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歴史文学倶楽部コミュの『歴史謎解きファンタジー 聖徳太子の大罪』

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                 『隋書』「倭国伝」「未明出て聴政す」

榊周次は高校で日本史の非常勤講師をしていた。おなじみの万年非常勤講師である。彼は大学で専任の職につきたいと思っていたので、大学の非常勤講師を止めるわけにはいかず、兼職禁止ということで、高校の常勤講師になるわけにもいかなかった。それでインド以下の低賃金ではないが、なにしろ週一コマで月に一万円に満たないので、多くのコマをこなす必要があり、まとまったコマがもらえないと、高校を二校も三校もかけもちしなければならないこともあった。

彼は専門は哲学なのだが、大学では学部が日本史専攻だったこともあり、高校の非常勤では日本史を受け持つことも多い。大阪府立葛城高校は府立高校では学力格差が中程度の学校なので、倫理という科目は設置していないのだ。

「さて、『隋書』「倭国伝」の史料購読ですね。山本幸治君開皇二十年のところ、読んで下さい。」スマホをいじくっていた山本は慌てて資料集を開き、渋々読み始めた。

「開皇二十年、倭王姓は阿毎(あめ)、字(あざな)は多利思比孤(たりしひこ)、号は阿輩雞彌(おほきみ)、遣使を闕(王宮)に詣でさせる。上(天子)は所司に、そこの風俗を尋ねさせた。使者が言うには、倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす、天が未だ明けない時、出でて聴政し、結跏趺坐(けっかふざ=座禅に於ける坐相)し、日が昇れば、すなわち政務を停め、我が弟に委ねるという。高祖が曰く「これはとても道理ではない」。ここに於いて訓令でこれを改めさせる。」

この解釈にはいろんな説がある。あまり難しい説明は高校生向きではない。こういう時は生徒に質問することだ。「開皇二十年といえば西暦ちょうど600年にあたります。この時の倭国の大王(おほきみ)は誰ですか?」

山本幸治は「分かりません」とあっさりいなした。「女性の大王ですよ」とヒントを与えると、「分かりません」といかにもしつこいなと反撥しているようにそっけなく答えた。

寺本照男が助け舟を出すつもりで「推古天皇やろ」と山本に教えた。榊は「ほお、寺本君、日本史強いんやね、日本史で受験するんか」と尋ねた。寺本は自慢げに「日本史だけやったら一番校の生徒にも負けへんけどな」と返した。

榊は微笑んで「そりゃあ頼もしいな。そしたら寺本君、阿毎多利思比孤という倭王は推古天皇のことですか?」と尋ねた。寺本は「いや違うでしょう。タリシヒコは彦なので男性です。女王ならタリシヒメと書くところです。タリシヒコは摂政だった厩戸皇子のことです。」

榊は感心して言った。「なるほどそうですね。でもタリシヒコの号はオホキミとなっていますが、厩戸皇子は皇子だけれと大王(おほきみ)ではないでしょう。」

寺本はニンマリして言った。「先生、僕を試しているのですか?『厩戸王』と書いて『うまやどのおほきみ』と読むのです。つまり有力な王子は『おほきみ』と呼ばれていたわけで、最高位は『天の下しらす大王』です。摂政は当然『オホキミ』ということです。」

「こりゃあすごい、その通りです。なかなか高校生でそこまで知っている人はいませんよ。そうですね。摂政に額田部大王つまり推古天皇は外交を丸投げしていたらしくて、摂政の遣いが隋に行ったのです。ただ疑問なのは兄と弟がいて、兄が天で弟が日となっていますね。推古天皇なら『姉』の筈でしょう、寺本君以外で、その説明が出る人はいますか?」と榊は、寺本以外に振った。

吉田若菜が手を挙げた。「女が大王だと馬鹿にされると思って男だったことにしたのじゃないですか。男尊女卑だったから」と悔しそうに言った。

榊は頷いた。「そういう解釈をする人が多いですが、倭国には渡来人が多いので、倭王の性をごまかしてもすぐにばれてまうでしょう。姉妹は女性に限定できますが、『兄媛』と書いて『えひめ』と呼び、『弟媛』と書いて『おとひめ』と読みますから、兄弟は女性でもいいのです。」

吉田は納得いかないような表情をした。「それにしてもわけわかんないですね。天は兄で弟が日とあるけれど、推古天皇は厩戸皇子の叔母さんでしょう。本当に大和政権から来た遣いだったのですか?」

