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『遊郭・赤線跡』コミュの地元の遊郭跡・赤線跡地を教えて下さい

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みなさんの地元にある「遊郭・赤線跡」をお教え下さい。
へぇ〜そんなところあったのかぁ〜!
なんてマイナーな場所も出てくるかも・・・。

宜しくお願い致します。

コメント(96)

 私の父のおじが60年以上前に旭川市の繁華街、現通称3・6街の青線に通って
いた…という話を聞きました 確かに3.6街の西の外れと、現ロータリー近
辺(買い物公園通りの一番北)にそれらしき2階建ての建物の名残があります

 確かな記憶ではないのですが、北海道新聞社編の北海道の百年にそのロータリ
ー近辺にあった花街の入り口のゲートの写真があったような・・・気がします

 あとは小樽市、旅行で行ったので詳しい住所は分からないのですが、おそらく
その当時の風景であろうものを大林宣彦監督がはるかノスタルジーという映画で
再現しています

 いずれにせよ具体的な情報ではないので、逆にご存知の方がいらっしゃいまし
たら教えていただきたいと思います!
>なっさん

旭川の赤線は、旧中島遊廊の他にも今の八条通りあたりにもあったようです、確実な情報ではないですが。
地図で見てみたらロータリーあたりなので、たぶん当たりじゃないかな〜と!?
「全国女性街ガイド」によると「7条通りに曖昧屋あり」と書いてますが、「曖昧屋」とは恐らく青線クラスのことだと思います。
まあ、そこらへんに赤線、青線が隣り合わせになっていたのかもしれません。
こんにちは。
この度、東京より関西は大阪飛田・京都五条楽園まで、旧赤線跡を巡る旅に行ってきました。

旅行中、たまたま大阪の天下茶屋で下車し、町歩きをしていた際、
タイル張りの玄関を持つアパートを見つけましたので、写真をUPします。(1枚目・2枚目)

また、さらに近所をフラフラすること数分。タイル縁のドア枠とタイル床を発見・・・。このお宅は、まったく同じ細工の玄関扉が2つありました。(3枚目)

全国女性街ガイドなどの古い情報や、いろんな方のホームページの情報を見ても、天下茶屋あたりの情報はなかなか見当たりません。
今回はオヤ?と思った方向にふらりと歩いていって、たまたま素敵な物件が見つかったのでびっくりしましたが、どなたか天下茶屋近辺の情報をお持ちですか?

※どちらのも明らかに住人の方がいらっしゃる建物ですので、表札や住所は伏せさせて頂きました。m(_ _)m
>no6anmokoさん

こんにちは。
大阪在住の者ですが、天下茶屋駅周辺(?)にこんなものがあるとは驚きです。
隣の萩之茶屋駅には、戦前の洋風の建物があるのは知ってますが、自分が知りえる情報範囲だと天下茶屋に赤線や青線が存在したことはありません。
もちろん、徒歩10分くらいの所にかの飛田があり、その北側(新今宮駅南部)に「赤線におんぶにだっこ型青線」があったことは書くまでもないのですが、
自分が持ってる資料や、昭和40年前後に関西の旧赤線・青線を渡り歩いた著名作家のレポートを改めて見て調べてみましたが、天下茶屋の「て」も出てきません。
のぶ参暴長さま

返信ありがとうございました。
建物の形や窓の造りなどを見てもそれっぽいのですよね。
天下茶屋近辺の図書館で地域資料を見てくればよかったです。
>no6kanemotoさん

とりあえず天下茶屋の実地調査に行ってきました。
アップしていただいた画像を実際に見てみると確かに赤線のカフェー建築そのものでした。
何でこんなとこにポツンとあるのか?謎のままですね。
もし赤線でも青線でもあったということがわかれば、とんだスクープもんですね〜。

いちおう、ブログにまとめておきました。
特に収穫はなかったんですけどあせあせ

http://parupuntenobu.blog17.fc2.com/blog-entry-823.html
> のぶ参暴長さん

返信が遅くなりすみません。
また、早速のレポートありがとうございました!

