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Фaust foodコミュのФaust food 1話:アキナの一日

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 どうしてもブルーな気分になってしまう月曜の朝――。

 電車が線路の上を走行している。

 ゴトンゴトンと電車が線路の上を走行する独特な音が聞こえる度に、電車は左右に小さく揺れる。

 その電車に、たまたま少女は乗合わしていた。

 自動扉の窓に映る景色をあまり意識せずにボーっと眺める少女は、まだ着慣れていない紺ブレザーに、こそばゆさを感じていた。

 肩にかかる長さの茶髪に、今時の女子高生らしい丈が短いスカート。藍色の学生カバンには、UFOキャッチャーでゲットした小さなキャラクター人形が、いくつかぶら下がっている。

 少女の名はアキナといい。明菜と書いて、そう読む。

 アキナはよく人から「ぬけている子」といわれている。それは彼女が他の同年代の子らと比べ、ボケーっと上の空でいるのが多いからだった。

 学校の授業を受けている時や、ランチタイムでご飯を食べ終わった時、友達同士でどこかに遊びに行く時も、自分が何もしなくても大丈夫かな? と勝手に判断するやいなや、ボーっと脱力する。

「ま、アキナはいっつもああだし」

「そうそう、何かこう口も半開きっていうかさぁ」

「何考えているかわかんないしね」

「バカなんよ。きっとさ」

 こんな調子で、周りからしょっちゅうバカにされている。
バカキャラとして確立するのは、それはそれで自分の立ち位置があって良いかもしれない。が、限度というものは必ずある。周りの人たちはアキナが何も言わないからをいいことに、調子に乗って彼女をバカ呼ばわりする。

 そんな蔑みをずっと食らえば、普通なら、バカにする相手に逆上するか、誰かに泣きついて助けを請うか、自分を変えて立場を変えるか、何かアクションを起こすモノだ。

 しかし、アキナは何もしない。それはそれで、納得しているからだそうだ。

 ジタバタしたってしょうがない。死に至る病ではないのだから、別に焦らなくても、いつかどうにかなる。

 そう楽観的にアキナは考え、今日一日の始まりを迎えるのだった。

「やっほー!」

 隙だらけの肩をポンッと叩かれたアキナが、ビクッと総毛立ち、振り返った。

 そこにいたのは、学生カバンと水色のエナメルカバンの二つを肩にかけたアキナと同じ制服姿の女子高生だった。

「ハハ、もうビビりすぎだっつーのぉ!」

 日焼けした肌、アキナよりもちょっと低めの身長、前髪にシャギーが入ったショーットカットがよく似合う女子高生が、ニコッと悪戯っぽく笑う。

「あ、ああ、何だミズキか……」

「えー? 何だとは何よ」

 唇を尖らしてミズキと呼ばれた少女が、ブーイングを飛ばす。

「せっかく挨拶したのに、何もなし?」

「あ、そだね。ごめん」

「もぉーまぁいいけどさ。つかさ、聞いて! 昨日、友達にメール送ろうとしたらさぁ、ケイタイ止められてんのよねぇ。いきなりだよ? やばくない?」

「うそマジ?」

「払ったのに払いミスっての? 今月ね、アタシ服買って小遣い使い果たしちゃったから、収入源バイトしかないんだよね。つかさ、部活と一緒にするのってやっぱキツイわ」

「ケッコー、きつそーだね」

「何もしてないアンタがマジ羨ましい」

 ポンッとアキナの肩を叩くミズキに、アキナが苦笑いする。

 ミズキと知り合ったのは、今年の中学受験の時だった。

 二人とも、小・中同じ学校出身だったが、互いに交流がなかった。きっと、学校内のどこかで会った事はあったはずなのだが、それは一度顔を見た事があるだけの程度で、それほどしっかり覚えていない。

