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足利義輝コミュの義輝公への愛を語るトピ。

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放置気味の管理人のおかげか、あまり動きがないコミュになってますね(´・ω・`)

せっかく、義輝公への熱い思いをお持ちの方々にお集まりいただいているのに、これではいかんと、ようやく思い至りましたw


このトピでは、義輝公をどれだけ好きか、存分に語ってください。
義輝公を題材にしたSS(小小説)とか、イラスト、果ては俳句まで、なんでも募集しちゃいます。


よろしくお願いしますー(*´ω`)

コメント(11)

語ります、思うがままに語らせて頂きます。

まず、私が歴史に興味を持った経緯ですが、え?どうでもいい?まぁ聞きんしゃい(だが断る)
以前の、中学生2年生くらいだったでしょうか…その頃の私は、歴史のレの字も知らないし興味もない、数学と歴史関係の授業が大嫌いだった、至って普通の学生でした(ぇー)
そんな私が日本史に触れることになったのは、大方予想がつくかと思われますが、戦国無双というゲームにハマったのが切っ掛けだったのです。はい、私オタクです(聞いてない)
けれど、それは三国無双にハマってたから、シリーズの新作ということでたまたま買ったまででした。初プレイキャラは伊達政宗、しかし当時の私は伊達が読めず、普通に『いたち まさむね』と恥ずかしげもなく読んでいたのを記憶しています。三代将軍なんぞ、まともに答えられるわけがない。無知って怖いね☆
ゲームに出て来る人物たちがどれだけの偉人か知る由もなく、ただゲームキャラ達のキャラクター性に惹かれた私は、そこで悪い癖を発動させました。俗に言う、二次創作ってやつです。
昔から、それこそ物心ついた時から、完成された物語に自分の分身を投じて空想に耽るのが大好きだったので、戦国無双でも勿論妄想は展開されました。ただ、そこにオリジナルキャラクターを投じても、あまり新鮮味はありません。だってもうその世界には、くのいちというオリジナルの歴史人物がいたのですから。
そこで思いついたのが、実在の歴史人物にキャラクター性を持たせてしまおうという試みでした。まぁつまり、戦国無双のキャラクターの中に自分好みなのがいなかったので、勝手にキャラ立ちさせて勝手にキャラたちと絡めて遊んでいたわけです。
最初に白羽の矢が立ったのは、無双をやる皆さんならご存じ、風魔小太郎でした。神秘に包まれた謎の忍者集団…外国から渡ってきた流民の集団という説から、髪は銀髪瞳は紺碧、得物は鞭とし、おまけに言葉の端々に英語を交えて話すという、自分の中では結構個性的な部類になったと満足していたキャラが出来上がりました。この時は、まさか本当に英語を交えて話す戦国ゲームキャラ(by伊達政宗)が登場するとは夢にも思わず…そういえば、私の初めてのプレイキャラは伊達政宗、なにこれ、運命?(勘違い)
まぁそれは置いといて…ともかく、しばらくは自分の風魔小太郎で小説を書いたりして遊んでいたわけですが、そのうちに、もっと歴史的に色んな人物と絡ませがいのあるキャラを作りたいと思い立ち、今更ながらに歴史のお勉強。戦国時代って面白いですよねぇ、こう、全てが活き活きしているというか…日本の歴史の中で青春にあたるのが戦国時代、という表現をどこかで見掛けましたが、正にそんな感じ。
専ら西洋文化にしか興味のなかった私は、初めて日本特有の文化に心躍らせ、渇いた土が貪欲に水を貪るように、どんどん知識を蓄え、深みにハマっていったのは言うまでもなく…。
そしてある日、運命と呼ぶ以外他にはないと、浜崎あゆみも歌っています(by HEAVEN)誰かいい人いないかな〜、と伊達政宗関連で人物模様を調べていた私は、最上の家系図に辿り着きました。最上といえば清和源氏、清和源氏といえば足利将軍家。けれど当時の将軍家は、将軍とはいえ名ばかりで、いまいちパッとしない存在であると、大体どこもそんな感じで評価されてました。
でも、将軍家っていう凄い肩書きは魅力的だし、一応ちょちょいっと調べてみるか〜、と思ったのが、今思えば運命の分かれ目だったのでしょう。右クリックで飛んだ先のページが良質だったのも、天が味方していました。
そこは信オン関連の、足利将軍家と(やっと本題)足利義輝の紹介ページでした。そこで受けた衝撃は、今も忘れようがありません。

なに、このリアル暴れん坊将軍。

恐らく無意識に口走っていたでしょう、それ程の衝撃でした。だって二つ名が剣豪将軍だよ?こんな凄い二つ名があるのに、なんで無双でキャラとして出てきてないの!?
真っ先に剣豪将軍という二つ名の虜となった私は、それから義輝公(以下輝様)について調べまくりました。
続いております。

・剣聖と謳われた剣術の双璧を成す塚原卜伝、上泉信綱から免許皆伝を受けたこと。
・日本で初めて国友鍛冶に鉄砲を作らせ、初めて鉄砲部隊を編制したこと。
・キリスト教徒に京都での布教許可を与えたこと。
・各地の諸大名の交戦を調停し、一定の功績を残したこと。
・細川藤孝(幽齋)がお兄さん(諸説あり)
・上杉謙信とお友達(ぇ)
・織田信長ともお友達(ぇー)
・各地にいっぱいお友達(偏諱ね)

