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津久見市立堅徳小学校コミュの雑談はこちらで

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津久見関係でない話題や日常の話題でも、何でもOKです。わーい(嬉しい顔)

コメント(83)

artsさん
私も青年団のオリジナルでは無く、寮歌・応援歌あたりが出典だと思います。
ひょっとしたら軍歌かもしれません。
詩をかなりググってみたのですが引っかかりません。
もし何か情報を見つけたら教えてください。

えーっと、試しに最初の部分を「必死で」楽譜に落としてみました。
リズム感・音感が未発達なので大変でした(汗)
楽譜など書いたのは二中時代の音楽時間以来の事で、すっかり作法を忘れており、こんなんで第三者に伝わるかどうか分かりませんが・・・。

※ 何度も歌っていたら「秋の声」だったか「虫の声」だったかわからんようになりました(^^;

漢詩風の七五調の歌詞で、都節旋法にもとづく四七抜き短音階ですので、軍歌よりも旧制高校や旧帝大の寮歌か応援歌である可能性が高いと思います。(旧制中学もそれらからの借用が多かったのではないかと思います。)

※ 漢詩の世界の雄大さから考えると、「風蕭々の」には「秋の声」のほうがふさわしいような気がします。「虫の声」は(風流ですが)勇壮さに欠けますので。

それにしても、楽譜を書くところなんかは、さすがに昭和30年代の義務教育(知識の量は今とは比較にならないくらい多いです)と9科目の高校入試(全国的に昭和42年頃まで行われていました)を経験した世代ですね。

楽譜をもとにもう少し調べてみます。
>楽譜をもとにもう少し調べてみます。
よろしくお願いします。
必死で楽譜を書いて良かった(汗

私はガチガチの理系で音楽とは無縁の生活を送っているおじさんなのですが・・・
簡単な記号で音楽を表現できる楽譜の素晴らしさを改めて見直しました。
義務教育で習っていて良かったですねー、今は教えないのですか?

いただいた楽譜をもとに資料を調べてみたのですが、同じものを見つけることはできませんでした。
ただ、「秋空(旻天)高く澄み渡り」で検索すると、昔の尋常小学校の校歌がヒットします。(韓国の国歌もヒットしました。)

それで気がついたのですが、当時の青年団の人たちは堅徳小学校の前身である尋常小学校(あるいは国民学校)の卒業生で、戦後、教育制度が変わっても母校の校歌を歌い継ごうとしていたのではないでしょうか。案外、この推理、当たっているかもしれません。

> 簡単な記号で音楽を表現できる楽譜の素晴らしさを改めて見直しました。
> 義務教育で習っていて良かったですねー、今は教えないのですか?

音楽のしくみを理解するうえでも楽譜の知識は重要です。しかし、昭和52年の学習指導要領の改訂以来、楽譜の読み書きに重きを置かなくなりましたので、今の若い人たちは学校外の教育(ピアノ教室とか)を受けていない限り楽譜が読めないという人がほとんどです。

私はとりさんと同じく昔の教育を受けているので、ほとんど学校教育だけで音楽大学に進学することができました。当時の学校教育と、進学のための個人指導をしてくださった高校の音楽の先生に感謝しています。
artsさん
お手数かけます。
私も正しくは「旻天」では無かろうかと思ってキーワードを少しづつ変えてググったのですが、なかなか似たような歌詞は見つけられませんでした。

>堅徳小学校の前身である尋常小学校(あるいは国民学校)の・・・校歌を歌い継ごうとしていたのではないでしょうか。
おお、当たっているかもしれませんね。
確かめたいけど、尋常小学校時代の資料なんて・・・う〜ん。

>今の若い人たちは・・・楽譜が読めないという人がほとんどです。
そうですか、今は小中学校で楽譜を教えないんですか。
人生の楽しみの一つを学校で教えてもらえないなんて可愛そうです。
初音ミクハートで遊んだりするのでも楽譜の知識は必要でしょうに。

>音楽大学に進学することができました
ご立派です!
私は音楽とは縁遠いので、楽器を演奏出来る人(ましてやそれを仕事にしている人)は尊敬の極みです。
我らが堅徳小学校から音楽家を輩出したなんて素晴らしい!!