これはなかなか、情報を集めるのに苦戦しそうな雰囲気ですね。

いつかブログが更新されるのを楽しみに待ってます(笑)
名古屋八幡園にある建物が三軒取り壊され駐車場になっておりました。
当時の名残を最も残していた通りにあった建物だけにショックでした。。
皆さま、こんばんは。
地元 横浜の遊郭は 近所にあった永真遊郭と開港と共にできた港崎(みよざき)遊郭しか知りませんでしたが、
先日、「ふるあめりかに 袖はぬらさじ」の舞台をみて 横浜の遊郭が変遷していったことを知りました。
日記にも書いてみましたので、お暇があったら覗いてみてください。
失礼いたしましたm(__)m
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1739319597&owner_id=4236612
61の、大阪天下茶屋にある「謎のカフェー建築」ですが、
昨日行ってきた青線の「山王地区」を調べてるとヒントらしきものがわかりました。
ネットでたまたま拾ったデータに大阪の青線に「松田町」という文字を見つけましたが、データの元ネタ(出典)がないので信用に値するものかどうかはわかりません。
この地名は昭和41年の地名変更で消えてしまいましたが、阪堺電車(チンチン電車)に「松田町駅」が残っています。
この謎の建物と松田町駅は距離にして150mくらいですが、もし謎の建物が旧松田町内なら・・・。
こりゃ面白くなってきました。

ちょいと地名変更前の地図をGETしに府立図書館に行ってきます・・・嗚呼、こんな時に限って休みが全然ない(笑
>婉容さん

阿部定がいた大正楼は上の画像です。
篠山の「京口新地」と呼ばれた所が遊郭でしたが、具体的な場所は都合で言えません。
篠山の図書館からコピーしてきた大正時代の地図を参考にしてください。
赤の◯の部分が篠山市中心部、ピンクで囲った所に「遊郭」と書かれた所がそうです。
ヒントは、Joshinとコーナンの(以下略

乳守遊郭は自分の地元でもあるので重点的に調べていますが、
昭和20年7月10日の堺空襲で完全に焼けてしまい、あそこにある古い建物は戦後に建てられた建物のようです。
また、たいていの遊郭は戦後に赤線として復活していますが、
(乳守近くの龍神・栄橋遊郭も空襲で焼けましたが、戦後見事に赤線になってます)
乳守が赤線として営業していたという資料や証言は今のところありません。

松島は、松島の何を知りたいのかわかりませんが、昭和25年なら本田の方ですね。
ご存知だと思いますが、松島は戦前と戦後では場所が違います。
(戦前の松島遊郭は空襲で焼けてしまった上に戦後の区画整理の対象になり、面影は全く残っていません)
松島遊郭のことについては、「松島新地誌」という、売防法施行寸前に「松島新地組合」が書いた公式な歴史書があります。
非売品な上に発行部数も少なかったと思われるので本屋で買うと50000円くらいしますが、大阪府立図書館で借りることが出来るので、そちらをご覧になるといいと思います。

なんか自分のブログの宣伝みたいで恐縮なのですが、
「松島新地誌」をベースにして書いた松島遊廓のことが自分のブログにあるので、
よろしければご参考まで。

戦前編
http://parupuntenobu.blog17.fc2.com/blog-entry-834.html

戦後編・・・のはずが現代編
http://parupuntenobu.blog17.fc2.com/blog-entry-835.html
神奈川県藤沢市。学生時代に頻繁に行っていた藤沢駅周辺こんな所が…という感じでした。
蛸壺さま

とある元首相のド地元ですものね(;^_^A
コメントありがとうございます!
ジョンギャラガー様さま

コメントありがとうございました!
安浦周辺、だいぶ無くなってしまったようですね、わたしも地元なので、足を運んでみたいと思います(^^)
はじめまして

千葉県の遊廓と言うか赤線について調べています。図書館で船橋の昭和30年の遊廓の地図を発見しました。で、当時の住宅地図も見つかりましたので、休みの日でも歩いて見ます。正直、船橋遊廓の建物は全てないのはわかっています。最後まで残っていた建物は数年前不審火で消失してしまいましたが、跡地を感じるのもいいかなあと思います。
>>[83]  

こんにちは。
和歌山は、遊廓は「新宮」「大島」「由良町(糸谷)」にありましたが、公には認められてない「私娼窟」は、戦後に赤線になった「阪和新地」(JR和歌山駅前)、今でも現役の「天王新地」が戦前には存在していました。
また、未調査ですが、海南の俗に言う「東の新地」(海南駅東側。大正13年設立)も、表向きは芸妓の花街ですが事実上の「新遊廓」と言ってもいいと思います。
(同じように、表向きは「芸妓の花街」だけど、それを隠れ蓑にした事実上の新遊廓という形式は、大阪の今里新地や港新地などもあります)