ざっと並べただけで、凄いこといっぱいしていると思います。
そして最大にして最期の見せ場、人々の魂を掴んで離さないのがここでしょう、1565年5月19日、世間を震撼させた大事件、永禄の変。
この事件の首謀者が、近頃BASARAに出て来て人気高騰中な乱世の梟雄、松永弾正久秀です。あの信長でさえ将軍殺しの汚名を被るのだけは躊躇したのに、いとも容易く久秀はやってのけてしまいました…。こう言ったら他のファンの方に怒られそうですが、私久秀も大好きなんですよね。だってこの男、この男なら何やっても仕方ない、そんな魅力が溢れてるじゃあないですか。輝様を討ったのが久秀で、ある意味よかったと私は思っております。
そろそろと人々が活動し出す午前八時頃、松永と三好三人衆率いる一万二千の軍勢が、輝様の居城である二条御所を包囲しました。将軍の居城といえど、所詮は御所。ろくな防衛機能もなく、個人の軍隊を持たない足利家の手勢は、僅か二百あまり。
圧倒的不利な状況の中でも、輝様は決して取り乱すことはなかったと、フロイスの日本史や足利季世記は伝えています。
両の指で足りる程の御供衆たちと、最期の酒宴をはり、今生最期の舞を終えた細川宮内少輔の小袖へ、辞世の句を書き付けました。

五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をとげん 雲の上まで

幕府を蘇らせんと奔走した、輝様の無念が迸る三十一文字です。
そして輝様は、足利家伝来の宝刀を持ち出し、鞘を払って畳に突き刺しました。抜き身の一振りを無造作に掴むと、間もなく怒濤の勢いで押し寄せてきた敵勢に向かい、臆することなく果敢に立ち向かっていきました。
抜き身を畳みに突き刺しておいたのは、血脂でぬめる刀を取り替える際、一々鞘から抜いている暇もなかったからです。
御武芸、鬼神の如し。
誰もが噂に過ぎないとタカを括っていた世評に相応しい、鬼神の如き強さで敵を次々と切り伏せていく様は、正しく修羅。一時はその強さに恐れをなし、敵勢も安易に近寄らせなかったものの、やはり多勢に無勢。さすがの剣豪も息があがり、刀も腰の一振りになった瞬間、背後から槍で足をはらわれ、堪らず膝をついたその隙に、障子を何枚も被せられ、その上から絶命するまで、絶命しても尚、よってたかって槍で突き刺された。
また、あまりに強過ぎて敵を近寄らせない上に、矢を放っても飛んできた矢を叩き落とすという離れ業を見せたため、鉄砲による一斉射撃によって仕留めた、という説もあります。
将軍として、生き花を咲かせることはできなかったけれど、武士として、見事な死に花を咲かせた輝様。

あなたこそ武士の中の武士、漢の中の漢でござるー!!・゚・(ノД`)
信長の野望武将風雲録で唯一の魅力100。

一体どんな人物なんだと疑問に思ったのが20年前…
その後、大学の卒論で義輝を取り上げて書きました。(専門は日本中世史、内容は義輝治世期の裁判制度についてです。)

今も仕事で機会があれば、義輝公をはじめとした足利将軍家の素晴らしさについて必ず触れるようにしています。
天下布武って足利義輝の考え方だったような気がしています。
ついに、永禄の変が地上波のゴールデンタイムで取り上げられました!!
本日放映された「くりいむしちゅーの歴史新発見」で、
細川藤孝の生い立ちを紹介するVTRが流れました。

当然、藤孝の主君は義輝公。等持院の木像が映されるのなんて、尊氏や義満以外まずないはず。

思わず興奮してしまいました・・・。
大般若長光の名前がつく模造刀を買いました。実物は東京都博物館にあるそうなので展示されることがあれば見にいきたいです。
2016年12月20日放送の「開運!なんでも鑑定団」で、三好長慶の子孫に伝わった曜変天目茶碗の鑑定依頼がYahoo!ニュースにも掲載され、「鑑定団始まって以来の最大の発見」と大きな話題になりました。
しかし、大事なのはそこではありません。
鑑定人の中島誠之助さんが声高らかに「室町幕府第13代将軍足利義輝を戴いて権勢を振るった三好長慶・・・」と説明しているではありませんか。
本当に素晴らしい・・・地上波で義輝公の名をまた聞くことができるなんて、またとない幸せです。
しかも、三好長慶へ下賜する前に、義輝公が持っていたのかもと考えると、ワクワクが止まりません。
録画したデータは永久保存します。
そうですね、足利義輝公の名前がでてくると嬉しくなります。私も以前、京都洛中洛外図を見るセミナーに毎月参加していました。ある絵では、高貴な少年が神社仏閣に参拝しに来ている絵がありました。絵の内容の説明や時代背景、絵を書かせた人、書いた人の説明があり、講義の先生の説明では、幼少時代の足利義輝だと思います。ということで、その名前を聞いて嬉しかったです。スライド写真の上映でしたので、いつか、この図録を手に入れたいです。

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