 よくある話だ。

 口も利いた事がない相手と仲良くなる。新しい場所で共通の接点を持たない人間よりか、少しでも自分と接点がある人間の方が、一緒にいやすい。

 それはいい意味でもよくない意味もある。

 だが、ミズキと知り合えたおかげで、内向的だった自分が少し明るくなれた。

 そんな気がしてならない。

 元々、バカキャラとして皆に認知されているせいか、ミズキを除くどのグループにも属せない逸れ者として扱われた経験がアキナにはあった。

 それに比べれば……。

 アキナはそんな自分は運がいいと思っていて、気恥ずしくて中々口には出さないけど、ミズキには感謝していた。

「あ、もう着くね。アキナ」

「うん。そだね」

 電車が駅のプラットホームに着いた。

 プシューと炭酸ジュースの栓を外した際に空気が漏れたのに似た音を発し、車両の右側にある自動扉が開いた。

 アキナとミズキは、その駅に降りた。

 自動改札口に定期券を差し込み、まだ利用者が少ない小さな無人駅から、いつもの通学路に出る。

 どんよりとした朝がそこに拡がっていた。

 色がやせたパラソルが道路の端に何本も立て掛けられ、雨避け用のビニール生地の屋根が空を覆っている。

 そこらには生ゴミや動物の糞が転がっていて、数匹のハエがくるくる飛び交っている。

 そんな不衛生な環境だというのに、そこで商売する店は、生肉や生野菜にラップも何もせず、平気で裸のまま値札を付けていた。

「くっさ……何なのこの臭い? いっつも思うけどさぁ」

「わかんない。ねぇ、やっぱやめない? 一応、ここって通学禁止区域ってのじゃない? ばれたらやばいって」

 不安になるアキナが、ミズキに言った。

「えぇ? だって、そりゃばれたらの話でしょ? みんなここ通っても平気だって言うしさぁー、大丈夫だって」

「いや、まーそうらしいけどさ……」

「アンタね。髪染めて校則違反になるような事したくせに、何でそーいう度胸とかはないんかな?」

「違うって! これ地毛! ホント、これ先生に説明するの大変だったのか……」

 まくし立てるアキナが、あ、と、声を漏らす。

 野菜を売る店の前で椅子に座る男が、ジロッと訝しげな眼差しで彼女らを見ている。

「มีอะไรละ?」

「はい? え? あ、あの……その」

 突然、話しかけられたアキナが戸惑う。

 その男は、褐色の肌に大きな頬骨が目立つ顔、声の発音や雰囲気からで、明らかに日本人ではなかった。

「アキナ!」

 パッとアキナの手を取ったミズキが、彼女を引っ張ってその場から逃げた。

「もう、何してんの!」

「ご、ごめんなさい」

「もうちょっとでからまれるトコだったじゃん! ったく、いい加減そのボーっとするクセ何とかなんない?」

「……ごめん」

 項を垂らし、アキナは反省する。

 ここは正確な住所ではK市南海港町と呼ばれる場所だ。交番の地図にもちゃんと記されているので間違いない。

 だが、この土地をそう呼ぶ人間は、滅多にいない。

 ごみだらけの街(ジャンクストリート)――。

 アラビア文字の刺繍が縫われた帽子をかぶる中近東系の男が、油がべったりくっついた黒いバーベキュー台で灰色の煙を立てながら、何の動物の肉かわからない肉を串に刺して焼いている。

 ふわぁっと間抜けな面で欠伸を出す白いタンクトップを着た細身の黒人が、色褪せたブルーのビールケースを運んでいる。その近くで新聞紙を地面にひいてぐーすかぴーすか寝る老人がいた。桃色のキャミソール姿の金髪白人女性が、タバコを吸っている。

 まだ朝の早い時間帯だから少ないが、昼間だとこれの倍の外国人たちが活動している。しかも、ほとんどが正規の居留ビザを持っている様子がない。むちゃくちゃ危ない雰囲気を醸し出している。

 どうしてジャンクストリートに、こんな危なげな外国人が集まるのか? 

 どうしてジャンクストリートの近くに住む地元日本人は、皆黙っているのか?

 どうしてジャンクストリートが、こんな臭うのか?

