Aプロ《世界の発見》70min 「極北のナヌーク」★Nanook of the North 1922/USA/70min 監督●ロバート・フラハティ ■後に最初のドキュメンタリー作家とされたロバート・フラハティ監督の映画史上の傑作の一つ。北極のイヌイット族ナヌーク一家のの生活を追いかけた。アザラシ狩り、氷の家作りなど生活の中の見事なアイディアが見れる。詩的でありながらも驚きと発見の連続!
Bプロ《世界の構築》76min 「橋」De Brug 1928/Holland/11min 監督●ヨリス・イヴェンス ■オランダのドキュメンタリー監督イヴェンスの最初の作品。列車が鉄橋を渡るまでの詩的記録、20世紀初頭のアヴァンギャルド映画に影響され、「機械」の美しさを捉えた。
「伯林―大都会交響楽」Berlin:Die Sinfonie der Groァstadt 1927/Germany/60min 監督●ヴァルター・ルットマン ■大都市ベルリンの一日。都市の風景をリズミカルな編集で魅せる都市コラージュ映画。
Cプロ《労働と享楽》65min 「ニースについて」 ヒ propos de Nice1930/France/25min 監督●ジャン・ヴィゴ ■30年代フランスの天才(29才で夭折した)ジャン・ヴィゴの最初の作品。ニースに集る人々をシニカルに且つエロティックに暴いたシネ・エッセイ前衛映画。
Dプロ《新世界の世界観》85min 「キノプラウダ6号」Kino-Pravda 6 1922/USSR/15min 監督●ジガ・ヴェルトフ 「カメラを持った男」The man with the camera1929/USSR/70min 監督●ジガ・ヴェルトフ ■イタリアの未来派の影響を受け、ロシア・アヴァンギャルド映画を作り上げたヴェルトフのニュース映画と代表作で映画についての映画としても知られる「カメラを持った男」
Eプロ《現実と労働》55min 「糧なき土地」 Las Hurdes 1931/Spain/20min 監督●ルイス・ブニュエル ■スペインの寒村の貧しい人々の生活をシュールレアリストのブニュエルが暴く、20年代のアヴァンギャルド運動からドキュメンタリーへと移行したブニュエル唯一のドキュメンタリー。
「ニースについて」 ヒ propos de Nice1930/France/25min
製作・監督・脚本・編集●ジャン・ヴィゴ 撮影●ボリス・カウフマン
■有名なアナーキスト、ミゲル・アルメレイダの6番目の一人息子(成長したのはヴィゴだけ)で小さい頃から親の都合で変名で転校を繰り返してきたヴィゴは映画狂になり多くの映画を見るうちにシネクラブを結成するでになった。そして「わたしはスタアのうんこひろいでもなんでもやります」と手紙を書いて助監督になろうとする一方でキャメラを自ら手に入れて自主製作で撮った最初の映画が本作。「人間の形成は七歳から十二歳までのあいだにきまるという説にならえば、映画作家の才能とキャリアは、最初に撮った50メートルのフィルムにそのすべてのしるしがあらわれる」というトリュフォーの説によれば、ジャン・ヴィゴのすべてがあることになる。ブニュエルとダリの『アンダルシアの犬』などパリ・アヴァンギャルド派華やかなりし時代の前衛映画に影響された作品としても重要である。ニースでカウフマンは車椅子に乗ってそれをヴィゴが押して移動撮影までした。(8mm版での上映/20コマ)
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【英国ドキュメンタリーの父ジョン・グリアスン/ John Grierson】1898-1972
「私は映画を説教壇として見ている。」ジョン・グリスン
■1898年スコットランド生まれのジョン・グリアソンは、グラスゴーの大学を卒業後の1924年にロックフェラー財団の奨学金を受けて渡米。シカゴ大学で政治学を学習した。ジャーナリストのウォルター・リップマンの教えで映画に興味を持ち、社会教育と情報伝達の媒体としての映画に注目する。映画批評も書くようになり、1927年にイギリスに帰国すると英帝國通商局(E.M.B.)の映画班で漁業の記録映画として『流網船/流し網船』を撮った。これがイギリスのドキュメンタリー派の原点となり、一時代を築くこととなった。1926年にグリアソンはロバート・フラハティの『モアナ』の封切り次に「ドキュメンタリー」という言葉を使い、以後このジャンルの映画はドキュメンタリー映画と呼ばれることになるのである。