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靖国神社解体!コミュの靖国公式参拝をめぐる〈反日〉の視座  黒川芳正

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I
 1971年12月12日、“狼”前進部隊は、静岡県熱海市伊豆山の興亜
観音像と殉国七士の碑を同時爆破し、翌72年4月6日には、神奈川県
横浜市鶴見の曹洞宗大本山総持寺照殿(納骨堂)を爆破した。興亜
観音像を建てたのは、日帝反革命軍の中国侵略戦争において、南京
市攻略を指揮した陸軍大将松井石根である。この第一級の帝国主義
者である松井石根は、南京大虐殺を悔やみ、オノレが奉ずる「大ア
ジア主義」の思想にのっとって、日本と中国との融和一体化を祈る
ために、興亜観音像を建てたとホザイているが、奴の本意は、天皇
一族朝香宮指揮下の日帝反革命軍に虐殺された中国人民の反日の怨
念を鎮め、南京大虐殺の反革命犯罪を清算し、日帝反革命軍の侵略
戦争の成功をこそ祈ると言う、徹頭徹尾、反革命的なものであった。
殉国七士の碑は、1968年、第一級の帝国主義者である吉田茂のきご
うによって、A級戦犯を慰霊するものとして建てられた。その意図
するところは、明らかに旧日帝の侵略反革命イデオロギー的支柱た
らしめることにあった。(以上、『反日革命宣言』より)。この東
条英機ら「殉国七士」を含む、A級戦犯で処刑されたものなど14名
が、靖国神社に密かに合祀されていることが判明したのは、79年4
月19日である。(註)
 “さそり”によって決行された鹿島爆破=花岡作戦、および、三
部隊によって決行された間組爆破=キソダニ・テメンゴール作戦も
中国人強制連行→虐殺にオトシマエをつけることによって、日帝の
中国侵略を撃つものとしてあった。

II
 「戦後政治の総決算」を豪語する天皇印ファシスト=中曽根の音
頭取りによって踏み切られた8・15靖国公式参拝は、言うまでもな
く、新たなる侵略戦争の体制構築、すなわち天皇を中心記号とした
国家=国民総力戦の底上げに向けての、計画的な地均しパフォーマ
ンス(見せつけのための身ぶりを伴った儀式)の一環であり、さら
に天皇による公式参拝そして国営化へともっていくための露払いで
もある。そのような意図において、8・15公式参拝は、既成事実化
への一環でもあったと同時に、反対勢力の出方を見るためのアドバ
ルーンでもあったと言えよう。
 8・15公式参拝が、このようなものとしてある以上、「政教分離」
や「信教の自由」に抵触するものであるから反対だ──といった観
点から「憲法を守れ」ということでは、とことん戦い抜くことはで
きないのであり、端的に言って、新たなる侵略戦争に向けての国家
=国民総力戦そのものと根底から対決し抜き、それを突き崩してい
く、その一環として戦いを組むことが問われたのであり、今でも問
われているのである。
 新たなる侵略戦争は、必ず、過去の侵略戦争の正当化と美化を伴
って準備されていく。なぜなら、総力戦の政治とは、国民的合意を
形成することであり、過去の侵略戦争の正当化と美化こそ、未だ来
らざる侵略戦争への国民的総動員の合意を得る手っとり早い方法だ
からである。そうである時に、かつての侵略戦争の正当化と美化に
対して、われわれは、単なる言葉による批判の次元にとどまってい
るわけにはいかない。それに対する有効な戦いとは、かつての日帝
の侵略戦争と対決し抜いた東アジア人民の反日武装闘争を、今日的
に復権しつつ、国家=国民総力戦の現在進行形と対決していく──
そのような反日武闘─反日人民戦争なのである。

III
 いかに平和主義の言葉で言いくるめようとしても、東アジア人民
は、中曽根ごときにゴマ化されやしない。東条以下の主犯格から最
下級の兵士まで、侵略戦争の「軍神」のみを祀り崇める靖国神社の
国家的認知とは、隠しようもなく、新たな侵略戦争へ向けての宣戦
予告なのである。8・15公式参拝とは、靖国神社を国家=国民総力
戦の精神的要として再活性化させる開始宣言だったのである。それ
ゆえ、たとえ、東アジア諸国の政府の思惑がどうあれ、東アジア人
民が危機感を抱くのは当然であり、反日意識を燃え立たせざるを得
ないのは必然なのである。9・18「柳条湖事件」54周年をキッカケ
として始まった、中国の反日闘争も、中国政府の関与の度合いかん
にかかわらず、このような文脈と背景から受けとめていく視点が必
要であろう。ブル新報道から見るかぎりでは、靖国公式参拝を軍国
主義の復活としてとらえることから始まって、日帝の経済侵略への
批判をも提起し、中国政府による日帝資本導入への批判も打ち出し
つつある。
 むろん、この学生たちの反日闘争を、中国政府は、日帝からより
有利な経済的譲歩を得るための政治的取り引き材料として吸収して
いくこともありえよう。もし、そのような方向で収拾されてしまっ
たとしても、われわれ日帝本国人は、学生たちの反日闘争の限界を
アレコレあげつらう資格はない。なぜなら、そのような方向に吸収・
収拾されてしまったとしても、それは、日帝本国内から呼応してい
く反日闘争の不在ないし弱さゆえであり、まずもって、靖国公式参
拝を許し、中国への経済侵略を阻止し得ていない日帝本国人の責任
こそが、問われなければならないのである。
 日帝の中国侵略に対して、未だオトシマエはついていない。「墨
で書かれた虚言は、血で書かれた事実を隠すことはできない。血債
はかならず同一物で返済されねばならない。支払いがおそければお
そいほど、利息は増さねばならない」といったのは、魯迅だったか。
東アジア反日武装戦線三部隊は、日帝の中国侵略を清算することを
許さず、それにオトシマエをつける先駆的な戦いを開始した。これ
らの戦いの意義は、決して減じることなく、今日、ますます、その
画期性を高めている。

(85・11・6記)

(註)靖国神社は、78年10月、秋の例大祭を機に、天皇印ファシス
ト14人を合祀した。その内訳は以下である。東条英機、広田弘毅、
小磯国昭、平沼騏一郎、東郷茂徳、松岡洋佑、白鳥敏夫、板垣征四
郎、土肥原賢二、松井石根、木村兵太郎、梅津美治郎、武藤章、永
野修身。


※ちょうど20年前の今日、東アジア反日武装戦線・黒川芳正氏が、
 獄中にてしたためた論稿です。
 20年が経た今、私たちは何をなしてきたのか、これから何をすべ
 きなのか、再考する手立てとなれば幸いです。

 テキスト再録にあたり、明らかな誤植と思われるものは訂正しま
 した。

 

コメント(4)

>“狼”前進部隊は、

「前身部隊は、」ではないでしょうか?
>日帝反革命軍の侵略戦争の

とあるけど、「日帝反革命軍」って呼び方はおかしいと思います(テキストがそうなっているのだから仕方ないけど)。
 異句同意な言葉が重なっているので“反革命・日帝軍”とか言わないのかな?
>>WATTAN.様、

「前進」>「前身」ですね。当方の明らかな入力ミスです。

「日帝反革命軍」は、「日帝」の「反革命軍」になります。軍隊は
大きく分けると、「革命軍」と「反革命軍」になるので、当然、当
時の軍隊は「反革命軍」として扱ってよいと思います。

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