 答えは非常に難しい。

 あえていうなら、どうして地球が球体でできているのとか、どうして東から太陽が昇って西に没するのか、どうしてレアに焼いたステーキは旨いのかなど、質問のそれがシンプルすぎるから、まともに答えようがない。

 きちんとした理由はあるかもしれないが、誰も知らないし、わからない。

 誰もわからないのは危険である。

 アキナの学校、もしくは警察や市では、ちょっとでもジャンクストリートに出入りしている未成年を発見すれば、ただちに警察に通報するよう住民たちに呼びかけている。
たとえ、ほんの出来心で行ったと言い訳しても、簡単に許されはしない。

 停学処分を受けただけならまだマシで、ひどいケースになれば、警察署までしょっ引かれるのもあるそうだ。

 それを知ってる上で行こうとするミズキに、正直アキナは困っていた。

「あ、あのさぁ……しつこいかもしんないけど、何でここ行こうとするの?」

「だって、遠いじゃん。面倒っちーしさぁ。そんな嫌ならアンタ今から戻って普通の道行けば?」

「ちょ、わかったて! もぉ!」

 さらっとミズキが冷たく突き放すのに、アキナが慌てて訂正する。

「そーいやアンタ知ってる?」

「な、何を?」

「ジャンスト(ジャンクストリートの略称)でさぁ、バカでっかい白人と東南アジア人がすっごいケンカしたんだって。あんまりスゴイかったから、二人とも病院に運ばれたんだって」

「へ、へぇー、そうんだ」

「それでさ。二人とも身分を証明できるようなの持ってなかったから、国籍がわからないんだって。それで運んで入院したまではいいけど、費用を一体どうするかで揉めているらしいって。ウチのお母さんが言ってた」

