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一文ドイツ文学専修コミュの独文で印象に残った1冊

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独文の範疇でみなさんのお気に入りの1冊をあげて下さい。

コメント(18)

で、言い出しっぺのおいらから。

「ウィーン世紀末文学選」(岩波文庫)

いろいろなタイプの作家の作品が集められていて、それぞれが個性的で面白い。それでいて、ウィーン世紀末っていう時代の匂いが、バラバラの作品たちのバックボーンに共通して流れている。

どれも好きな作品なんだけど、特に好きなのはアルテンベルクの「小品六つ」かな。飄々としている中にもの悲しさがあって好き。
お、まさに独文的なトピが。 では私めも。

エーリヒ・ケストナー『飛ぶ教室』

初めてドイツ語原文で読んだ本。児童文学なので簡単だろうと軽い気持ちで読み始めたら、不覚にも感動してしまいました。ハリー・ポッターは、実はこの作品の影響をかなり受けていると思ってます。
あ、面白いトピですね♪

私はヘッセの「デミアン」です。

大久保先生の講義で扱っていました。
今までヘッセは暗くて鬱っぽくて好きじゃなかったのですが、これ読んで、すっかりハマってしまいました^^ 21になって初めて共感できる部分もかなりあったと思います。
「メルヒェン」もすきです。

ケストナーの「点子ちゃんとアントン」も好きです。映画で見て、なんの変哲もないストーリーなのに感動してしまいました。
おお、ヘルオオクボじゃ。懐かしいのう。元気にしておられるんじゃろうか?(広島弁が入っているのは、広島友が上京中なので、しばらくしたら抜けますです。ご容赦)あの人じつは繊細なのよん。
 
[このトピが立ったのはほぼ一年前ですけど、
 いちおうこっそりと、独文で印象に残った本を一冊挙げておきます。というかお気に入りの一冊なのか。よくわかりませんが、一冊は無理です。が、あえて挙げると、
 
 トーマス・マン『ヨゼフとその兄弟』全三巻

になります。長いから選んだんじゃなくて、この作品で「物語を語る」という純粋な喜びを発揮しているマンの創作態度に共鳴するからです。私はこの、純粋に物語を語ることに徹したマンの遊び精神を高く買います。

 次点は、リルケ詩集です。全集です。詩の翻訳なので次点です。]
独文専修コミュには参加しておりましたが、こういうトピックがあるのは知りませんでした。一応僕の好きなものを。
ブレヒト『ガリレイの生涯』(岩波文庫)。これも一応大久保先生の授業で読んだものでした。いろいろ重要な部分がある中で一つだけポイントをあげると、「英雄のいない国は不幸だ!」「違う、英雄を必要とする国が不幸なのだ。」
僕は反共産党ですが(むしろ自民党シンパ)、この言葉には真理が含まれていると思います。理念も大事だが、何よりも実践。それを教えてもらったことが、ドイツ文学専修に行って良かったことの一つです。
ブレヒト『ガリレイの生涯』、これは私が一年の時(三年前)のドイツ文学基礎講義でも大久保先生が取り上げたものでした。
この時の授業は一限で、しかも映像をよく流していたので、ビデオ見るために朝っぱらから来れるか、ってんであまり出席しませんでしたが、ゲオルク・フォルスターの翻訳をちゃんと作成して配布してくれたのには感心しました。その大久保先生はこの夏ゲオルク・フォルスターの翻訳に打ち込んでいるようで頑張ってもらいたいものです。
ブレヒトの演劇はあまりにもメッセージ性が直接的なもので、多義性の迷宮に連れ込むという文学生来の一特徴に逸脱しているために私の関心をあまり引かないので、ドイツ文学や戯曲文学全般を思い浮かべる時にいつも名前が出てこない人ですが、それでもそういった文学として割り切ってしまえば、私も結構楽しんで読めます。四つぐらい読んだかな。
大久保先生が書いた「ブレヒトの詩に関する研究ノート」が興味深いものだった。確か私も翻訳でブレヒト詩集を読んでるはず…忘れてますが。
コッティーさん
「ブレヒトの作品はメッセージがあまりにも直接過ぎる」のは確かかもしれません。しかしそれはブレヒトのさまざまな芸術群を構成する一要素に過ぎません。しかもあえて言わせてもらえば、ブレヒトの作品があまりにも直接的なメッセージを含み過ぎていると考えるのは、後世のブレヒト研究者に騙されていると言うこともできると思います。たとえば『都会のジャングル』を読んでみてください。たとえば小説『人非人』を読んでみてください。たとえば評論『芸術の観察と観察の芸術』を読んでみてください。ブレヒトというのがどれほど多義的で矛盾に富んだ芸術家であるかがお分かりになるでしょう。
もう一つだけ。
ブレヒトは確かに共産党やスターリニズムに与した人間です。しかしあの時代の人間はみな、どちらに付くかの判断を迫られていたわけですから、ブレヒトが反ナチのメッセージを直接的に表明したことは大した問題ではないと思いますよ。ブレヒトは行動的な人物でした。自分の劇団を抱えていて、「今度の芝居は観客にウケるだろうか」ということも考えていた人物です。そういう人間ですから、多少のアジテーションは許容範囲かと思いますね。
独文で一冊ですか.