> おお、当たっているかもしれませんね。
> 確かめたいけど、尋常小学校時代の資料なんて・・・う〜ん。

先ほど,今は兄夫婦と一緒に臼杵に住んでいる母(昭和3年生まれ)に
電話をして聞いてみましたが,記憶にないということでした。
ひょっとしたら,尋常小学校(国民学校)の時代に校歌はなかったかも
しれません。

津久見に行く機会があったら,市立図書館で調べていただけますか?
よろしくお願いします。
津久見に市立図書館なんてあったんですね(驚き!)
行ったことが無いので一度行ってみます。目がハート
有難うございました。

> 津久見に市立図書館なんてあったんですね(驚き!)

私も10年くらい前に一度行ったことがあるだけです。
http://www.city.tsukumi.oita.jp/www3/

蔵書検索にそれらしいものはヒットしませんでしたが,
館内地図を見ると「郷土資料コーナー」というのがありますので,
ひょっとしたら,何か見つかるかもしれません。
もうひとつ(^^)

私たちの頃は堅徳の運動会の応援でこんな歌を歌っていました(一部記憶が怪しいですが・・・)
これってどの世代まで歌われていたのか興味があります。

この歌を聞いたことがある人、手を上げてください \(^^)

♪勝つは体力 気力の印
 我等白組の 気概を見よや
 雄々しきリズムと 理想の声に
 起てよ奮えよ 我が健児

私はとりさんの5つ下(昭和40年卒業)ですが,
この歌はまったく記憶にありません。
ええっ! 私たちが六年生の時の運動会でも歌いましたよ。

特に騎馬戦で上半身裸で長いハチマキをなびかせ、この歌を歌いながら行進する時の身震いするような興奮をいまだに鮮明に覚えています。
学校公認の集団の取っ組み合い(ほぼ喧嘩)が今から始まるんですから、もう男子はみな興奮の絶頂でこの歌を叫んだものです。
<写真はネットから拾って来たものですが、戦いを前にしてこんな感じでした>


たぶん(計算上は)一年生の artsさんの目の前を私達が「♪かつわぁぁたいりょぉく・・・」と叫びながら行進したはずなんですけどねぇ。

後輩に引き継がれていないと言う事は、もしかしたらこの歌は(ある時点で)運動会を指導する先生の趣味に合わんかったのかもしれませんね。
長い伝統が途切れるのは残念な事です。

私のときも騎馬戦は同じような感じでした。
ただ,その歌(の歌詞)はまったく記憶にないのです。

お時間のあるときに,また楽譜を書いていただけると
何か面白いことがわかるかもしれません。
よろしくお願いします。

> もしかしたらこの歌は(ある時点で)運動会を指導する先生の
> 趣味に合わんかったのかもしれませんね。

まあ,校歌から2番がなくなるくらいですから,
そういうこともあるでしょうね。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=23128485&comm_id=2520357
先日は「右脳が萎縮した理屈系の」おやぢが初めて音符を書く経験をして・・・結構楽しい事だと知りましたので、またいそいそと(^^ 書いてみました。今度は ワードの五線譜テンプレートを印刷して使ってみたら少し楽でした。


ところが、今回ちょっと思わぬ苦戦をした事があります。
歌いながら、いざ譜面化しようとすると、リズムが4拍子と3拍子がごちゃ混ぜな事に気が付きました。

# なんとボクらは 3拍子で騎馬戦の行進をしていたんです(汗)

今回は全部3拍子で通してみました。
ブレスが難しかったり、調子もちょっとキーが高いかも知れませんがハ長調で。

これで歌になっているかどうかちょっと不安ですが
artsさん(ほかの方々も)このメロディーで何か思い出しませんか?

とりさんが書かれた楽譜のキーはハ長調ではなくト長調ですね。(4段2小節目の「ふ」の音はFではなくF#だと思います。)ご参考のために,ノーテーションソフトで書き直しておきました。
また,たしかにこのキーでは高すぎますので,歌いやすい音域(二長調)に移調したものも添付しました。(パソコンで簡単に書き換えられますので。)

それから,職業上これと同じような楽譜をたくさん目にしてきた経験から言いますと,これはまず間違いなく「教師の指導のもとで児童が作った曲」だと思います。
>教師の指導のもとで児童が作った曲
すごい!そんな事まで分かるんですね。
しかしもしそうなら、児童が作って連綿と伝承してきた建徳小学校の歴史が(どんな事情があったかは知りませんが)消えてしまったのは残念です。

それと、さりげなく細かい修正ありがとうございます。
二分音符ってこんなんでしたよねぇ…忘れていた(^^;
すみません「ふ」の高さは書き間違いで「たてよ」と同じ音が正解でした。
清書で「しろぐみの」の「の」が抜けていますので記入をお願いします。
(もしかしたら先生のこの資料が将来記録として残るかも知れないので・・・)

えーっと、それから・・・もしかしたら、曲全体が4拍子のシンコペーションだったような気もしてきたのですが…こんな構成は音楽的におかしいですか?

