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「セユ」コミュのEpisode25:ルカ06

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 嘘だ。嘘だ。嘘だ。登は事故死だって聞いた。自動車にはねられたって。現場検証にきたって言う警官もそう言ったんだ。車を運転してた男も、保険会社の男も、みんなそう言った。刑事裁判も民事裁判も行われたんだ。そりゃ私は傍聴には行ってないよ。はねちゃった男には恨みはないからさ。登のことだから酔っ払ってたんだって、私は勝手に納得してたんだ。ただ当面の生活費のために起こしただけの裁判だったし、そもそも原告は登の母親だ。私は別に良いって言ったんだ。違う違う。そういう話をしたいんじゃない。私が言いたいのはつまり、登が事故死だってことだ。そう。登は事故死したんだ。だったらこの遺書みたいな紙は何なの?
 登の部屋には掃除とかでたまには入ってたけどさ、登が死んでからは仏壇に線香あげる時以外にはあんまり入らなかった。だから気づくのがこんなに遅くなったんだ。しかもよりによって、スコット・フィッツジェラルドの短編集にはさままってるなんて。この本私がいつだったかに登にプレゼントしたやつじゃないか。そんな本にあるってことは、やっぱり登は私に向けてこれを書いたんだ。
 ニックに会いに行こう。ニックならこんな時どうしたらいいか教えてくれる。
  私は慌てて服を着替えた。登の四十九日が終わったのはつい先週。私は 法事の後ニックと一緒に大山家の墓にジョニー・ウォーカーのヴィンテージ物をボトル一本まるまるかけてやったんだ。素敵だった。登が死んでそりゃ悲しかったけどさ、何て言うか、すごくさっぱりした奴だったから、事故死って聞いたときも驚いたのと同時になんかすごく笑えた。やっぱりか、って感じさ。あいつが死ぬなら事故死か、病気で死ぬにしても心臓麻痺とかクモ膜下出血だろうって思ってたんだ。癌とかエイズとか、筋萎縮性側索硬化症だっけ?体が動かなくなってく病気、あんなのは似合わないと思ってた。
  私はそんな取り留めの無い事が次から次から溢れてくる頭を抑えて、部屋を出た。慌ててたから白いブラウスにピンクのカーディガン、ブルーのフレアスカートっていういい加減な格好。ニックに申し訳ないかな。髪もろくに整えていない。太陽の光がまぶしい。そうだまだ昼なのだ。ニックは起きてるかな。
  私は今日目が覚めて、食パンを食べて、紅茶を飲んで、部屋を掃除した。登の部屋もね。あ、元登の部屋か。今は言わば仏間だわ。あはは。で、ハタキで本棚の埃を取っていたら、本の並びがおかしいことに気づいたんだ。登はいい加減な男だったけど、文庫本と雑誌を同じ棚に並べたりはしない。文庫本はみんな体裁よく本棚に並んでるのに、登がよく読んでたファッション雑誌の間に文庫版のフィツジェラルドの「金持ちの御曹子」があったら誰だって文庫本のところに入れようとするでしょ?そしたら紙が落ちたんだ。そう。それはまるで遺書みたいに見えた。
『新宿で烏に会った。このままでは俺は烏に食われる。ルカ、許してくれ。』
  何のことだか分からないよ。烏?兎に角落ち着かなきゃ。私は早まる足を落ち着かせながら吉祥寺駅の階段を上る。井の頭線の快速に乗り込むと私は気を紛らわせようとして、頭の悪そうな学生達に目をやった。大体20歳くらいかしら。電車が出るまでには十分ほどあった。学生達は男が二人と女が四人のグループで、会話の内容からすると、これから下北沢に行くところかしらね。安い古着屋の話や、シックなジャズ喫茶が主な話題だったから。あの歳でシックなジャズ喫茶とは恐れ入るわね。馬鹿みたい。シックの意味も知らないくせに。きっとあのガキんちょどもは将来スノービスム批判するわね。しかも自分がなれないからってだけの理由で、半分ジェラシーのスノービスム批判。形にばっかりこだわるから馬鹿なのよ。ガキは。
  まったく。私は今苛立っている。普段ならあんな子供に対して腹を立てたりしないもの。自分があれくらいの歳だった頃を思い出して大目に見てやってきたはずなのに。或いは、カサの影響かもね。初めて会って以来カサとは何度かニックの店で一緒に飲んでるけど、あの子は底知れない。目が信じられないほど深いんだ。無垢なのね。きっと。無垢じゃなかったら私あの子をつまみ食いしてたかも知れないわ。あはは。でも、あの子の無垢な目を見ると、なんかそんなこと考えてた自分が嫌んなる。だから私達は、ただの気のあう飲み仲間。いつだったか、カサが彼女と別れたって言った時は一晩付き合ったし、登の話もよくする。ニックもカサを気に入ってるみたい。スコッチの方が好きだって言うカサに色々と美味しいバーボン教えてるくらいだから。
  電車が下北沢に着く。学生達は降りない。あらら。あいつら渋谷まで行くんだ。私の勘も鈍ったかしら。まぁあの頭空っぽな感じは確かに渋谷かもね。
  渋谷に着くと私はニックの店にまっすぐに向かった。学生達はセンター街の方に歩いてったわね。私は歩きながらニックに電話した。起きたばっかだったみたいだけど、大切な話があるっていったらすぐに来るってさ。
  10分くらいで店の前に来たニックは相変わらず私服もセクシーだ。びしっとしたワイシャツに黒くて仕立てのいいジャケット。ベージュのノータックチノ。ジャケットってそのシルエットだけで品質が分かるわよね。皺の無いワイシャツもすごくニックらしい。しっかりした男ってこうでなくっちゃ。登にも見習わせたかった。
  日曜日はニックの店の定休日だし、まだまだ昼日中だったから、私達はプロントに入った。私はモカブレンドを、ニックはエスプレッソを頼んだ。席はもちろん喫煙席。

