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ロックフェスを作ろう!!コミュのたまにはトピック♪ コラム書きました♪

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☆今のフジロックフェスティバル☆


風船は膨らんではじめて風船になる。風鈴は風に吹かれてはじめて風鈴になる。目に見えないものが形になるのはこういう時なのだと思う。だから、フェスティバルは自らが楽しむことではじめてその形を現す。決して受け身にならずに風のようにあるがままに動くのだ。

 ならば、フェスティバルの前にロックがつくとどうか?もともとロックはテレビやラジオでランキングされるような存在じゃないし、むしろ他と比べるものではないと思う。自分はこれが好き!それだけで充分だし、ましてや他を否定する必要もないと思う。決して少数派という意味でのロックではないし、テレビやラジオが悪いわけではない。ただ、ロックはいつだってつくる側聴く側のお互いの直球を投げ合うという自信なのだから。自信とは他と比べるものではなく、それさえあれば充分なもの。だからつくる側も聴く側もロックを信じれるのだと思う。そしてランキングのないロックフェスティバルは自分のロックを信じて、自らがそれを表現することでその姿を現す。決して自分勝手にならず、また自分の歩幅で進みながら。

 それならロックフェスティバルの前にフジが付くけどこれはどうか?もちろんこのベースには富士山があり、トータルの達成感は富士山級だけど、ロックフェスティバルにおいてのフジは世界一クリーンなフェスと言われて当然な程、富士山とは逆に世界遺産レベルである。ロックは破壊なイメージがあり、フェスティバルは散々なイメージがあるけどその3つが合体するとこんなにも世界が美しくなるのはどうしてか。それはきっとそこに集まるたくさんの人達の魂が大きく関係しているし、逆に人の心を美しくさせるものがフジにはあるのだろう。だからあの入口のゲートを前にするとフジロックフェスティバルは僕らのもの、という強い意識を持たせてくれる最高の登山口である。決して独り占めせずに、そして一人立ちしながら。

 今度は逆にフェスティバルを抜いてフジロックという音楽のキーワードに触れてみる。フジロックとはあらゆるジャンル、あらゆる世界をも取り込んだ魔法の音楽である。あの場所の環境と絡み合いその日の天気や人混み、そして各ステージの色、そこに行くまでの道、そういったものをすべて含んでフジロックという魔法の音楽はある。普段聴かない音楽もあの場所にいると不思議と聴けたり、普段は目なんか閉じて音楽なんか聴かないのに、あの場所で目を閉じて音楽を聴いてみると不思議と世界に吸い込まれたり、フジロックという世界はあの場所でしか発しないオーラとさまざまなロックの要素とが調合されてできた世界で一つの素晴らしき音楽世界である。そして、そのフジロックの魔法の使い手たちは魔法をかけるだけで解く術を知らないのがポイント。だから、3日間を駆け抜け、フェスティバルは終わってもフジロックはそこからの一年を共に生き続けてくれるのだ。

 ならば再び、フェスティバルをくっつけてフジロックフェスティバルはまた一年に一度の楽園となる。でも、ロックだから音楽園か。いずれにせよフジロックフェスティバルは山でありながら音楽や人、年代、通路に至るまでその段差を感じない。さらには聴こえてくる音楽、歩く道のり、ステージの上に立つアーティストに至るまで、その距離を感じない。むしろ、夢とかあこがれで目の前にある音楽とアーティストを見つめることもなく、ステージの高さはあれど音楽を発する者も受ける者も同じ高さであると強く思わせてくれるのがフジロックフェスティバルの魅力の一つである。お祭りは全員が参加者なのだから。そして、フジロックフェスティバルらしいアイデアとアンテナは毎年広く遠く張り巡されていて、歩いて見上げるくらいの視点にいくつもの笑顔になれる要素が増えている。だから、自然と共に生きるフジロックはこれからも光を増やして自然に火をつけるように、自ら燃えていくのだ。

 けどフジとフェスティバルが一年に一度完全燃焼するのに対して、ロックはそのまま燃え続けるのだと思う。カーステレオからライブまで、ロックは一人になっても燃え続けるのだ。ならばそもそもロックはなぜ素晴らしいのか考える。それはロックには嘘がないからだと思う。今、世間ではアイドルやドラマ俳優のように脚色され聞き入れやすくなっているものがテレビの世界には並べられているけど、ロックは体を揺らしたり叫んだりするのに邪魔になるからもともとそんな色を持ち合わせていない。さらに音楽は聴く側の立場であっても自由に形を変えられるものだけど、ロックは完成品を壊してみろと言うくらいコールアンドレスポンスのような対話が人と曲を強くしていく。だからみんなロックに正直になれるのだと思う。ロックの視点はいつもステージから見られてる風景ではなく、ステージから見える風景。だからみんなロックを受け止められるのだろう。

 それならばロックのお祭りであるロックフェスティバルはたくさんの夢や理想が描かれる程、なぜ素晴らしいのか。それはロックフェスティバルには雨が降ろうが、猛暑だろうがそこに行けば必ずロックがあって、期待とか夢や理想をはね返すくらいのフェスティバルがあるからだと思う。決して自由そうに思えて全てが自由じゃないし、思い通りに全てが進むわけではないけれどそれでもロックフェスティバルは楽しいのである。見たかったアーティストのステージを少ししか見れなかったり、歩き周りすぎて頭痛になってしまったり、それでもロックフェスティバルは幸せなのである。それはなぜかと言えば、自らが歩いてロックを聴きにいき、みんなと共になってロックを持ち上げる。暑いのは熱さに変えることで汗をかけばいいし、雨が降ればおもいきって予定変更してみればいい。そうやってそこにある色を使って好きに絵を描いていくように楽しく、やがてできた完成品に幸せを感じるのである。そして一年に一度さまざまな場所からさまざまな職業の人が集まり、普段のロックの魂をそこで爆発させるのがロックフェスティバル。あの場所にあるのは夢や理想や期待で並べられた舞台や歩行者天国ではなく、生きた現実と日常の中の夢の先で待っていたステージとロックンロールである。

 そして毎年7月末の週末に行われるフジロックフェスティバルはフジとロックとフェスティバルという自然と音楽と人が一つになった究極の至福の場所である。自然に囲まれ、音楽に囲まれ、たくさんの人に囲まれ、鏡の世界のように自然と音楽はあの場所でお互いを映し合っていく。人と音楽はそれぞれのステージで、人と自然は太陽に当たってできる影や雨で溜まった水溜まりでお互いを照らし合っていく。それこそがフジロックフェスティバルの最大の魅力であり、心技体と同じように一つでも欠けてはならないものだと思う。自然も音楽も人もそこで何を感じ、どう反射するのか、それらが交わった光の模様こそがフジがフジである理由であり、富士登山並の達成感が得られるのだと思う。

 11回目の夏を終えた今のフジロックフェスティバルはこれまでの歴史も、これからの未来も意識することなくロックの精神と同じように今を追及している。だから僕らもフジロックフェスティバルがつづく限り、あの時がなつかしいとか、戻りたいとか思わないし、毎年毎年変わらないものを大切にして、変わるべきものを変化させながら独自のペースで進む姿勢を貫き、これからは日本におけるではなく、世界におけるフジロックフェスティバルとして頂上のない登山を共に続けていきたいと思う。そして、ロックフェスティバルの存在する時代に生まれ、一緒に歳をとっていけることに感謝していきたい。

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