> すごい!そんな事まで分かるんですね。

音の選び方やそのつなぎ方がいかにも子ども(失礼あせあせ(飛び散る汗))という感じなので,すぐにわかります。
そして,半終止や完全終止などの終止形をはじめとした形式の指導が行われた形跡があり,全体が主和音を中心とした四七抜きのペンタトニックなのに,4段目になって唐突に導音(音階の第7音で主音の半音下の音)が出てくるのは教師の手が入ったにちがいないと推測したからです。

もっとも,その音(「ふ」の音)が導音ではないということですので,ますます子どもの作ったものであることが明らかになりました。

> しかしもしそうなら、児童が作って連綿と伝承してきた建徳小学校の歴史が(どんな事情があったかは知りませんが)消えてしまったのは残念です。

昭和30年代から40年代にかけて,「ふしづくり音楽教育」という授業実践が大ブームになったことがあります。
これは,子どもが「ふし」を創作することで楽譜の読み書きを学ぶとともに,音楽の基本的な構成をとらえながら聴く力をつけるというものです。

その頃、音楽科の授業の一環として学級の歌や運動会の応援歌(の「ふし」)を作ることが盛んに行われていましたので,おそらく,この歌もそのうちのひとつだと思われます。
したがって,これは「連綿と伝承してきた」のではなく,とりさんが6年生のときに同学年の優秀な子どもが作って(その子はとりさんではないかと私は推理していますが),その年の運動会に取り上げられたものではないかと思います。

ちなみに,この作品は(音楽的な完成度はともかく)子どもの習作としてはなかなか良い出来で,5段階評価では間違いなく「5」をもらえるものです。

> すみません「ふ」の高さは書き間違いで「たてよ」と同じ音が正解でした。
> 清書で「しろぐみの」の「の」が抜けていますので記入をお願いします。
> (もしかしたら先生のこの資料が将来記録として残るかも知れないので・・・)

一応,わかりやすくするためにハ長調に移調して修正を加えました。もともと,その子はハ長調で書いているはずですので,このほうが適切かと思います。

> えーっと、それから・・・もしかしたら、曲全体が4拍子のシンコペーションだったような気もしてきたのですが…こんな構成は音楽的におかしいですか?

とりさんが書かれた上の楽譜にシンコペーションの部分はありませんので,おそらく,アウフタクト(弱起)のことをおっしゃっているのだと思います。
いずれにしても,この記譜のしかたは音楽的に不自然です。もともと,騎馬を組んで行進するのに足並みを揃える必要はありませんので,3拍子のままでいいのではないでしょうか。 

なんか失礼なことを書いてしまったかもしれませんが,お許しください。
驚きました。
たかがこの程度の楽譜ですが、専門家の手にかかると背景にある多くの大変興味深い歴史的な事柄や可能性などが浮かび上がってくるんですねぇ。
artsさんの解説を読みながら、もしかしたら自分は実はこれまで大変面白い知的分野の一つを知らずに(楽しむ事なく)過ごして来たのではなかろうかとふと思いました。

「勝つは体力」・・・この歌は
1.私が低学年の時(昭和30年より以前)から歌われていた
  なので「ふしづくり音楽教育」とはタイミングが合わない
2.詞に「リズム」という英語が使われているので、戦時中の作ではない
3.「我ら白組の気概を見よや」なんてのは戦後の小学生には作詞出来ない言葉である

とすると、残るは 戦前(昭和15年以前)に作られた可能性が大きいような気がします。
私が「連綿と伝承してきた堅徳小学校の歴史」と言ったのはなんとなくこの事を思っていたからです。
どうでしょう?