「ミズキのお母さん。看護師さんなんだよね?」

「うん、まーね」

「大変だね」

「つーかその前にね、何でこんなやばいケガしたのか、どっちともダンマリってるらしいのよね。どこでケンカしたのかとかも話さないらしいし」

「どうなるのかな?」

「まー国籍わかったら即効で強制帰国っしょ? きっとだけど」

 冗談っぽく笑うミズキに合わせて、アキナも苦笑いする。

「やっぱ、そうなるかなぁ〜」

「何よ。アンタその言い方。知り合いとか?」

「ううん! そうじゃないけど、ただ何となくね」

 鼻が曲がりそうな臭いを発するジャンクストリートの商店街を抜けたアキナたちは、アスファルトに白線を引いた舗装道路に出た。

 そこから数分歩けば、アキナたちの学校に着く。

 日本全国どこにでもありそうな、何の変哲もない普通の学校だ。

 シンプルな灰褐色の壁には、ここら一帯を拠点とする不良たちによるカラースプレーの落書きが地図のように拡がっている。アルファベットや中国語も混ざっていた。

 卑猥な意味の英文や明らかに過激なアートを、帽子を脱いだ中年の清掃員がバケツとデッキブラシとで、せっせと自分の仕事をこなしている。

 アキナとミズキは彼に軽く会釈して、正門に着いた。

「おはようございますッ!」

 溌剌とした声でミズキが挨拶したのは、正門の端で腕を組んで立っている青ジャージ姿の女性体育教師だった。

「ええ、おはよう。早いわね。とっても」

 青ジャージの女性体育教師が、ミズキに言った。

 ミズキは「はは、そうですか?」と、いつもの爽やかな笑顔で言った。

 黒真珠のように光沢のある長いストレート、艶のある唇に、白い肌、どれをとっても魅力的な容貌の彼女は、アキナとミズキが在籍する学年クラスの担任である。

 名前は一風変わっていて、黒い翼と書いてクロヨクと読む。

 クロヨク先生は、去年の秋ぐらいからこの学校に赴任した二〇代前半の新任教師だ。

 ハッキリいって美人だ。かなりのレベルで、映画女優や雑誌モデルに出ていても、おかしくない。むしろ、何故に体育教師なんてしてるの? と、聞きたくなるぐらいだ。

 しかも、聞いた話によれば彼女は国立の体育大学の出身らしく、相当頭も賢いとか。

 そうなれば、当然ながら生徒の中では人気が出る。

 クロヨク先生が目的だけで学校に行こうとする男子や、同性としての嫉妬したり逆に憧れたりする女子など、様々な角度で彼女は注目される。

 しかし、容貌や学歴とは関係なしに、彼女の性格はかなりクセがあった。

 それさえなければ、もっと素晴らしいのにと、悲嘆する人は多い。

 冷淡(クール)――。

 まるで氷のように機械のように、温度を感じさせない。仏頂面というか無表情というか、常に眉がピタッと静止している。人間の皮を被ったアンドロイド説が本気で囁かれたほど、己の感情を表に出さない。

 こんな事件があった。

 アキナたちの高校には『女子サッカー部』があった。結構有名らしく、女子サッカー部に入りたいからという理由だけで、受験する女子もいた。

 クロヨク先生はその女子サッカー部のメイン顧問兼コーチを担っていて、ハイレベルの国立大学出身だからとは特に関係なく、練習内容はハードそのもの。具体的にどうのこうのとかは、あまり聞かされていないが、体力に自信ある男子でも「やべーな、あんなのよく続けられるよな」と言うほど、異常だったそうだ。

 愛のある練習なら幾分か我慢できる。好きで入った部活なのだから。

 だが、明らかに常軌を逸脱したこの異常な練習内容に耐えかね、女子部員の一人が勇気を出して、クロヨク先生に訴えた。

「ほんの少しでもいいので、選手の体力に合わせたメニューに変更できませんか? こんなのおかしすぎます!」

 自分もそうだが、他のみんなも精神的に相当参っている。ひょっとしたら、一生トラウマになる子も出るかもしれない。それに、こんな内容ばかりだと新入部員の確保もままならない。別に、ハードな練習が嫌というわけではないが、だけど、ひょっとしたら取り返しのつかない事故だって起こる可能性だってあるかもしれない。と、明確に問題点と改善して欲しい部分を彼女に伝えた。

 スポーツをする人なら、競技に勝つ事よりも選手の生命の安全を優先する。そう信じている女子部員に対し、クロヨク先生はこう言った。

「好きにしなさい。但し、私にはもう興味ない」

 女子サッカー部は、アキナたちが入学した頃、廃部となっていた。

 ミズキは最初こそ残念がっていたが、事件の真相を聞いてからは正直ホッとしているそうだ。そんな非常識な人間が監督だったら、おちおち安心してクラブ活動に専念できない、と。 
 そしてクロヨク先生は、他の運動系部活の顧問に担われていない。どっかの文科系部活の副顧問だと聞くだけで、きっと顔出しもしていないと思われる。

 だが、帰宅部のアキナにとってそれは関係のない話だった。

「ちょっと待ちなさない……」

「え?」

 アキナが振り返ると、クロヨク先生が指先でこっちに来るよう招いている。

「あ、あの、アタシですか?」

「ええ、アナタよ。名前、何だったかしら?」

「須藤(スドウ)です。須藤明菜(スドウアキナ)」

「スドウアキナ……随分と早いわね。まだ登校した生徒は少ないわよ?」

「あ、いやぁ。早起きは三文の得だって、ウチのおじいちゃんがいってるんですよ。本当ウチッてみんな早起きだから、アタシもつられてですね」

 とりあえずアキナは笑ってごまかそうとしたが、ジッとクロヨク先生の据わった目に見つめられ、反って気まずくなる。

「えと、やっぱダメですか? 早朝登校って? 前に七時ぐらいに学校着いたんですけど、スクールキーパーさんにかなり怒られたんですよ。七時半前後にしろって」

「遅刻するよりマシよ」

「で、ですよね? そう、ですよね?」

「アナタ。家で一番近い駅は?」

「え? 北藤川駅ですけど?」

「ここからだと一時間半以上かかるな。南海港駅から降りて、学校に着くまでどんなに早く歩いても一時間。それプラス、一時間半か」

「あの?」

「ご苦労様ね。アナタ、四時半に家を出ている計算よ? いや、制服に着替えるのとか他の準備を考慮して時間計算すれば、もっと早いわね」

「え? ええっと……」

 やばい――。

 間違いなく彼女は疑っている。

 もしクロヨク先生の言う通り回り道をしたなら、こんな早い時間に到着するのはあまりに不自然だ。
ジャンクストリートを突っ切る以外、絶対有り得ない時間差(タイムラグ)だ。