「ルカ、大事な話ってなんだい?」
  ニックはキャメルを一本取り出す。私はジッポで火をつけてあげた。登のジッポ。登が登の親父さんから受け継いだ奴。年季の入った無地のジッポ。
「これを読んで。」
  ニックがその短い文章を何度か繰り返し読んでいる間に、私はヴァージニアスリムを取り出して火をつけた。ニックの表情は見る見る険しくなった。
「ルカ、この手紙は見なかったはことにできないかな?」
   ニックのこんな顔見たことない。私はその顔を見てさらに嫌な予感がした。本物の遺書なんだ。
「駄目よ。今のニックの顔見て分かったわ。登は自殺したのね。」
  ヴァージニア・スリムをぐしゃぐしゃと押し消す。昇は私がこれをやると怒った。
「ルカ、聞いてくれ。これは君が首を突っ込むべき話じゃないんだ。」
  ニックは静かにキャメルの煙を吐き出す。
「新宿の烏を知ってるのね。」
「ボクたちの間じゃ有名さ。でも『新宿烏』はマフィアと繋がってるんだ。」
  私は凍りつく。マフィア。段々私の周りの平穏な世界が崩れていく気がする。
「僕らバーの経営者はみんな特定のマフィアにギャラを払っている。僕らの生活はマフィアとは切り離せないんだ。」
   ニックの目が捨て犬のように弱々しくなった。ニックのこんな顔をみたくなかい。
「分かった。新宿のマフィアね。ありがとう。」
  私は席を立って店をでた。ニックは後ろから何か言ったけど聞こえなかった。
  足早に渋谷駅に向かい、山手線に乗り込んだ。

   新宿に行ってからはそりゃあ簡単よ。いかにも柄の悪そうな喫茶店に行って、『新宿烏』について聞きまくるだけだもの。でもニ三軒回ったけどみんな口をつぐんでたわ。よっぽど怖いのね。烏さんが。気がついたら夜になってたから、そっからバーに変えたの。
   そして、六軒目のバーのバーテンが私に耳打ちしてくれた。
 「歌舞伎町のLe Perchoirってバーに行きな。そこのマスターが知っているよ。」
  私はそのバーテンに多めにチップを払って店を出た。夜の十一時。

  そのバーは歌舞伎町の一番奥にあった。つたの生い茂った入り口。カウンターだけの小さなバー。音楽はすごく湿った音でサティピアノが流れてた。何とかの胎児って曲だったかしら。お客さんは他に二人。いかついスーツのお兄さん方。あらまぁ。もしかしてここは本拠地かしら。
「いらっしゃい。何にする?」
  マスターは初老のおじさん。眼鏡の奥の優しい目。
「エヴァン・ウィリアムズを。」
  私は高鳴る胸を押さえた。急いじゃいけない。
「お嬢さん、綺麗だね。この辺の人じゃないね。」
  マスターは笑いながらショットグラスをコースターに置く。
「お一人かい?」
  マスターの目は優しかった。この人はきっとマフィアじゃないわね。
「烏さんについて聞きたいの。」
  そのセリフを言った瞬間、スーツの男二人が同時にこっちを見た。マスターだけが静かに笑ってた。
「答えて。新宿烏よ。知ってるでしょ?」
  マスターはただにんまり笑って何にも言わなかった。
  スーツの男は席を立って、片方の一人はそのまんま店を出てっちゃった。だけどもう一人が私の後ろを通った瞬間、私はその手をつかんだ。
「ね、お兄さん、あんたも知ってるね?烏さんのこと。」
  男はものすごい形相で私のことを見て、その場にへたり込んだ。
「言いなさいよ!!」
  私はすごい声で叫んだ。