たいした本を読んでないなあ.
オレは文学屋じゃなくて語学屋なので,って,
あんまり理由になってない気もしますが.

学院生時代に
「お前はせっかくドイツ語ができるんだから,
何でもいいからドイツ語で書かれているものを読みなさい」
と先生に言われてグリム童話とゲーテの詩集を読みました.
(いずれもレクラム文庫)
まあ,ドイツ語ってややっこしいなあ,ってのが印象ですかね.

学部生のときに読んだものでは:
- Wilfried Seibicke 1982: Die Personennamen im Deutschen. de Gryter.
- Georges Kleiber 1998: Prototypensemantik -Eine Einführung-. Gunter Narr.
だと思います.
前者はドイツ人の「名前」についての本です.
何のきっかけかは忘れましたが,ドイツ人の名前に興味があって,
読んでみました.
後者の方は,「プロトタイプ意味論」という,
意味論の一領域についての入門書です.入門書とはいえ,
けっこう読み応えがあります.
もとはフランス語で書かれている(元のタイトル:La sémantique du prototype)ものが
独訳されたものです.
さすがにフランス語で読む気はおきませんでした.

マスターでは,うわ,研究書ばっかり読んでて,
ロクなもん読んでねえっす.
それでもひとつ挙げるなら,
Roel Janssen: Die Euro-Fälscher.
です.
これはちょうど欧州で各国通貨が
単一通貨ユーロに切り替わるときに出た推理小説で,
巨大な悪の組織がドサクサマネーロンダリングしようとしているのを
暴いていくというものです.
ちょっとエッチな場面もあって,楽しいです.
作者は作家であると同時に経済ジャーナリストなので,
読みながらおのづとヨーロッパ経済にもちょっとだけ
詳しくなれますよ.
元はオランダ語で書かれていたものの独訳版です.

ドクターに入ってからは,研究書以外でドイツ語で書かれているものは
ポルノ小説かSpiegel, Sternといった雑誌ぐらいしか
読んでいません.

長々と失礼しました.
ブレヒトのことについては確かに、三年前に大久保先生に、多義的な作家で色々な側面があるということを聞きました。まあ、その時は、なるほどねぇ、と頷いてそのままだったんですが…そうですね、ブレヒト、念頭においておきます。
ブレヒトの戯曲は、やはり読む戯曲(キーツとか、ある意味バーナード・ショー)というよりも演じられるべき戯曲として書かれているので、やはり上演を観ておかなければならないと思いつつまだ観ていません。上演企画者としてのブレヒトですものね。

捕手さんの挙げている本は…私には未知のものですね。グリムやゲーテはともかく。「名前」についての本はエルンスト・ユンガーの言葉についての論考なんかとも関わってくるのでしょうかね。オランダの小説、いかにもオランダ人ぽい名前の小説家ですが、オランダの小説は読んだことはありません、私は。最近オランダ青年を主人公にしたウォルター・ペイターの短編を読みましたが、ペイター版『トニオ・クレーゲル』といった感じのものでした。そうそう、その主人公は擬似スピノザ主義者なのですが、『エチカ』はドイツ語で読みましたよ。スピノザはオランダ人ですね。
ポルノ小説は大久保先生のドイツ語学習法だったらしいですね、学生時代。ポルノ、ちょっと退屈で読むのがしんどいので私は無理です。
去年、村上春樹の「国境の東、太陽の西」をたまたまドイツ語版で読みましたが、「何、これポルノ?」という箇所が結構ありましたね。

