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PLANET Masters Collectionコミュの111年目のリュミエールは明日です。原点を見る日

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12/28(木) 映画生誕111年〜リュミエールの《シネマトグラフ》〜
「シネマトグラフ・リュミエール」1895-1900/France/20min
■ 1895年12月28日にパリのグランカフェ・サロン・インディアンにて世界最初の映画が上映さて今年で111年がたちました。
PLANET+1では1995年のオープン以来、毎年、年末のこの日12月28日にこの映画の誕生日を記念してリュミエールの作ったそれぞれ約1分ばかりの”最初の映画”を上映してきました。今年も同じく《シネマトグラフ・リュミエール》を見る日がやってきました。

12/28(木) 13:00〜 15:00〜 17:00〜
一般●¥1000 会員/学生●¥500


12/28@ 映画の誕生日/リュミエール111年記念
The 111th anniversary
Cinematographe LUMIERE
■1895年12月28日にパリのグランカフェ・サロン・インディアンにて世界最初の映画が上映さて今年で111年がたちました。PLANET+1では1995年のオープン以来、毎年、年末のこの日12月28日にこの映画の誕生日を記念してリュミエールの作ったそれぞれ約1分ばかりの”最初の映画”を上映してきました。今年も同じく《シネマトグラフ・リュミエール》を見る日がやってきました。

【映画の誕生】
■毎年恒例の映画の生誕日。1895年12月28日つまり110年前の本日パリのグラン・ブールヴァール、キャピシーヌ通り14番地の「グラン・カフェ」地下の「サロン・インディアン」においてリュミエール兄弟の「シネマトグラフ」が興行として上映されました。当館オープン以来4回目、リュミエール暦107年目を迎えました。映画の原型である「シネマトグラフ」という概念がいったいどのようなものであったかはリュミエールの作品を見ることで理解できるでしょう。ここにはすでに映画のエクリチュールの原点があります。それぞれのフィルムは1分にも満たないものです。それはフィルムそのものが1分以上の長さのものが作られていなかったからです。もっともリュミエール社はフィルムも製作していたのですが。後にコダックが長いフィルムを作るのです。アメリカでは映画の発明者はトーマス・エジソンになっています。しかしエジソンは最初はキネトスコープという一人一人が箱の中を覗き込む方法で「動く映像」を見せたのです。なぜリュミエールが映画の発明者となっているのかと言えばそれは始めて大きなスクリーンに映写したからなのです。
Louis Lumiere (1864-1948)
Auguste Lumiere (1862-1954)
■撮影機と映写機を兼ねた「シネマトグラフ」を発明したルイ・リュミエール(弟)とオーギュスト・リュミエール(兄)の兄弟は実際には1895年12月28日の上映には立ち会っておらずその成功をあまり信じてはいなかった。しかしエジソンのキネトスコープと違ってスクリーンに映写されることで現在の映画と1秒間のコマ数をのぞいてほぼ同じであり、その多機能さによってシネマトグラフは世界中で上映されることになった。ただしフィルムのフォーマットは独自のもので一コマにパーフォレーション(掻き落とし穴)は一つであった。そしてリュミエール社は世界各地にコンスタンス・ジレルやガブリエル・ヴェールらカメラマンを派遣し撮影、上映をおこなったのである。こうして2年の間にシネマトグラフは世界中に広がったのだ。
今回は代表作のみをプログラムした16mm修復版「シネマトグラフ・リュミエール」の上映。最初に「シネマトグラフ」の説明がある。音楽付の16コマ映写上映。撮影はルイ・リュミエール自身がカメラを回している。リュミエール社は初期作品はルイ・リュミエールにとって興味深い情景や風景などが中心だが印象派絵画の構図の影響が大きく、人間の全身が映るフルショットのものが多い。上映時間は60秒たらずであるがどれもがショット=エモーションであることを感じさせてくれる。

《リュミエール作品集》 
■このフィルムは1972年にアメリカで復元されたものです。1920年代末から30年代初頭にかけて映画には音声がなかった。トーキー時代になって光学録音された音声を再生するのに必要なコマ数が1秒/24コマであったため、以後トーキー映画は1秒/24コマで撮影されるようになるが、それ以前、特に手回しカメラで撮影される場合、その回転速度は一定ではなく、ほぼ18コマというのが一般的である。しかしこれは映写技師が映写するときに動きが不自然でない回転速度ということである。最初の映画であるリュミエールの作品は明らかに18コマでも動きが速すぎる。今回の上映では1秒/16コマで映写することにしている。16コマでの映写では画面が多少点滅することになる。勿論、今回上映する修復されたフィルムの16mm版では新たにピアノ演奏の音楽もついているが、これも24コマ映写にあわせたものであると思われる。そのため16コマで映写した場合、ピアノの音声が多少、奇妙に聞こえる。



 序「リュミエールの『シネマトグラフ』の構造解説」
■シネマトグラフの大きな特徴は、それが撮影カメラであり、同時に映写機であるということ。この解説では箱型の『シネマトグラフ』の簡単な構造とともに、撮影する場合と映写する場合の例が示される。四角い「シネマトグラフ」の本体を開いてフィルムを受けのケースに装填します。それから撮影を終えると下部のケースに入ったフィルムを取り出し、それを現像。現像したフィルムを今度は外部のスプロケットに装填し、カメラの後部をあけてその後ろに設置されたランプハウスから光を当て、映写する問いう仕組み。カメラ(撮影機)=映写機(プロジェクター)となるわけです。この見事なシステムは今だにデジタルビデオカメラでもできていないということになるでしょう。つまりデジタル・ビデオ・カメラとデジタル・ビデオ・プロジェクターが一体化したときに始めてデジタル機器は「シネマトグラフ」に追い付くことになると言えるでしょう。