しかしグリアソン自身は監督することは無くプロデューサーとして活躍することになる。イギリス郵政局(G.T.O.)の映画部に移り理論家、指導者としてハリー・ワット『夜間郵便』、バジル・ライト『セイロンの歌』、ポール・ローザ『造船所』、アーサー・エルトン、スチュアート・レッグ『BBC イギリスの声』、エドガー・アンスティ『グラントン・トロール船』等のイギリス・ドキュメンタリー一派を産み出すこととなった。ローザはドキュメンタリー映画理論家としても多くの著書を残した。ブラジル出身でパリのアヴァンギャルド運動にも加わった『時の他何物もなし』のアルベルト・カヴァルカンティも1934年からグリアソンの元で活躍している。1937年にグリアソンはGTOを辞任し37年にはフィルム・センターを設立。カナダ、オーストラリア、ニュージーランド政府などに招かれ1939年にはカナダ国立映画局の責任者となった。第二次世界大戦中はイギリス、カナダで製作を続ける。「The World in Action」の一編で1941年のアカデミー賞を特別賞受賞。戦後は1947年にユネスコのマスメディア担当理事、48年にはイギリス中央情報局の映画部門責任者となった。1951年には製作者に戻り劇映画も製作。54年に中央情報局を辞してスコットランド映画委員会に参加しテレビドキュメンタリーを10年間製作した。1972年に没。
「流網船」Drifters 1929/UK/47min 製作●Empire Marketing Board/New Era Films Ltd.
監督●ジョン・グリアソン 撮影●バジル・エモット
■ドキュメンタリー映画の名付け親グリアソンの代表作であり唯一の監督作。フラハティが劇映画におけるグリフィスだとするならばグリアスンはトーマス・インスと言ったところだろうか。アメリカでエイゼンシュエインの『戦艦ポチョムキン』の上映に手を貸した後、イギリスに帰国したグリアスンは帝國通商局を訪れ局長のスティーヴンス・トーランツ卿に映画がいかに宣伝効果を生むか話す。そして大蔵省の財務長官であり「にしん」産業の有力者でもあったアーサー・マイクル・サミュエル説得。こうして「にしん」産業の映画を製作することになった。2500ポンドの制作費で完成したこの作品『流網船』は1929年にロンドン映画協会で公開された。このロンドン映画協会は1925年に設立された「シネクラブ」であり、ポール・ストランドの『マンナハッタ』、ワルター・ルットマンの『伯林大都会交響楽』『時の他何物もなし』などアート系のドキュメンタリー映画を上映していたが、『流網船』はグリアスンがイギリス用に編集しなおした『戦艦ポチョムキン』と2本で上映されたのである。フラハティが僻地を捉えたのに対してグリアスンは当時の文明世界での「蒸気と機械の叙事詩」としてあるいは「人間と機械のチームワーク」を描く。こうしたグリアソンのドキュメンタリー映画の方向は後にフラハティへの批判としてその方向が異なっていることを主張した。「市民の目を地球の果てから、今現に目の前で起こっていることの話、市民自身の話・・・・・戸口の上り段のドラマに向けること」がグリアスンのスタンスであった。
Dプロ《新世界のビジョン》85min-----------------------------------------------
【ジガ・ヴェルトフ/Dziga Vertov】1896-1954
■今はなきソビエト=ロシア。そして映画史上ほぼ同年代の三兄弟が誕生する。デニス、ミハイル、ボリスのカウフマン三兄弟である。長男デニス・アルカディエヴィッチ(1896-1954)は家族とともに生地ポーランドからモスクワへ移り、医学部に在籍する頃からジガ・ヴェルトフを名乗りはじめる。ジガDzigaとはウクライナ語では「独楽」ボヘミア語では「永遠にさまよえる人々」を表わす。ヴェルトフVertovはロシア語の動詞で「回転する、旋回する」を意味するVertetに由来する。つまりDziga Vertov とは「永久運動」を意味する。未来派=アヴァンギャルド運動に傾倒し、詩を書き言葉のモンタージュを始める。彼が”聴覚実験室”を夢見たころイタリアではマリネッティらが「未来主義映画宣言」を発表する。 1917年十月革命が勝利すると教育人民委員部映画委員会に所属し、映画週報(キノニェジェーリヤ)の編集者となる。