>おそらく,アウフタクト(弱起)のことをおっしゃっているのだと
あちゃーやっぱりそっちでしたか。orz
ホントに生涯を通じて私が音楽をきちんと教わったのは義務教育の間だけです。
中学の時に シンコペーションと弱起 を同時に習ったのですが、その区別ができないまま今日に至っています。(^^;


>騎馬を組んで行進するのに足並みを揃える必要はありませんので,3拍子のままでいいのではないでしょうか。
御意(^^;
えーっとしかし、この3拍子の件も実はちょっと引っかかっています。
前にも言いましたが、先輩から受け継いだ歌い方は3拍子と4拍子が混ざっているのです。(私の知識レベルが低く楽譜にかけないのですが・・・)
これ、なんとなく不自然です。

この事について自分なりにいくつかの仮説を立ててみました。
1.もともと全体3拍子だったがブレスを容易にするために自然に一部4拍子になった
2.練鑑ブルースのように、伝承歌にありがちなサビを強調する転調
3.もともと全体4拍子だったが、小節末の休符が消えてしまって3拍子になった
  (バスガイドさんがよく勝手に休符を省略して歌うやり方に類似)

とまぁこんな素人考えですが、これっていずれにしても楽譜が無く口から口に伝えられて来たからではなかろうか・・・なんて想像しています。


誰かホントに覚えていないんでしょうかねぇ。
同級生も読んでくれている私のブログにも載せてみましょうか(^^;
artsさんこの楽譜 借りまーす。

> 驚きました。
> たかがこの程度の楽譜ですが、専門家の手にかかると背景にある多くの大変興味深い歴史的な事柄や可能性などが浮かび上がってくるんですねぇ。
> artsさんの解説を読みながら、もしかしたら自分は実はこれまで大変面白い知的分野の一つを知らずに(楽しむ事なく)過ごして来たのではなかろうかとふと思いました。

この種の学会はいくつもあります。(ちなみに,私は日本音楽教育学会の副会長を務めています。)私が書いていることは単なる推測ではなく,これまでの歴史研究をふまえてのことです。

> 「勝つは体力」・・・この歌は
> 1.私が低学年の時(昭和30年より以前)から歌われていた
>   なので「ふしづくり音楽教育」とはタイミングが合わない
> 2.詞に「リズム」という英語が使われているので、戦時中の作ではない
> 3.「我ら白組の気概を見よや」なんてのは戦後の小学生には作詞出来ない言葉である

時代的可能性としては昭和20年代も範疇に入ります。地域的にそんなに先端的な教育をしていたとは考えにくいので,一応,昭和30年代から40年代としましたが,当然,堅徳小学校にも優秀な教員がいた可能性はありますので,私の推測(「ふしづくり音楽教育」の一環説)は外れていないと思います。

> とすると、残るは 戦前(昭和15年以前)に作られた可能性が大きいような気がします。

尋常小学校の時代の小学校には「音楽」科はなく,「唱歌」という教科でした。(国民学校の時代はそれどころではありませんでした。)その時代に,児童が創作をするということは考えにくいです。もし,そんな高度な教育が行われていたという証拠資料があれば学会で発表したいです。

もちろん,当時の教員がつくったという可能性は残されていますが,その可能性はきわめて低いと思います。

> えーっとしかし、この3拍子の件も実はちょっと引っかかっています。
> 前にも言いましたが、先輩から受け継いだ歌い方は3拍子と4拍子が混ざっているのです。(私の知識レベルが低く楽譜にかけないのですが・・・)

残念ですが,このレベルの歌で「意図的に」拍子を変えているとは考えにくいです。どう考えても子どもの習作の域を超えるものではありませんので。
もちろん,作者本人の意図にかかわらず拍子の構成がいいかげんという可能性もないわけではありませんが。

> 誰かホントに覚えていないんでしょうかねぇ。
> 同級生も読んでくれている私のブログにも載せてみましょうか(^^;
> artsさんこの楽譜 借りまーす。

なにしろ,50年前のことですので,よほどの理由がない限り憶えている人はいないと思います。
楽譜はどうぞお使いください。
あまり根拠も無く長年抱いていたオヤジの妄想が、専門家の手にかかるとこうも明快に現実と突合せされてしまうとは!
いやいやオーバーではなく感動さえ覚えました。

楽譜を私のブログに載せましたが・・・おっしゃるとおりたぶん誰も出典を覚えている人は出てこないと思われます。
お騒がせしたおやじのセンチメンタリズムですが、一部曖昧な部分はこのまま胸に秘めておきましょう。(^^;

また今回音楽の面白さの一部を垣間見ることが出来て楽しい経験が出来ました。
素人がうろ覚えの知識で書いた楽譜を高度な専門知識で検証して頂けるなんて、通常ではあり得ない経験です。
artsさん、大変ありがとうございました。

私の仮説としては,「自分が小学校6年生のときにつくった歌を50年間心に抱き続けているロマンあふれるすてきなオヤジ=とりさん」だったのですが,これはハズレだったのでしょうか?