「こんな早く学校に着いて、アナタ。一体何するつもりなの?」

「あ、いやぁ〜……エヘヘヘ……」

 チラッと後ろを見る。

 気が付けばかなり離れた位置まで歩いていたミズキが、手を合わせて申し訳なさそうにウインクし、「ごめん」と唇を動かして、言った。

 アキナはミズキに向かって大声で何かを叫びたかったが、全て遅かった。

―マジ? こんな時に限ってどうして?……―

「外人街……お前たちがジャンクストリートと呼んでいるあそこに、昔何が売られていたか知っているか?」

「い、いえ」

「五年前の七月。当時、小学校三年生の女の子が突然行方不明となった。数週間後、南海港町の溜池で遺体となって発見された。腹を裂かれて『内臓』がごっそりなくなっていたそうだ」

「へッ…へへぇ〜、そうなんですか」

「その三日後、少女の『内臓』は発見された。外人街の魚屋で『シャチの肉』だと偽って売られていた。十二小腸と肝臓の一部、それとすい臓はすでに売却済みだったらしい……」

 ぞぞっとアキナは寒気を感じ、引きつった顔で苦笑いする。

「お、脅かさないでくださいよぉ」

「事実を話したまでよ。もう行きなさい」

 ふいっとクロヨク先生が顎をしゃくって促す。アキナは校舎に逃げるように小走りで行った。
 警告されてしまった。よりにもよって、あんな苦手なタイプに目をつけられてしまった。不運というべきか、要領が悪いというのか、同じように登校したミズキは全く咎められなかったのに、どうしてこっちだけなの? と、つい疑問してしまう。

 下足場に着いたアキナは、ハァと小さくため息した。

 これからどうしようか――。

 担任だから、どうしても教室で会ってしまう。それで、また何か言ってくるかもしれない。下手をすれば、生徒指導室まで連行される可能性だってある。そうなれば停学がほぼ決定したようなモノだ。

―なんでかなぁー、もぉ―

 アンラッキーに、あまり慣れたくないものだ。

 先行き不安な今日、月曜の朝にアキナの気分はより一層ブルーになった。

「おい! そこ! 危ないぞッ! 避けろ!」

 大きな声がどこからか聞こえ、アキナは声がした方向に振り向く。

 ビュンッと白い物体が、目の前に飛んできた。

「ひゃ!」

 反射的にパシッと両手で受け止めた。

 アキナが受け止めたそれは、どろどろに汚れた野球ボールだった。

「ゴメンゴメン。痛かったかい?」

 野球のキャップを深く被り、ユニフォームを着た男子が、グラウンドから走りながらアキナに近付くと、ぺこりと頭を下げた。

「いやぁ〜、キャッチボールする時ってさぁ、マジで気をつけないとな。いい教訓になったっつーかね。ゴメンね。手痛かった?」

「へ? ああ、うん」

「良かったぁ、あー、あのさ、君って見たトコ一年生?」

「ええー、まー」

「あ、やっぱそうなんだ。へー、可愛いねぇ、どっか部活とか入ってる?」

「いや、特には……」

「そうなの? だったら、ウチの野球部でマネージャーやってくんない? 今スッゲー人が足りないんだよねぇ。だからさ、ね? 興味あったらでいいからさぁー、気が向いたらグランド来てくれない?」