国内戦が終わりマヤコフスキーを中心にしたアヴァンギャルド芸術活動が始まると、1922年5月より妻のエリザヴェータ・スヴィーロヴァと弟ミハイルの3人で「映画眼(キノキ)」集団を始める。独自のニュース映画キノプラウダ(映画=真実)によってヴェルトフと弟のミハイルはソビエト映画にモンタージュの新しい方法論を実践に移す。『カメラを持った男』はこのキノプラウダの延長にあり、その主題を映画そのものに向けた映画について意識的に考察された最初の映画である。ところで末弟のボリスはその後フランスに渡りジャン・ヴィゴのカメラマンとなり戦後にはアメリカに渡ってニューヨーク派に影響を与えることになる。カメラを持った男たちは世界を駆け回ったのだ。
「キノプラウダ6号」Kino-Pravda 6 1922/USSR/15min 監督●ジガ・ヴェルトフ
■1922年6月〜1925年の間に1号〜23号まで製作されたニュース映画のシリーズの6号。このシリーズを製作する中でヴェルトフはモンタージュの基本的な原理を発見したと思われる。
「カメラを持った男」 ЧЕЛОВЕК С КИНО АППАРАТОМ
Chelovek s kinoannaratom/The man with the camera1929/USSR/70min
監督●ジガ・ヴェルトフ 撮影●ミハイル・カウフマン 編集●エリザヴェータ・スヴィーロヴァ
■22年にマヤコフスキーが創刊した雑誌「レフ」の影響を受け、構成主義をヴェルトフなりに試みる。その結果がこの傑作を生んだ。まさにヴェルトフのモンタージュ論の集大成である。
Fプロ《プロパガンダと美学》120min-------------------------------------------------------------
「意志の勝利」Triumph des Willens1935/germany/120min 監督●レニ・リーフェンシュタール
■ヘレーン・ベルタ・アマリー・リーフェンシュタール。通称レニは、1907年にベルリンで生まれ美術学校から国立舞踏学校に移り、ラインハルトの指導も受けていた。しかし1925年アーノルト・ファンクの山岳映画『聖山』に出演したのがきっかけとなって、以後も山岳映画の出演から1932年には映画理論家ベラ・バラージュの協力で監督・主演の『青の光』を撮った。すでにこの頃からヒトラーとの親交を持っており、後に「愛人説」まで出てくることになるのだが、取り巻きの一人であったことは確かである。しかしそれが彼女に自由な作品を作る機会を与えたのである。つまりあらゆる文化はゲッペルスの宣伝省の管轄であったにもかかわらず、レニの映画製作はヒトラーをスポンサーにすることによって成立したのである。1933年にレニはニュールンベルグの党大会を記録した中編作品『信念の勝利』を発表した、これはゲッペルスは気に入らなかったようだがヒトラーは満足し、1934年の党大会の記録として本作は撮影された。この大会はヒトラーにとって「勝利の大会」である、強制的同化によって他の政党を解散させ、授権法によって全権を手に入れ、党内の粛正と暗殺によって突撃隊を親衛隊に編入し、国民投票は圧倒的多数でヒトラーの独裁を新任したのである。
Gプロ《政策からの風景》93min-------------------------------------------------
《ニューディール政策とアメリカのドキュメンタリー》
★所謂シネクラブは元来ヨーロッパ(パリ)で'20年代に起こったものだが、アメリカでは'30年代になってようやくその芽をふくことになる。ハリウッドの娯楽映画に対して冷ややかな扱いを受けていたニューズ・リール(映画)と写真を中心にした映画=写真連盟が設立される。ニューヨークに始まり各地に広がったこの動きの中にはあの写真家ウォーカー・エヴァンスらも在籍し'30年代の恐慌から失業問題の広がりとともに社会運動とも深く関わることになる。ニューヨーク出身のジャーナリストで映画批評にも筆をふるっていたペア・ロレンツは女優のサリー・ベイツと結婚し、映画の社会的役割についての本を出版し、ハリウッドとは関わりなく映画を作り始める。こうした動きが40年代に活況をていし、フラハティやイヴェンスらを招いて作品を撮らせるようになった。
「平原を耕す鋤」The Plow that broke the Plain 1936/USA/28min