ところで,とりさんは3拍子が騎馬戦の入場行進にふさわしくないと気にしていらっしゃるようですが,そんなことはありません。
ハチャトゥリアンのバレー組曲「ガイーヌ」の「剣の舞」の中でチェロとサクソフォンがユニゾンで演奏するあの勇壮な旋律も3拍子ですし,有名なラヴェルの「ボレロ」も3拍子で書かれています。

> artsさん、大変ありがとうございました。

こちらこそありがとうございました。
また面白いことを思い出したら教えてください。
>「自分が小学校6年生のときにつくった歌を50年間心に抱き続けているロマンあふれるすてきなオヤジ=とりさん」
残念ながら・・・私に作曲する能力はたぶん無いです。(きっぱり)
これまで何度か応援歌のような歌を作る役目を仰せ付かった事がありますが、作詞だけして曲は軍歌や寮歌などをパクってお茶を濁してきました。(汗
「予科練の歌」とか「嗚呼玉杯に花うけて」とか・・・(ごめんね > JASRAC)

ところで・・・ハチャトゥリアンの「剣の舞」!
テーマの間にこっそりと(?)3拍子が挟まっていたとは気が付きませんでした。
ラベルの「ボレロ」は、初代ホンダ・プレリュードの イメージソングに使われていましたが、確かに重厚な走りを連想させる勇壮な 3拍子ですね。
これまで、ダンスパーティーでワルツがかかるとついつい休憩に入るのが常でした(笑)が・・・ 3拍子を見直しました。OTL

また色々教えてください(^^)
自分の日記にも書きましたが
津久見駅に 「なごり雪記念碑」 が出来ました。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100312-OYT1T00586.htm

土曜日に法事で津久見に帰ったので、この記念碑を見に駅に寄りました。
ちょうど上りの普通列車が到着し、なごり雪のメロディーとともに発車したのですが、なかなか良い雰囲気です。
今更って感も無きにしも非ずですが、町おこしのきっかけになると良いですね。
ヨミウリ・オンラインの写真には左側の女性像がありませんでしたが,
これはまた別のものでしょうか?

いずれにしても,津久見に関係のある(作者が津久見の人とか)作品
だとは思いますが・・・。
あまり津久見駅に行くことがないので知りませんが,よく見ると,
正面のモザイク画も「なごり雪記念碑」と別のもののようですね。

いつもこのレイアウトで置いてあるのでしょうか?
なるほど、良く見ると違いますねぇ。

ヨミウリの写真は 3/12
私が撮ったのは 3/13

ヨミウリの写真の字幕にある「式典」という部分がなくなっているのは
他の文字との位置関係を見ると
式典後に「式典」部分だけを切り落として飾りなおした事が推測できます。

女性像については、大分合同新聞の写真を見ると
http://www.oita-press.co.jp/localNews/2010_126844434397.html
式典時は 花に隠れています。
この女性像はたぶんなごり雪とは無関係で、以前からここにあったものでしょう。

<私が撮った写真の女性像の部分だけを拡大してみました>
女性像が気になったので上の写真のプレート部分を拡大して
デジタル処理してみました。

朝の願い
山本稚彦作

と書かれているようです。
「山本雅彦」をググッてみました。
http://kotobank.jp/word/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%A8%9A%E5%BD%A6

著名な彫刻家のようです・・・なぜこんな美術品が野ざらしで津久見駅に置かれているのか不思議ですが・・・?
モザイク画も石像も記念碑もずいぶんお金がかかっているでしょうに,
このレイアウトでは個々の作品が台無しになっているようで残念です。

この場所に置けば必ずみんなが見るからという考えでしょうが,
ちょっとセンスがなさ過ぎますね。がく〜(落胆した顔)
こんにちは。
唐突ですがまたまた教えて欲しい事があります。

