優としての最悪の経験。8台のプロペラ飛行機で砂を吹き付けられ、嵐の効果を出すための硫黄の燃えさしが飛び交う中、目を開けている必要があった』と語っているほど撮影は困難を極めた。暑さのあまり、フィルム表面の乳剤が溶け出したほどであった。サイレント映画末期に作成された作品であるため、部分的にサウンド(人の声等)が同調された。本来は、レティがロディを射殺して発狂、砂の嵐の中に消えていくはずであったが、興業主たちがが反対し、MGM首脳陣は再編集でハッピーエンドに変えさせた。ギッシュ最後のサイレント映画となった。
■スウェーデン映画の巨匠として世界的に知られたヴィクトール・シェストレム。スウェーデン映画の開花は'20年代にノーベル賞作家セルマ・ラーゲルレーヴの原作映画化によってもたらされる。ヴィクトール・シェストレム監督の『霊魂の不滅』'21とモーリス・スティルレル監督の『吹雪の夜』'20がその代表作である。『霊魂の不滅』の二重露出による演出が以後スウェーデン映画をして神秘主義の神話で覆い隠すことになったのである。シェストレムはMGMに招かれてハリウッド入りするが、この時期はドイツからムルナウやルビッチそしてスターとしてはディートリッヒやガルボらが次々と引き抜かれるようにヨーロッパの才能がハリウッド入りしたのである。シェストレムは24年に『殴られる彼奴(あいつ)』をハリウッドで撮り、その後上記のようにリリアン・ギッシュの主演作品『真紅の文字』を撮った。しかし本作『風』の後、シェストレムは主演のラース・ハンソンとともに帰国する。ハリウッドはトーキーを迎えた。脚本のフランセス・マリオンはユナイトを経てMGMの専属脚本家として27年にガルボの『アンナ・クリスティ』でも知られるが『惨劇の波止場』『ビッグ・ハウス』『チャンプ』『シナラ』『ステラ・ダラス』など多数あり36年には急逝したアーヴング・タールバーグに代わって制作部長も務めた。
■1930年代、トーキーの到来とともにグリフィスの時代も終わったがギッシュの時代も終わり、ギッシュ本人はイギリスに移って舞台の出演するようになった。以後本格的に映画に復帰するのは戦後40年代である。

「砂漠での撮影を終える数日前になって気温が急に下がった。やがて午後も遅くなる頃には本物の砂嵐が猛烈なハリケーンとともに
 起こった。あたりの景色は砂のヴェールを透かして見るようになり、カウボーイと私たちが馬に跨がり前屈みになってキャンプの
 方へ戻るシーンを撮影しながら、私はグリフィスがこの場にいたらと思わずにはいられなかった。どれだけそういうシーンが撮り
 たかったことか。」「リリアン・ギッシュ自伝」より

コメント(2)

ああっ!「スージー〜」、明日の上映で終わりですか・・
行けないなあ(哀)。

「風」も、再見したいトコですねえ。ヴィクトール・シェストレム監督はベルイマンの「野いちご」を見てスキになったのです(って、出演者としてスキなのに、監督作品をスキになるってのは、少々変な話だけどw)。
シェーストレームはも『霊魂の不滅』『真紅の文字』も素晴しかったです『殴られる彼奴』で、自分の研究結果を盗まれたロン・チャニーが絶望してその事の次第を道化師となってサーカスで再現するいうのが非常に印象に残ってますね。学会発表で先に発表されて立場をなくし嘲笑されるのを再現するわけですが、単なる「嘲笑」が「まわり皆から殴られる」という風に変えて出し物になってるんだったと思いますが、とにかくシェーストレームは素晴しいと思います。どっか不気味ですね。『風』も不気味でした。

リリアン・ギッシュ、この宝石、未見の方、見た方がいいですよ。いや、見ないといけませんよ。

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