  それからのことはよく覚えてないわね。

  気がついたら私はバーで暴れだしてたみたい。
  バーのイスは全部ひっくり返ってて、だれのか分からない血がバーの床に点々と落ちてたの。何本かの瓶とグラスが割れてた。
  そして私は喪服みたいな黒服のお兄さん方に取り押さえられてた。何箇所か殴られたみたいで、お腹と顔が痛んだ。黒服の男達の中に一人だけ、紫色のシャツを着た男がいた。
  そいつは私に囁いた。
「お嬢さん。この店であまり悪さはしないんだ。分かったね。」
  私はそれでも叫び続けた。
「烏をだしなさいよ!!ねぇ、離してよ!!あんた達が登を殺したのよ!!」
  紫男は私の顔をまっすぐに見て、やれやれといった様子で誰かに電話をかけてた。私は殴られたた顔とお腹の痛みが酷くなってて、そういえば今生理中だったからお腹の痛みも二重になったわけで、兎に角ヒステリーに陥ってた。紫男が電話で烏を呼び出してるのだと思い込んでしまったわけね。
  でもやってきたのはすごく綺麗な顔の、彼らの上役らしい人物だった。
「悪いね。部下が随分と手荒な真似をしたようだ。私はロダ。彼らの上司だ。」
  ロダと名乗ったそいつは淡いブラウンのシャツに、信じられないほど上等のベロア地のジャケットを着ていた。下手すりゃオートクチュールね。その柔らかな物腰。綺麗な顔、でもすごく悲しげな眼。男だったら間違いなく美男子だし、女なら間違いなく美女。でも、こいつが登を自殺に追いやった烏の元締めだ。
「あんたが烏の元締めね。烏に会わせてよ。」
  私は自分の声に驚いた。全然自分の声に聞こえない。よっぽど叫んだのね。かすれきってる。
「落ち着きなさい。シゲル、まず彼女を放すんだ。」
  ロダはそう言ってカウンターに座った。
「マスター、すまないね。すぐに片付けさせるよ。ブラントンあるかな?」
  どこに行ってたのか、マスターはロダのその声を聞いてまた満面の笑みでブラントンのロックを作り始めた。そしてロダのさっきの一声で、紫男、シゲルって名前らしいわね、が部下に目配せをして、部下はすぐに私の腕を放した。
「お礼は言わないわ。烏の話をしましょう。」
  私は黒服の男達を一睨みしてからロダの隣に腰掛けた。
「何を飲む?」
「ヴァージン。15年。ストレートね。」

  ロダは煙草に火をつけた。見たことの無い銘柄の煙草。手巻きかしら。

「烏については話せない。彼女はとても微妙な存在なんだ。新宿では彼女についての情報は基本的にタブーだ。」
ロダはロックグラスに入った球状の氷をからからと回しながらすごく美味そうにブラントンを飲む。シゲルたちは先ほど店を出て行った。
「そいつは私の旦那を殺したの。少なくとも私には知る権利があるはずよ。」
「権利か。」
  ロダは笑った。少しも嫌味の無い笑い方だった。くしゃくしゃとした長い前髪がゆれる。こいつは男だ。それもいい男だ。わたしの女の部分がそう言う。私の怒りは次第に収まって言った。何でだろうね。ロダという名のこの男を見てると、その烏さんがなんだか天災の一種みたいな気がしてきたんだ。
「彼女は私のファミリーの誇る最高の娼婦だ。いや、きっと世界一の娼婦だ。彼女は仕事で寝た男の全員を、今までに一人の例外も無く全員を壊してきた。」
  ロダは静かに語りだした。眉一つ動かさずに。マスターはさっきから氷を砕く作業に没頭している。
「壊した?」
  娼婦が客を壊して商売になるのか。
「正確に言えば重度のアディクションだ。中毒症状だね。俗に言えばどの客も彼女に入れ込んでしまったのさ。」
  登は烏を買ったのだろうか。
「登は、私の夫はそいつを買ったっていうの?」
「まさか。彼女を買うには失礼だが君の死んだ旦那さんの給料じゃ無理だ。彼女は仕事とは別に男を拾うのさ。そして拾われた男の95%は自殺する。残りの5%は客として彼女を抱き、結局壊される。」
  間違いないわ。登はそいつに拾われたんだ。あの性格だから拾うのは簡単だろう。それで自殺したんだ。私はなんだか気が抜けた。こりゃ天災ね深く考えないほうがいいみたい。
  私は最後にロダに尋ねた。
「そいつ、本当に人間なの?」
「だから烏って呼ばれるのさ。」

  店を出ると、カサが立っていた。ニックに聞いたそうだ。私は不安げな顔のカサに笑いかけた。
「大丈夫よ。大丈夫。ね、カサ、あんた今日うちに来なよ。いつか言ったでしょ?一回くらい相手したげるわ。」
「家までは送ってくよ。」
  カサは呆れた顔をしていた。こいつ。年下の癖に。どんどん成長してやがる。そのうちこいつも化け物になるわね。

  化け物、か。私は力なく笑った。すごい人間と、そうじゃない人間。烏やロダは前者。カサもいつか前者になる。私や登はきっと後者ね。はぁ。世の中って、何でこんなに不公平なのかしら。

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