寺本が勝手に発言した。「だから『隋書』「倭国伝」は信用できないという解釈もあるし、逆に大和政権の倭国ではなくて九州王朝のことではないかという解釈もあるんだ」と蘊蓄を披瀝しだした。

榊はそれに続けて言った。「寺本君、古代史マニア級だね。隋がいかに強大であったかを示すための全くのフィクションで、飾りの記事だ、という解釈もあります。東海つまり日本海に浮かぶ遥かかなたの島国からも朝貢に来たということにしたという解釈も成り立ちます。」

榊は「無為自然」と大きく板書した。「人為的なことは何もしないで、あるがままに自然に融合しているという意味だ」と解説した。「その解釈では『夜は天あるいは天の星が支配し、昼は日が支配する』ということで、無為自然に暮らしている未開の国だということを表現していることになります。」

「それは駄目です、間違ってますよ。」櫻井良が発言した。「だって『オホキミ』『アメタリシヒコ』というのは倭人の言葉でしょう。倭人語を知らない人が聞いて倭王の名前と思って書き留めているのだから、倭人の国から遣いがあったとみるべきですよ。」

寺本照男は「そうそう、アメタリシヒコはアメは天で天孫族を意味し、タリシは「足る」の「タリシ」で『支配する』ということでしょう。だから天孫族の支配者という普通名詞だそうですね」と蘊蓄を語った。

「そうだよ、なかなかレベルが高い議論になってきたね。」と榊は相槌をうった。

相良結衣が起ち上がった。「ところで推古女帝が未明にどんな政治をしたのですか?未明に政治なんて怪しげですね。」

「未明に重臣を集めて政治について相談したり、決定したりはするはずないね」と榊は言うと、中には盛り上がってきた議論など我関せずと居眠りをしたり、おしゃべりをしている生徒が十人ほどいたので、榊はおもわず手を叩いた。

「さあさお、居眠りしていちゃいけないよ。ここが重大なところだ。そんな未明に起きてきて、我々だったらちょっと用を足すぐらいだな。また寝ちゃうね。大王は聴政したんだ。政治の話じゃないとすると、『政』は『まつりごと』で神を祀って、伺いを立てたりするわけだ。『聴く』わけだから、重大問題があったときには一応神々の意向を伺ったりするかもしれない。それは大王が心の耳で聴くという形でいいわけだ。一般政務はすべて摂政に丸投げだから、大王は神々の意向を確かめるということだな。」

櫻井良が起ち上がって言った。「先生、その解釈もダメです。だって主神、皇祖神といえば、天照大御神でしょう。つまり太陽ですね。どうして太陽を祀るのに未明に大王が出てきてお祀りするのですか?そんなのありえません。」

確かにそうである。これは一本取られた。「そうだね、櫻井君、君は天才だな。それはすごい発見だよ。確かに天照大御神を未明に祀るのはありえない。ということは『隋書』「倭国伝」に依拠すれば、六世紀末までは天照大御神は主神でも皇祖神でもなかったことになるね。」

寺本が質問した。「『古事記』や『日本書紀』と中国の正式の史書が矛盾したらどちらを信用すればいいのですか?」

榊はショックを受けていたのか、ちょっと口をもつれさせながら言った。「それはケースバイケースだな。この記事は『日本書紀』に記載がない。何故、記載がないのかということと、関係がありそうだな」。

寺本がフォローするつもりで発言した。「ということは西暦600年の遣隋使派遣というのは、『隋書倭国伝』の内容がデタラメなのでなかったコトにしたほうがいいのですね。」

櫻井は反撥した。「そりゃあないよ、倭人語が入っていて、すごくリアリティがあるので、僕的には『隋書倭国伝』の方を信頼したいな。ということは、六世紀末まで倭国の主神や皇祖神は天照大御神ではなかったということになりますね、こりゃあ大発見、大発見でしょ。」とはしゃいだ。