製作●アメリカ農務省産業安定局 監督・脚本●ペア・ロレンツ 音楽●ヴァージル・トムスン
撮影●ラルフ・スタイナー、ポール・ストランド、レオ・ハーウィッツ
ナレーター●トーマス・チャーマーズ 演奏指揮●アレクサンダー・スモノランズ
■ニューヨーク出身のジャーナリストで映画批評にも筆をふるっていたペア・ロレンツは女優のサリー・ベイツと結婚し、映画の社会的役割についての本を出版し、ハリウッドとは関わりなく映画を作り始める。1933年に就任したフランクリン・ルーズベルトのニューデール計画についての著書をきっかけに政府の金6000ドルで製作した『平原を壊す鋤』はストランドら3人を雇いモンタナからテキサスへと南下しながら撮影をすすめ、その後ハリウッドで戦争のニューズ・リールをキング・ヴィダーの協力で手にいれ、作曲家ヴァージル・トムスンの協力を得、音楽と編集の見事な一体化を終えた。...映画は各地で上映されたがニューデール計画の宣伝ともとられ、おまけに政府対ハリウッドの軋轢もあったが、配給を通さずに劇場で上映された。
「河」The River 1937/USA/31min 製作●アメリカ農務省 監督・脚本●ペア・ロレンツ
撮影●フロイド・クロスビー、ラルフ・スタイナー、ウイラード・ヴァン・ダイク、
ステイシー・ウッダード、ホレイス・ウッダード 音楽●ヴァージル・トムスン
ナレーター●トーマス・チャーマーズ、ウォルト・ホイットマン ヴェニス映画祭最優秀記録映画賞他
■『平原を耕す鍬』続いてロレンツが製作した『河』はルーズベルトのひと声で50000ドルの予算で製作された。ミシシッピ河流域の氾濫を中心にカメラマンにはムルナウ=フラハティの『タブウ』のカメラマンでありキング・ヴィダーが推薦で決まった。配給はパラマウントが引受け、作品はヴェニス映画祭で賞をとるなどロレンツの評価も高まった。しかし大統領令によって設立されたU.S.フィルム・サーヴィスの終わりがロレンツの終わりでもあった。わずか3本の短編と未完の作品がグリアスンのように一派を築けなかったロレンツの全てである。しかしフラハティのロマン主義でもなくグリアスンのフォルマリスト的な方向でもなく、いまや忘れられたロレンツは極めて即物的である。ロレンツの映画では自然はソヴィエト映画のように調和へと向かうこともなければ、自然と闘う人間を賛美するのでもない。人間は自然を破壊し自然は人間に復讐する、そんな暴力の場として平原や河わ存在しているのだ。
-------------------------------------------------------※以下ヨリス・イベンスの項目参照
「動力と大地」The Powern and the Land 1940/USA/36min
製作●U.S.フィルム・サービス(U.S.地方電化促進委員会/農務省)
監督●ヨリス・イヴェンス 台本●エドウィン・ロック 音楽●ダグラス・ムーア
台詞●ステファン・ヴィンセント・ベネ ナレーター●ウィリアム・D・アダムス
撮影●フロイド・クロスビー、アーサー・オルニッツ 編集●ヘレン・ヴァン・ドンゲン
■『コムソモール』『ボリナージュの悲劇』1939年の『四億』など東西を行き来しながら左翼に傾倒しつつ当時の夫人であるヘレン・ヴァン・ドンゲンとともに過ごしたイヴェンス。トーキー以降の、ニューディール時代のアメリカでペア・ロレンツに招かれ農務省の製作で「電化の恩恵を描く映画」として撮ったのが『動力と大地』である。オハイヨ州のパーキンソン家の農場で撮影され、一家の電化前と電化後の生活を見せる。未電化農場の労働の一日を示しながら、利己的な電化は結果的に不便な農場の電化を妨げるということ、そして政府の援助で組合を作る事を奨励するという結論に落ち着く。製作者ロレンツの代表作『河』の伝統にのっとたもので、ロレンツは当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが設立したUSフィルム・サービスを設立する切っかけを作り、自作の『平原を耕す鋤』『河』『生活への戦闘い』の他、本作をイヴェンスにそしてフラハティの『土地』をプロデュースしたのである。
Hプロ《戦争と現実》91min---------------------------------------------------------------------------
「サン・ピエトロの闘い」The Battle of San Pietro1944/USA/32min
