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イングリッド・ベタンクールコミュのコロンビアを知る2C:暴力の50年 PART.3

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PART.3:ゲリラの増殖

多くの農民---そのほとんどは自由党系か共産主義者であった---は、1950年代の軍事攻勢を、武装自衛運動に守られ、メタ州とカケタ州の人が住んでいない場所に「長征」することにより、生き延びた。農民は新しい土地を開拓し、その地域を「独立共和国」と宣言した。「社会的・経済的偏向に関する個人的経験と支配階級が掲げる二重価値体系に気付いた」ことにより信用できなくなった政府の支配から、自らを開放しようという試みであった [1]。

けれども、入植者たちはすぐに、深く求めていた自治を得たわけではないことを知った。大土地所有者が、自らの土地を拡大しようとして、新たに開墾された土地の所有権を主張し始めたのである。さらに、政府にも、入植者を放置しておく意図はなかった。「入植者たちの共和国を共産主義者のギャングと規定することにより、政府は彼ら/彼女らに対して軍事攻勢を仕掛け、政治的に非難し、経済的に封鎖することを正当化した・・・・・・その結果は戦争であった。こうした共和国は一つずつ軍の手に落ち、そして政府の統制下に入ると、土地は大土地所有者の手に渡されることとなった」 [2]。

ジャングルのさらに奥へと追いやられた農民たちは、社会正義を達成するために残された唯一の道は全国的な反政府戦争を行うことにあると自覚した。この結果、武装自衛運動は、統一的な指令系統のもとで軍と複数の戦線で同時に戦うために、部隊をコロンビアの様々な地域に分散した。1964年7月20日、武装自衛運動の諸前線は農業改革プログラムを発表した。その2年後、この運動が公式にFARCとなったのである [3]。

1960年に、独立した政党である国家人民連合(ANAPO: National Popular Alliance)がロハス・ピニージャの支持者により結成され、議会選挙に参加することになった。ANAPOは、国民戦線同盟から除外された人々の多くにアピールしたため、その人気は1960年代を通して着実に上昇した。1970年4月19日、ロハス・ピニージャはANAPOの大統領候補として立候補し、最初リードしながら、結局僅差で国民戦線の候補ミサエル・パストラナ・ボレロに破れた。多くのANAPO支持者が、政府が投票集計を操作したと非難し、選挙のごまかしに対して、ANAPOの社会主義的なメンバーは、1972年にM−19ゲリラ運動を結成した。

M−19は、大胆な都市部の攻勢によって悪名を馳せた。例えば、1980年のボゴタにあるドミニカ大使館占拠や、不幸な結末に終わった1985年の法務省乗っ取りである。後者の事件では、2日間の戦いで、11名の最高裁判事を含む百人以上の死者を出し、この戦いで軍は荘厳な法廷をぺしゃんこに破壊した。1989年、M−19ゲリラは、政府の全面的な恩赦と引き換えに武器を置くことを決めた。元ゲリラたちは次に控える選挙に参加するために、民主同盟M−19という政党を結成したが、右派準軍組織は同党の指導者の多くをすぐに暗殺した。この中には、大統領候補で元M−19の司令官だったカルロス・ピサロも含まれていた。

M−19は、保守党と自由党エリートの間で権力を保持することに成功した国民戦線体制への対抗として生まれたものである。国民戦線という「制限された民主主義」は、他にも、1960年代にゲリラ運動を生み出した。これには別の要因もある。キューバ革命がラテン・アメリカの急進主義者の多くに影響を与え、エルネスト・チェ・ゲバラの武装蜂起が見習うべき革命の道と見なされた。また、コロンビア共産党がソ連共産党第20会大会における革命への平和的道を支持したことにより、多くのコロンビア人青年たちが党を離れキューバのモデルを歩むこととなったのである。

1960年代半ばにアンティオキア州でEPL(人民解放軍)が結成されたのは、こうした要因によるものである。ソ連と中国の対立の中で、EPLは「持久的人民戦争」という毛沢東主義を採用した。けれども1980年以降は毛主義とは距離を置き始め、1990年8月にはメンバーの多くが武器を置いて政治的プロセスへの参加を決断した。少数のグループはコロンビア北部で武装活動を継続している。

1964年、キューバから帰国したばかりの大学生たちが、コロンビア第二のゲリラ勢力である民族解放軍(ELN)をサンタンデル州で結成した。ELNは厳密にゲバラの都市ゲリラ戦という原則に従い、M−19やEPLと対照的に、これまで武器を捨てて政治プロセスに参加することを拒んできた。社会学者のエデュアルド・ピサロは次のように述べている:「最近、ELNはほとんど全面的に石油産業を妨害し破壊することに活動を集中させ、北部のパイプラインを攻撃して大きな成功を収めている」 [4]。

実際、1986年から1997年の間に、ELNは636回パイプラインを爆破し、国営石油会社Ecopetrolに15億ドルの損失を与えている [5]。長年にわたり、FARCとEPLは、ELNが経済サボタージュにより大衆の支持を得ることに失敗してきたと批判している。けれども、1990年代末には、FARCもまた、内陸奥地の油田から沿岸の港に石油を運ぶ多国籍企業の石油パイプラインを標的にしている。

コロンビアで国民戦線とキューバ革命以前の農民に起源を持つゲリラはFARCだけである。これに対して、ELN、EPL、M−19はすべて都市部の知識人階級に率いられたものであり、1960年代に発達したラテン・アメリカの多くのゲリラと共通している。つまり、キューバ革命に影響された、国内の政治的・社会的・経済的状況に対する武装反対活動なのである。

注・参考文献
1. Alfredo Molano, "Violence and Land Colonization," Violence in Colombia: The Contemporary Crisis in Historical Perspective, Eds. Charles Bergquist, Ricardo Penaranda and Gonzalo Sanchez (Wilmington: Scholarly Resources, 1992), 199.
2. Ibid., 206-207.
3. Eduardo Pizarro, "Revolutionary Guerrilla Groups in Colombia," Violence in Colombia: The Contemporary Crisis in Historical Perspective, Eds. Charles Bergquist, Ricardo Penaranda and Gonzalo Sanchez (Wilmington: Scholarly Resources, 1992), 181.
4. Ibid., 178.
5. Steven Dudley and Mario Murillo, "Oil in a Time of War," NACLA-Report on the Americas, Mar./Apr. 1998, p. 42.

続く→
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