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黒川 紀章コミュの至聖院範空功道居士

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憔悴・若尾「まだ遺体と対峙できない」

妻の若尾文子は、遺体に寄り添い寝台車で自宅を出る


 12日に心不全で亡くなった世界的建築家、黒川紀章(くろかわ・きしょう)氏(享年73)の通夜が13日、東京都港区南青山の梅窓院でしめやかに営まれた。親族と近親者ら約70人。妻で女優の若尾文子(73)は会場へ向かう際に「まだ遺体と対峙(たいじ)できない」と目を潤ませた。一方、黒川氏が党首を務めた「共生新党」は解党となる見通しとなった。

 午後6時からの通夜は黒川氏が生前、若尾のために購入していた墓がある梅窓院で営まれた。密葬形式のため、親族と「黒川紀章建築都市設計事務所」のスタッフや弟子だけが参列。読経が響く会場から弔問客のすすり泣く声が漏れた。

 若尾は「若尾文子」としてではなく「黒川文子」として喪主を務めた。関係者によると、時折涙を流しながら参列者に応対。何度も頭を下げてあいさつし気丈に振る舞っていたというが、「看病疲れがみえた」と話す参列者も。

 祭壇にはやさしい笑みを浮かべた黒川氏の遺影。10数年前、海外で黒川氏の展覧会が開かれた際に撮影された写真で、若尾が選んだ。黒川氏と約30年の親交がある元秘書の男性によると、棺の中の黒川氏は「今はとても穏やかな表情。苦痛は全くなかったと聞いている」。また「棺や祭壇には愛用品などは飾られていなかった。祭壇はシンプルなものだった」(参列者)という。

 通夜に先立ち、遺体は午後3時、赤坂の自宅マンションから梅窓院へ移された。和装の喪服に身を包んだ若尾は後部座席に座り、白い布がかけられた遺体に寄り添った。駐車場から出た車は、マンション前の路上で停止。若尾が自ら窓を開け、集まった報道陣約50人に小さく会釈した。

 その際、消え入るような声で「このために皆さん(報道陣)、お待ちいただいているんですね…皆さんがいるとね、とても元気で気も紛れるんですけど。(遺体と)2人だけで対峙(じ)できないですね、まだね」とつぶやいた。最愛の夫に先立たれたショックは隠せず、青ざめた表情で憔悴(しょうすい)しきった様子。目は赤く腫れていた。

 自宅にはテレビプロデューサーの石井ふく子さんらから花が届いた。

 葬儀は14日午後2時から同所で営まれる。11月4日には東京都港区南青山の青山葬儀所で設計事務所による社葬を予定しており、後日正式に発表される。戒名は「至聖院範空功道居士」。
[ 2007年10月14日付 紙面記事 ]

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