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小沢昭一の小沢昭一的こころコミュの小沢昭一さんの葬儀

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昨日は意を決して小沢昭一さんの葬儀に参列した。
午前11時から信濃町の千日谷会堂で営まれた。
著名人が多くいたが、枚挙にいとまがないので書かないでおく。
俳優の加藤武さんと社会学者の加藤秀俊さんが弔辞を読まれ、加藤秀俊さんが「道を歩くと常に小沢さんの後ろ姿があった。小沢学が受け継がれていくことを信じています」と語った。

会場で久しぶりに旧知の小川洋三さんにお目にかかった。小川さんは小沢さんと半世紀を超える盟友関係で、小沢さんの芝居のプロデューサーであり、「日本の放浪芸」の取材現場にも立ち会った人である。芸能者としての小沢さんともの書きとしての小沢さんの両面を知る希有な人物である。小川さんはかねてからぼくの本を高く評価してくれており、加藤さんの「小沢学を継承する」という弔辞を耳にして、まずぼくのことを思い浮かべてくれたそうだ。「あなたがしっかり受け継ぎなさい」といわれ、改めて遺影に誓った。
ぼくと小沢さんの興味は同根で小沢さんは最も尊敬する先輩であり、ぼくがノンフィクションを志したのも小沢さんの「放浪芸」に関する本の影響が大きかった。
拙著「職業外伝」が上梓されたとき、小沢さんに献本し、小川さんがわざわざ小沢さんの前でぼくの本のことを誉めてくれたそうだ。しかし、小沢さんからは感想が聞かれなかった。読んでくれたとは思うのだが、そのことが唯一の心残りである。

とりわけ末廣亭での小沢さんの高座に接したことは一生の思い出だ。
そのときの様子を拙著「寄席の人たち」(集英社)から引用してみる。

中でも白眉だったのは、平成十七年の六月下席。このときは小沢昭一が初めて十日間、末廣亭に出て「随談」をするという触れ込みで何日も前からマスコミで話題になっていた。しかも昼の部の仲トリは小朝、膝前(膝替わりの前)は正蔵、トリが花緑、夜の部には権太楼、扇橋、圓丈、圓窓、小沢昭一が膝前で、膝替わり(トリの前に出る色物芸人)が正楽、トリが小三治という豪華ラインアップ。昼の早い時間から立ち見になり、普通は昼がハネれば帰る客が居残っているばかりか、夜になってもどんどん人が入ってくる。連日札止めとなり、うち何日かはやむを得ず昼夜入れ替えにした。末廣亭はじまって以来の出来事だった。ぼくも幸い、その人波の中にいることができた。場内はすごい熱気で、しだいにヒートアップ。小沢昭一の味わいのある語り口とハーモニカの妙技に惹き込まれ、小三治の『あくび指南』に酔いしれた。

それからも何度か小沢さんの「ハーモニカ昭和史」の
高座にも触れた。
とぼけていながらも飄々としていて、味わい深い人だった。
しかも小沢さんの「放浪芸」に関する仕事は後世に残る本である。
葬儀の途中から涙雨が降ってきた。
出棺の準備をしているときに、やおら轟音が聞こえた。
一瞬、カナミリでも落ちたのかと思ったが、近くの道路で車が大破していた。
テレビカメラが一斉にそっちに向かったが、幸い、怪我人はいなかったようだ。
ちょっとしたハプニングだった。
そして出棺。生前からの小沢さんの希望通り、自ら歌う「マイブルーヘブン」がかかった。
霊柩車が出るときに、期せずして参列者から大きな拍手が起こった。
拍手は鳴り止まず、カーテンコールを見ているようだった。
ぼくの隣の中村メイコ夫妻もずっと拍手していた。
小沢さんの在りし日の姿を思い起こし、熱いものが込み上げてきた。
見事な人生の幕引きだと思った。
小沢さんの人柄が滲み出た、実にいいお葬式だった。
小沢さんと同時代に生きることができて、ぼくは幸せだった。

