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「セユ」コミュのEpisode05:ルカ01

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「お嬢さん、薬指に指輪してるけど、人妻?」
 隣の席に座った無神経なサラリーマンはそんな質問をしながら品定めをするような目で私の体を嘗め回す。
「興味ある?」
 夫がいるからって、一人で飲みに来て悪いのか。全く。
「ね、お嬢さんお名前は?」
「ルカ。」本当は遥だけどね。夜はこっちの名前さ。
「いい名前だね。」
 そこで一言足すのがダンディズムってヤツだよ。と、私はすこし呆れながら思い、グラスの底に残ってたイエローストーンのストレートをあおった。
 バーで名前を聞かれて、苗字の方を言う女はいい女ではない。少なくとも「いい女」ではない。私はそう思ってる。少なくとも、私がビアンだったらそんな女には惚れないんだろうな。
 もちろん実生活ではちゃんと苗字を答える。そんなに子供じゃないんだから。
 しかし、「お名前は?と尋ねられて「大山です。」と答えるのに慣れるまでにどれくらいの時間がかかっただろう。今なら無意識にでも自分の苗字を大山であるといえけど、そうなるまではなかなか面倒なものだった。結婚することの本来の意味は、結婚して5年になった今でも私にはよく分からない。とりあえず、誰の所有物でもなかった「女」から、昇という私の夫の「妻」になったことが当面一番重要なことだろう。
 しかし、私には自分が女であることを捨てることはなかなか困難なもので、結婚して5年の間、昇とのセックスの時には必ず避妊をしてきた。その上ピルまで飲んでいた。妻である上に、「母」にまでなってしまったら、きっと私は自分の本質であろうと思う自尊心を失ってしまうから。
 昇のことは愛していた。しかし、私はどうしても「女」としての自分を捨てることが出来なかったため、二週間に一度くらい、こうして夜の街に飲みに来るのだ。
 「女が一杯目からウィスキーなんて飲むんじゃない」知り合った頃の昇はそんなことを言ってたっけ。昇とであったのもこんなバーだった。青山の、湿った静かなバー。
 女子大に通っている私を、広告代理店に通う昇が口説いたのだ。ドラマティック?ロマンティック?そうかしら。人と人の出会いなんてそんなもの。ドライかウェットかなんて聞いた人が決めればいい。
 
 女子大に通っていた頃から一人で飲みに来るのが好きだった。チェーン居酒屋でワケの分からないカクテルで酔っ払う同級生とは気が合わずに、大抵青山か六本木のバーでウィスキーを飲み、馬鹿な男に勘定を払わせるのだ。
 まぁ時には男が酔った勢いで迫ってくることもあるが、私は面食いなのだ。そんな莫迦な男の動物的な求めに応じたことは一度もなく、私のお気に入りの赤いパンプスによる向こう脛へのローキックの餌食となる。おかげで私の右のパンプスは少し色が落ちてるの。あはは。
 昇と結婚した後もこうやって飲みに来ていることは昇も承知。「遥にはいつまでも色っぽくいて欲しい」そうだ。なんと言おうか。
 まぁ学生結婚した私はまだ26だから、一人で飲みに来るとけっこうちやほやされるし、ちゃんと一人の女としてバーテンにも他の男の客にも相手にされるから結構気分がいい。もちろん時には今日の隣のサラリーマンみたいに野暮な客につかまることもあるが。

「ルカちゃん、趣味は?」
 野暮な男は野暮な質問を投げかけてきた。ヴェルサーチのスーツを着て、ヴァレンチノのネクタイを締めていても、台詞が野暮ならダンディじゃないんだよ、年上のボウヤ。
「読書…かな。」
 まぁ私はもちろん夕暮れのひまわりみたいに愛想よく答えてあげるわけだが。
「僕も結構好きだな。宮本輝とか。誰を読むの?」
 こいつきっと大学時代女目当てにテニスサークル入ってたな、と私は邪推して笑う。ああ、そういえば私もテニスサークルだった。

 こいつの教養を試してやろう。
「澁澤龍彦。」
「知らないな。誰?それ。」
「三島由紀夫のお知り合い。素敵な文章を書くわ。」
 残念。サド裁判について語ってやろうと思ったのに。
「今度読んでみるよ。お勧めは?」
 あんたじゃ理解できないよ。オジサン。
「『世界悪女列伝』。アレは有名よ。」
 私もあんなすごい女になりきれたら素敵だよ。
「なんだかすごいのを読むね。僕が思うにさ、女の子って…」
 ハイ。貴方はだめな男。さようなら。
 私は口に出さずにつぶやくと、三杯目のバーボンにヴァージンを頼んだ。
 男のグラスも空だった。何を頼むのかしら。
「えぇと、ジムビームの緑、水割りで。」
 全然色っぽくない。今日はハズレね。バーテンのニックがクスクス笑ってるのにも気づかないのかしら。この男。
 私はヴァージニアスリムに火をつける。もちろんサラリーマンにはそれに火をつけるだけの甲斐性もない。酒と煙草。男遊びも少々。悪い女ね。
 ニックは私と目を合わせると、ニヤリと笑った。四十台の、白人のバーテン。金髪をクールにカットし、気持ちのいい白いワイシャツに黒いハーフエプロン。それだけで絵になる。色っぽい。
 セクシーという言葉はもともと男のものなんじゃないかな。私は時々そう思う。そう。あの女子大にいた頃から思っていた。女は色っぽいのではない。肉の匂いが強いだけだ。
 しかし、ダンディでセクシーなニックのような男を見ていると、今の日本人の男の魅力のなさに愕然とする。
 昇も決してダンディじゃない。でも、昇といると私は色々と気を使わなくてすむから楽だ。学生結婚して5年。夫婦生活は円満。お互い自由だから、私がこうやって飲みに来ても、昇が同僚の家で飲み明かしても互いにさして構わない。しかし、確実に愛し合っている。素敵な夫婦でしょう。
 さて、ヴァージニアスリム一本吸う間に私はこれだけ有益な考えごとをし、バーテンのニックとセクシーな目のやり取りをしたのだけど、隣のサラリーマン、彼はあまり有効な時間の使い方を出来なかったみたい。私がヴァージニアスリムを一本数間にセブンスターを二本も吸って、高校生同士の合コンみたいに色気のない質問を、無人島なんかからの瓶入った手紙みたいに投げかけていた。
「ルカちゃん、僕はこの近くにいいバーを知ってるんだ、お店変えない?」
 男はあくまで冷静を装ってそう言った。下心の見せ方も知らないのか。馬鹿な男。昇に説教させてやりたいわ。
「その素敵なバーで貴方は何を飲むの?ジムビームのイエローの水割り?」
  ニックは私の台詞を聞いて静かに鼻で笑った。
  男は顔を真っ赤にして席を立ち、「お勘定!」と叫んで帰っていった。
「最近やっと本社勤務になって本格的なバーに初めて入った田舎サラリーマンかしら?」
 私は男が店を出てニックと二人きりになってやっとすこしほっとしてそう尋ねた。
「一流大学をでてマジメに仕事して、昇進して、初めて本格的なバーに入ったエリートサラリーマンじゃないかな?」