「はぁ……」

 いきなり話しかけ、馴れ馴れしい態度のこの男子に、アキナは何となく警戒した。

「それにしても、君ってスッゲー反射神経だね。マジで運動しないの?」

「ア、アタシ……そういうの苦手ですから」

「いやいやいやー、そう謙遜しなくてもいいって! スッゲーって! だって普通だったら、あんなスピードのボールキャッチできねぇもん。知ってる? ベースボールで確認されている投球の最高時速ってさぁ、一六〇キロ前後だって。ニューヨークヤンキースのランディ・ジョンソンって選手で一〇二マイルで、つまり一六四キロとからしいぜ、オレそこまではゼッテェ出せれねぇけど、やっぱすげぇよ。マジさぁー憧れるよ」

 嬉しそうに喋る彼に、アキナはエヘヘと愛想笑いする。

―この人何なのさっきから?―

 ハッキリ言って鬱陶しかった。心の中でそう感じたアキナは、下足場まで付いて行こうとするこの男子が、新手のストーカーじゃないのかと疑った。

「あ、そだ。ごめんごめん。そろそろボール返してくれない?」

「へ?」

 ハッと、手の中にまだボールを持っていたのをアキナは思い出して、急いでボールを返した。

「ごめんなさい! つい、うっかり」

 頭を下げてアキナは慌てて謝った。

 いくら心の中とはいえ、何て失礼なことを――と、激しく後悔する。

「いやいや、いいよ。んじゃ、オレ練習あるからさ」

 爽やかに彼は手を振ると、グラウンドに戻ろうとした。

「お? そうだそうだ」

 ポンッと軽く彼は手の平を叩き、急に何かを思い出したかのような様子でアキナに振り返った。

「ちなみにね。素手で一六〇キロ以上のスピードのボールを掴むとね、五本指全部が折れちゃうから気をつけた方がいいよ?」

 口元だけで彼は笑みを浮かばす。

 ブルブルとアキナの両手が小刻みに震える。普通曲がらない方向に指が曲がっていて、手の平からはポタポタと、血が垂れ落ちていた。

「スゴイねぇ、君、顔面狙ったつもりだったのに……よくキャッチしたよねぇ」

 ポーンポーンと血まみれのボールを真上に投げてキャッチして遊ぶ彼は、額から脂汗だらだらかくアキナに歩み寄りながら、そう言った。

「おぉ、スッゲなぁ、うん。マジで勿体ないってのかな?」

「な、何で……?」

「うん? さぁねー。ま、そう気にするなよ」

 一歩ずつ一歩ずつ近付いてくる彼が、徐々にアキナを追い詰めていく。

「よくあるさ。こうやってー、いきなり『奇襲』するのもされるもな」

「ちょ、ちょっと……やめて……」

 壁際にまで追い詰められ、心臓がバックンバックンと強く速く打ち、両膝がカタカタ震える。

 ワケが、わからなかった。

 いきなり登場し、いきなり接近し、いきなり襲ってきた。

 全く、何の予兆もない。

どれもこれも、いきなりばかりで、逃げるにも逃げられなかった――。

「誰か助け―――!」

 アキナが大声を出す前に、視界が真っ暗になった。

 僅かに覚えているのは、彼が垂直に投げたボールをパシッとキャッチしたと瞬間、握ったボールごと顔面を殴った。

 そこから意識が飛んでしまい、何も覚えていない。

 耳の奥でピーッと電子音が残っている。

「キャー!」

 どこからか、ミズキの悲鳴が聞こえたような気がしたが、確証はない。ひょっとしたら、ただの妄想だったのかもしれない。

 アキナの月曜日は、史上最低最悪の不幸(アンラッキー)から幕が上がった。

 To be continue...

 

コメント(1)

久しぶりに読み直しています。

うん、面白いです。

うる覚えなので、次の話が気になりますね。

すごく面白いのに、残念なことがあって、

文字の脱落が3,4か所ありました。

自分ではなかなか気がつかないと思うので、もし身近にチェックしてもらえそうな友達がいれば、その人にお願いして、チェックしてもらったほうがいいかも。

今から出かけるので、今度続きを読ませていただきますね♪

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