小沢ファンで名古屋からわざわざ参列したという方と一緒にランチ。軽く飲んだ。
この日は句会仲間の噺家の独演会が昼夜であるので、はしごした。

柳家一琴ネタおろしの会 神保町のらくごカフェ
一.権助提灯
一.禁酒番屋
仲入り
一.竹の水仙

一琴さんは小三治門下。芸筋の確かないい噺家である。
一琴さんにご挨拶して、これまた句会仲間の映画監督の根本さんと下北沢へ。

立川談四楼独演会 北沢八幡宮
一.間抜け泥 寸志
一.転失気 笑二
一.子ほめ 春樹
一.天狗裁き 談四楼
仲入り
一.紙切り(談志百態) 正楽
一.富久 談四楼

正楽師匠にすかさず「小沢昭一!」と声をかけて切ってもらった。
「いいお題ですね」といわれたが、かなり考えながら切っていた。
小沢さんが土管の上に座って、ハーモニカを持って、これから犬に聞かせようという洒落た紙切りだった。
小沢さんの葬儀の当日に、小沢さんの紙切りを切ってもらった、これは一生の宝になる。
談四楼師匠の「富久」も圧巻だった。師匠は立川流の中でもズバ抜けた力量を持っている。

ハネてその場で車座になって打ち上げ。先日、真打ちになったばかりの立川こしらさんらも加わって飲んだ。フェイスブックでぼくのことをよく知っていた人たちと合流して盛り上がった。
さらに駅近くの居酒屋に移動して飲み会。いつものことだが、談四楼師匠や正楽師匠と飲むのは高座を見ているようで楽しい。ぼくは小田急の終電で帰ったが、談四楼師匠は終電を逃した人のために、朝まで付き合うということだったが、大丈夫だったのだろうか(笑)。

今日の中日新聞・東京新聞に拙著「職業外伝 紅の巻」の書評が載った。実はこれを書いてくれた文化部の記者と昨晩の落語会を同席していたのであった。彼はぼくのFBのお友達のご主人なのである。

さて、今日は東京で会合。ぼくが旅行作家の下川裕治さんと一緒にやっている、バングラデシュの仏教徒の少数民族「ラカイン」の小学校をサポートするNPO「サザンペン」の打合せ。夜はラカインの友達が結婚したので、ささやかな身内だけのパーティをやるのだ。
なんでこの活動を始めるに至ったのかは長くなるので、そのうちまた。もう下川さんと21年以上も続けている。

コメント(3)

 初めまして
 一小沢ファンとして、葬儀での拍手のこと。感服しました。
一般人でありますが、小沢さんの葬儀にいってみたかったです。

 現役のサラリーマン時代は新橋の飲み屋に連日の入り浸り、そのせいか、定年後の現在はゼンソクで外出も体調をみてからという状態です。もちろん、お酒は今はやってません。

 私は小沢さんの傑作「日本の放浪芸」と「又日本の放浪芸」を持っております。後にCD版も出たようですが、レコードの方です。何年か前、神田の三省堂の近くの店で、この「日本の放浪芸」が4万円の値で売っておりました。そこで、私ももっているけど、いくらで引き取りかと聞いたら店員さんは困ったような顔をしておりました。まあ、売るつもりはありませんがね。

 いつも楽しみに聞いていたTBSお昼の番組はどうなるのでしょうか。せめて3月まで再放送でやってくれたら、と思っております。
私も末廣亭の高座を拝見しました。橘エンタツ?という方の咄をされていて小沢さんの、そのはなしの影響で、あとにでた正楽師や小三治師が丁寧にてぬぐいでハサミや扇子を拭くしぐさをされていました。
小沢さん、勘三郎さんにしろ、談志師匠にしろ、生で拝見できたことはありがたいです。
末広亭、、、小沢先生笑わせてくれました!加藤武さんも立ち見でみてらした。その後ろでわたしも立ち見満員御礼。下北ピーコックで買い物して帰る先生に遭遇したり、バイト先のお客さんで握手してもらったりと何かとごえんがあったなぁ。もちろん先生の本も記録集も拝読拝聴しております。大丈夫!私たちが小沢学は伝承していきます。今はフランス在住だけど、温存温存。友人が言葉わからないのに一番すきなCDはこれって言ったのが先生のcdでっす。意気なやつだ。談四楼師匠の会も続いてるのね。うれしい限り。帰国の際は見に行きます。小沢昭一ばんざ〜〜〜〜い 咲&い 拝

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