 ニックの店は初心者でも入りやすいバーである。渋谷の道玄坂の脇にあり、坂の途中にあるオープンバーである。オープンカフェをそのまま夜の街用に改装したような内装。L字のカウンター席に沿って7席しかなく、バーテンもニック一人。凝ったカクテルや粋な肴はないが、上等なバーボンが飲める。ビールのサーバーやシャンパングラスもあるが、私はそれらが使われたところを見たことがない。
 三段ある棚には、上から順に上等な酒が乗っている。普通バーボンは一番下に雑然と並べられていて、上にいるシングルモルトのオバケ様や、ジョニーウォーカーのブルーラベル様なんかに席を譲っているけど、ニックの店では棚の上にあるのはニックのお勧めの酒か、好きな酒。
 だからフォアローゼスのプラチナは二段目にあり、ブラックは一番上にある。ワイルド・ターキーもレアブリードが一番上、8年とライが真ん中、一番下が12年という具合だ。スコッチ好きには耐えられない店かもしれない。
 音楽は凝ったジャズでも優雅なクラシックでもなく、ニックの好きなレゲェ。ここに何年か通ううちに私はボブ・マーリィのモノマネが得意になってしまった。
 確かに、色気のある店ではないかもしれない。でも、私はここが好き。ニックと気が合うの。
 そうそう。私もニックもジムビームが嫌い。その上ニックも私もバーボンを何かで割って飲む人種が好きじゃないし、ニックは頼まれないとチェーサーすら出さない。そういうところがこの店のセクシーなところだと思う。
 だから、さっきの男の非セクシーさはもはや更年期障害をクリアーして老衰の境地に達している鰯かなんかのレベルである。
 私とニックは五分ほどさっきの男と日本の男の悪口を言い合った。
 そして5分ほど静かに時が流れたあと、ニックは静かに尋ねた。
「ルカ、今夜、ノボルはいいのかい?」
 ニックは昇を知っている。結婚前の同棲時代によく二人で来たものだ。そもそも私が「ルカ」なんて名乗ってるのもニックのせいだ。
 ニックの日本語はちょっとなまってるけどなかなかうまいんだ。でもどうしても「ハルカ」って上手く発音できずに「ルカ」になってしまう。昇も私もすごくそれがおかしくって。結婚するまで昇は私のことを「ルカ」って呼んでた。今じゃ普通に「遥」だけどね。
 それから私は夜の街で名前を聞かれたら「ルカ」ってことにした。
「私が女でありたがってるのを理解してくれてんの。昇は昇でたまに遊んでるよ。お互いが色気を失わないようにね。まぁ夫婦愛の形ね。」
「ほほう。ノボルもいい男だからね。」
 ニックはにんまりと笑う。男の品格って、笑い方一つにもでるもんだ。ニックがあと二十歳若かったら、私も危なかったかもしれない。あはは。
「浮気も出来ないような甲斐性なしと結婚するほど私は安い女じゃないわよ。そして浮気が出来ないほどもてない女でもないわ。」
 私はヴァージンのストレートを口の中で転がしてから飲む。この香りがたまらなく好きだ。スメル・ライク・ア・ヴァージン。我ながら男前な感性。
「さすが。」
 ニックは笑ってあいたグラスに目を注ぐ。
 私は両手の人差し指でバッテンをつくる。
「もう少し飲んでいけば?今度は素敵な紳士が来るかもよ?」
「終電で帰らないといくらなんでも奥さんが朝帰りはまずいでしょ。遊んでもいいけど昇の朝ごはんは作るって約束してんの。私はいい奥さんなんだよ。」
 ニックはハイハイという様子で肩をすくめ、伝票を持ってくる。私は五千円札をそれに挟んでそのまま店を出る。ニックはつりを渡そうと右手で私を制しようとするが、私は人差し指を左右に振って断る。
「最近ご無沙汰だったからね。あのエセ紳士の騒がせ賃よ。」
「ルカ、君は女にしとくにはもったいないね。」
 ルカは渋谷から井の頭線で吉祥寺に向かった。吉祥寺。良い街だ。今夜は良く寝よう。昇は何してるかな。きっと一人でいつものように寂しい背中で本でも読んでるのだろう。愛おしい男。そんでもって、私の夫。

 大山遥、自称ルカ25歳。我ながらいい人生だわ。

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