製作●U.S.アーミー・ピクトリアル・サーヴィス 監督・脚本・ナレーション●ジョン・ヒューストン少佐
■戦時中に撮られた「なぜ我らは戦うか」シリーズの1編。イタリアの寒村サン・ピエトロの戦いの有様をGIを通して描く。反戦的な場面のために一部がカットされた。'95年の山形国際ドキュメンタリー映画祭では、ディレクターズ・カットが上映された。監督は『キーラーゴ』『マルタの鷹』等のジョン・ヒューストン
-------------------------------------------------------※以下ジョン・グリアソンの項目も参照
★後に”フリー・シネマ”のリンゼー・アンダーソンをして「英国唯一の映像詩人」と言わせたハンフリー・ジェニングスHumphrey JenningsもグリアスンのGTOでのキャリアからスタートした。彼はトーキー以後多くのドキュメンタリストがナレーションに頼ったのにもかかわらずナレーションを独自の使い方で戦中から戦後、英国のドキュメンタリーが世界のドキュメンタリー映画をリードする力となった。
「英国に聞け」★ Listen to Britain1942/UK/20min
監督●ハンフリー・ジェニングス、スチュアート・マカリスター
■ジェニングスが監督としての名声を獲得することになった作品。英国ドキュメンタリー映画の伝統を継承しつつ独自の世界を構築したジェニングスはこの作品ではナレーションを最低限に抑え、戦時下の英国のさまざまな生活の中に流れる自然の音や音楽をそのままサウンドトラックに使っている。
「ティモシーのための日記」★A Diary for Timothy 1944-45/UK/39min
監督●ハンフリー・ジェニングス 解説●E・M・フォルスター
ナレーション●ジョン・ギルガット
■ジェニングス最後の戦争映画。戦争末期、勝利が確かなものに見えてきたころに生まれた赤ん坊ティモシーのために書かれた日記の形式をとり、蒸気機関車の機関手、農夫、坑夫、戦争で傷をおったパイロットの生活が描かれている。現代のドキュメンタリー作家にも大きな影響を与えた作品。
Aプロ《世界の発見》70min
「極北のナヌーク」★Nanook of the North 1922/USA/70min
監督●ロバート・フラハティ
■後に最初のドキュメンタリー作家とされたロバート・フラハティ監督の映画史上の傑作の一つ。北極のイヌイット族ナヌーク一家のの生活を追いかけた。アザラシ狩り、氷の家作りなど生活の中の見事なアイディアが見れる。詩的でありながらも驚きと発見の連続!
Bプロ《世界の構築》76min
「橋」De Brug 1928/Holland/11min 監督●ヨリス・イヴェンス
■オランダのドキュメンタリー監督イヴェンスの最初の作品。列車が鉄橋を渡るまでの詩的記録、20世紀初頭のアヴァンギャルド映画に影響され、「機械」の美しさを捉えた。
「伯林―大都会交響楽」Berlin:Die Sinfonie der Groァstadt 1927/Germany/60min
監督●ヴァルター・ルットマン
■大都市ベルリンの一日。都市の風景をリズミカルな編集で魅せる都市コラージュ映画。
Cプロ《労働と享楽》65min
「ニースについて」 ヒ propos de Nice1930/France/25min 監督●ジャン・ヴィゴ
■30年代フランスの天才(29才で夭折した)ジャン・ヴィゴの最初の作品。ニースに集る人々をシニカルに且つエロティックに暴いたシネ・エッセイ前衛映画。
Dプロ《新世界の世界観》85min
「キノプラウダ6号」Kino-Pravda 6 1922/USSR/15min 監督●ジガ・ヴェルトフ
「カメラを持った男」The man with the camera1929/USSR/70min 監督●ジガ・ヴェルトフ
■イタリアの未来派の影響を受け、ロシア・アヴァンギャルド映画を作り上げたヴェルトフのニュース映画と代表作で映画についての映画としても知られる「カメラを持った男」
Eプロ《現実と労働》55min
「糧なき土地」 Las Hurdes 1931/Spain/20min 監督●ルイス・ブニュエル
■スペインの寒村の貧しい人々の生活をシュールレアリストのブニュエルが暴く、20年代のアヴァンギャルド運動からドキュメンタリーへと移行したブニュエル唯一のドキュメンタリー。