榊は気を落ち着けて言った。「いやあ、面白かったでしょう。私も勉強になりました。授業としてはほとんど進まなかったけれど、古代史の大きな謎が君たちの議論でパックリ口を開いたのです。その謎の答は誰かがすでに知っているようなことではありません。この謎を解こうとすれば、さらに今まで分かり切っていたことが怪しくなって、別の謎が出てきます。そうしたらどんどん謎は深まっていって、それらを全部解決する解釈によって、古代日本史はすっかり様相を一変するかもしれません。そのとっかかりになる議論を君たちが出来たということは、これは素晴らしいことで、日本の若者もまだまだ生産的な議論ができる柔軟な頭をもっているということを証明してくれました。自信を持って下さい。

天照大御神への疑念

その夜、榊周次は寝付けなかった。六世紀末まで天照大御神は主神でも、皇祖神でもなかったという櫻井良の大発見にはしゃぐ姿が目に焼き付いていたのである。櫻井良のいうごとく、『隋書倭国伝』の記述に従って、六世紀末まで天照大御神が主神でも皇祖神でもなかったとしたら、ではどの神が主神で、どの神が大王家の祖先神だったのか、これを明らかにしなければならない。そして天照大御神にそれらを差し替えたとしたら、それは何時で、どういう動機からなのかが問題である。

梅原猛に関するの研究を続けてきたので、梅原古代史の中で、天照大御神の扱いは微妙であることを榊周次は知っていた。全国各地にアマテラスを祀る神社は千以上あるが、古い神社の縁起をたどると、アマテラスは実は『古事記』では天照大御神の孫である饒速日命のことである。だから女神である天照大御神は、案外記紀の書かれた少し前の時代になってから、創作されたのではないかというのである。

梅原猛は、その動機を持統天皇が孫の軽皇子に継承するために、そのモデルを神話の中に作ったと解釈した。それが天孫降臨説話である。女神の天照大御神は高天原の主神であり、自らの息子を天降りさせて、地上を治めさせようとするが、天忍穂耳命は辞退して、結局に天孫邇邇芸命が天降りしたという説話である。この説話は、梅原猛によると持統天皇が孫の軽皇子に皇位継承する際の先例として創作したというのである。そのために天照大御神を女神にしたという。

しかしそれでも大王家の祖先神が太陽神であったことを否定しているわけではないので、『隋書』「倭国伝」とは矛盾したままである。



                     三貴神への贈り物

翌日、月連休明けで開始された、大阪狭山市の熟年教室で『古事記』の講読の講師である。5月8日水曜日の朝10時からだ。

熟年教室ではなにしろ相手は六十歳過ぎで、中には八十歳過ぎの高齢者もおられるので、なかなか講師の側から当てて、読ませたり、質問したりするのはやりにくい。無知を晒させて恥をかかせられということで、気分を害されては困るからである。でも還暦過ぎて、また学校に通っている気になり、青春時代に戻った気持ちになることもあるので、できるだけ高校の雰囲気を出すことは必要である。

榊は、一緒に声を出して斉読してはどうかと考えたのである。『古事記』の原文は漢字だけで書かれている。それを少しずず皆で声を出して読むのである。原文を読むというのは、高校ではやれないことだ。熟年教室ならではの試みである。それで『古事記』が原文で読めて、意味もわかるとなれば、熟年の生徒たちの知的好奇心を満足させることができるのではないかというアイデアである。

榊のアイデアは見事当たって、活き活きと楽しそうに声を張り上げてくれる。「今日は三貴神の誕生の箇所ですね。」

此時伊邪那伎命大歡喜詔。吾者生生子而。於生終得三貴子。即其御頚珠之玉緒母由良迩【此四字以音。下效此】取由良迦志而。賜天照大御神而詔之。汝命者。所知高天原矣。事依而賜也。故其御頚珠名謂御倉板擧之神【訓板擧云多那】次詔月讀命。汝命者。所知夜之食國矣。事依也【訓食云袁須】次詔建速須佐之男命。汝命者所知海原矣。事依也。
このときいざなぎのみこといたくよろこばしてのりたまはく、「あはこをうみうみて、うみのはてにみはしらのうづみこをえたり」と。すなはち、そのくびたまのたまのおもゆらにとりゆらかして、あまてらすおほみかみにたまひてのりたまはく、「ながみことはたかまがはらをしらせ」と、ことよさしてたまひき。かれそのくびたまのなをみくらたなのかみといふ。つぎにつくよみのみことにのりたまはく、「ながみことはよのをすくにをしらせ」とことよさしたまひき。つぎにたてはやすさのをのみことににのりたまはく、「ながみことはうなはらをしらせ」とことよさしたまひき。


続く


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