大久保先生の「ガリレオ」の授業は私も受けましたが、今となっては何の記憶も残っていません。残念なことをしました。今年はブレヒトの記念年ということで、ベルリンでは今月大規模なブレヒト祭があります。「ガリレオ」は日本からの劇団が公演するらしいですよ。私もどれか観に行きます。
>コッティーさん
まあ,語学屋向けの研究書なので,未知なのは無理もないです.
独文の中で語学屋は希少生物ですからね.
「名前」についての本は,まあ,ほんとに「名前について」書かれているだけです.
要するに,Namenkundeです.今になって思えば,
何であんなツマラン本を読もうと思ったのか不思議です.

さて,女性もご覧になっているでしょうから,あまり書けませんが,
ポルノ小説はいいですよ.

失礼な言い方ですが,
あまり教養のない人にも読めるように書かれているので,
ドイツ語の初学者にとっては読みやすい.
特に,短いフレーズでどう喋るか,ということの勉強になりますよ.
たとえば,ドイツ語を覚えたての日本人って,
言葉に詰まって「えーっと」と言うときに,also, also...
しか思いつかないじゃないですか.あれってブザマですよね.
あと,肯定や同意するときには,jaしか表現が思いつかない.
ポルノ小説を読めば,こういうカッコ悪さは解決できます.
何せ,男女のやり取りですから,あまりに言葉が稚拙だと
ツマンナイので,短いながらも表現のバリエーションは豊富です.

そして,ドイツ語の中級者には,
難しいことを難しく表現することはできても,
難しいことを単純に表現できない人が多いです.
複雑なものを読んだり聴いたりする機会が増えてくるからか,
たとえば関係代名詞やザクセン2格,接続法などをあえて用いずに
単純に何かを表現するということが,知らないうちに
苦手になってしまう人が多いのです.
そんなときにはポルノ小説!

さらに,上級者向けの話しなので恐縮ですが,
ドイツ語でポルノ小説を読んで気分が高揚してきたりムラムラきたりすれば,
もうドイツ語能力(?)は本物でしょう.
捕手
ポルノ本の効用はあんたから10ぺんくらい聞いてるから分かるよ(^_^;)
それよりも学部時代の授業で読んだ(読まされた)本で印象深いものはないのかね?

まさとさん
今年はブレヒト没後50周年ですもんね。ちなみに日本ではブレヒト関連は何も企画されていないはずです。
みなさんも一度ブレヒト劇をご覧になってみてはいかがでしょう?少なくとも「左翼の典型」みたいな印象は払拭されるはずです。
>せっちー
ありゃ,そんなにポルノの効用について語ったか.恥ずかしいね.
まあ,こう見えて読書家だからね.
でも,学部時代に読んだ本といったら・・・

・・・独文関係は皆無・・・

それでも,いくつか例を挙げると:
- カントを3行読んで挫折
- ゲーテのファウストの一部分
- メーリケの詩を何篇か

独文関係じゃないんだったら:
- Samuel Butler: Erewhon.
- 英語のポルノ小説
- シェイクスピア「ハムレット」「冬物語」

いやあ,情けない限りですよ.
なるほど。

Erewhon、結構マイナーな小説ですね。

早稲田の授業で読んだ印象深い本。

独文だと、インパクトが強いのは、、、シャイフェレ先生に貸してもらったRolf VollmannのDie wunderbaren Falschmuinzerという本で、所謂ドイツ版「読書本」です。読書家のドイツ人が自分が読んだ本について語っています。工夫しているのは年毎にコメントしているところで、例えば1888年にはどんな作品があって、それはどういものであったか、そしてこの年に誰々さんはこういう事をやった云々と書いているものです。ドイツ文学に限らず欧米文学全体に言及しているもので、なかなか刺激的な本でした。

