当時のクラブは専門でやってたんはミナミのセントアンズとキャットフィッシュ、梅田のラブリッシュとスカイジュース(めっちゃ懐かしい)ぐらいかなぁ。あとはトリコロールとかダイナマイト(これも懐かしい)が単発でよくレゲエのイベントしてたと思う。他も色々あったんやろーけどわかりません。それから後に90年代に入ってシャバ、ニンジャなどの世代からブジュの世代にかけて堺市でレゲエBARやったTONE(今のTEN-G)がダンスを開催するよーになり、続いて八尾のエイリアンスポットや泉北のバンブーハウスあとほんの短期間やけど、堺東のキングウープスなんてのもありました。そのころになるとキラサンもセントアンズは箱がちっちゃいので、もっと収容できるよーにとサンホール(アメ村のサンボウルの地下)に週末だけダンスを開催し、ついには今のI TO Iの場所にジャグリンシティを構え快進撃がはじまり、挙げ句の果てに泉佐野のりんくうタウンにジャグリン′リンク′シティをオープンした。そらそん時のキラサンの勢いたるや。万札でケツふけるぐらい儲けてたと思う。かわってここ地元泉州ではまずダンスホールを広めたんは貝塚のN氏の力が大きいと思う。80年代後半から90年にかけては泉州にはダンスホールクラブがなく(もともと泉州はレゲエは盛んやったがガンジャ天国であることからルーツ色が非常に強かった。このことについてはまた機会があれば述べる)N氏が頻繁に二色浜にメイズといういっとき流行った迷路の跡地で自分の所有するサウンドセットを用いてダンスを開催していた。それで泉州の若い世代を中心にまたたくまにダンスホールが広がった。これはまだミナミではセントアンズとキャットフィッシュしかなかった時代である。そして後にそのN氏が経営する自分のホームグランドである岸和田のメトロ(今のパームがある所)やレッドプリンスのハッピー氏と貝塚のN氏と共同でしてた春木のギャングスターや同じく春木でたまねぎ倶楽部(コーンロールやドレッドを得意とする美容院。自分も一度ドレッドロックスをあんだ時にお世話になった)のオーナーが経営するトレンチタウン、他貝塚のジャパンのあったとこのK氏が経営するトゥルースバーなんかがあった。他もあったと思うけど忘れた。他バー関係では岸和田のカラオケFの隣にあった今のシャンカラのオーナーもバイトしてたボンベイバー(ちなみに行きまくった)や北信太にあったO氏が経営する喫茶店(名前忘れた)、あと泉北のリズバーンも老舗で、あと有名なMABO氏が経営するジャミーズなどがありました。他忘れました。それぞれについて触れたいがまた後にということで今回はこのへんで。次回はレコード屋なんかについても書きたい。今回はおじさんには懐かしく、若いかたには新鮮な話題だったのではないでしょーか。では ワンラブ ワンピース