二中時代に音楽の授業で「滝廉太郎」と言う歌を習いました。
滝廉太郎を讃える歌で、皆で大声あげて歌った記憶があります。

「大分の者なら歌いきらにゃいけん」と言われていたのにいつの間にか歌詞を虫食い状態に忘れてしまいました。
ネットで検索しても全くひっかかりません。

ちなみに一番の出だしは

♪空に聳ゆる 大阿蘇に
 昇る煙は 変わらねど
 ・・・
 明治の朝の 昴星
 ああ、ああ 滝廉太郎

たしか二番もありましたが
もし歌詞を覚えている方がいらっしゃったら教えて欲しいのですが・・・

その歌は私も知りませんし、全然見当がつきません。
たぶん、かなりローカルなものではないかと思います。

そもそも「作曲家を讃える歌」自体とても珍しいです。
画家の肖像画を他の画家が描かないのと似ているかも。
たいていは自画像ですよね。

ところで、とりさんの頃は徳丸先生でした?
今が今までこの歌は大分県の偉人を讃える歌の一つでおおかたの県民は知っていると思っていました。(-_-;
一歳下の従兄弟(津久見在住)に聞いたら歌の存在は知っていました。
artsさんが知らないと言う事は・・・はて?すぐに廃れた歌なんでしょうか?
う〜む謎だ。

一番はなんとか全部思い出しました:

♪空に聳ゆる 大阿蘇に
 昇る煙は 変わらねど
 消えて帰らぬ 短き光
 明治の朝の 昴星(スバルぼし)
 ああ、ああ 滝廉太郎

徳丸先生ってのはよく覚えていません。
音楽はアベという名前の男の先生だったような気がします。

全員が買わされた半音付きのハーモニカの吹き方を熱心に教えてくれた記憶があります。
半音の練習は最初は次の曲(?)が題材で、皆ですごく楽しくやりました。(^^;
4/4 ド、ソソ、#ラ、ソ、休、シ、ド、休、

> 音楽はアベという名前の男の先生だったような気がします。

私の推理では、これはアベ先生ご自身のローカルな歌だと思います。
たぶん竹田市あたりのご出身で、この歌はアベ先生が子どものときに習った
郷土の偉人たちを讃える歌の一節ではないでしょうか。

> ド、ソソ、#ラ、ソ、休、シ、ド、休、

 ド、ソソ、♭ラ、ソ、休、シ、ド、休、 ですね。
> 私の推理では、これはアベ先生ご自身のローカルな歌だと思います。
う〜ん、話を総合するとその可能性が大きいですね。
私の従兄弟も音楽はアベ先生から習ったと思われるし。

あそうそう、そのアベ先生から聞いたという記憶があるんですが・・・
テレビでも活躍されたクラシック歌手の立川清登(たちかわすみと)さんが若い時に一時期、我らが二中で音楽の先生として教壇に立った事があったとか。
http://spysee.jp/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E6%B8%85%E7%99%BB/1522/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E6%B8%85%E7%99%BB
若い人はご存じないかも知れませんが「六甲颪」を歌ってる歌手です。
http://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE

だからどうした・・・って事も無いんですけど・・・(-_-;

> ド、ソソ、♭ラ、ソ、休、シ、ド、休、 ですね。
げ、そうでした(^^;

ちなみに、私も二中の教壇に立ったことがあります。
・・・教育実習でしたが。わーい(嬉しい顔)
最初から聖職者の道を進まれたのですね。

音大では教員免許を取るのが普通だったりします。
たぶん、美大と体育大も同じじゃないかな?
職業選択の幅が限られますからね。
調べてみたら、現在の本館は昭和43年に建てられたものだそうです。
そのときにプールも造られたようです。

http://tuk-kentoku-e.oita-ed.jp/09kenntoku/index.html
http://tuk-kentoku-e.oita-ed.jp/

今回は新築ではなく改築のようですが、私の経験では(一昨年、私が兼務している附属中学校でも同じような工事をしましたので)、改築後は新築同然に生まれ変わると思います。
津久見市は財政難だと聞いていましたが、校舎の改築は子どもたちの教育環境にとってはいいことですね。

ちなみに、私は昭和40年の卒業ですので、その前の木造校舎のときに卒業しました。
当時はプールもなく、水泳の授業は海でした。
久しぶりに書き込みます。

ちょっと前(2013/11/23)の事ですが、テレ朝番組「人生の楽園」で津久見の事がでていましたね。
http://www.tv-asahi.co.jp/rakuen/contents/past/0251/

私も浜茶屋のマグロステーキや小鰺の天ぷらは何度か食べた事があります。ヽ(^o^)丿

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