独文の授業では他に、酒田先生の授業の課題に強引につなげて読んだ、オクタビオ・パス(十冊ぐらいかな)。柴田先生の授業の課題に強引につなげて読んだ、マグレブ系作家およびカリブ海作家およびサイードの本ですかね(全部で三十冊ぐらい)。

基本的に個人的なペースで好き勝手に読んでいくので。
最近はシモーヌ・ヴェイユの文章が衝撃的でした。今日読んだユンガーの小説『大理石の断崖の上で』も、悪くなかった、多分印象に残るかもしれません。

シェイクスピアは、、、私が人生で一番幸せだった経験はシェイクスピア全集(翻訳)を読んでいたときです!これは死ぬまで変わらないでしょう。
>コッティーさん
Erewhonを知ってるんですか.なかなか渋いですな.
オレは学部1年のときに,これが語学(英語)のテキストだったんです.
テキストには当然,一部分が抜粋されていただけなので,
残りの部分や話の続きがすっごく気になって,
紀伊国屋かどこかで注文して全部読んだんです.
常識とか,あらゆることが現実世界とひっくり返っていて
とても面白い本でした.
登場人物の名前までひっくり返っているのには笑いました.
(たとえば,Nosniborさんという人物が出てきますが,
これってRobinsonのひっくり返し.あとYramちゃんという女性とか.)

何だかんだ言ってシェイクスピアはいいですね.
英語圏の格言や箴言の半分は聖書由来で,
残り半分はシェイクスピア起源だ,なんてよく言われますけど,
分かる気がします.それだけ含蓄があるっちゅうことです.
コッティーさん,全集で全部読んだんですか.すごい.
オレは,まあ,英語で読んだせいもあるのかもしれないですが,
まだ全部は読んでません.
英語で読むのもいいですよ.
当時の英語って,どことなくドイツ語っぽいですから,
(定動詞2番目,動詞の人称変化などなど)
われわれ独文の人間には抵抗なく読めます.
数字の数え方も,たしか現代ドイツ語と似ていた気がします.
・・・う,こんなところに目が行ってしまうのが語学屋の病気ですね.

まあ,安易に「シェイクスピアはいい」とかいうと演劇の専門家に
何か言われそうだが.>せっちー
シェイクスピアはいい。
禿同ですがなにか。
いやぁ、バトラーの小説読む人ほとんどいないでしょう、現代では。バトラーといえば、ホメロス学者でもあって、ホメロスが実は女性だった、という学説を立てた人でもありますよね。多分今ではそちらでのほうが有名だと思いますが…、『オデュッセイア』でのイタケーは実はシシリア島にあった、とか言った人でもありますよね。

シェイクスピアの英語は確かにノルマン・コンクエスト(1066)以後の英語ですから、中古英語というのだったか、古英語にフランス語の影響が強く入ってきた時期ですから、確かにドイツ語っぽいですよね。そう、数の数え方もドイツ語と同じですね(ハムレット)。

私は英語の授業では…『源氏物語』と『ドン・キホーテ』かな。『ドン・キホーテ』は面白かった、普通に笑いながら読めたし。長い小説ですから英語で全部読んだわけじゃありませんけど。『ドン・キホーテ』の章毎のあらすじを確認する時は『ナボコフのドン・キホーテ講義』が役立ちます。…そういえばナボコフは、ドン・キホーテが最後の一騎打ちで敗れる相手が偽者のドン・キホーテだったら完璧だったが、と言っていますが、これは確かにそうで、『ドン・キホーテ』を書き直すとしたらそこのところですね。
セルバンテス、ケベード、とスペインのピカレスク小説はそれなりに翻訳されているのですが、なにゆえにアレマンの、ル・サージュが剽窃した小説、名前だけは有名な『グスマン』が翻訳されていないのか、これが不思議で仕様がないのですが、話が逸れていくのでやめます。

シェイクスピアといえば早稲田には小田島さんの息子さんが教授でいるのですが、この人は性格はいいみたいだけど、まったく物事(イギリス文学)を知らない人でびっくりしました。普通にロレンス・スターンとディケンズの小説の内容を間違えているのに唖然として絶対に英文学専修にはいかないでおこうと決心したものです。

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