戦後は、上に書いた「大島」「糸谷」はなくなり、その代わり海南、勝浦、田辺、白浜などが追加になったと言われています。
しかし、和歌山県立図書館で見つけた公式資料では、「赤線」はあくまで「阪和新地」「天王新地」「新宮」だけで、他はすべて「青線」となっています。
また、「芦原新地」という、和歌山市南部(今の汐見町あたりか?)にあった青線もありました。

未確認ではありますが、『全国女性街ガイド』では、和歌浦も事実上の赤線・青線状態だったといいますね。
私も 藤沢をUP.
小鳥の街のところの 連れ込み旅館2軒とも 無くなりました・・・。
先程 歩いて来ましたので
みられる方 どうぞ!






広島やと、地元の三原糸崎の松浜遊郭跡が、まだ面影を残してますよ。一部は崩壊していましたが。。

先日、福山の鞆の浦に行きましたが、まだ面影は残っていますね。
初めて投稿します。

静岡県東部出身で、現在は横浜市在住です。

実家界隈に『三島遊郭』が過去に存在をしておりました。

戦後も赤線の営業がされており、三島駅周辺よりも三島で乗換の伊豆箱根鉄道駿豆線沿線、特に三島〜三島田町の区間に存在する路地裏に、それとおぼしき建物が存在します。

中でも駿豆線の三島広小路駅から三嶋大社方面に100メートルほど行った場所にある『割烹呉竹』は宿になる前は遊郭だったことはあまりにも有名です。

次回帰省時に時間が取れましたら、散歩がてら写メしてup致します。



あと、ひとつご質問ですが、貼付した画像、横浜の鶴屋町にあるラブホ街の一角に実在する建物で、看板に名前はなく、入り口にいわゆる風俗業のマークのみあるといった感じですが、どう見てもそんな感じですし、隣接する建物もきっとそうでは?的な佇まいです。

最近聞いた話では現在店舗型デリヘルの事務所ということでしたが、元の佇まいで残存できるものは残し改装したもののようです。

ただ、御存知の通り横浜は黄金町や伊勢佐木がわりと有名で、横浜の西区界隈でも存在していたといいますが、現存して確認できるのは、西口の連れ込み旅館2軒です。

距離的に徒歩5分の場所にあるものですが、人為的にそれっぽく作った建物なのでしょうか。。。
こんにちは。久しぶりにコミュを拝見しています。
横浜在住で、赤線は永真遊廓しか知りませんでしたが、この春よる西区に勤務するようになり
西区の浅間町〜南浅間町がかつて小さな赤線だったことを知りました。
「新天地カフェー組合」の玉垣のあるお稲荷さんの近くに仕事で行き、地元の高齢者にお話も聴くことが出来ました。

>KOH.@骸-mukuro- さま
そういうわけで、西区も横浜駅西口の鶴屋町は確かにそれらしき雰囲気が漂っていますが、浅間町界隈にも行かれてみてください。
あと、東口から少し行った京急神奈川駅近くの「青木橋」もかつてはそんな場所だったようです。
面影はほとんどありませんが、ちかくの旅館が名残を醸し出しています。


横浜の本牧と石川町界隈にあった「チャブ屋」は外国船員の場として有名で 谷崎潤一郎の「痴人の愛」のナオミはチャブ屋のカフェに居たとか・・・戦後は米軍の接収地となり、米軍相手の場ともなった訳ですが
その建物はすべてなくなってしまったと聞いていました。 たしかに当時を彷彿とさせる建物はみあたりませんが、こんなスナックが残っていたので撮影してみました。
横浜市に昭和32年まであった「永真遊郭」の跡地・・・戦後は赤線となり、今はほとんど名残らしきものはありませんが・・・それでもその空気感を伝える街並みと建物がほんの少しだけ残っています。
初めまして。楽しく見させていただきました。
都合で和歌山県海南市の東側(青線跡?)に行ったのですが、確かに古くていい雰囲気の建物が多くありました。
こういうのがそれになるんでしょうか。

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