 1『リュミエール工場の出口』Sortie d'usine 1895
■リヨンのリュミエール工場の出口を撮ったものでいくつかの種類がある。こうした建物から人々が出てくるシーンをリュミエールは好んで撮影している。1895年の3月22日以前に撮影された1895年のグランカフェでも上映されている。自転車に乗っている少年は後にリュミエールのカメラマンとなるフランソワ・デュブリエ。

 2『塀の取り壊し』La d士olition d'un mur
■1896年以降は逆回転映写され最初のトリック映画となった。ベスト姿の男がオーギュスト。
 3『雪合戦』Bataille de neige 1897  
■構図内の変化とともに自転車の男の行動が喜劇への第一歩を踏み出した(演出された喜劇)。

 4『消防ポンプの設置』Pompies:Mise en batterie
■消防シリーズの1本で他に消防士の出動や消化活動もある。火事と喧嘩は昔から面白かった。(シリーズの1本)

 5『赤ん坊の食事(おやつ)』Repas de b暫 1895
■ オーギュスト・リュミエールと妻マルグリットがリヨンの別荘で娘のアンドレに食事をさせる。1896年最初のリュミエール一家のホーム・ムービー ★1895年のグランカフェで上映された。
 6『玩具で遊ぶ子供たち』Enfants aux jouets 
■赤ん坊の日常風景。玩具の奪い合い。

 7『子どのたちの舞踏』Bal d'enfants 
■整然と円に鳴って舞踏する子供たちのお遊戯

 8『カード遊び/エカルテ遊び』Partue d'残art  
■1896年以前にラ・シオタのクローデ・プラージュの別荘でルイ・リュミエールが撮影した。構図は印象派絵画の引用、給仕の演技に注目の喜劇で。

 9『庭師/水をかけられた撒水夫』Le jardinier/Arroseur et arros
■1895年6月10日以前にリヨンのモンプレジール地区、ガンベッタ大通り264番地のリュミエール家の庭で撮影された。
★1895年のグランカフェで上映された世界最初のギャク映画。


 10『水をかけられたエカルテ遊びをする人』Joueurs de crtes arros
■計算されたギャグ映画の原点。この作品と『エカルテ遊び』を組み合わせて『水を掛けられたエカルテ遊びをする人』など後に主題の発展が見られる有名作。このギャグは映画史上最も古いギャグとなったため多くのコメディアンも模倣した。フランソワ・トリュフォーは処女作『あこがれ』でこの作品へのオマージュをささげたシーンを撮った。3つのバージョンがある。1896年4月から10月にかけて撮影された。日本は1897年2月に上映された。

 11『写真家』Photographe (リュミエール出演の撮影ギャグ) 
■今では古典的なカメラマンギャグであったり、映画監督コントへと継承されたギャグ映画。

 12『女の戦い』Bataille de femmes (deux femmes seulments) 
■二人の女が街頭で殴り合いの喧嘩。小柄な男がそれを止めに入るが…。

 13『ラ・シオタ駅への列車の到着』Arriv仔 d'un train La Ciota 
■観客が驚いてスクリーンの前から逃げた最も有名な作品。1897年以前に撮影され以後、駅への列車の到着は数々撮影されている。出演者はリュミエール一家総出演。この作品が重要なのは一つのカットの中ではじまりと終わりの構図が大きく変化する点にある。

 14『家禽の飼育』Basse-cour 
■リヨンのリュミエール別荘近くの農家の風景。ある地方の風俗を捉えたドキュメンタリーであり、民族学映画だえるとも言える。

 15『子供の口喧嘩』Querelle efantine
■子供たちの喧嘩。子供が人気ものになるのは何をしだすか分からないから。

 16『ボイラー』Chaudi俊e
■20世紀初頭らしい機械への興味。映画もそういった機械の一つである。

 17『小エビ取り』Enfants p芯hant des crevettes
■日本で言う潮干狩りの模様。ラ・シオタの海岸でバカンスに撮影された。リュミエールにはこうした行楽や風習をとらえた観光映画の原点でもあるが別荘近くで休暇がてら撮影した。

 18『海水浴』Bains en mer
■ラ・シオタの海岸での海水浴。桟橋からの飛び込みが反復される。固定画面で撮っているだけでも動きのある「海」が映画的でありことを再発見することになる。★1895年のグランカフェで上映された。



 日本での「シネマトグラフ」上映
■日本ではパリでの上映後、翌々年1897年の2月に大阪の南街演舞場(なんば)のグリコ看板のすぐ横の劇場。で始めて上映された。これは京都に住む実業家の稲畑勝太郎がリヨンに留学していたときにリュミエールと知り合いであったため、その上映権を稲畑を依託したためであった。1896年1月にリュミエール社のカメラマンのコンスタンス・ジレルが来日に準備にかかって2月に上映された。

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